閑44話 ハロウィンでお菓子を

「トリックオアトリート」

「なんだ?」

 帰宅した亘は後ろ手にアパートのドアを閉めつつ戸惑った。

 これから夕食の準備をしようと、冷蔵庫の中身を思い出しつつメニューを選定中だったので反応が少し遅れている。

「トリーックオアトリートー」

 目の前には神楽がふわふわ浮かび、歌うように可愛らしい声をあげている。

 いつもの巫女のような衣装に、どうやって用意したかは分からぬが黒帽子をかぶり黒マントを羽織っている。手には棒――たぶん昨日食べたみたらし団子の串――を持ち魔女っ子気分らしい。

 足元ではサキが両手を挙げ脅かしのポーズをしている。

 ミイラのつもりらしいが、素っ裸に包帯を巻き付けただけの格好。隙間には白く滑らかな肌が覗き、かなり際どい。特定性癖の人が見たならば、悪戯されるよりは悪戯したくなりそうだろう。ただし亘は包帯を巻き直す手間を考え、眉をひそめただけだったが。

「何をやっとるんだ」

 靴を脱ぎながらネクタイを外せば、神楽が当然のようにそれを受け取り、心外そうに声を張りあげた。

「トリックオアトリート!?」

「いや、だから何だと言っているんだが。ああ、そうかハロウィンのつもりか」

「トリックオアトリート!」

 顔を輝かせた神楽は何度も頷いている。その通りだと言いたいらしい。

 足元の包帯娘も同様だ。鞄を受け取り頭上に載せているが、どんどん包帯がずれ落ち足に絡みついてるだけだ。もう、見えてはいけない部分まで見えてしまい、亘は自分の脱いだ上着を被せてやった。

「トリックオアトリート?」

 神楽は両手を前で組み何かを期待する目線だ。

 可愛い姿でねだられたなら、お菓子の一つや二つはあげたくなるのが普通だが……生憎と、亘という男にそうした情感はない。

 どっかりと床に座り込むと、悪魔が魔女やお化けのコスプレをするのはシュールだと笑うだけだ。

 ハロウィンという感覚は少しもない。クリスマスやバレンタインに対するような敵愾心はないが、やっぱり親しみは感じていなかった。せいぜいがコンビニ商品のパッケージデザインが南瓜柄になるという程度。自分とは関係の無いイベントという認識だ。

「トリック! オア! トリートッ!」

 痺れをきらしたように力強く放たれる言葉。

 何かの最終通告的のような危険を感じ、亘は思わず身を引いた。

 そして気付く。

 この食い意地の張った両者が――特に神楽が――ハロウィンを本気で信じていたらどうなるか。お菓子が貰えなかったら悪戯をするのは間違いない。それも、貰えなかった恨みを込めてだ。

 危険だ危険すぎる。

「あー、そうは言うけどな。お菓子なんて、昨日の夜に全部食べてただろ。どう言おうと、アパートの中にお菓子はないぞ」

「トリックオアトリート……」

 悲哀さえ感じられる声だ。きっと、お菓子がないだけで世界に絶望できるのは神楽ぐらいのものだろう。

 亘はにやりと笑った。

「というわけで、買いに行くか」

「トリックオアトリート!!」

 神楽は諸手をあげ大喜びした。ただし出かけるためには、まずサキに服を着せねばならなかったが。


◆◆◆


「なのにさ、どーして異界なんかに来ちゃうかな。ほんと、ボク信じらんないよ」

 神楽は亘の頭の上でぶちぶち文句を言った。

 辺りは薄暗く薄明るい。街並みが広がるものの、人の姿や気配は少しもなく静寂に満ちている。ここは異界と呼ばれる場所で、普通の人間は入れない場所なのだ。

 お菓子を買った帰りに新たな異界を見つけ、当然の如く侵入したのである。それは新しく見つけた雑貨屋に入るよりも気軽さだった。

「なぜ異界に来るのか、それはそこに異界があるからだ」

「はいはい、そんなとこだよね」

 うそぶく亘に神楽は達観した様子だ。。

 まだ魔女っ子スタイルのままなのは、案外とそれが気に入っているのかもしれない。今は棒きれに替わり、買って貰った棒付キャンディーを手にしている。珍しい事に、まだ包装さえ解いていないのだ。

 その驚愕の出来事に気付いた亘は畏れ竦み震え心配した。

「馬鹿な何故食べない。まさか体調でも悪いのか? おい、しっかりするんだ!」

「あのさボクをなんだと思ってるのさ」

「だってなぁ……で? 冗談抜きでどうして食べないんだ」

「うーん、食べるべきか食べざるべきかそれが問題なんだよね」

「はははっ、こやつぬかしおる」

「マスターは分かってないね」

 神楽は棒付キャンディーを振り回し、亘の頭を小突いた。

「お菓子は食べると無くなっちゃうけど、食べないと無くならないでしょ。つまりさ、ボクが食べない限りは、このお菓子は永遠に存在し続けるって事なの。凄いと思わない?」

「さよか」

 馬鹿馬鹿しそうに亘は呟いた。それで神楽が不満顔をしても気にもしない。

 そこにサキが金色の髪をなびかせ、笑顔で走って来る。お出かけ用のワンピース姿で手にはオレンジ色をした存在を引きずっていた。

 先程から異界の中を駆け回り、鬱積した狩りへの欲求を解消するネコのように次々悪魔を狩っているのだ。

「獲った、やる」

 ドサリと獲物が投げ出された。

 どうもサキは貢ぐタイプらしく、倒した悪魔を亘に差し出す習性がある。貰う方としては迷惑極まりないのだが。

「こいつめ、また変なものを持って来たぞ。なんだこれは」

「さあ?」

「悪魔なのは間違いないだろうが。あー、これは……」

 差し出された獲物を見た亘は何とも言えない顔をした。そこにあるのは、中身をくり抜き目鼻口をつけた南瓜頭の悪魔だったのだ。中に灯る紅い光が弱々しいのは、狩られる時にサキの一撃を貰ったからだろう。

「ジャックランタンか。しゃべったら、ヒーとかホーとか言うのかね。いや、あれは雪だるまか。はて、どっちだったかな……」

「なにそれ?」

「何でもない、気にするな。とりあえず、この悪魔が誕生したのは異界が形成された時に概念が取り込まれたということか。それだけハロウィンに対する気持ちが世間に浸透してるって事だな」

「お祭りだからね」

「いや違うだろ……元々は悪霊とか悪魔を追い出す儀式だろ。あんまり効果なさそうだけどな、うん」

 亘は神楽とサキを眺めながら頷いた。少なくとも悪魔に影響ない事は間違いない。当の本人たちは、のほほんとしているばかりなのだから。

「ねえねえ、この悪魔って南瓜っぽいよね。マスター食べてみる?」

「いらん。というか、そもそも異界の中のものを食べたら腹を壊すって話じゃなかったか?」

「そだけどさ。きっと今のマスターなら平気だって思うんだよね。だって、レベルが上がって身体にDPが馴染んでるからさ。今ならきっと何でも食べられるよ」

「おい、恐いことを言うなよ」

 のんびりと会話を交わすのは、今の亘たちにとって発生したての異界は少しも脅威ではないからだ。人を襲う異界の悪魔が、今や逆に襲われている。

 なおサキは、無慈悲な一撃でジャックランタンにトドメをさした。亘に興味を持って貰えないものだから、拗ねたのだ。それで南瓜の破片は虚しく地面に散り、光の粒子となって消えていく。

「あっ、どうやら異界の主が出るみたいだね。早いね」

「規模が小さいからだろうな。ふむ、もう少し育ててから踏破した方が良かったか……いやいかん。日々の糧に感謝し悪魔を倒さねばいかんな」

「日々の糧とか言うのはマスターだけだって、ボク思うよ」

 神楽は棒付きキャンディーを軽やかに振りながら言ってみせた。そんな態度こそが油断だったに違いない。

 いきなり、近くの道路が吹き飛び巨大南瓜が出現したのだ。

 咄嗟に跳び退く亘とサキ。しかし驚いた神楽は飛んできたアスファルト塊を避けたものの、手にある棒付キャンディーを落としてしまった。

 それは開いた穴の中に落下していき、崩れた土砂に埋もれ消えた。

「ぴぎゃぁーっ!!」

 悲痛な叫びが異界の中に響き渡る。

 瞬間、亘は背を向け走りだす。もちろんサキも一緒だ。両者とも迷いなく脱兎の如く本気で駆け去る。まるで、とんでもなく危険なものから逃げるように。

 逃がすまいとした巨大南瓜であったが、それは不可能であった――。

「よくも……よくも……」

 地の底から響くような、おどろおどろしい声。

「あれはボクのマスターが、ボクのために買ってくれて、ボクにくれた、ボクのキャンディーなのに。許さない、消えちゃえ消えてしまえ!」

 異界の中に凄まじい爆発が吹き荒れる。

 小さな異界の主でしかない巨大南瓜は一瞬ですら耐えられなかった。ほぼ瞬時に消滅させられてしまう。だが、それでも収まらないのが神楽だ。暴走する感情のまま、異界に存在する建物群は尽く破壊されていく。

「おいおい、お菓子の代わりに悪戯ってつもりか?」

「んっ、違うと思う」

 遠く離れた安全地帯で亘とサキは惨劇を眺めやった。

「式主……」

「何とかしろってのか? 嫌だよ恐いだろ」

「確かに」

「異界が消滅する頃には気がすむだろ、それまで放っとこう」

 泣きべそをかく神楽を回収し異界を脱出するのは、もう少し後の事になる。そして新しい棒付きキャンディーを買うまで、亘の懐からはシクシクとした泣き声が聞こえていた。

 ハロウィンにはお菓子を用意しておくべきだと亘は思った。

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