閑17話 日本三作の一

 土曜の昼下がり、閑散とした喫茶店。

 定年後の退職金で開いた趣味の店で、客が来ても店の主は新聞か雑誌を読んだまま接客さえしない。客は自分から店主の元に行ってお願いするように注文せねばならず、ネットの口コミ情報ではボロクソな評価だ。

 おかげで、滅多に客は来ない。ただしコーヒーは美味い。 

 つまり五条亘にとって理想的な喫茶店ということになる。美味しいコーヒーが飲みたくなると、静かな店内で一人ぼーっとすることがあった。


 今日はその隠れ家的な喫茶店に、知り合いを連れてきている。それは真向かいに座るゴツイ顔の禿げたおっさんで、藤源次その人だ。忍者姿以外で会うのは初めてだが、作務衣姿に草履であるため、頭巾をしていない以外はあまり大きな変化はない。

 しかし亘の目は服装よりも、ついその頭に行ってしまう。

 禿げていた。藤源次は見事なまでに禿げていた。剃っているわけでもなく禿げている。

 密かな愉悦を感じてしまうが、亘は自分を戒めた。女が胸を見られる視線に敏感なように、男も頭を見られる視線に敏感だ。相手が自分の目を見ているのか、生え際をを見ているのか。その僅かな視線の違いが察知できるのだ。禿げた人と相対するときは、注意しよう。

「五条の、ここに呼び出したのは何の用だ」

「うん悪いな、実は藤源次に頼みがあるんだ」

「ふむ、またどこぞの異界でも破壊に行きたいのか? それとも、修行に良さそうな異界の場所でも知りたいのか」

「なんだそれは。人を戦狂みたいに言うなよ」

 亘はゲンナリする。どうして人を異界狂いのように言うのだろうか。

「頼みというのは……藤源次の術か技を教えて貰えないかと思ってな」

「……いかにお主相手だろうが、我らの術をおいそれと洩らすわけにはいかぬな」

 藤源次は腕組みをし、険しい顔で拒絶の言葉を口にした。

 もちろん、そんな返事が来るのは承知している。自分の技術を簡単に教えないことは想定の内だ。ニヤリと笑ってみせる。

「これをじっくり観たくない?」

 亘は鞄から大事そうに白鞘の短刀を取り出し、そっと刀身を抜き出してみせる。

 一瞥した藤源次の目が、カッと見開かれた。

「こ、これは……この深みのある青黒さは、まさか……」

「さすが分かるか。藤源次なら分かってくれると思ったよ」

「ううむ、これは……ああ言葉が出ない……」

「地鉄が良く積むって言うけど、実は結構大肌なんだよ。この地鉄の青黒い深みは深海を思わせるよな」

 亘が刀身を納めても、藤源次の目は白鞘に釘づけ状態だ。これは掛かったな、とほくそ笑む。

「術とか技を教えて欲しいんだが」

「……くっ、だがそうは言ってもおいそれと教えるわけには……」

 藤源次が渋い顔で、しかし強がりのように呟く。刀剣趣味の者なら、この短刀を手に取り観れるとなれば居ても立っても居られない。


 なおガラスケース越しに眺めるのが”見る”で、手に取って鑑賞するのが”観る”だ。その意味合いも違えば、鑑賞度合いもまるで違う。まして、素人がカメラで撮影した画像など、見たことにさえならない。

 亘は軽く居ずまいを正し、咳払いをしてみせた。

「『デーモンルーラー』はキセノン社の方針次第で、どうとでもなってしまう。ある日突然、廃止なんてこともあり得る。当分は大丈夫だろうがな」

「…………」

「この前、古い昔話で陰陽師や退魔師が管で悪魔を使うと聞いた。自分もそんな感じで悪魔を使役できるようになりたいんだ」

「…………」

「もし、そんな術や技を知っていたら教えて欲しいんだ。頼む」

 亘は真剣な眼差しで睨むように見つめ、藤源次も同じ眼差しで睨み返す。客の居ない喫茶店で、むさい男が真剣に見つめ合っている。

 ややあって、目を反らしたのは藤源次だ。

「陰陽師の技は知らぬ」

「そうか……」

「だが、我らの技と根源は一緒だ」

「それじゃあ」

「お主に一番基礎となる術を教えてやろう。さすれば、いつか習得するにしても早かろうて。ただし、その先は知らぬ」

「ありがとう」

「言っておくが、別にそれを見たいからではないぞ」

 藤源次は言い訳がましく言いながら、白鞘へと目をやった。


◆◆◆


「ふむ。まず魔素について説明しておこう」

「DPのことか」

「そうだ。集すれば周囲の概念を得て悪魔と化すように、人の身に宿ったDPは、その身体に様々な影響を与える」

「なるほど、APスキルの身体強化がまさにそれだな」

 以前、神楽からAPスキルとは、スマホが周囲のDPを介して使うと聞かされた。藤源次の説明と合わせれば、AP身体強化はスマホが体内のDPを使うということなのだろうか。

 一瞬考えたが、すぐに止める。今は藤源次の話を聞く方が先だ。

「我らを含め、全ての退魔の業を生業とするものは、体内にあるDPを自らの意志で使うことを基本とする。根源は一緒というのは、その意味だ」

「自らの意思で使うのか?」

「例えば……こんなことができる」

 藤源次は週刊の少年誌を持ってくると、軽々と引き千切ってみせた。それは人の力で出来ることではない。

「おお凄いな。だが、その雑誌は店の備品だからな」

「後で弁償しておこう……さて、お主の身体にはDPが染み込み蓄積されておる」

「それが経験値か」

「さよう。今のお主は、それを機械の力で活性化させておる。しかし、それに頼り過ぎ自らの意思で使えないのだろうて」

 神楽は異界の外でも魔法を使える。藤源次も同じく忍者の技が使える。それら全ては体内のDPを活性化し特殊な力を発現させているわけだ。

 ならば経験値として体内にDPを宿す亘も、同じように特殊な力を発現できてもいいことになる。異界の中でのみレベルアップ効果が発現するのは、スマホに頼り過ぎということだろう。

 もしかするとスマホなしで特殊な力が使えないよう、そうキセノン社が仕組んでいるのかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎった。


 さて、と藤源次は呟いて説明を続ける。

「最も基礎の技は、『操身之術』と言う。まあ、流派によって呼び名は違うがの」

「武術でも良くあるな。同じ技でも違う名前ってのは」

「これは全身にDPを巡らせ身体を強化させるもので、我らに限らず悪魔と戦う者全ての基礎になる。これが使えねば、お主が望む悪魔の使役も使えぬぞ」

「説明はいいからさ、早いとこ教えてくれないか」

 焦れる亘に藤源次が釘を刺す。

「言うておくがな、これとて一歩間違うと死ぬるぞ」

「えっ?」

「当たり前だ。どの術にも危険が潜んでおる。この術の場合は、制御できねば生きるのに必要なDPまで消費し尽くすことになる」

「マジかよ……」

 さらっと怖いことを言われ、亘は顔を引きつらせた。恐れをなしたことを悟られぬよう、コーヒーを飲みながら誤魔化す。

 藤源次は水で喉を湿らせて言葉を続ける。その目はチラチラと横に動き、白鞘を気にしていた。

「何年も修行をして、少しずつ感覚を身につけていけばよかろう。身体を動かす時、どう動かすか考えず動かすだろう。あれと同じまでに制御出来れば何の問題ない」

「……それって相当難しいのでは?」

 サクサクッと覚えたかったが、年単位とは少しがっくりしてしまう。そんな亘を前にして、藤源次は自分の眉間をこんこんと叩いて見せる。

「ともかくやり方を説明しておこう。まずは、眉間の奥に意識を集中させる」

「マンガだと、サードアイとか真眼とかある位置だな」

「我は真面目に話しているのだがな……まあいい。そこにDPを集め己が血流により全身に行き渡らせることを想像する。いいか、少しずつだぞ。加減を間違えると大変なことになる」

「間違えると、死ぬわけか」

「それだけではない。活性化したDPにのまれると、理性を失って暴走したあげく全身のDPを使い果たして死ぬる。そうなったらどうにもならん」

 藤源次が遠い目をして説明する。まるで見たことがあるような様子だ。いやきっと、実際に見たことがあるに違いない。

「怖いな。分かった、充分注意するさ」


 亘は目を閉じると眉間に指をあてた。そこにDPが集まるイメージを――だが、すぐに目を開けた。

「全然ダメだ。そもそもDPのイメージが分からん」

「言うただろう。本来何年も修行して覚えるものだ。基礎とは言えども、否、基礎だからこそ覚えるのに苦労するだろうの」

「何年もかかるのか……」

「機械の補助があるとはいえ実際に使っておるからの。何年ということもなかろうて、事によると何か月かぐらいではないかの」

 藤源次がシレッとして言うが、なんにせよコツコツ地道に修行せねばならないだろう。亘は地道にやるのは得意だと呟き、そして軽く笑った。

「はははっ」

「どうした。まさか諦めたのではなかろうな」

「違うさ。こういう地道なのは、チャラ夫には無理だろうなと思ってな」

「ふむ。チャラ之介か……確かにあやつは難しいかろうて……いやしかし、上手く煽てれば存外真面目に修行するやもしれぬ」

「確かにな」

 煽てればチャラ夫のことなので、真面目に頑張るかもしれない。そして煽てることは、ひどく簡単だ。自分が成功したら、やり方を教えてやろうかと思いつつ、亘は少し残ったコーヒーを飲み干した。

 そして修行を始めて見たが、そう簡単に出来るものではない。結局、何の反応もないまま時間だけが過ぎていくだけだった。

 藤源次はその間、ずっと鑑賞していた。

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