記念SS第5話 起こされてみたい
仕事から帰った亘は部屋着に着替え、続いてモスグリーンのエプロンを身につけた。
少し時間は遅いが、これから夕食だ。
以前であれば、簡単にカップ麺で済ませたところだが、今はよほど疲れた日でもなければ、そんなことはしやしない。ちゃんと自分で料理をする。
力強く手で米を研ぎ、炊飯器にセットして早炊きを選ぶ。その間に沸かしておいた湯で菜っ葉を湯がき、水に漬した後に水気を絞る。適当に切って醤油とカツオ節で和えておく。
さらにその間に、別に沸かしておいた湯へと出汁パックをいれ、流しの下から味噌かめを取り出す。これは実家の母が手作りした味噌で、昔ながらに塩はゆく少量で充分なぐらいだ。それを溶いたら乾燥ワカメを少し入れておく。
続いて冷蔵庫からパックの肉と野菜を取り出した。どちらも包丁を入れ、下準備を整えると換気扇のスイッチを強で入れる。そして菜箸を手にフライパンでざっと炒めだす。目分量の醤油と砂糖を入れ味を調えると、平皿へ盛り付けた。
そして空になったフライパンをスポンジで洗いだす。
ここまで流れるように澱みのない動きだ。気付けば、あっという間に夕食が出来ていた。
「ご飯できたみただね、よいしょっと」
その調理台にトンッと小さな少女が降り立った。
目を細め、完成した料理の匂いで深呼吸するのだが、その姿はそれこそ調理台で料理される食材並みの大きさだ。トコトコまな板を回り込みながら、湯気の立つ皿へと誘われていく。
フライパンから洗剤の泡を流しつつ、亘は目線を向けた。
「先に言っとくけどな、つまみ食いをするなよ」
「マスターってば失礼だね。ボクそんなことしないもん。ええっとさ、そう。運ぶだけなんだもん」
神楽は文句の声を張り上げた。外ハネしたショートの髪、白の小袖と緋色のスカート。その明るく元気な顔には、ギクリとした様子がちょっとあった。
この小さな悪魔は見かけによらず大食いで、きっと注意しておかねば、つまみ食いをするつもりだったに違いない。
「じゃあさ、持ってくからね。ヨイショと」
神楽は自分と同じ大きさはある皿を持ち上げ、頭上へと掲げた。つまみ食いするつもりでなく、お手伝いするつもりだったと行動で主張したいらしい。そのまま、背中の羽を煌めかせ食卓兼用のコタツへ飛んでいった。
亘は苦笑すると、ちょうど炊けた炊飯器へと手を伸ばした。
「いただきます」
「いっただきまーすなのさ!」
軽く手を合わせ、揃って夕食をとる。
ご飯に味噌汁に、適当な材料の炒め物と野菜のおひたし。そんな名もなき家庭料理で、格別美味しいものでもない。ホッとする味と言える。
神楽がビックリするぐらいの勢いで食べている。それは実に美味しそうな食べっぷりだ。ただし、その小さな姿が大量の食事をする姿は何度見ても驚きがあるのだが。
とはいえ、亘は満足そうな笑みを浮かべた。
これが見たいからこそ、面倒でも料理をしているのだ。いや、もう面倒という感覚すらない。だから、食べる前から炒め物の量が減っていた件については追及しないでおく。
「うん、今日も美味しいや。マスターってば凄いね」
そんな褒め言葉に亘は照れてしまう。褒められることに慣れていないため、誤魔化すように味噌汁をすすっておく。市販の味噌では味わえない芳醇な味に出汁がよく利き、なにより味噌加減が絶妙だ。
思わず腹の底から息をついてしまう。
「ああ、これは美味いなあ。やはり米に味噌汁の組み合わせは最高だ」
「そだね。でもさ、マスターってば料理の才能あるかもだね」
「偶々だろ、才能があるなら毎回同じ味が出せるはずだろ」
「まーた、そんな謙遜しちゃってさ。ボクさ、マスターのご飯好きだもん。だからさ、これからも美味しいの料理してよね」
「そうか……」
亘はポツリと呟いた。それは寂しげで虚しさを含む声であった。なぜって、料理するばかりでなく誰かに料理をして貰いたいわけで、ひいてはそれはそんな相手がいないということなのだ。
「どしたのさ?」
「いや別に。そうだな、ご飯の炊ける匂いと味噌汁の香り、そんなもので起こされてみたいと思っただけだよ。はははっ」
三十五歳独身の男は侘しく笑いながら、肉と一緒にご飯をかき込んだ。彼女とか嫁さんが欲しいとか、口にできる性格ではないのだ。そうして態とらしくガツガツと食べ誤魔化すのだった。
そんな様子を、神楽は食べる手を止め見つめていた。
◆◆◆
「ふふん、ボクにお任せだよ」
神楽はカーテンの隙間から差し込む朝日を浴び呟いた。
意気軒昂な様子で腕を組んでいるが、それはまるで胸を押し上げるようにも見える。身体こそ小さいが、そこは小さくはないのだ。
「さあ、驚かしたげるもんね。待っててよね」
リビングの少し開いた扉を見やり宣言する。その向こうは寝室に使っている部屋で、亘がまだ寝ていた。いつも神楽が起こすか、目覚まし時計が鳴るまで起きてくることはない。
望み通り、ご飯の匂いで起こしてあげようと神楽は笑う。きっと驚くだろう、褒めてくれるだろう。そんな期待を胸に料理を開始したのだった。
「まずはさ、これにお米を入れて、お水を入れるっと。そんで蓋したら、早炊きモードで完了なのさ。ほらさ、簡単だね」
神楽は自分の手際に感心した。炊飯器の操作だって、ちゃんと見て覚えていたので完璧である。けれど米や水の分量はいい加減なものであるし、米研ぎだってしてないのだったが。
そのまま小さな歌を口ずさみながら鍋を運んでいく。
「よいしょっと」
大きな音をさせないよう、そっとコンロに載せる。つまみを捻ろうとして、しかし上手くいかない。何度か試しては、ようやく押しながら回せば良いと気付き点火に成功する。
せっせと水を運んでは鍋に足していく。流し台下の開きにある陶器の味噌かめへとスプーンを突っ込み……はたと悩む。
「あれ、どんだけだっけ。でもさ、多い分にはいいよね」
そのまま山盛り投入すると、良い感じの色合いとなった。ただしそれは、味噌を溶いていないからだろう。さらに乾燥ワカメを投入する。両手いっぱいに抱えた量を、どっさりとだ。
そうこうする内に、炊飯器から蒸気が噴きはじめ……神楽は眉を寄せ唸った。
「なんか違う」
考えるがしかし、もう少しで炊き上がってしまう。気にしないことにすると、おかずの準備に取りかかることにした。
フライパンを運んで火にかけておき、卵を取りに行く。目玉焼きをつくるのだ。
「卵、卵っと。よいしょっ、どっこいせ」
冷蔵庫の扉を両手両足を使って、こじ開ける。全開にしておいたのは前に閉じ込められたからだ。こっそりケーキを狙ったあの時は、発見されるまでキャベツの葉でビバークした。同じ失敗はしないのだ。
卵を抱きかかえフヨフヨ飛びながら運搬していく。そのままフライパンの縁へと打ち付け割ろうとしたのだが……熱さに怯み、その拍子に手が滑ってしまう。
「あっ」
フライパンに落下した卵はグシャッと潰れ、そのまま殻ごと火が入りだした。
「どーしよ」
フライパンの上は灼熱状態で、近寄れやしない。菜箸を両腕に構え挟もうとするが、サイズのせいで上手くいかない。四苦八苦していると、開いたままの冷蔵庫がピーピー警告音を発しだした。
「えっ、なにさどしたのさ」
そばに行ってみるが、しかし神楽にはなぜ鳴っているのか分からない。冷蔵庫を叩いたり、音を消すスイッチがあるのではと探したりするだけだ。
炊飯器から噴き出す蒸気が勢いを増し、周囲に変な臭いが充満しだす。あげく味噌汁が噴出した。突沸と乾燥ワカメとの相乗効果によるものだ。飛び散った液体でコンロがジュウジュウと激しい音をたてる。
「あああっ、どうしよう! これどうしよう!」
神楽はすっかり混乱し、今にも泣きそうな顔で右に左に飛び回るばかりだ。もう冷静さを失ってしまって、どうにもできない。
「おいなんだ? この臭いはなんだ」
奥の扉が開き、寝ぼけ眼でパジャマ姿の亘が登場した。ボンヤリしながら鼻をひくつかせていたが、事態に理解が追いつくや素早い動きを見せた。
「あのねボクね。ご飯つくりたかったの。ごめんね」
神楽は卓上で女の子座りしながらションボリ呟いた。両手を足の間で挟み、項垂れ落ち込んでいる。背中の羽もヘタリと垂れているぐらいだ。
台所の惨状は、すでに亘の手で片付けられていた。そしてもう一方の惨状として、卓上には出来上がった料理が並ぶ。おこげ状のご飯に、ワカメの味噌煮のようなもの、大きな殻だけ取り除いた焦げた玉焼きだ。
「ふむ」
それらと神楽の姿を交互に見やり、亘は箸を手に取った。
崩れた目玉焼きを食べだすが、口の中からガリガリとした音が響く。それにも構わず食べ続け飲み込んでしまう。
神楽は虚を突かれた顔でそれを見つめた。
「あのさ、そんなの食べなくったっていいんだよ」
「せっかく神楽がつくった料理なんだ、食べる」
「マスター……」
泣きそうだった神楽の顔は、亘が食べるにつれ、どんどんと明るい笑みへと変わっていった。背中の羽も花開くように広がっていく。
「あのさ、ボクさ、次はさ。きっと上手く料理するからね。期待しててよね」
「いやよしてくれ」
亘がワカメを噛む。味噌の塊は避けているが、塩っぱそうに苦悶しながら汁を飲んでしまう。神楽はもう最高に嬉しそうだ。胸の前で両手を組み合わせ、潤んだ目をしている。
「任せてよ、次はきっとさ」
「や、め、ろ」
一言ずつ区切りながら呟き、亘はおこげ状のご飯をもバリバリと噛み砕いていく。もう神楽の笑顔は零れんばかりで、えへえへと声をあげている。
「大丈夫だからさ、きっと美味しいご飯をつくってみせるんだからさ」
「だからやめろと言ってるだろ」
やいやい言い合いながら朝ごはんを食べる。亘も神楽も不味そうに顔をしかめつつ、けれど食べる手は止めなかった。
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