第311話 功には礼をもって接せねば

 エルムは楽しげにレベル上げの話をして頷いた。

「――とまあ、そんな感じやったんな」

 聞いていた正中と志緒は何とも言えない顔で黙り込んでいる。

 同じく聞いていたNATS本部の職員たちは、一斉に力尽きた。ぐったり机に突っ伏している者がいるかと思えば、椅子から崩れ落ちそうな様子で寝ている者もいる。さらには虚脱状態や両手で顔を覆った者までいた。

 彼らは朝方に突発的かつ局地的な大量悪魔の出現が観測され、NATS本部が上を下への大騒動。とにかく特別警報を発令し、各方面へと警戒を促し戦闘に備えさせたのだ。しかし特別警報はあっさり空振り。あちこちから苦情や嫌味や文句が寄せられ、今後の対応に頭を痛めていたのだ。

 だからエルムの話で原因を知って、力尽きてしまったのであった。

 正中は、この原因を上層部や他関係省庁にどう説明したものか悩んでいる。

「長谷部君、これは……」

「いえ言わないで下さい。この原因はこのまま聞かなかったことにするのが一番ではないかと、私は思います」

「しかしね、情報として伝えておかねば」

「よろしいでしょうか、どうせ悪魔関連は不明事項が多いです。その不明事項が一つや二つ増えたところで、誰も気にしません。それこそ五条さん流に言うのでしたら、報告したところで誰も幸せにならないってことです」

「……確かに」

 正中と志緒は保身にはしった。

 官公庁の厄介なところは、下手に報告をあげれば、船頭多くして何とやら。興味を惹かれた各所の偉い人が、五月雨的かつ執拗に追加報告の要請をしてくるのだ。すると、ただでさえ忙しいところに膨大な資料提出依頼が延々と押し寄せる。

 斯くして公的機関では、上層部に報告を上げずらい環境になっているのだ。お役所内で事なかれ主義が横行するのも、当然と言えば当然であった。


 今回もそのように黙って闇に葬れる筈であったのだが……。

「待たれよ、待たれよ。それは宜しからず!」

 たまたま部屋にやって来ていた大柄な男が大声をあげた。

 吊り目の鍾馗のような顔をして古い唐服姿は、古の武人といった雰囲気。これは左兵衛尉藤国吉と名乗る、稲荷一族の中でも有力な狐であった。気の良い狐ではあるのだが、暑苦しく空気を読めないのが難点だ。

 もちろん今も、正中と志緒が面倒くさそうな顔をしたのも気付いていない。出たっと、室内の誰かが小さく呟いたことにも全く気付いていない。

 左兵衛尉藤国吉は、こうしたタイプにありがちな通り、自分が迷惑がられている自覚が皆無。だから他人の話に嬉々として割り込み、いろいろと言ってくるのだ。

 ただし、いつもと勝手が違って何故か妙に渋い顔をしている。

「宜しくない。彼の人を蔑ろにするなど、彼の人も不機嫌になるであろうし、玉藻御前の系譜がもっと不機嫌になってしまうだろう。うむ、実に宜しくない」

 自分の言葉に自分で頷いて、ぶるっと身体を震わせてみせた。

「きっちと奏上し、彼の人を称賛せねば何かと宜しくないだろう」

「凄ーくまともなこと言うとるんやけど……なんやら怯えとらせん? もしかしてやけど、五条はんが恐いからって言うとらせん?」

 横で聞いていた正中と志緒が思っていても言わなかったことを、エルムはずけずけと言った。これで左兵衛尉藤国吉と親しいわけでもなく、せいぜいが顔見知り程度の仲だ。本人の性格によるところが大きかろうが、少女ならではの遠慮のなさもある。

 正中と志緒は顔を青ざめさせた。

 しかし、左兵衛尉藤国吉は軽く鼻を鳴らす程度にとどめている。

「待て待て、この俺は何も恐くはない、全く恐くなどないのだぞ」

「そうなん?」

「当然であろうが。蔑ろにすべきでないと言ったのは……つまり、そうしたことを蔑ろにするからこそ、人の間に不和が生まれ確執となって諍いが起きるからなのである。我らは、そうした事を何度ともなく見てきた。たとえば、天下を取りかけた男とて、配下を蔑ろにしたことで謀反を起こされ、あえなく命を散らしたのだ」

「天下とか言うとるけど。そら、いつの時代の話なんや」

「四か五百年前の事であるぞ」

「スケールが違いすぎやん。せいぜい五十年程度の話にしてな」

 エルムの裏拳突っ込みが炸裂した。

 レベルが上がっているせいか、左兵衛尉藤国吉がむせ返ったぐらいの威力だ。見ていた正中と志緒の顔から血の気が引いている。なにせ稲荷の一族のお陰で、この避難場のみならず人間たち全体の命脈が保たれているような状況なのだ。下手な事をして怒らせでもすれば、人類滅亡まったなしなのである。

 しかし、左兵衛尉藤国吉は気にした様子もない。

 それどころかエルムの態度で、厳つい顔に笑みを浮かべたぐらいだ。


「確かに少し前であったやもしれん。だがしかし、どれだけ時代が変わろうと人という生き物は変わらぬよ。つまり互いの間に礼節と尊敬の念を欠いては、いずれ生まれるは不和と憎しみの感情。よって、功には礼をもって接せねばならぬのである」

「なるほど。凄くええ話やん。そうやけど、口煩い親戚のおっちゃんみたいやんな」

「黙れ小娘、口が過ぎるぞ。だが、この我に意見するとは人間にしては肝が据わっておるな。気に入ったぞ、褒めてつかわす」

 言って左兵衛尉藤国吉は嬉しそうに笑った。しかも両手を腰に当て上体を反らしながらの大笑いであるので、どうにもこうにも暑苦しい。

 だが、その動きが凍り付いたように固まる。

 次の瞬間には脱兎の如く――この場合は脱狐と言うべきか――開いていた窓から飛び出していった。もちろん常人ではないため、三階という高さなど何の問題もないだろう。それにしても一切何の躊躇いもない上に、意味の分からぬ唐突な行動に室内にいた皆が驚いている。

 ざわつく皆の気持ちを代表したように、エルムが呟く。

「なんなん?」

 会議室のドアが開き、皆は左兵衛尉藤国吉が逃げ出した理由を知った。なぜなら、そこには書き上げた報告書を手にする亘の姿があったのだから。

 つまり狐ならではの鋭い聴覚、もしくは危険察知の本能で逃げたという事だ。

 エルムはこめかみを指で押さえつつ、深々と息を吐いた。

「やっぱ恐いんやないか」

 いきなりそんな事を言われ、しかも皆に嘆息された亘は戸惑った。

「どうかしたのか、何の話だ?」

「なーんでもない。それよか……そうやな。五条はん、ちょっと屈んでくれる?」

「いきなり何だ」

「いいから、いいから」

 亘に飛びついたエルムは、腕を引っ張りながら屈ませてしまう。それでも手が届かないため、軽く背伸びをして頭を優しい手つきで撫でてやった。

「偉い偉い」

「この行動は何のつもりだ?」

「んー、褒めてのお礼。功には礼をもって接せねばならんっちゅうんでな。ほら、レベル上げとか手伝ってくれたお礼」

「別に気にしなくていいが」

「あっ、それよかもっと別のがいい? 二人っきりでちょーっと、えっちいようなお礼とか? 五条はんも大胆やな」

 エルムは両腕で脇を締めて胸を強調させるような仕草をしてみせた。


「あんまり変な冗談を言うなよ。からかわないでくれ」

 きまりの悪い気分になった亘は姿勢をただし、軽く咳払いをしてみせた。

 流石にちょっと恥ずかしすぎるため、取って付けたように真面目な顔をしてみせる。ただし、ちょっとだけ嬉しそうな様子に明るい顔をしていることは間違いなかった。やはり褒められて嬉しくない者はいないのだ。

「倒した悪魔関係の報告書を提出しておきます」

「ああ、貰っておくよ」

 正中は受け取りながら軽く目を通すのだが、軽く眉を寄せ渋い顔をしている。何か拙いことを書いたかと亘は内容を思い返してみたが、特にレベル上げの顛末しか書いていない。さっぱり分からなかった。

「ところで五条君。明日から、新規採用者の指導になる。よろしく頼むよ」

「分かってますよ。午前中は説明で、午後からが指導でしたね」

「それについては少し変更となっている」

「変更ですか?」

「午前中に式典として、開催式を実施することになった」

「…………」

 亘の心情としては、空を仰ぎ見たいものだった。

 この期に及んで、まだ馬鹿馬鹿しくも悠長なことをしようとしているのだ。

「君の気持ちや言いたい事は分かるがね、上層部がどうしてもと言って聞かないのだよ。式典一つで後の物事がスムーズになるのだから我慢してくれたまえ」

 言いにくそうな言葉に、亘は嘆息一つにとどめた。

「ええ、まあ……構いませんよ。正中さんも間に入って大変でしたね」

「大人の対応に感謝するよ」

「自分も似たような苦労は多かったですから。ところで訓練期間の延長は?」

「特にない。式典も含めて予定の期日で行われる」

「それはまた……まあ、そういうものですね」

「あと、もう一つあってね」

 正中はさらに言いにくそうな顔をしている。

 通常であれば通知するだけのところを、亘の様子を窺い機嫌を損ねないように気遣っているのだ。なにせ正中の知りうる中で最高戦力であり、悪魔対策の中核と言って過言でもない相手なのだ。なにかと空回りはしているが、正中なりに亘に対し気を使っているのであった。

「終了時にも閉会式がある」

「…………」

 これまた溜息一つにとどめる亘であった。

 どれだけ緊急事態であろうと、どれだけ人々が苦しんでいようとも。平常運転で自分たちのやりたいことをやるのが上層部。ひいてはそれは、この国の組織というものであった。

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