第53話 そこでサヨナラ

「面白かったですね。続編も出るそうですから、また見に来ましょう」

「そうだな、、なかなか見ごたえのある映画だったな」

 そう答える亘だが、実は映画の内容を殆ど覚えていない。神楽の心得では、映画の内容がどうあれ肯定的意見を述べよとされているが、それ以前の問題だった。見ていたが、ちっとも頭に入らなかったのだ。

 暗い空間女の子と並んで座るシチュエーションに緊張してしまい、自分の呼吸音が煩くないか、肘掛けに手を載せるべきか。そんなことばかり気になって、映画を見ただけで疲れた気分だった。


 当初の目的を果たすため、上機嫌の七海とお喋りしながら、ぶらぶらと周囲を歩き回っておく。またしても腕に抱き着かれており、その感触を楽しむほどではないが多少は慣れた。

 どこかで見ているに違いない同僚へのアピールは万全だろう。

「これで今日のミッションは完了だな。それで、お礼の食事なんだが近くのレストランに予約を入れてある。神楽のリサーチでお勧めの店だよ」

「うわぁ、ありがとうございます。今日とっても楽しんでますけど、それでご馳走になってしまっていいんですか」

「はははっ、気にするなデートのフリしてくれたお礼だからな」

「あっ、ダメですよ。そんなこと言ったら」

「おっとそうだった……ふう、どうやら近くには誰も居ないな」

 そんなことを笑いながら話していると、すれ違った男の舌打ちが聞こえた。

 豪華なホテルに入りエレベーターに乗り込む。最上階にあるレストランで予約した名前を告げると、席に案内された。

 クラシックピアノの静かな曲が流れる店内は、広々として落ち着きのある風情だ。流石デートにお勧めと紹介されるだけあって、客の殆どは若い男女である。それは本当の恋人同士なのだ。

 少しばかり物悲しくなった亘だが、少しして気を取り直す。たとえフリだとしてもデートっぽいことができるなら、それはそれで楽しむべきではないか。こんなこと、もう二度とないのだから。

「五条さんはこういうお店とか、よく来るんですか?」

「よくという程でもないが、まああちこち食べ歩いてはいるな。ただ、こういう豪華な店はせいぜい数ヶ月に一回ぐらいだな」

 大人な洒落た雰囲気の中で、穏やかに会話を楽しみ、洒落た料理を美味しく頂く。デザートを食べ終えるころには、当初ぎこちなかった会話もすっかり打ち解けて気楽なものになっていた。

「えっと、その、お一人でですか」

「悲しいけど、それ現実なのよねって感じだな。はははっ、でも予約がいるような店ってのは大抵二人からの予約なんでな。それが、少し困るんだ」

「でしたら私、協力しますよ。大丈夫です、DPをお金にすれば行けますから」

「はははっ、協力してくれるなら奢るさ」

 諦めていた予約必須のお店を思い描きながら亘は微笑む。どうやら七海はグルメらしいなとボケた感想をもっており、おまけにこれを機に上手いことやろうという発想が出てこないのが、亘が独身たる所以だろう。


 ニコニコと頬を緩ませる七海がコーヒーを一口して苦そうな顔をする。相変わらずブラックに挑戦しているらしい。ちょっと涙目なのが可愛いが、そこまで苦手なら砂糖を入れればいいのに何故挑戦するのだろうか。

 亘はブラックを飲みながら首を捻った。

 少し背伸びしたい年頃なのだろうと考えながら、亘は心の中で気合を入れた。神楽の心得で、食事が終わってもそこでサヨナラしないと言われているのだ。そんなことしても七海に迷惑なだけと亘は思うのだが、神楽から厳命というぐらい命じられているのだ。

 言っておかないと後が恐い。

「あー、この後だが……時間があれば、どこか一緒に行かないか。もちろん、予定があるなら自分は全然構わないのだが。変なこと聞いてしまって悪かったな、気にしないでくれ」

「本当ですか! 大丈夫です!」

「おいおい、声が大きいよ」

「あっ、ごめんなさい……じゃあ、どこに行きましょうか?」

――あれ?

 亘は拍子抜けしてしまった。

 まさか良い返事が貰えるとは思ってもいなかったのだ。しかもなんだか七海はとっても上機嫌である。これはいったいどうしたことか、疑問に思いつつも行き先を考える。

 どうせ誘っても断られると思っていたので、場所まで考えてなかったのだ。

「えっと……ああ、そうだ、駅近くにある県美術館。あそこでアールヌーヴォー展をやってたが、そこにどうかな。もちろん他にどこか希望があれば、そこに行くけど」

「私は五条さんの選んでくれた場所がいいです。それにですね、お母さんと一緒に美術館とか博物館によく行くんですよ。私、絵とか美術品を見るの好きですよ」

 ご機嫌な様子の七海はさっきから頬を緩ませっぱなしだ。

 それは嬉しいが、こんなに上手くいっていいのだろうかと亘は小首をひねりつつ、残りのコーヒーを飲み干した。


◆◆◆

 

 美術館や博物館には特有の匂いがある。表現し難いが、古びた匂いとでもいうものだ。

 それを嗅ぎつつ、静寂が満ちる空気感の中、展示品と真剣勝負をする。つまり己の感性と、歴史に名を遺す作者の感性とをぶつけ合う。勝負といっても、勝ち負けなど関係なく自分の感性と精神を磨いていくだけだ。

 それが芸術品の見方ではないかと亘は思っている。


 美術館はビルの中で何階層かに分かれているため、各展示室の人影はまばらだ。おかげで周囲を気にすることなく満喫することができる。

 亘は時代を代表する作品の数々に、その当時に思いを馳せながら楽しんでいた。七海も美術館に行くと言うだけあって、鑑賞の仕方がなかなか堂に入っている。展示説明を読むより、まず作品を眺める姿勢からそれが分かった。

 これなら誘った甲斐があったというものだろう。

 安堵した亘は七海と一緒に作品をじっくり堪能していく。しかし裸婦像だけはそそくさと通り過ぎてしまった。芸術品とはいえ、女の子と見るには精緻すぎる。

「ふう、ちょっと休憩だ」

 亘は息を吐いて椅子に座りこんだ。そこは展示室と展示室の間に設けられた休憩場所である。扉で仕切られているので、ここなら多少会話をしても問題ない。

 七海も隣にそっと腰を下ろす。横長のソファーなので並ぶのは当然だが、何故かしら距離が近い。

「なかなか見ごたえのある展覧会ですよね」

「そうだな。あまり芸術は詳しくないが、やっぱり見ていると色々感じるものがあるな。ところで親御さんと、よく来るんだったよな。美術関係が好きなのかい」

「そうなんです。お母さんはフラワーアレジメントをしてますから、それで感性を磨きたいって言ってます」

「確かに良い作品を見ると……こう何と言うのかな。自分が磨かれるような気がするな。もちろんそれで芸術の才能が芽生えるわけでもないけどな」

 亘は言葉を選びながら口にする。

 これまでデート中のカップルを美術館や博物館で見かけたが、大体の男はテンションが上がって偉そうに語っていた。それを見てきたので、自分がそうならないよう注意しているのだ。

 七海が我が意を得たりといった感じの顔で、ぐっと手を握ってみせた。

「芸術は自分を育ててくれるって、これはお母さんの受け売りですけど、私もそう思います」

 それはとても可愛いらしい仕草で、亘は思わず赤面してしまった。

 目を逸らす意味で壁面に視線をやると、各地の美術館や博物館で開催される展示会のポスターが張られている。何気にぐるりと眺めまわした亘だが――この狭い空間には亘と七海の二人しかいなかった。

 しかも少し薄暗い部屋で、横長のソファーで肩が触れ合うぐらいの距離で座っている。気付いてしまうと急にドギマギとしてしまう。


 不意に思う。

 なんという人生の妙だろうか。気紛れでダウンロードしたアプリが切っ掛けで様々な出来事があり、そしてこんな場所でこうして女の子と並んで座っているのだ。こんなことになると、一体誰が想像しただろうか。

 なんだか不思議な気持ちになってしまい、自然と自分の胸の内を吐露してしまう。

「色々あったけど、自分はデーモンルーラーをダウンロードして本当に良かったと思うな。前の生活ときたら、仕事仕事で人と話すことも殆どないし、楽しいことなんて全然なくってな。職場と部屋の往復だけだったよ」

「…………」

「不謹慎だけど、異界はスリルと冒険がある。神楽に出会えて七海にも出会えた。あと、ついでにチャラ夫もな。だからさ、デーモンルーラーをダウンロードして本当に良かったと自分は思ってるよ。はははっ、何だかオッサンみたいなこと言ってるな。そういや、オッサンだったな。はははっ」

 隔離された休憩所であるし、これぐらいなら大丈夫と亘は抑えた声で笑った。脈絡もなく心情のまま口にした言葉だが、数々の芸術品を眺めたことで心の澱を洗い流され素直になっているのかもしれない。

「私も……五条さんと出会えて……えっ!?」

「なっ、この感じは!」

 二人揃って声をあげる。突然の全身が活性化し、力が満ちあふれてくる感覚だ。それは異界の中でしか発動しないはずの、APスキルが起動する感覚だった。

 つまり亘たちは異界の中に居ることになる。

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