第272話 他人を救うなんておこがましい
法成寺が必死にアプリを用意しているとか、人員増の適性者検査に正中と志緒が奔走しているとか、そういった事はさておき数日の時が過ぎる。
晴れ渡る空の下、啓開作業もまだ終わらぬ片側三車線の道路には事故車両はもとより放置車両もいまだ路上に散在していた。道路標識は折れガードレールがねじ曲がり辺りには誰かの荷物も散乱、道路自体も陥没やひび割れなど破損している。
辺りにガソリンと木の香りが漂うのは、街路樹に車が激突しているせいだろう。裂けるように折れた木の断面に瑞々しさが残っている様子から、事故が起きてまだ間もないようだ。
猿とも人ともつかぬ姿の悪魔の群れは、事故を起こした車から何かを引き出し貪り喰らう最中であった。道路照明には鴉たちが集い自分たちの番を待ち構え――ふいに、飛び立った。
「風刃を真ん中に!」
七海の鋭い指示に従い従魔のアルルは激しい風の刃を放った。
その威力は極めて強く、直撃した悪魔を切り刻み倒しただけではなく周囲の悪魔たちにまで細かな手傷を負わせたほどだ。辺りには人外たちがあげる驚きと苦痛の声が幾つも響く。
イツキが滑るように走ると、反撃の態勢をとろうとする悪魔の一体に素早く蹴りつけた。さらに回転しながら手にした脇差しを振るい、そのまま辻斬り気味に斬り付け離脱。後を追おうとする悪魔たちへと、しかし粘着性の糸が絡みつき動きを阻害した。
「さあ、やってやるんな!」
「待って一人で行かないで、ちょっと待って」
勢い込むエルムを追いかけ七海も走りだした。
二人とも梵字が幾つか彫り込まれた棒を持ち、動きの鈍った悪魔へと攻撃をしかける。その背後をカバーするようにイツキも加わり、後は三人揃って息の合った連携を取りだした。
七海とエルムはジャージのパンツにトレーナーといった動きやすい服装で、イツキに至ってはシャツと半ズボンである。
少し離れた場所で待機する防衛隊員たちはFRP製メットに防弾チョッキ、これに防弾盾まで構えている。自分たちに比べ極めて軽装な少女たちが次々と悪魔の数を減らしていく様子に唖然とするばかりだ。
あげく銃器を手にしたまま自然と少女たちの動きを目で追っている。
女三人寄れば姦しいとは言うが、互いに声をかけ合う様子は賑やかしく華があり、その戦いの動きは何か華麗なダンスのようでもあったのだ。戦いが終わった瞬間、ライブコンサートが終わった直後のように声をあげそうになった隊員もいて、少なくとも何人かは実際に手を挙げてしまい上官に睨まれていた。
とは言え、戦っていた本人たちにそんなつもりは少しもない。
七海は最初に倒した悪魔がいた辺りを沈鬱そうに見やる。
「間に合いませんでしたね」
「そやな……でもまあ悔やんでも仕方ないと思うで。お墓に行ける部分は守れたんや、間に合ったと思うしかないやん」
「でも、もう少し早く来れていたら」
「あかんあかん、そういう考えはあかんて」
エルムは言いながら、立てた手をパタパタ左右に振ってみせた。
「人を救うんは自分あっての事なんや。つまり主客逆転てやつやら」
「それ主客転倒です」
「そやった? とにかく何やな、本来は他人を救うなんておこがましい事なんや。他人を救おうと思った時点で、もう既に上から目線のおこがましさがあらへん?」
「分かってますけど……でもそうですね。自分の身の安全が第一で、余力の中で人を救うのですよね」
「そやそや」
少し前に悪魔に襲われた人々を救おうと無茶をしてしまい、結果として悪魔の群れの中に取り残された事があった。それで安全第一を心がけるよう厳しく叱られている。しかし、分かっていてもついつい勇んでしまうのが人というものなのだが。
七海は防衛隊員を振り返った。
ただし、その視線が向けられているのは別で、腕組みする五条亘に対してだ。
亘はNATS所属という事で、紺色上下の戦闘服にコンバットブーツという出で立ちをしている。自分に向けられた視線にも気付かず、辺りを眺めるように見やっている。その表情には困ったような苦々しさがあり――小鳥のように肩にとまった神楽に
それで気まずい様子で笑いながら近寄っていく。
「終わったか、お疲れさまだったな」
「もー、五条はんってば。うちらの活躍見とらんかったんか。せーっかく張り切って頑張ったんに。酷いわー」
エルムは文句を言いつつ駆け寄ると、亘の手を取って大きく振り回すような仕草をした。反対側ではイツキが掴んで体重をかけて下に引っ張っている。それを七海が苦笑しながら見ているといった具合で、すっかり取り囲まれている状態だ。
近くで石塊をひっくり返しダンゴムシを
「三人とも問題なく勝てるのは分かっているからな」
「でもな、ちょっとは心配とかして欲しいぜ」
「そうか? 別に心配するような相手でもなかったと思うが」
「あーもー、これだから小父さんはダメなんだぞ」
その文句には神楽も深々と頷き、もっと言ってやれとけしかけているぐらいだ。
「でもよ、何が気になるものでもあった?」
「気になるというか、この辺りの施設が随分と損傷しているなと思ってな」
「でも仕方ないぜ。壊れたものは直すしかないって思うんだぞ」
「それはそうだが、復旧が大変なんだよ」
亘は軽く息を吐く。
これでも国家公務員の端くれであり、公共工事が行われるまでの流れを把握しているがため、その苦労を思いやってしまうのだ。
公共事業を一つやろうとすれば企画計画設計といった前段はさておき、設計されたものを一円の部品まで単価を調べあげ必要経費を積み上げ想定工事費を算出、発注にあたって学識経験者にそれが適正かどうか審査して貰い、世界一難解な公告文を作成し世間に公告。受注希望の会社に資格があるか大量に提出される書類に目を通し確認、選定結果が適正かどうか資料をつくり審査して貰ってようやく入札があって契約。
ここまでに一円一文字一過程でもミスがあれば最初から全てやり直し。
上手く契約に至って工事が始まったとしても、施工が適正に行われているか随時監督検査。設計と現実は違うため契約内容の変更が生じ、その相違を施工者と協議しつつ定められた工期の中で対処。もちろん増えた分は再度工事費を算出し契約の変更を行わねばならない。
そうやって幾つもの工事を動かし各自の工費が激しく増減する中で、与えられた予算数十億を一万円以下にまで使い切らねばならない。もちろん勇み足で予算を使いすぎお金が足らないことは許されざることなのだが。
「うっ、関わりたくない……」
亘は復興時に生じるであろう膨大な仕事を想像してしまい、目の前の惨状そのものに心を痛めるよりも、その惨状に対処せねばならない労力にゾッとしているのだ。
ふんな亘の横で神楽とサキが何かに反応をした。
「マスター、マスターどうするのさ」
「何がだ……ああ、あれか。神楽とサキはここを頼む。ちょっとこの胃の痛みを発散してくる」
「またそーゆーこと言っちゃってさ。でも了解なのさ、ボクにお任せー」
神楽は呆れつつも最後には得意そうに小さくもない胸を張ると、亘の肩から七海の肩へと軽やかに飛び移った。サキの方は欠伸をすると、日当たりのよい芝の上で天使のように座り込んだ。
七海は事情が分からず不思議そうな顔をしているので亘は優しく笑った。
「大物がいるだろ。ちょっと行ってくる」
亘が指し示した道路の向こうには、いつの間にか一体の悪魔がいた。
直立歩行する獅子のような姿で背中には四枚の鳥の翼があり、サソリのような尾をうねるように揺らしている。バスの車高と同じほどの身体はがっしりとして、見ただけで他の悪魔とは一線を画す存在感があった。
「なんだか強そうですけど、どんな悪魔ですか」
「んっとね、あれってばパズズってのだよ。ねえ、マスターのことが心配?」
「神楽ちゃんがいる時点で心配ないと思いますけど。別の意味で少し心配はありますね」
「あー、それそだね。確かに」
七海と神楽は頷きあい、もちろんそれはエルムとイツキも同意している。なぜならばいそいそ飛びだしていく亘は誰がどう見ても喜々としているのだ。つまりは、そういうことである。
しかし、その辺りの事情の分からぬ防衛隊員は強そうな悪魔に心配そうだ。ただし亘を心配すると言うよりは、その悪魔を倒せるかどうかが心配なのだろうが。
「援護を――」
「ええからええから、邪魔せんといたってーな」
エルムは何でもない様子で制止した。
そのため防衛隊員は困惑しながら、今まさに始まった戦闘を眺め……ややあって何か強烈な違和感を覚えた。いったいどうしてかを考え込み、やがて気付いた。五条亘という男が戦いながら口の端を上げ、目を輝かせ活き活きとしていることに。
鋭い爪の軌跡から身を躱し、カウンター気味にボディブローを打ち込む。紙一重ではないものの、間違いなく刃風ならぬ爪風を感じているはずが、笑いを深めているではないか。これには、どうしてあんなにも楽しそうなのかと疑問に思うしかない。
戦闘が続き、パズスの腕を受け止めた亘の胴へと、鞭のようにしなったサソリの尾が叩き込まれた。弾き飛ばされた身体は壁に激突、元から崩れかかっていた壁が倒壊し瓦礫の数々が五条亘の上へと落下し埋め尽くしてしまう。
「ああっ……!」
思わず銃器を構える防衛隊であったが、しかしそれも制止された。
「大丈夫ですので」
「いや何を落ち着いて……」
「だって五条さんですから」
立ちこめる粉塵の中で瓦礫の山が動き、そして勢い良くはね除けられた。
姿を現した亘は髪など全身が埃にまみれているが、それ以外はどう見ても至って平気そうだ。口をへの字にするのは、どうやら服が破れたからだけらしい。
「あの人何で平気なんです」
「五条さんですので」
「理由になってない……って、素手でアレを倒した!?」
「五条さんですので」
唖然とする防衛隊員は、強大なはずの悪魔をあっさり倒した亘をただ見つめるばかりである。
「なんやスッキリした顔しとるんな」
「最近、いろいろ苦労してるみたいですから」
「確かにあれや、五条はんやと書類仕事よりか悪魔退治の方が好きやでな」
「外に出る方が時間が早く過ぎると言ってましたからね」
少女二人の話を聞きつつ、何かが間違っていると防衛隊員は思った。しかし大人の分別として、自分の理解出来ない事や分からない事を突き詰めようとはせず、呑み込むようにして納得した。つまり、アレはそういうものだと。
「むむっ! この気配――」
神楽が声をあげるのと、物陰から飛びだした何者かが亘の傍に着地するのは同時であった。現れた姿に七海とエルムは小さく驚きの声をあげ、イツキは大きく驚きの声をあげ走りだす。
「トト様!」
それは藤源次その人であったのだ。
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