記念SS第6話 とても為になります

 小学校の体育館から鋭い気合いの声や足を踏みならす複数の音が響いていた。時刻は夕方を過ぎ夜に差し掛かる頃合いであり、中で活動する者は子供ではない。耳に届く声からも、それは間違いないことだ。

 車を降りた亘はやや緊張の心持ちであった。トートバッグを肩にかけ、左手に長い筒状の鞄を持ち入り口を目指し歩きだす。

 そっと顔を覗かせた体育館の中には、十人近い男女の姿があった。年代層はバラバラで二十代から六十代までといった感じだろう。

 入り口に現れた亘の姿に気づくなり、動きを止め無言で見つめる。

 とりあえず明るめの声で挨拶をしておく。

「こんにちは」

 そんな亘の元へ、能面のように冷ややかな顔の青年が近づいてきた。腰に差しているのは日本刀だ。ギスギスして余裕のない表情のとおり、大股で袴の裾を翻しながら踵で歩いてくる。

「どちら様ですか、稽古の見学でしたら、事前に申し込みを頂かねば許可できません」

「いえ、そうでなくてですね」

「その荷物は……申し訳ありませんが、他流派の方を参加させるわけにはいきません。お帰り下さい」

「ええっと」

 男は亘の持つ長い筒状の鞄――それは刀鞄――に気付き、表情を険しくした。通せんぼするように、身体で圧迫して押し出そうとしてくる。

 奥から別の青年が慌てて走って来た。

「石口さん、待って下さい。その人は門人ですから。以前に話したことのある五条さんですよ。ほら、今のところ休会中の」

「なるほど、当派の門人でしたか。でしたら、やはり事前に連絡を頂かないといけませんね。今回は大目に見ますが、次回からは注意して下さい」

「それは、すいませんね」

「我々は武人としての心を磨くべく、居合いの技を身につけるのです。物事を先の先まで見通すならば、事前連絡など当たり前でしょう。あなたには五輪の書を精読することをお勧めします」

「まあまあ石口さん、そこまでに。さあ五条さん、お久しぶりですね。更衣室で着替えましょう」


 亘は更衣室で下着姿になると、まず胴衣を身につけていく。袖を通すのは久しぶりで、折り目がくっきり出てしまうのは仕方がない。帯を巻きかけたところで一瞬迷うが、手の方が覚えていて自然と貝の口に結びだす。

 そんな亘へと、一緒に来た青年の朝野が話しかけた。こちらは、人の良さげな朴訥な顔である。昔のとおりなら、見た目そのままの性格だ。

「しかし珍しいですね。どうしてまた、今日は稽古に?」

「それは……ちょっと時間が出来たもので」

 亘は口ごもりながら袴に足を通した。

 なにせ、異界で悪魔と戦うようになり、少し腕でも磨こうかと思ったのだ。そんなことは言えやしない。都合が悪くなった時の癖で話題を逸らした。

「あの人、石口さんって名前の人。仕切っているような感じですね」

「ええ。五条さんが休会されて、ちょうど入れ替わりみたいに入門しましたよ。今は師範代をやってますよ」

「師範代? 休会してからっていうと……三年程度で!? それも、朝野くんを差し置いて? それよりも他の皆はどうしたんです? 知ってる顔が全く居ないようで。しかも清さんとか、正さんとかは?」

「ええ、それは……そうですね。稽古の後にでも、お話しします」

 朝野は話題を逸らすことなくきちんと応えてくれる。やはり昔の通り、人の良い青年だ。足袋のこはぜを留めながら感心した。


 居合刀を手に館内へと戻る。

 まず袴の裾を正しながら正座し左脇に刀を置く。正面に対し一礼、向きを変え皆に対し一礼。刀を持ち上げ縦にすると、眼前で右手に持ち替え重ねた帯の一枚目へと通す。

 そんな動作は身体が覚えていた。

 久しぶりに帯刀をすると緊張する。その心持ちを落ち着けるためと、安全を確認するため周囲を見回す。ついでに、他の稽古者を眺め――そして愕然とした。

 長年稽古に来なかった亘に言う権利はないが、師範代と教えられた石口も含め、まるでお遊戯。気合いの声など「えい、やあ」ぐらいのもので、昔のような「エイッ! ウラァ!」の気迫など全くない。まるでカルチャースクールだ。

 ただ一人、隅で黙々と刀を抜く朝野だけが、かつてのまま鋭くキレのある居合いをやっている。

 亘は目を閉じ心を落ち着けた。

「……やるか」

 二本の指で摘まむように鞘を持ち上げる。右手を下から持ち上げるように柄へとかけ、緊張を振り払うように刀を抜き放つ。

 大した腕前ではない。

 以前いた門人たちの中では一番の下手だった。しかも三年のブランクがある。それでも周囲の者が驚愕するのは彼らの腕が未熟なのか、それとも実戦経験をくぐり抜けた亘の殺気からなのか。どちらなのか。

 亘は無心になろうとしつつ、けれど果たせず己の技を誇示するように居合いを続けた。まだまだ修行と修養が足りていない。


 大量の汗で下着がべったり張り付き気持ちが悪い。

 体力的な問題はないが、汗が滴り落ちるため休憩する。調子にのって汗だくで続けたことがあるが、気づかず落ちた汗で刀身に染みが出来たことがある。打ち粉で何度か手入れをして取れたが、同じ失敗はしたくない。

 ひと息つこうと立ち上がると同時に――。

「なにやら、元気のよいのがおると思えば、五条ではないか。久しいな」

 体育館の入り口に作務衣姿の恰幅良い老人が立っていた。水戸黄門のような白髭を生やしている。記憶にあるより少し年老いているが、相手が誰か分からないはずもない。

 亘は驚きを顔に表した。

「羽芝師範お久しぶ――」

「これは師範先生様! 稽古にお越し下さり、ありがとうございます!」

 けれど、大声でかき消されてしまう。

 その石口は小走りで師範へと駆け寄ると、他の者も先生先生と挨拶をしに集まっていく。動いていないのは亘と朝野ぐらいだ。

「師範先生様に来て頂きまして、門人一同感激に打ち震えております!」

「おお、そうかそうか」

 寒気のするような石口の言葉に師範は鷹揚に笑い、そのまま取り巻きを連れて亘の元へとやって来た。

「何年ぶりになるか分からんが、五条は元気だったようだな」

「はい、三年ぶりになります。長いこと稽古に来られず、申し訳ありません。羽芝師範もお変わりない様子で」

 だが、横から石口が口を挟んでくる。

「あなた、いけませんね。その呼び方は師範先生様に対して失礼です」

「はい?」

「師範先生様と、きちんと礼を持ってお呼びすることが、武人としてのケジメであり、門人としての礼儀というものです」

「はあ……」

「よいよい、この通り先生は気になんぞしておらんぞ」

 師範は鷹揚に笑い窘めるが、むしろ亘はその一人称にこそ戸惑った。以前は、『俺』だったものが『先生』になっている。

「どれ、先生が皆の稽古を見てやろう。頑張らねば破門してしまうぞ、それ頑張れ。うわははははっ」

「さあ皆さん! 師範先生様に見て頂けるのです。これぞ門人の本懐! 頑張りましょう!」

「「おーっ!」」

 石口の声に門人たちが気合いの声をあげる。そんな様子を亘は黙って見つめていた。


◆◆◆


「どうだ、近くの店でコーヒーなんぞ飲みながら話をするとしよう。居合いは技ばかり鍛えてもいかぬ。頭と心を鍛えぬとな」

 師範が稽古を見ると言っても、本当に見るだけで大した指導もしない。それどころか稽古自体を早めに切り上げさせてしまう。

 しかも師範が胴衣を脱げば、素早く駆け寄った石口が恭しく受け取り畳みだしている。最初の着替えの時だって、石口が甲斐甲斐しく手伝ったぐらいだ。

「師範先生様のお話は、とても為になります!」

「そうかそうか。石口くんのように日本の未来を憂いる若者がいて、先生も嬉しいぞ」

「はいっ! 日本を裏から牛耳ろうとする米帝国財団の存在! あれを知って私も世の中を見る目が変わりました! あの話をもっと世に広めねばならないと、ホームページに先生のお話を掲載したいと考えております」

 石口は師範の胴衣と袴を畳むと風呂敷で縛り、自分の荷物と一緒に手に提げた。さらに残りの荷物にも手を差しだす。

「師範先生、お鞄をお持ち致します」

「んむっ、良い心がけだ」

 鷹揚に自分の荷物を手渡した師範は出て行きかけ、ふと振り向いた。といっても、軽く顔を向けただけだ。

「どうだ、五条も行くか」

「残念ながら、明日の仕事のため早めに戻りますので……」

「そうやって組織に使われておってはいかんな。たとえ組織と喧嘩してでも、自分の意思を通すぐらいの気概を持て。まあよい、それよりもっと稽古に来ねばいかん。どうにも動きに無駄がある」

「……そうですか」

 異界で何体もの悪魔と戦った経験を想起し動いていたことを見抜かれたのだろうか。確かにそれは居合いとして無駄は無駄だろう。

「よいか良く聞け、この石口くんは稽古のために二時間もかけて通って来るのだ。五条もやろうと思えば、やれぬことではなかろう」

「はい、そうですね」

「真の武人になるためには、それぐらいの覚悟が必要だ。よいな」

「はい」

 亘はあくまでも素直に頷く。表情を取り繕うことは職場で修行を積んでいるのだ。そして、取り巻きを連れ体育館を出て行く師範の姿を見送った。


 亘と朝野の二人だけで床のモップ掛けをする。

 稽古後に掃除をすることは入門当初に厳しく指導されたことだ。教えた本人は忘れているようだが、教えられた者は忘れていない。

「清さんは破門されましたよ」

「破門!? なんでまた!」

「師範に意見して、そのまま破門……何を意見したかは知りませんが。きっと、石口くんのことでしょうね」

「確かに、あれは良くない」

 石口を思い出し頷く。短い間でも、その人となりは良く分った。あれは人を腐らせるタイプの人間だ。取り入ろうとして、媚びて賞賛して相手に尽くす。そんなことをされて、嬉しくない人間はいないだろう。

 居合いなんて、世間では色物なマイナー活動だ。師範がコロッと参ってしまったのは想像に難くない。煽てられるままに増長し、人が変わってしまったのだ。

「まさか、正さんも?」

「正さんは、清さんが破門された様子を見て自分から辞めました。そうやって、残った人が次々辞めてく一方で石口くんが……まあ、師範のお気に入りですからね」

「……そっか」

 亘は天井を仰いだ。体育館特有の高い天井で、古いタイプの水銀灯が眩しい光を放っている。もう、ここに来ることはないだろう。見納めだ。

「でも最後に五条さんに会えて良かった」

「というと、もしかして」

「ええ、もう辞めます。ずるずる続けてきましたけど、もうダメですよ」

「それはそうだろうな……」

 寂しく笑いながらモップがけを終えると、最後に二人揃って体育館に一礼し別れを告げた。


「ちょっとさ、ボクがやるの! なんでマスターがやろうとすんのさ」

「だから上着ぐらい自分で干すって言ってるだろ」

 アパートで亘は神楽と上着の取り合いをしていた。両手に持った上着をひらりひらりとさせ、突進する少女を躱してみせるのだ。その様子はどことなく外国の闘牛を思わせる。

「ダーメ、それボクがやるんだもん」

 師範と石口の姿を見て、亘なりに反省したのだ。

「このぐらい自分でやる。いや、やらねば人としてダメになる」

「ダメなのはダメなの! ボクがマスターの世話するんだもん」

 ついに捕まえた上着をしっかと握りしめ、神楽は声を張り上げる。

 身の回りに都合良い者だけ揃えば人は腐る。一方で、そうでない者ばかり揃えばストレスが溜まる。世の中とは、なんてままならないのだろうか。

 こんな取るに足らない言い合いが出来るぐらいの関係が一番良いのだろうか。

 頷いた亘は上着を手放した。

 それで神楽は勢い余って壁に頭をぶつけてしまう。恨みがましい目を向けられ、つい笑ってしまいひと悶着起きるのであった。

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