閑18話 これが一般的な契約者の状況
波平幸矢は建設業界で働いている。公共工事の下請けの、さらに下請けをする小さな会社だ。
両親は物心つく前に、交通事故で死んでいる。祖父母に育てられたが、その二人も幸矢が小学生になった頃に、相次いで病死してしまった。それからは、お定まりのパターンだった。
不幸を呼ぶ子と言われ、親戚の家を転々として常に厄介者扱い。そんな日々に耐えかね、中学を卒業すると同時に就職して独り暮らしを始める。そして、世の中を知った。
それまで漠然と思い描いていたような、優しく楽しく幸せなものではない。
社会の仕組みはガッチリとしていて、『学歴がない』たったそれだけで、信用して貰えず就職先は限られ給金は少なくなる。人間関係も同じで、自分のストレスを発散するためにバカにしてくる者や、陰湿な嫌がらせをする者がいた。
そして同じ年の連中が綺麗な服を着て楽しそうに歩く横で、幸矢は薄汚れた作業服を着て重い資材を抱え汗を流して働かねばならない。しかも、そうした連中が大学を卒業し就職すれば、幸矢より良い給料を貰うのだ。
そうした日々を過ごすうち、幸矢は徐々に捻くれ粗暴となっていった。自らを強く見せるため、髪を金髪に染め鼻にピアスを付けた。嫌なことを忘れるため酒を飲むようになり、その量も徐々に増えていった。周囲の人間になめられないよう、挑戦的な口調で相手を睨み付け生きて来た。
だが、それも過去の話だ。たった1つの出会いが、幸矢を大きく変えてしまった。
金髪と鼻ピアスはそのままだが、仕事が終わると寄り道せず職場の寮へと帰る。酒は飲まず、規則正しい生活をする。性格も明るく素直になり、挨拶をするようになった。
自分が変わってみると、周囲も変わりだす。特に職場の社長は幸矢を見直したと公言してはばからない。
「おう幸矢、どうだ朝飯は食って来たか!」
「もちろんですよ。食べないと1日持たないから」
そんな返事に社長が嬉しそうに頷く。何でもない雑談だが、こうして社長が話しかけていることで、幸矢を見る周囲の目が加速度的に改善されていた。
「いいぞ。ところで最近のお前は変わったが……まさか、寮に女を連れ込んでないだろうな。もしそうなら、自分でアパートを借りるんだぞ」
「違いますよ。ちょっと、そう。将来を考えただけです」
「そうかそうか、そいつはいい! よっしゃ、今日も頑張って働くぞ!」
「うっす!」
幸矢を変えたのは、女なんかではない。もっと大切な相棒で、秘密の仲間。それが……『デーモンルーラー』で呼び出した、ハリちゃんだ。
◆◆◆
「ただいまハリちゃん。良い子にしてたか」
六畳半の小さな部屋に戻ると、敷きっぱなし布団の中から黄色い小さなハリネズミが現れた。どうやら寂しかったので、幸矢の匂いがする布団に潜り込んでいたらしい。
キュウキュウ鳴きながら、小さな足で幸矢に駆け寄ると、その足の周りを嬉しそうに跳ね回る。それを眺める幸矢の顔は、まるで子供の様に優しげだ。
「そうかそうか。寂しかったか」
手ですくい上げ、頬擦りをしてみせる。
見るからに痛そうな背中の棘だが、触ってみると案外柔らかく頬擦りしても痛くない。つまり見せかけだけの鋭さであり、幸矢の金髪鼻ピアスと同じだろう。
「飯だぞ、おいでハリちゃん」
コンビニで買った弁当と、小さなチーズを机に置く。チーズの包装紙を剥いていると、さっそくハリちゃんが駆けて来て、期待した目で見ている。
「そら、食べろ」
嬉しそうに受け取ったハリちゃんは、チーズを両手で抱えチマチマ食べだす。そんな癒やされる光景に微笑みながら、幸矢も自分の弁当を食べ出した。
ハリちゃんと一緒に居れば、もう辛くない寂しくもない。きっと『デーモンルーラー』を使う他の契約者も、きっと同じだろう。
そうしてキセノン社での説明会を思い出す。
一番覚えているのは、室内なのにサングラスをした変な女のことだ。あれは見事な身体で、形の良さそうな大きな胸に、上着やスカート越しでも分かるキュッとした腰と、プリプリしたお尻に興奮した。
説明の話はどうでもよくて無視していた。説明自体がちんぷんかんぷんで、途中からハリちゃんを撫でて暇を潰したぐらいだ。行って良かったのはスマホが新しくなったこと、そして高い飯を好きに食べられたことぐらいだろう。
洋食と寿司をハシゴして、腹いっぱい食べた。寿司屋では三人前を平らげ、お土産まで包んでもらったぐらいだ。
◆◆◆
揺らめく空間を通り抜け、幸矢は異界の地に侵入する。
説明会で、他の契約者が異界に行ってDPを稼ぎ、小遣いを得ていると話していた。生活費を稼げればと思って、幸矢もそれに倣うことにした。
異界は薄暗いような、薄明るいような変な場所で、祖父に聞かされた地獄が連想されてしまう。実際に悪魔が出るのだから、間違ってないだろう。もしこんな場所に喜んで来る奴がいたら、きっと頭がおかしいに違いない。
「よし、ハリちゃん頑張るぞ!」
足元できゅうきゅうと声があがる。
本当に頑張るのは、実際に戦うハリちゃんだ。スキルの『飛び針』を使って、現れる餓鬼を倒してくれる。
「できれば二体は倒したいけど、一体でもいいよな」
配信クエストのクリア条件は『悪魔を一体倒せ』なのだから、まずは一体で充分だ。無理して悪魔と戦って危ない目に遭う必要は無い。
なお、配信クエストのもう一つ『一日一回異界に侵入せよ』は、すでにクリアしているから大丈夫だ。
「さあ行こうか」
慎重に異界の中を歩き出す。ここに現れるのは、餓鬼と呼ばれる悪魔だ。祖父が話してくれた地獄に居る妖怪と同じだ。そうすると、やはり異界は地獄なのかもしれない。
餓鬼は動きが遅いが、思わぬ場所から急に襲ってくる。だから注意が必要だ。前後左右を警戒していると、今回は民家の窓ガラスを突き破って飛び出してきた。
「おわぁ!」
ガラスの割れる音が幸矢を驚かせ、そのせいで指示が遅れてしまう。
枯れ木のような足に蹴飛ばされ、ハリちゃんが悲鳴をあげながら転がる。その隙に幸矢は急いでそこから離れた。
逃げたのではない。そうしなければ戦闘に巻き込まれてしまうだろうし、ハリちゃんも攻撃がしにくい。
「行け、ハリちゃん。飛び針だ!」
立ち直ったハリちゃんが、キュキュッと鳴いて針を放つ。それが餓鬼に突き立つが、まだ倒せていない。もう一度当てれば倒せるのは分かっている。
「負けるな、もう一度飛び針だ!」
命令通りの攻撃が餓鬼に命中し、今度こそトドメを刺すことに成功した。針だらけになった餓鬼がゆっくりとDP化していく。
キューキューと小躍りするハリちゃんを褒めながら、スマホでDPを回収する。
「よくやったな」
これで通算9DPだ。経験値も同じく増えているので、そろそろレベルアップしないかと期待している。そうすれば、ハリちゃんがもっと強くなるに違いない。可愛くて強いハリちゃん。最高だ。
そんなことを考えていると、きゅーきゅーと切羽つまったハリちゃんの声が聞こえた。我に返ると、新たに現れた餓鬼が迫っていた。
落ち窪んだ眼にバサバサの髪、半開きになった口の中で涎が糸を引いている。
「ハリちゃん攻撃だ」
思わず指示をしてしまったが、それよりも逃げるべきだったと、すぐに気づく。今のハリちゃんの位置では幸矢が邪魔で上手く狙えない。
外れた針が民家の壁に突き立ち、餓鬼は幸矢を目掛け突っ込んでくる。背筋がぞっとなり逃げようとするが、それより先に餓鬼が飛びついてくる。そのまま足にしがみ付かれ転倒してしまった。
地面の上で身をよじると、大口開けた餓鬼が足に齧り付こうとしているところだった。
「うああああっっ、止めろぉ! 飛び針だ!」
反対の足で何度も蹴るが、餓鬼がしがみ付いたまま離れようとしない。それどころかワシャワシャと這いあがり、幸矢の腰辺りまで移動してくる。
爛々と輝く目と幸矢の目が交差し、本能的な恐怖で全身が総毛立った。
「うああああぁぁっ、あっ?」
幸矢は餓鬼に押し倒されたまま悲鳴をあげていたが、途中で声を止めた。餓鬼の力がクタッと抜け動きを止めている。汗と腐った臭いの強い体には力がなく、もたれかかるような体重があるだけだ。
「離れろ!」
突き飛ばすように押しのけると、ゴロリと転がった餓鬼は完全に動かない。徐々に姿が薄れDP化しだしているが、よく見れば後頭部に針が刺さっていた。
キューッとハリちゃんが駆けてきた。心配するように顔を覗き込んでくる。
「助かった……ハリちゃんのおかげだ」
きゅうっと万歳するハリちゃんの姿に思わず笑顔を浮かべようとするが、引きつった笑いにしかならない。つい今しがた死にかけたのだから、無理もない。
工事現場で重い資材が真横に倒れた時よりも、ずっと強く死を感じてしまった。
「今日はもう帰ろうか」
キュッと同意する声を聞きながら幸矢は立ち上がった。倒れた時にぶつけた腰を擦りながら歩き出す。餓鬼を倒してえられたDPと、配信クエストをクリアした報酬を合わせ10DPが得られた。命の対価としては安すぎるかもしれない。
異界から出ると、ドッと疲労が襲ってきた。どこから襲って来るか分からない悪魔を警戒しながら歩くのは本当に疲れるのだ。
危うく死にかけたのだ。当分は悪魔と戦うのはコリゴリだ。明日は異界に入ってすぐに逃げ、配信クエストの一つだけをクリアするのがいいだろう。戦闘するのは、しばらく休んで英気を養ってからだ。
幸矢はそんなことを考える。これが一般的な契約者の状況なのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます