第154話 新築の佇まい
亘の部屋は十畳ほどになる。
和モダンをベースにした、柱や梁をデザイン的に露出させた室内は檜張りだ。壁はリビングと同じく明るい色合いの珪藻土壁。収納に押し入れがある。置かれた家具は木製テーブルと椅子、ベッドがある。特徴的なのは刀箪笥があるぐらいで、広々としていた。
まだ新築の佇まいが残っているのは、ここで殆ど暮らしていないためであり、おかげでモデルルームのような生活感のなさだ。しかし、人を招くには丁度良いかもしれない。
それぞれシャワーで汗を流した後、七海とイツキを伴い部屋に案内した。
「ほえー、なんか大人の部屋って感じだぞ」
「なるほどカーテンの感じをこうでしたか。修正しておかないと……」
「あまりジロジロ見ないでくれよ。大したものはないから」
亘は落ち着かない面持ちだ。自分の部屋に誰かを招き入れるのは初めてのことで、アパートの部屋とはまた違った緊張感がある。そうしてみると、やはりこの部屋こそが自分の場所なのだろう。
ここが『自分の部屋』だと再認識すると、人を招いたことに対し急に抵抗感が生じてきた。
小学生の低学年の頃だ。友達になろうと、精一杯の勇気を出し休みの日にクラスメイトを家に呼んでみた。なんとか上手くいって、これで友達ができると思っていると――突然、父親が乱入した。
やかましい! と怒鳴りつけ、皆が遊んでいた玩具を散々に叩き壊した。もちろん皆は蜘蛛の子を散らすように逃げだしてしまう。泣きじゃくる亘に対し、父親はこう言ったものだ。『寝ていた俺の邪魔をしたお前が悪い』
その一件が切っ掛けとなって悪評が広まり、誰も遊んでくれなくなるどころか避けられる始末。後々まで尾を引き続けることになった。
原因はそれだけではないが、人付き合いが下手になった原因の一つだ。
父親はもういないと分かっていても、今にもドアが蹴破られるように開き怒鳴り込まれる不安が込み上げてしまう。苦しくなった胸を落ち着けようと手をあて目を閉ざし、息を深く吸い吐く。
あの人は死んだ。誰も来ない。大丈夫。大丈夫なんだ。
呪縛を解き、亘は目を開いた。不思議そうな顔をした七海と目が合い、その存在に安堵を覚え微笑した。何よりの精神安定剤だ。
七海は軽く顔を赤らめると、周囲に視線をやる。
「とても綺麗に掃除されてますよね。そういえばアパートの部屋も綺麗ですし、五条さんは綺麗好きなんですね」
「ま、まあな……綺麗好きなんだよ。はははっ」
亘は適当に誤魔化した。この部屋に埃一つないのは母親が勝手に掃除をしているからで、アパートが綺麗なのは口うるさい世話焼きピクシーがいるからだ。両者に初めて感謝の念を抱いた。
「マスターってばさ……まあ、いいんだけどさ」
ジト目の神楽は物言いたげにしつつ、けれど亘への賞賛を否定せぬよう控えてみせる。そんな契約者立てる立派な従魔は勝手知った様子で部屋の中を飛び、テーブルの上に着地した。女の子座りから背伸びをして寛ぐ。
「んーっ、マスターの部屋も久しぶりだね」
「新しい縄張り」
初めて訪れたサキは室内を確認するように彷徨き、端から端までトコトコ歩く。ロフトに気付くと軽々と跳躍し確認に行った。高い位置が気に入ったのか、そのまま横になって寝そべりだす。それはもう、長年来住んでいるような我が物顔ぶりだ。
そちらは放っておいて、二人を促す。
「まあ適当に座ってくれないか」
「そんじゃあ俺、ここな。うわっ、このベッド寝心地が良いな。うへへ、なんか小父さんの匂いがするぜ」
短パン姿のイツキはベッドに飛び込んだ。
「おいこらやめないか」
亘は慌てた。シーツも布団もあまり使っておらず、全て洗濯されているはずだ。しかし枕は少し危険かもしれない。
即座に回収し、押し入れの中へと放り込んだ。
イツキはベッドの上で横になっている。こちらも自分の家のような寛ぎっぷりで行儀悪く足をバタバタさせる。亘の目は少女の健康的な太股をつい見てしまう。
「うーん、このベッド本当に寝心地いいぜ! 労働の後のひと休みひと休み」
「ひと休みしていいから、大人しくしてくれ」
亘はようやく視線を引きはがし、床を見ながら左肩をトントンして小さく息をついた。少々年寄りめいた仕草を神楽が心配そうに見つめる。
「マスターどしたのさ。肩が痛いの?」
「少しだけな。草刈り機の肩掛けベルトのせいで、ちょっとした肩こりだ」
「じゃあ回復したげるね、『治癒』、『状態回復』、どうかな」
魔法が連続で放たれたが、肩こりは改善しない。状態回復の魔法には血行促進効果がないのだろうか。
亘は渋い顔をした。
「ダメだな。前も風邪に効かなかったことがあったよな。神楽の魔法って、案外と日常生活の役に立たんものだな」
「むーっ、そんなことないもん。マスターってばさ、失礼だよね」
怒った神楽は飛んでくると、手を振り上げ抗議の意を表明した。それをヒョイっと掴み、手の中に捕らえてしまう。ジタバタ暴れて逃げようとするのを捕まえ、くすぐる。何だかんだと、じゃれて遊んでいるだけだ。
仲良い様子に七海は羨ましそうな顔をした。
「ところでですね。さっきの話はどうなんでしょう」
「うちの母親が言っていた、あちこちで悪魔が出てるって話かな」
「そうです。実は学校でもチラホラ聞いたことあるんですよ。エルちゃんが都市伝説扱いにして誤魔化そうと頑張ってます」
「俺も店に来たお客さんと、そんな話をしたことあるぜ。もちろん、上手く誤魔化しといたかんな」
七海の実家の花屋で手伝いをするイツキも話に口を出す。ベッドの上で胡座をかき得意そうな顔で笑っているが、無邪気というか無防備といった様子だ。男の本能には逆らえず、チラッとだけ股辺りに目をやって亘は天井を仰ぎ見た。
梁を出した構造の天井は普通よりも高く広々としている。ロフトのサキは我関せずと、うたた寝中だ。ダランと片手片足がはみ出ている。
「職場だとそんな話はないな。あと、ネットでも見かけないな……」
亘の人間関係に薄いせいもあるが、職場では仕事関係以外の噂は聞いたことがなかった。そしてネットでも同様だ。
「でもまあ口コミで噂になるぐらいなら、そこそこ現れているのかもしれないな。日常で悪魔が出現しだしたなら危険だな……」
「大丈夫だよ。マスターにはさ、ボクがいるからね。返り討ちだよ!」
手の中から抜け出た神楽は小さくもない胸を叩く。ドンッというよりはフニッと柔らかそうに変形している。それで、ふと気付く。
この部屋にいる男は亘だけだった。しかも視線の大半が集中し、会話の中心人物になっているではないか。少し緊張してきてしまった。
「私はアルルがいるので大丈夫ですけど、家の方は心配ですね」
「ナナ姉のお母さんなら、俺がいるかんな。悪魔が出たって大丈夫だぜ」
「そうね、イツキちゃんがいれば安心だよね。ありがとう」
「どってことないぜ。いっつも美味しいご飯貰ってるかんな、恩返しってやつだぜ。それよか、お義母さんは独り暮らしだろ。そっちのが心配だぜ」
「おい勝手に変な呼び方するな」
亘は憮然とした。しかしイツキは気にした様子もなく笑っている。暖簾に腕押しといった感じだった。言うだけ無駄だろう。
「何にせよここらは安全だ。絶対に悪魔は出ないからな」
「絶対ですか? それはどうしてです?」
「近くの山にお宮があってだな、そこの神様が麓に睨みを効かせているんだ。うん、実はだな。今日来て貰ったのは草刈りだけじゃなくって、その神様の話相手をお願いしたくて来て貰ったんだ」
「「ええっ!」」
亘の言葉に七海もイツキも驚きの顔が隠せない。確かに一体誰が、神様の話相手を頼まれると思うだろうか。
「えーっと。神様って、やっぱり神様ですよね……五条さんの交友関係って、一体どうなっちゃってるんです?」
七海は桜色した唇に指をあて、少しばかり呆れぎみだ。忍者と知り合いだったり、野良悪魔を拾ってきたり。あげくは神様と知り合いなど普通ではありえないことばかりだ。
「偶然に知り合っただけだ。で、その神様だがな――」
亘が説明するのは、山のお宮に古くからある異界とその神様についてだ。一通り聞いた七海は深々と頷いてみせる。感心半分驚き半分といった感じだ。
「異界は私が思う以上に、身近に存在していたわけですね。ひょっとして、私の近所の神社にも、神様がいるのかな……」
「いるかもしれないな。ちなみに、お宮の神様は女神様だぞ。かなり美人でな、痛っ」
うっとりした亘の頭へと、大きく飛び上がった神楽が蹴りを放つ。斜め45度の角度で適切に命中する。
「何言ってんのさ。これだからマスターはダメなんだよ」
なぜ怒られたか分らなかったが、亘は七海とイツキの顔に面白くなさそうな色を見て取り、分の悪さを本能で悟った。
「はははっ、まあ子供の足で四十分ぐらいの散歩コースだ。もう少し休んだら出発しようか」
「じゃあ、俺はお昼寝しよっと」
「イツキは寛ぎすぎだろ。人様のベッドでゴロゴロするな」
「いいだろ。なんなら一緒にゴロゴロしようぜ」
寝そべったイツキは自分の横を叩いて誘ってくる。しかし亘は鼻で笑った。
「お前は何を言ってるんだ。せめて、もう少し育ってから言うんだな」
「つれないぜ。これがツンデレってやつか」
「……どこにデレ要素がある。というか、その言葉はどこで覚えた」
「エルやんから借りたマンガだぜ」
「あいつめ」
悪戯っぽい顔をした少女を思い浮かべ、亘はため息をついた。どうせのこと面白がって色々なマンガを貸したに違いない。この無垢な田舎娘が都会の悪徳に染まらぬよう注意せねばならんと、拳を握り妙な義務感に燃えた。
「いいか、マンガを読むのは良いが、ちゃんと勉強もするんだぞ。勉強ってものはな、将来自分の選択肢を増やすために必要なものだからな」
「五条さん……それなんだか、お父さんみたいな台詞ですよね」
「そだねー。マスターだったらさ、きっと口うるさい親になるだろね」
「いいえ、きっと優しいお父さんになると思いますよ」
神楽の言葉を窘めるように、七海は優しげな声でフォローしてくれた。亘は深々と息をついてから、実を言えば自分でも口うるさかったかもしれないと反省する。ついでに本来なら自分は父親になっているべき世代だったと思い出してしまう。
「どうせ歳だよ。はぁっ……少し早いが神様に会いに異界に行くとしよう」
「よっし俺は先に外で待ってるぜ。おーい、ドン狐も行こうぜ」
「ドンじゃない」
サキがロフトから飛び降りてくる。着地の音は殆どさせない軽やかな動きだが、部屋を飛び出す足音はトタトタしている。揃って部屋を飛び出した様子は無邪気な姉妹にも見える。
「まったくもう、どっちも子供なんだからさ」
妙に大人ぶった様子で頭を振る神楽の姿に、亘と七海は顔を見合わせ、そして笑いを堪えていた。
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