第111話 きっと大迫力

「くあーっ」

 エルムの横で、うたた寝していた金色の髪をした少女が盛大な欠伸をした。大口を開けてなお整った顔だが、喉の奥まで見せては清楚なお嬢様風の雰囲気が台無しだ。

 緋色の瞳と驚くほど整った容姿を除けば、ごく普通の少女に見えるが人間ではない。亘と契約し従魔として使役される悪魔である。

 セーラー風の白いワンピース姿は人間そのもので、悪魔の存在を知るチャラ夫とエルムでさえも、中々従魔だと信じてくれなかったぐらいだ。

 欠伸を終えたサキは口を閉じると、ボーッと辺りを見回す。ヒョイと座席から降りると、七海とエルムの足を押しのけながら亘に近寄る。

「膝のる」

 亘の足によじ登り跨がると、後ろ向きにお尻でずりずり移動する。女の子としてどうかという仕草だが当人に、そして亘にも気にした様子はない。

 ポジショニングを微調整すると、そのまま亘の身体にもたれ掛かって定着する。

 亘からすると、ちょうど顎下にサキの頭が来るので顎置きにぴったりの位置だ。そうして微かに香る良い匂いを堪能している。隣の七海が少しばかり羨ましそうな色をみせたが、グッと堪えて何も言わない。

「起こしてまったんか、ごめんやで。それにしても、サキちゃんってば甘えん坊やな。こうして見ると、まるで親子や」

「ふふん。特等席」

 サキは得意そうな顔をすると、亘の手を掴みシートベルトよろしく自分の腹の前で組ませてしまう。引っ付くと暑くはあるが、弱冷房車にしては強めの空調なので丁度良いぐらいになる。亘の手で隠れてしまうような、ぺたんとした腹に手をやり悪くない気分だ。


「そうだ、サキの水着をありがとな」

 それは七海への礼だ。

 従魔の装備や衣服は、『デーモンルーラー』内にあるDPショップで購入できるが、元が野良悪魔であるサキは利用できない。無理矢理従魔になったせいであり、例えるなら不正製品であるため正規サービスが使えないようなものだ。

 そのため、実際に店に行って購入する必要があったが、亘は仕事で忙しいため買いに行くことが出来なかった。それで七海にお願いしたのだ。もっとも、それはサキにとっても良かったに違いない。亘が選んでいたら、きっとスクール水着を選んでいただろうから。

「買い物は楽しかったですから、全然構いませんよ。それに、五条さんの役に立てましたから。また何かあれば言って下さい」

「ちょーっと待った。あん時はウチも一緒に選んだんやで」

「そりゃすまん。ありがとな」

 手をビシッと差し出しエルムが自己主張するものだから、亘は苦笑してしまう。これまで友人も知人さえいない状況だったため、こうした言葉のやり取りが妙に楽しかった。

「よろしい。でもな、選ぶに一番大変やったんはナーナやで。そらもう大張り切りでな、どんな水着にしよう言うて、迷うわ迷う」

「ん、確かに」

 亘の腕の中でサキまでもが頷くので、きっと大変だったのだろう。一方で難物扱いされた七海が顔を真っ赤にさせる。

「だって、ちゃんとした可愛い水着を選ばないと……」

「そやなー、ニシシッ。まあ楽しみは後にとっておくもんやが、あれは凄いでー」

「凄いの!」

 そう叫んだのは亘ではない。背中合わせの向こう側からの声だった。とりあえず背もたれに頭突きすることで、黙らせておく。

 その間に七海は赤い顔をさらに赤くし、ワタワタと慌てて手を振った。

「普通です! 普通のビキニです!」

「…………」

 亘はちらと七海に――主に胸辺りに――目をやり、そのビキニ姿を想像した。きっと凄いに違いない。

 そんな話やら想像をしていると、車内アナウンスが目的駅の名を告げる。気の早い乗客が降車準備を始め、列車内の雰囲気がざわつきだした。誰もが到着先の海への期待に満ちている雰囲気だと分かる。

 それは亘も同じで、ワクワクした気分でいっぱいだった。

「ようやく到着か」

 出発から特急列車と普通列車を乗り換え、かれこれ四時間である。ずっと楽しく過ごしていたので、あっという間ではあった。それでも長時間座りっぱなしだったため、肩と腰が痛くなっている。

 気の早い亘はサキの両脇に手を入れ膝から降ろすと、年寄り臭い仕草で腰をトントン叩きながら立ち上がる。そして網棚に置いた荷物に手をかけた。


◆◆◆


 列車を降りると潮の香りが鼻をつく。冷房に慣れすぎたせいで、むわっとする熱気を強烈に感じてしまう。そんな僅かに弧を描くホームには、同じように大荷物を抱えた集団が次々と列車から姿を現していく。家族連れも多いが、若い男女の集団も多かった。

 中には明らかに学校の友人同士といった雰囲気の集団もあり、きっと誰かが音頭をとって遊びに来たに違いない。そうした集団の中には必ずといっていいほど、一人だけハイテンションになる者がいて周囲から浮いていた。

 ワイワイ通り過ぎる高校生の男女を羨ましげに眺めていた亘だったが、ふと我身を振り返り、自分たちがどう見えるか気になってしまう。

 いかにも青春な七海とエルム、ついでにチャラ夫。少し年上のキセノン社の女性たち。そこにサキを連れた亘が加わると、果たしてどう見えるのだろうか。むむむっと悩んでいると、七海が不思議そうに小首を傾げる。

「忘れ物ですか。今ならまだ間に合いますよ」

「そうじゃない……いやさ、自分たちの集団は、どう見えるかと思ってな」

 いつもなら言葉を濁してしまう自分の考えを、今日に限っては素直に吐露してしまう。やはり旅行という環境が心境を変化させているのかもしれない。

 七海がつつっと隣に並んでみせた。

「どうでしょう。こうするとカップルに見えないでしょうか」

「はははっ、カップルか。それはいいな」

「えっ」

 七海が目を見開く。喜びより驚きが強い、信じられないといった顔だ。いつもなら、しどろもどろに照れて誤魔化されてしまうのだ。子犬なら尻尾をぶんぶんしそうな顔で見上げ、グッと手を握る七海だった。

「俺っちが見ると、どう見ても親子……あだだだ! 酷す!」

「黙っときや」

 余計なことを言いかけたチャラ夫だったが、エルムに頭を叩かれサキに脛を蹴られ悶絶した。

「そうか親子か……」

 亘が寂しげに呟いたため、七海までもが別の意味でグッと手を握りしめチャラ夫を睨んでいた。


 風情のない発車メロディと共に列車が出発すると、突然目の前に広がった鮮烈な風景に息を呑んでしまう。

 強い日差しの中で青い空と海。どの色も鮮烈だが最も濃いのは海の青。白い雲と草木の緑が絶妙に配置され、張り出した駅舎の屋根がまるで額のような印象を与える。

 風景を切り取った一枚の写真のようだ。

「ああ、こんな風に海を見るのは何十年振りだろうか」

 思わず年寄り臭いことを口にしてしまう。海の景色なんてテレビやネット画像か、直接見るにしても通過交通の中で見る程度のものだった。こうして潮の香りを嗅ぎ、夏の暑い空気を吸いながら眺めるのは本当に久しぶりだ。

 最後に海に来たことを思い出せば、二十年以上は記憶を遡らねばならない。家族で海に来たのはいいが、途中で両親が喧嘩をしだし海辺の駐車場から楽し気な海水浴客たちをポーッと見ていただけだ。

 それからずっと海に来る機会なんてなかった。

「何十年ってマジすか。俺っちなんて、毎年来てるっすよ」

「チャラ夫君やと、どうせナンパ目的やろな。そんで毎年玉砕っと」

「ど、どうしてそれを! まさかエルムちゃんに、見られてたっすか!」

「そんな訳あるかいな。チャラ夫君の行動なんて、そんなもんやろ」

「そんなもんって、酷す!」

 亘はため息をついた。外野が騒々し過ぎて、じっくり感慨に浸ることも出来やしない。軽く頭を振って眼下の海水浴場を見やる。砂浜には大勢の人が見え、大賑わいだ。

 他の乗客たちは、とうに改札に向かってしまった。ゆるやかにカーブする長いホームには残っているのは、亘たちだけになっている。

「兄貴っ、ほら早く行くっす。海に行って、遊ぶっすよ!」

「そんなわけないだろ。まずは宿に行って荷物を置いて、それから異界だろ」

「ちょっ、そんなのないっすよ。まずは海っしょ!」

「夏休みの宿題と一緒だ。まず面倒なことを先に片づけ、それから遊ぶ。そういや、夏休みの宿題はやってあるのか?」

「うぐっ」

「ウチらは終わらせたで。ナーナと一緒に勉強会したで」

「始めに終わらせると、後は好きにできますからね」

 チャラ夫は夏の終わりに慌てるタイプのようだ。七海とエルムが終わらせたと聞いて、がっくり項垂れてしまう。


 それを笑っていると、怜悧な表情の女性が現れた。キセノン社の社長付き秘書の藤島だ。今日はレディーススーツではなくラフな私服だが、ひっつめ髪に銀縁眼鏡は変わりがない。

「五条様、申し訳ありませんが、異界攻略は翌日の予定となっております」

 前に亘が悪いとはいえ、ひっぱたかれたことがある。それ以来、この一回り近く年下の女性が苦手だ。そのため極力存在を気にしないでいたが、実は列車の中からずっと一緒だった。亘にとって、楽しい旅行における唯一の気が重い対象である。

「あ、そうなんですか」

「さすがに、到着したその日に攻略に行くバ……失礼、無茶をされるとは思っておりませんでした。申し訳ありません」

 言葉は丁寧だが、端々にキツイ皮肉を感じるのは気のせいだろうか。

「お荷物の方は、私どもが宿まで運んでおきます。よろしければ夕方まで海水浴を楽しまれてはいかがでしょうか」

「やったっす! 海っす! 遊ぶっす!」

「ええ、チャラ夫様もどうぞ遊んできてくださいね」

 おや、と亘は眉を顰めた。

 チャラ夫に対する藤島秘書の態度が柔らかい。四時間も一緒に列車の中で過ごしたせいか、すっかり仲良しではないか。さすがはチャラ夫だ。人懐こい性格のせいか、皆からなんやかやと可愛がられる。藤源次しかり藤島秘書しかり、そして亘しかり。

「分かりました。お言葉に甘えて海に行かせて貰います」

「イエーっす! うーみーっす!」

「イエーッ! 海やで!」

「い、いえー……」

 若者たちが揃って歓声をあげ、ジャンプしたり手をあげている。なお、つい参加してしまった七海だが、恥ずかしそうに下を向いてしまう。なお、サキは我関せずと駅舎の壁にとまった蝉を睨んでいる。

「それでは、荷物は外でお預かりします。そちらまで運んで頂けますか」

「うぃーっす。さあ、藤島さん早く行くっすよ。早く早く」

「かしこまりました」

 藤島秘書は、大はしゃぎするチャラ夫に優しく笑いかけ歩き出す。これからはチャラ夫に対応させるべきに違いない。

 他の社員はとうに移動しており、ホームに残っていたのは亘たちが本当の最後だ。小さな駅舎のわりに広い改札口を通り抜け、駅前の混雑するコンビニを横目に少し歩く。海に近づいたせいか磯の臭いが一際強まっている。

 そして砂利敷きの駐車場へと移動すると、藤島秘書がワンボックスカーのトランクを開けた。

「貴重品も責任を持ってお預かりしますが、心配でしたらご自分でお持ちになって下さい。海に入られるなら、着替えをお忘れにならないように」

 テキパキとした藤島秘書の注意を聞きつつ、ビーチサンダルを取り出すなど準備をしていく。それが終わると若者たちは意気揚々と駆けだすが、亘はキセノン社の社員たちの羨ましげな目を気にしないようこそこそ海へと向かった。

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