第52話 デートのフリする土曜日
――デートのフリする土曜日
駅の改札を通り抜け、亘はそっと嘆息した。時計をみると、まだ約束の時間までだいぶある。別に楽しみで待ちきれなくなって早く来た、というわけではない。
原因は神楽だ。亘自身は約束時間の五分前に行けばいいと考えていたが、妙に大張り切りの神楽の手により早朝から叩き起こされたのだ。そして厳しい身だしなみチェックに始まり、今日の心得なるものをレクチャーされ復唱させられて、とても大変だった。
それで辟易としてアパートを早く出たのだ。
「ふあぁ、眠いな……おっと」
大欠伸したのを、すれ違う女性にクスッと笑われてしまい、慌てて口を閉じる。決まり悪い気分で足を速め、待ち合わせ予定の駅前へと向かう。
駅舎を出ると清々しいまでの晴天だ。
「絶好の狩り日和なのにな……まあ仕方ないよな」
高田係長が余計なことを言わなければ。岩戸係長が絡んでこなければ。何より、自分が口を滑らせ売り言葉に買い言葉をしなければ。きっと一日たっぷりとDP稼ぎが出来たに違いない。
ついブツブツ文句が出るのは、フリとはいえデートと名の付く行為に緊張しているせいだ。なにせ正真正銘初めてのことなのだから。
「約束の時間まで、どこで時間を潰そうかな……って、バカな……」
何気なく駅前広場を眺めやった亘は驚愕した。多くの人がたむろする場に、少し大きめの伊達眼鏡をお洒落にかけた少女の姿を発見したのだ。
身体にピッタリとしたサマーニットのトップスにデニムパンツと、いたってシンプルないで立ちだが、それが実に似合っている。その辺でモブモブしている少女らの、ごてごて着飾った姿とは一線を画した存在美だ。
しかも傍目でも分かるぐらいにウキウキしており、何かを待ちきれないといった様子で、それは見ているだけで微笑ましくなるぐらいだ。
それは、どう見ても七海だ。
「あっ、あれ。時間を間違えたかな」
慌てて腕時計を確認するも、やはりまだ待ち合わせ時間までだいぶある。スマホの時計も、駅構内の時計も同じ時刻だ。もう一度広場を見ると、やはり七海がいる。
ううむ、と唸って亘は早足で歩き出した。まさか遅れをとると思ってなかったので、決まりが悪い。
「んっ、知り合いか」
見るからにイケメンといった男が親しげな身振り手振りで七海に話し掛けている。それに対する七海は小首をかしげたり首を横に振ったりと困ったような様子だ。しかし知り合いとの話しを邪魔するのは悪いかもしれない。
迷った亘は立ち止まる――と。
「あっ、五条さん!」
気付いた七海がパッと笑顔になった。イケメンに頭を下げ、そのまま小走りで駆けて来る。その輝かんばかりの笑顔を向けられ、亘はしばし呆けてしまう。可愛かった。可愛すぎた。後ずさるほど可愛かった。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「お、おう。ああ、うん、よろしく。ところで、いいのか。知り合いと話があるなら、自分に構う必要はないからな」
「えっ、何がですか」
「話をしてたんじゃないのか」
「もしかして今の方のことですか? いいえ知らない方です。暇ならどこか行きませんかと言われたんですよ」
「あ、そーなの」
「私って、そんな暇そうに見えますか。なんだか、さっきから暇か暇かと訊かれてばっかりなんですよ……まったくもう失礼しちゃいます」
そう言った七海は可愛らしく頬を膨らませている。
そりゃナンパだよと亘は自分の頬をポリポリした。確かに七海がこんな場所で人待ち顔していれば、声を掛けたくなる気持ちも分かる。もっとも、ヘタレな亘には声をかけるなんて到底無理なのだが。
「そうか、自分が遅れてきたせいで面倒をかけたな。すまんかった」
「違いますよ、五条さんは悪くないですよ。それに遅れたと言われますけど、まだ約束の時間よりだいぶ早いですから」
「おいおい七海だって随分と早いじゃないか」
亘が頭を掻きながら笑うと、それに合わせ七海も口元に手をよりクスクスと笑った。なかなか好調な滑り出しだ。亘は気を良くするが、しかし同時に焦りもある。なぜなら神楽による今日の心得では、会ったら服でも髪型でもなんでも良いから褒めろと言われている。
だが、そんな経験がない亘にはとてつもなくハードルが高い。それを考えるので精一杯だ。ささっと七海を走査しながらどうすべきか悩んでおり、周囲で増大しつつあるヘイトにも気付いていない。
「えーっと、そうだな……なんだか、ぐっと大人っぽいな」
「はい。五条さんとデートですから、合わせてみました。神楽ちゃんからシンプルめの感じが好きだって聞いてましたから。どうでしょう、似合ってますか?」
「ああ、うん。その、とてもよく似合っている」
「ありがとうございます」
まず褒めるのはクリアだろう。そして嬉しそうに笑った七海を見て、ふいに気づかされる。その瑞々しい笑顔に引き込まれそうになった自分がいた。なんとか踏み留まり、いかんなと自分を戒めた。
これはお願いしてデートのフリをしてもらったものだ。楽しそうな態度も、普通の反応であって別に好意から来るものではない。これで舞い上がってしまえば、それこそ滑稽なピエロではないか。
例えば逆の立場で考えてみよう。高校時代の自分が、倍ほどの年齢の女性からデートのフリを頼まれたらどうだろうか。そんなの、普通に気持ち悪いに決まっている。
相手が頼まれて断る娘でないと知っていて、モテない自分のちっぽけな矜持を守るため無理やり協力させたことが後ろめたくなってしまう。無性にいたたまれない気分だ。
それでもなお、デートのフリを続けようとする自分が嫌になる。
亘は小さく哀しく息を吐いた。
「五条さん、どうされましたか?」
「なんでもないさ。ああ、本当にすまない。今日は一日付き合って貰おうか」
「はい、行きましょう」
そこで亘のいたたまれなさなぞ一瞬でふっ飛んでしまった。
歩き出したところで、七海が亘の腕を取ったのだ。抱きつくようにして抱えられた腕に柔らかなものが振れる。否、押し付けられる。キセノン社での出来事を思い出し、掌に収まりきらなかったボリュームや感触が脳内に再生されてしまう。
「ちょ、ちょっと七海さん。なにをなさるのでござろうか」
「どうしたんです? 変な口調ですけど」
「そりゃだって、ほら。いきなりこんなこと」
「えっ? だってデートだと、こうするそうですよ。友達のエルちゃんに聞いてきましたから、デートはこうやって腕を組むのが常識だそうですよ」
「そ、そうだな。うん、デートなら当然だな、自分も知ってるぞ。はははっ」
顔も知らない友達のエルちゃんに感謝する。確かにこれならデートしているように見えるだろう。肩に頭を預けてくる仕草なんて、本当にカップルのようではないか。
「でもほら、腕がね腕にね腕なんだよ分かる?」
(もう、そんなに慌てないで下さい。いいんですか、デートのフリだってバレてしまいますよ)
そっと囁いた七海は一層強く抱きついてきた。クスクスと笑っているが、今度はちょっと悪戯っぽそうな感じがある。
いくら女性慣れしてないからといえ、ずっと年下相手に翻弄されるのはどうかと思う。益々強まる感触に動揺しながら亘は平静さを取り戻そうとする。
深呼吸をして心を落ちつかせる。それはそれ、これはこれで考えれば密着する身体から伝わる体温や感触、その他諸々が心に充足感をもたらしてくれるような気がしてきた。
ここで一旦意識を切り替える。
今日の主目的。それは同僚相手に自分の言葉が嘘でないと証明することだ。つまりデートしていると思わせなければいけない。このミッションをコンプリートするのが最優先だ。
落ち着いた亘はようやくそこで、周りに目をやる余裕が生まれた。そして、まるで重低音な擬音がしそうな雰囲気の男どもの視線に気づく。嫉妬のオーラが目に見えるぐらいで、ちらりと右を見れば呪詛。ちらりと左を見れば舌打ち。全方位からの殺意を感じる。
――あかんわ。
亘は心の中で乾いた笑いをあげた。
周りの気持ちがよく分かる。もし誰かが七海とこうしていたら、亘だって相手を妬んで呪うに違いない。周りの連中がどう考え、どう思っているか。普段自分が考えているだけに、とても良く理解できてしまう。
「ば、場所を移動しようか」
「そうですね。映画の時間には早いですから、少し辺りを歩きましょう」
身の危険を感じた亘はそそくさと移動することにした。どこかに居るであろう岩戸係長の姿を確認するのも大事だが、それよりも身の安全が第一だ。
自分は今日死ぬかも、ついそんな不安を抱いてしまった。
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