第205話 恐怖に彩られた世界の中

「うわぁ、とても綺麗ですよね」

 入園するなり七海が声をあげた。

 煌びやかな衣装のエキストラ、陽気に踊る着ぐるみ。周囲の建物は絵本さながらの中世風だ。そんな景色に感激するのも無理はない。

 他の入園者たちも同じく感嘆の声をあげ喜びはしゃいでいる。

「……だな」

 亘は静かに頷くばかり。

 エキストラの笑顔が不自然だなとか、この暑さで着ぐるみの中は大変そうだなとか、建築様式が適当だなとか。更には足元のアスファルト舗装が意外と粗悪だとかいった気分で眺めている。

 周りがハイテンションであるほど冷静であろうとし、斜に構えた気持ちが前面に出てきてしまう。なんとも損な性格だ。

 もっとも、目を輝かせ喜ぶ相手に水を差さないだけの分別はある。楽しそうな様子の七海に合わせ、自分も楽しい気分に浸っているつもりになった。

「綺麗なのは良いが、アトラクションとかはいいのか?」

「そうでした。早く行かないと混んでしまいますね。まずは、ここです」

「え、本当にここ入るのか?」

 攻略本に示された場所に亘は躊躇した。

 そこは、『ドキドキホラー館』と名付けられたお化け屋敷だ。

 七海の説明によれば、機械仕掛けでなく人が脅かすタイプで数ヶ月毎にテーマが変わらしい。廃墟や廃校といったメジャーなものから、廃坑や廃工場まで幅広いシチュエーションが人気だそうだ。

 えへんと七海が胸を張る。

「もちろんですよ。ここは外せないスポットですよね」

「どうやら、そうらしいな」

 エルム謹製の攻略冊子に目を通し、亘も形だけ同意をした。

 至高の恐怖という説明と共に、『ここで合法的に抱きしめる』と指令めいたメモがデフォルメされた女の子――恐らくエルム自身――の台詞として書かれている。

「無駄に絵心があるな……いや、お化け屋敷ってのはなどうかな。ほら、中は暗いだろ。それにほら、なんたってお化けが出るだろ」

「でも普段は本物をバシバシ倒してますよね?」

 七海が不思議そうに目を瞬かせた。

 なにせ亘は異界と呼ばれる特殊空間で、恐ろしい悪魔を倒しまくっているのだ。その中には亡霊のような、お化けの本物の存在もいる。

 それなのに作り物を恐がるなど、虎が平気で猫が恐いといったぐらいの奇妙さだろう。もちろん猫とて怒らせると恐いものだが。

「いやまあ、そのう……」

 亘はしどろもどろだ。

 今更七海相手に虚勢を張っても仕方がない。これまで散々、失敗やら全裸やら恥ずかしい部分を見られてきたのだ。素直に白状しておく。

「実はホラーな雰囲気とか苦手なんだよな。昔やったゲームで、窓からゾンビ犬が飛び込むシーンがあってな。あれは分かっていても恐かったな……」

「そうなんですか?」

「ほら、恐いと心臓に良くないだろ。悲鳴とかあげるかもしれないだろ」

「大丈夫ですよ、一緒に怖がりましょう。実はですね、もう事前予約をしてあるのです」

 七海はにっこり笑って宣告した。

「あと十分ぐらいで順番です」

「本物みたいに倒したら拙いよな……」

 亘はブツブツと不穏なことを呟き、不承不承歩きだした。


◆◆◆


 顔の一部が腫れあがった白装束の男がパイプ椅子で足を組み、ヘッドフォンで音楽を聴く。その隣では矢が頭を貫通する落ち武者がスナック菓子をついばみ、一つ目小僧がスマホを弄っていた。緑のタイツを繕う河童もいるが、哀しいかな頭の皿部分は地肌らしい。

 もちろん全員エキストラ、恐ろしげな顔は一部地顔ながら特殊メイクであった。

「昨日から廃村バージョンが始まったせい? 客が多すぎでしょ」

「ローテがあかん。これ、もう少し人を増やさないと回らんぜい」

「ですね。さっきは危うく脅かし損ねるとこでしたよ。この人数だと一人減っただけでも終わるって、チーフから上に言っといて下さいよ」

「無駄。どうせ現場で上手いことやれって返事しかない」

「じゃあせめて、バイト代アップを」

「それこそムリってもんだ」

 ガハハッと笑う河童だが、どこか自嘲めいたものが含まれていた。

 客にとっては楽しい遊園地でも、その裏側は世知辛い。どの職業の職種と同じように、組織の負担を個人に押し付け運用されている。きっとそれは、サービス過剰で行き届きすぎているせいに違いない。

 お化け姿が笑いさざめいていると、控え室に新しく般若面が入って来た。

「うぃーっす」

 丑の刻参りの鬼女で、最後に客を出口まで追い立てる役だ。鉢巻きで巻き付けた蝋燭はLED蝋燭で、明るい場所で見ると結構間抜けな姿である。しかも男なので、椅子にどっかと座るとスネ毛の生えた足をバリバリとかきだす。

「俺だけ走るなんて不公平だ。少しは交代してくれい」

「その割にノリノリで追いかけるくせに」

「そりゃな。さっきのピンクのペアルックカップルなんて、くくくっ。コケた男が置き去りにされて泣き叫んで、もう最高!」

「やっぱ、次もお前が走れ」

「はいはい無駄話はそこまでね、そろそろ次のローテでスタンバりましょうや」

「ういーっす」

 河童の言葉で、モニターの一つに注目する。

 次ぎに入場する客が控えた部屋を映したもので、事前に相手を観察するのだ。子供や年寄りであれば、脅かし過ぎないよう注意せねばならない。ただしカップルは思いっきり脅かすのが不文律だが。

 客の映像が映る。

「おっとぉ! すげえ可愛い子じゃん。くっそ、なんでこんな男と一緒なんだよ」

「どれどれ。うお、本当だ。しかも胸でかいわ。超ムカつく。ん? どっかで見たような女の子だな……いやよそう、不確かな予想は口にすべきじゃないよな」

「なんだっていい! スペシャルサービスで思いっきり脅かそう!」

「よっしゃ、張り切って参りましょう!!」

 意思統一したお化けたちは、それぞれの位置へと散っていった。


◆◆◆


 般若面の青年がスタンバイするのは太い木の後ろ。もちろん張りぼてのプラスチック製だが、薄暗い照明の中では本物っぽく見える。

 客がくるとそこから姿を現し、藁人形を、『カーンカーン』の効果音と共に打ち付ける真似をする、そして『見~た~な~』と言いながら振り向く。更に般若面を取ってグロテスクな面を現わし、金づちと藁人形を手に突進するという手順だ。

 使い古されたものだが、客は雰囲気だけで充分に恐がってくれる。

 今度はどんな悲鳴が聞けるのか、ワクワクしながらスタンバイした。

 しかし――。

「おかしいな?」

 不審感を覚え、般若面の下の特殊メイクされた顔で訝し気に眉を寄せる。なぜだか悲鳴が全く聞こえてこないのだ。よほど胆が太いか、それとも声すら出ないぐらい怯えたか。そう思うのだが、何か嫌な予感がする。

――おっと、来やがったな。

 静かな館内にコツコツとした複数の足音が聞こえた。

 嫌な予感を胸の奥へと仕舞い込み、いよいよだと、ほくそ笑み待機する。

 だが、唐突に総毛立った。

 背中の産毛の一本までもが逆立っている事を自覚した。悲鳴こそあげなかったが、歯がカチカチと鳴りだす。胃を掴まれたように身体が萎縮し凍りつく。立っていることさえ出来ず、プラスチック製の木にもたれズルズルと座り込み膝を抱えてしまった。

 恐怖に彩られた世界の中を、ゆっくりと足音が迫ってくる。

 もはや脅かす脅かさないではなかった。

 本能が告げているのだ。今は全身全霊でもって身を潜めねばならないと。

 ぎゅっと目を瞑り、木肌を模したプラスチックに身体を押し付ける。口を手で押さえるのは、そうせねば悲鳴をあげてしまいそうだったからだ。

 コツコツとした足音は地獄から響くようで――ピタリと止まった。

 心臓が早鐘のように脈打つ。

 たった十数センチの厚さしかないプラスチックを隔て、何かとてつもなく恐ろしい存在がこちらの様子を窺っている。それが何故か分るのだ。恐ろしい。とにかく恐ろしい。唾を呑む音が世界中に鳴り響くようだ。

 長い長い数秒。

 コツコツと足音が響き遠ざかっていく。同時に恐ろしい気配も徐々に遠のき、完全に聞こえなくなったところで息苦しさを覚える。

 どうやら息することすら忘れていたらしい。

「助かった……あは、あはは」

 気づけば頬をボロボロと涙が零れ落ちていた。安堵のあまり小さく笑いだし、止まらなくなる。腰が抜け立てないまま、ただただ助かったことを感謝していた。


◆◆◆


『お客様にお知らせします。ドキドキホラー館は本日臨時閉鎖となりました。繰り返します――』

 園内放送で、お化け屋敷の閉鎖が知らされた。

「お化け屋敷が臨時閉鎖ですか。どうしちゃったのでしょう」

「さあな。でも、これで分かったぞ。お化けが全く出なかったのは、きっと何か問題があったからだな」

 亘は朗らかに笑った。

 お化け屋敷の中では身構え、ピリピリ警戒していた様子は微塵もない。お化けが全く登場せず拍子抜けしたが、もし登場していれば情けない悲鳴をあげたに違いないぐらい怯えていたのだ。

「いやー残念だ。お化けが出なかったから、もう一度行こうかと思ったのに残念だな。はっはっはっ」

 優しい七海はクスッと笑う。

「じゃあ、また来週にでも来てみましょうか?」

「冗談だ。勘弁してくれ」

 亘が慌てるものだから七海はクスクスと笑いだした。口元を手で押さえ肩を震わせているほどだ。

「そんなに笑わないでおくれよ」

「だって五条さんって、本当にお化け屋敷が苦手なんですね。こっそり神楽ちゃんを喚んでましたよね」

 ちょんっと突かれるのは胸ポケットのスマホの辺りだ。今は引っ込んでいるが、先ほどまでは神楽がそこにいた。

「なんだバレてたのか。ほら、神楽はお守りというか一緒にいると安心なんだよな。はははっ」

「私がいるのに酷いですよ」

 なんだか、言い訳する子を窘めるお姉さんの口調で怒られてしまった。

 亘からすれば、これ以上無様な姿を見せまいと必死だった。安心感を少しでも得るべく神楽を喚び、その存在を頼りにお化け屋敷を乗り切ったというわけだ。

「さあ、次はどうましょう。コースター系も色々ありますから迷っちゃいますよね。と言いつつ、実は予約がしてあるのです」

「うっ……」

 楽しそうな七海を前に言えやしないが、亘は遊園地に来たことを少々後悔した。

 遊園地にあるものときたら、恐怖系やスリル系と何故だか心臓に悪いものばかりではないか。リア充どもが遊ぶ邪悪な場所と思っていたが、どうやら本当は別の意味で邪悪な恐ろしい場所だったらしい。

「さあ、行きましょう」

 笑顔の七海に引っ張られ、亘はちょっと泣きたい気分だった。

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