第359話 本当に見えないのは自分のこと

 半壊した建物の景色に、かつて支援に赴いた大震災の地を想う。あの時に感じたものは世の無常さであり、日常というものは奇跡の上に成り立ち何かあれば容易く崩壊するということでもあった。

 この壊れた街並みとて復興という名の下に、いつか新たな形の日常をつくるのだろう。喪失感や哀しみを心に宿すか押し込むかは別として。

「…………」

 亘は倒れた赤い自販機に腰掛け、アンニュイな気分だった。

 わんさと押し寄せていた悪魔の波も収まっている。新手でも出ないかと期待していると、不意に物音と賑やかな声が響いた。

 チャラ夫とガルムが、神楽の指示で崩れたビルを掘り起こしているのだ。何か目的があるのではなく、犬が穴掘り遊びをするように、ただ単に目的もなく宝探し感覚でやっているらしい。

 いそいそ来たサキが膝にのってくる。特に考えるでもなく無意識に近い動きで、その喉もとをくすぐった。

 喉という急所に触られながら、サキはされるがまま。お返しのつもりか悪魔を食い千切る歯で甘噛みされるが、亘はされるがまま。信頼とはそういうものだ。

「どもー、どもどもー。観測完了、もうパーペキなデータでっす!」

 法成寺の楽しそうな声が騒々しく響いた。スキップせんばかりの足取りだ。

「終わりました? 何か分かりましたか」

「やだなーもう。観測が終わっただけなんで、データ解析しなきゃ分かりませんってーの。五条さんったら、せっかちさんですねー」

「……そうですか、で、完璧なデータですか」

「そーなんですよ。データの並びが、整然として綺麗で変な乱れもないんですよね。もー見てるだけで、ぎもぢいぃって感じなの。神楽ちゃんの活躍も生で見られたわけだし、今日は人生最高日かも!? おほぉ、最高!」

 法成寺は両手を広げ、うんたん言いながら手を叩いて踊っている。

 目の前でそんな姿を披露され、サキは心地よさに汚濁をぶちまけられた気分なのだろう。目つきを鋭くし唸り声をあげさえした。しかしそれも、亘に髪を撫でられていくと、少しずつ顔を弛ませ大人しくなっていった。

 命拾いした法成寺を見つつ、この人も大概おかしいと亘は考えている。

 もちろん言動の奇矯さは前から分かっていたが、それとは別の点で法成寺のおかしさを感じていた。なぜなら目の前に悪魔が迫ろうと戦闘があろうと全く気にせず、平然と観測を続け神楽に声援を送っていたのだ。あまりにも身の安全に無頓着すぎ死生観が緩すぎる。


「そろそろ、キセノンヒルズに行きますか」

 亘が言って軽く身じろぎすると、聞き分けの良いサキは素早く膝から降りた。ただし亘が立ち上がるのを待って、直ぐに手を繋いでくるのだが。

「やーやー行きましょ行きましょ、ゴーゴーキセノン。その前に、ちょっとお片付け。やっぱり観測機器はしっかり仕舞っておきませんとね。またつくるの面倒ですし」

「ああそうだ、それ別個に用意できます?」

「えっなに? 気に入っちゃった? もしかして五条さんってばバトルマニアだけでなくて観測マニア? 観測数値の並びに美を見いだす同士でしたか、うれしいなぁ」

「バトルマニアじゃないですし、観測の趣味はないです。ただ悪魔を呼び寄せるのに便利だろうなーと思っただけです」

「悪魔を呼び寄せるのに便利とか、ひゃっほーいとなって戦ってる人って。それをバトルマニアと言うんじゃないですか?」

 露骨に呆れてみせた法成寺は、奇異なる者を見る目を亘に向けた。きっと大概おかしい人だと思っているのだろう。不当な評価を受けたことも含め、亘は甚だ不本意だった。

「別に戦いたいから欲しいのではないです」

「えー? 本当でござるかぁ?」

「そうですよ、悪魔を呼び寄せるのは……つまり、これで悪魔を集めて倒せば、周辺の安全度が一定値ほど確保出来るじゃないですか。運用としては実に良いと思いませんか。社会貢献という奴ですよ」

 咄嗟に思いついた内容だが、言ってるうちに自分でも素晴らしい考えに思えてきた亘だった。もちろん最初に考えていたのは、悪魔を集めてDP稼ぎではあったのだが。

 法成寺は大きく肩を竦めた。

「あー、そういう。目的外使用されるっての面白くないんですけどねー、特に社会貢献とか嫌だなぁって気分。あり寄りのなしよりはなし寄りのありって感じ?」

 そのとき、向こうで歓声が聞こえた。

 視線を向けると、神楽が空中で両手をあげ元気よく跳ねていた。白い小袖がぱたぱた振られている。どうやらチャラ夫とガルムの持ち上げた瓦礫の下に何か良い物があったらしい。間違いなく食べ物だろうと亘は思った、間違いなく食べ物だとサキも思った。

 果たして見つけた何かを抱えて、すっ飛んで報告に来る。

「マスター! 見て見て、飴だよ飴。いっぱいあったの!」

 やっぱりそうだった。


 そのままキセノンヒルズに向かって進む。

 バトルマニアではない亘だが、新手の悪魔が出ないかと期待はしていた。その気配は少しもないが、気を緩めず慎重な姿勢を崩さないままだ。

「ここにあった店のラーメンが絶品なんですよ。良くある油ギトギトとトッピングで喰わせるラーメンでなくって、麺の味とスープのコクで喰わせるんですってばー」

「えー? 法成寺さんはギトギト系が好きかと思ってたっすー」

「大人になるって悲しいことなんですよ。胃袋が裏切り、何かを失い、いつか油ギトギトも口に合わなくなって、段々と慣れてしまう。でも本当に見えないのは自分のこと、つい何故か食べてしまう。そして気持ち悪いを繰り返し……やがて冒険ができなくなる。胃袋のために、あっさりになるんですよー」

「俺っちはそうはならんっす!」

「ノーッ! 皆そう思うんですよ。歳を取れば分かりますってーの」

 一緒の二頭が三百代言の如く四の五の煩く、第六天魔に七転八倒する気分の亘は、九九を十回唱える士気分で十二支と十三星座を唱えていたが、そろそろ限界だった。

 真面目にやっている時に、横で騒々しくされることが一番腹立たしい。なお、そこには少し仲間外れにされた気分もあるのだが。何にせよ直ぐ顔と態度に出てしまって、顔をしかめ足取りを速めてしまう。

 こうした時に気付いてくれるのは神楽で、直ぐに顔の傍に来て撫でてくれる。

「マスター、抑えてね」

「大丈夫だ落ち着いている。そう、とても落ち着いている。問題ない」

「あのさボクが注意しとこっか?」

 神楽は後ろから聞こえるバカ笑いを気にしながら言った。

 だが亘は静かに頭を振る。この程度で苛つくような心の狭い人間だと――実際にはその通りなのだが――思われたくないのだ。

 亘はサキと手を繋いだまま大股に進む。

 いろいろ考えていると頭の芯が重く気怠いぐらいで、苛々して落ち着かない。早くこの時間を終わらせ、戻って好きなことをしたいと思うばかりだ。

 その時、後ろで音がした。

「うん?」

 振り向けば後方の法成寺が地面の上で仰向けに倒れ、瀕死の虫のようにヒクヒクと手足を動かしている。その横ではチャラ夫が額に手を当て座り込み、ガルムも四肢を投げ出し倒れていた。


 何が起きたか分からない。

 さらに繋いでいた手に重さを感じると、サキも力が抜けたような様子だ。手こそ放さないものの、立っているのもやっとといった具合を見て、亘は即座に両手で抱え上げた。

「サキ? どうした、大丈夫か」

「……もっ無理」

「どういうことだ?」

 訝しがりながら放ってはおけない。そのままサキを俵担ぎにして戻ろうとすると、そのサキのお尻に神楽が不時着してきた。まさしく不時着といった姿で、ふらふらとしている。これならまだ、千鳥足の酔っ払いの方がしっかりしているだろう。

「神楽まで!? どうした?」

「マスター、ボク何だかとっても怠いもん……マスター……」

 不調を訴えている。

「これDP酔いだよ……」

「なに?」

「DPの濃度……高すぎ。気持ち……悪……ボクもうダメ」

 神楽は辛うじて亘の顔に辿り着いて縋り付いた。それ以上は動けないらしく転げ落ちそうになって、亘は素早く優しくしっかり受け止めた。

 何がどうなっているか分からない。周りに比べ平気な部類だが、それでも気分の悪さがある。分からないがしかし、分かっていることがある。

 仲間が苦しんでいるのであれば、ここから早急に離れるべきという事だ。

「チャラ夫は動けるか?」

「何とかっす……でも吐きそ……」

「ある程度の年になるとな、油ギトギトラーメンを食べるとそうなるぞ」

「うっ、それダメ。想像だけで吐きそっす」

「そりゃ失礼。ほらガルムを連れて行け。法成寺さんはなんとかする」

 小太りの法成寺をどう運ぶか。重さ自体は問題ないが、しかし大きさが問題だ。あと純粋に食べかすで汚れた服に触りたくない気分もある。

 けれど友人であるため、何とか運ぶしかない。

 亘が覚悟を決め手を伸ばした時であった、背後から声がかかったのは。

「おや、お帰りでございますか?」

 聞き覚えのある声だ。

 ぎょっ、として振り向けばそこに背広姿の相手がいた。額がM字型に禿げ上がった見覚えのある男は、,間違いなくキセノン社で世話になっていた海部だ。

 その海部がコンビニで知り合いに会ったような顔で、軽く手を挙げている。

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