第191話 大河ドラマのような
テガイの里は電気もガスも水道も存在せず、恐らく江戸中期か後期のような生活を営んでいる。そこでは悪魔と戦うために育てられ、そして死んでいく。
現代日本の常識と隔絶された、言葉上ではあるが異世界に暮らす一族である。
「そんな場所で人権や民主主義を説いたらどうなる?」
その問いに七海が手を挙げる。
「はいっ、誰も耳を貸してくれないと思います」
「そうだな。でも知識は耳の残り、いずれは萌芽し里の体制を揺るがす危険性がある。だが、ここの人たちは今の生活を維持して暮らしていかねばならないんだ」
「でも不便な生活とか可哀想っす」
「テガイの里が存在しなくなれば、日本の各地で悪魔被害が増大するだろうな。それは良いのか? それともチャラ夫が人生の全てを懸けて悪魔退治をするか?」
「うっ、それは……無理っす」
手を振って遠慮するチャラ夫にイツキが難しい顔をする。
「可哀想なんて言って欲しくないぜ。俺が思うに、外の世界と里を比べたってよ。どっちが幸せかなんて比べらんないんだかんな」
「イツキの言うとおりだ。他人の生活を勝手に可哀想なんて決めつけるな」
「うぃーっす」
「とにかく余計なことを口にして、ここの生活を乱すなよ」
亘は足下の小石を拾い上げると放り投げ、前に里を訪れた時を思い出した。
あの時は長老衆から直々に、人心を惑わす言動をせぬように言われている。こうして里に招かれるなんて、簡単なことではなかろう。
「とにかく余計な概念。それから知識を広めることも禁止だ」
「つまりなんやな、石鹸とか農耕技術とか教えたらあかんってことなんやな」
「石鹸ぐらいあるんだぞ」
「そら失礼」
エルムは肩を竦めて謝罪する。
もう少し突っ込んで注意しておこうと亘は腕組みして口を開く。
「料理法とかもダメだな。特にチャラ夫……は、料理を知らないだろうから。その点は安心だな」
「うぐっ、でもマヨネーズぐらい知ってるっす。いつか異世界に行く日のために調べておいたんす。確か水と油と卵を混ぜるはずっす!」
「チャラ夫君、それ違います。酢と油と卵ですよ。ちなみに全卵の方がサッパリ味になりますから」
「レモンも入れるんやろ?」
「それはお好みですよ」
何やら話が逸れてマヨネーズ談義になりつつある。亘が咳払いをすると七海とエルムが揃って首を竦め小さく舌を出してみせた。
「とにかくだ。相手の知らない事を教えてやるってのは、そりゃ最高に気分が良いだろうさ。でも土地には土地なりのルールと生活がある。客として招かれるのであれば、余計な事で藤源次の顔を潰すようなことはしないでくれよ」
話す間に汗もひき体力も回復した。ズボンの尻を叩き立ち上がる。
「そろそろ行こう。なにせ歓迎の宴があるからな」
「了解なんだぞ」
「頼むがゆっくりとな」
「それじゃあ……手を繋ぐ!」
そう言ってイツキは亘の腕を取りながら歩きだした。
「なんすかねぇ。イツキちゃんもすっかり女の子らしくなったんで、恋人みたいっすよね。ひゅーひゅーっ! お似合いっすよ……いてっ!」
頭に何かが命中したチャラ夫が振り向けば、腕組みをした七海とエルムの姿がある。そのどちらが犯人かは分からない。なぜなら両方とも恐い目をしているからだ。
チャラ夫はここが人の居ない山中だと思い出し、身の危険を感じ逃げるように亘の後を追いかけた。
山の稜線に沿って進み、斜面を下りまた上がる。
「こんな疲れるのに、山登りが趣味の人がいるなんて信じられないっす」
「私が思いますに、やはり綺麗な景色が楽しいからではないでしょうか」
「そうやんな。後はあれや、歩いた後に食べるご飯が美味しいからやないんか」
前を歩く亘が軽く振り向き、肩越しに言う。
「うちの職場は山登りが趣味の人も多いんだが、その人たちが言うには……休みの日に家族と顔を合わせるよりは、山で一人でいる方が気楽だそうだ」
「「「…………」」」
社会の闇を垣間見た少年少女たちは押し黙ってしまった。
「大人って大変なんだな。でもよ、この時期になると登山者が増えて里は迷惑してんだぜ。山道を監視しても、変な場所からウロウロ入って来たりとか。あと、あれだ。キノコを探して迷い込んだりしてくるんだぞ」
「ねえ、イツキちゃん。もし里を見られたらどうしてるの?」
「どうなんだろ? 俺も知らない。聞いてみたけど、教えてくんなかったんだ。でもよ、なんか熊の毛皮とか爪とか用意してたかんな。脅して追い払ってんだろ」
イツキは亘の腕に身を預けながら後ろ向きに歩き余裕の態度だ。懐かしい場所に来て気分を高揚させている様子が良く分る。
「それは恐いですよね、山の中で熊の格好して驚かされたら逃げてしまいます」
「俺っち、熊の爪が欲しいっす!」
「そんならウチは牙がええな」
「分かったぜ。ちょっと貰っといてやる。ナナゴンは熊の毛皮とかどうだ。部屋に敷いたら良いかもしんないぞ」
「いりませんよ」
揃って楽しげに笑っている。
「…………」
だが亘は黙考していた。
山中で熊に襲われて死亡するニュースは多いが、その全てで犯人ならぬ犯熊が発見されるわけでもない。その場合は残された爪痕や歯形、周辺状況などから熊に襲われたと推定され、犯熊不明のまま終了することだってある。
「……まさかな」
亘は小さく呟くと頭を振り、嫌な予想を追い払った。その腕が引っ張られ、イツキが跳びはね前方を示しだす。
「ほら、俺の里が見えてきたんだぞ。ほらほら、見てくれよ」
「懐かしの里か。どうだ、やっぱり帰りたいか?」
今は七海の家に預かって貰っているが、そもそもイツキは亘の元へ押しかけ女房をしにきたのだ。なんとも対応に困っているのが正直なところであった。
イツキはニッカリ笑う。
「俺は自分の意思で出てきたんだ、もう戻るつもりはないんだぞ。決意は固いぜ」
「ふむ、そうか」
「それによ、もうエアコンのない生活なんて考えらんないぜ。暑い日にエアコンかけて、熱々のカレー食べるなんて最高なんだぞ。あと漫画とアニメとか、それからそれから――」
「…………」
亘は息をつくと、指折り数える少女を指さした。
「いいか三人とも世俗に毒されると、こうなるんだ。里で余計な知識を話すなよ」
「なんだよそれ、失礼なんだぞ」
頬を膨らませたイツキに叩かれながら里へと向かう。
◆◆◆
テガイの里を見るなり七海が感心する。
「うわぁ、これは時代劇みたいな様子ですよ」
斜面に沿って並んだ家々は茅葺きだったり板葺きだったり。もちろん壁は板。それは観光用に用意された建物ではなく、もっと生活感に溢れ薄汚れた状態だ。
段々畑や棚田の石垣が筋状に並び、間に土が剥き出しの道が続く。もちろん途中にある大桶もそのままで、さっそく臭いを嗅ぎに行ったチャラ夫とエルムが後悔の顔と共に戻ってくる。
近づく亘たちに気付いたのか、里の中で人の動きが活発化する様子が見えた。慌てた様子で人々が走り回り、あちこちから駆け足で集まってくるではないか。まるで村の総出の一大事といった様子だ。
「なんすか、あれは」
「おかしいな歓迎の宴って話だったはずだがな」
「カカ様が言ってたから間違いないんだぞ」
訝しがりつつ里へと近づく。
ここまで来て引き返す何て選択肢はない。今からでは山中で日が暮れてしまい、あの蛭地帯で一夜を過ごすなんて論外中の論外だ。それならまだ、危険を感じながらでも里に居た方がずっとマシに違いない。
道から里に入ると両側に人々が並ぶ。どうやら、その間を通っていけということらしい。それは奥にある広場まで続いているのだが、大勢が集まっているにも関わらず静まりかえっていた。
そして小さな広場へと出た。
動揺する亘は、周囲の人々にそれを見せぬよう虚勢を張って進む。なにより同行者の手前ってものがある。無様な姿なんて見せられやしない。
広場の中心で立ち止まると腹に力を入れ周囲を見回す。だが、その動きに合わせ何故だか里人たちが身を震わせていた。
それを疑問に思うが、人垣の中から老人が出てくる。イツキが長老様と囁いてくれて、以前に会ったことを辛うじて思い出せた。
長老は恭しささえ含めお辞儀をしてみせる。
「ようこそ、お越し下さいました。里の全員で歓迎させて頂きます」
そして周囲の人々諸共に亘を見つめる。どうやら返事をせねばならないと気付き、亘は必死に思考を巡らせる。
相手はこの里のトップであり権力者。丁寧な態度を示したからと、礼を失して良い相手ではない。こんな時の対応を必死に頭をめぐらせ……大河ドラマのような態度をしてみせる。
「これは、ご丁寧に。このような歓迎をして頂き、恐悦至極に存じます」
「なんのこちらこそ、五条殿にお越し頂きまして身の引き締まる思いであります。今宵は心尽くしの宴を用意させて頂きましょう」
長老が手を叩くと、一人の少女がオドオドした様子で花束を手に出て来た。まだ幼げで朴訥とした顔立ちだ。皆の前に出るので緊張しているのか、それとも他に理由があるのか強ばった表情である。
「よ、ようこそお越し下さいました。お花をどうぞっ……」
たどたどしい言葉は、今にも舌を噛みそうで心配になってしまうぐらいだ。手にした山野の花を差し出すものの、上目遣いで亘を見る目は何故だか恐怖の色がある。
「ありがたく頂戴しよう」
亘は優しく微笑み花を受け取った。
それはつまり歓迎を受け入れるという行動でもある。それが目の前で示され、周囲の緊張度合いが目に見えて下がっていく。
どうやら里人たちは亘に恐怖し警戒していたらしい。
歓迎の儀が完了すると里人は三々五々に散っていき、亘たちは泊まる場所へと案内される。
以前と同様に藤源次の家で、前を歩くイツキは大喜びだ。少し先に行っては振り返り駆け戻ってを繰り返し、それはまるで小さな子供のようであった。
「あのう、ところで五条さんはここで何をしたんですか?」
「いやさっぱり。何もした覚えがないな」
亘が首を捻り悩った。
子供たちに外の世界のことを教え――ただし、酷い内容だったが――それから修練場に行って異界で戦い、あとは美味いものを食べて温泉に入った記憶しかないのだ。
「えっ!? 小父さんってば何言ってんだよ、あんだけの事しといてからに……でもまあ、いいけどよ」
話を聞いたイツキは怪訝な顔から、軽く目を細め口をへの字にして呆れ顔にまでしてみせる。それだけで七海たちは納得してしまう。
「やっぱり何かしたみたいですね」
「だと思ったっすよ、兄貴なら何をやっても驚かないっすよ」
「まっ、当然ちゅうもんやな」
このあふれんばかりの信頼感に亘は軽く空を見上、釈然としない気持ちを抑えることにした。
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