第十二章

第150話 自転車に乗った親子

 小高い山の際に沿うように古い住居が点在し田畑が広がっていた。川と道路を挟む反対側に山を切り拓いた新興住宅地があり、真新しい住宅の屋根でソーラーパネルがキラキラと輝いていた。

 そんな風景の中で草刈りに励む男の姿があった。

 バリバリと小気味よい音を奏で草を薙ぎ倒すと、バッタやコオロギ、小さな名も知らぬ虫が一斉に逃げ出す。右から左、右から左へと肩掛け式草刈り機のヘッドを振り、少しずつ足を進めながら無慈悲に草を刈る。時折土を噛み、跳ねた小石が身体や顔を覆うゴーグルに衝突する。

 不意に小気味よいリズムが途切れた。

 刈り倒された草による最期の復讐なのか、草刈り機のヘッドに茎が絡みついている。摩擦によって回転が阻害され作業効率が低下していく。

「くそっ」

 悪態をつきゴーグルを跳ね上げたのは五条亘だった。作業用のボロ服に草刈り用エプロンを着け、軍手に長靴といった姿だ。エンジンを停止させ、汗に濡れた額を軍手で擦ると細かな草が付着する。


 惰性で回転する刃を土に押し付け停止させ、肩掛けベルトを外し草刈り機を地面へと降ろす。同じ姿勢ばかりで強ばっていた腕の筋を解すが、まだブルブルと振動が残っている気がした。腰を伸ばしながら首を回し、天を仰ぎながら顔をしかめる。

 強ばった膝を曲げ屈み込むと、絡まった草の茎に手を伸ばす。摩擦熱で生暖かくなったそれは、青臭いおひたしみたいな臭いだ。しっかり絡まり、力任せに引っ張らねば除去できない。けれど草の汁がヌルヌルして上手く外せやしない。

「ああもう! 面倒くさいな!」

 一度や二度ならともかく、少し作業しては絡まるとなれば、悪態をついてしまっても仕方がなかろう。

 そんな亘が草を刈る場所は、先祖伝来の田んぼだ。こうして草を刈らねばならないのは、耕作放棄地となっているからである。


 学校教育やテレビドラマの影響を受ければ、大半の者は安定した収入が得られる『就職』を目指すようになる。農地を所有していたとして儲からない――大規模農家なら話は別だろうが――あとは、会社勤めをしながら兼業農家をするぐらいだ。

 そしてそれも、転勤族になれば不可能。つまり、世の中の仕組み自体が農業というものを出来ないように仕向けているに違いない。

 これでは耕作放棄が増えるのもムリなからぬ。実際に周囲の田畑も耕作放棄が目立っており、完全な荒れ地も多かった。

「そりゃな、ソーラーパネルが増えるはずだよな」

 さらに最近は太陽光発電がブームだ。農地転用しソーラーパネルを設置さえすれば勝手に収入となる。国の政策の後押しもあって、上手い話に飛びつく者は少なくない。お陰で農地はさらに減少している。

 亘にも幾つもの誘いはあった。『お宅の土地で発電をしましょう。さあ今ならお得ですよ』といった、感じだ。

 しかしそれを選択しなかった。

 なにせ公務員をやっているので、国の政策なんて簡単に変わると熟知している。上手い話に裏や落とし穴があるのは世の常で、例えば二十年後三十年後に思わぬ不具合やトラブルが発生しないとは限らないではないか。なおかつ自分がそうした貧乏くじを引きやすいことは、これまで生きてきてよく知っている。

「でもまあ、こんな苦労をするならソーラーにすれば良かったかもな」

 ようやく草の茎が除去できた。

 ぶつぶつ言いながら、草刈り機の持ち手を踏みつけスターター紐を引っ張る。一度で始動せず、プライマリポンプをシュポシュポ、チョークをカチカチ調節しながら何度か試す。だが、なかなか再始動しない。年に数回しか使わぬせいか、どうにも調子が悪い。もしくは連続使用でオーバーヒート中かもしれないが。


 草にまみれた腕でもう一度額の汗を拭う。草刈り用エプロンは破砕された草が大量に張り付き、長靴も同様だ。首筋に入った破片がチクチクする。汗と草汁と砂埃にまぶされ、薄汚れている。

――アハハハッ。

 草刈り機をどうするか考えていると、楽しげに笑い声が耳をつく。顔を上げると、視線の先に真新しい自転車に乗った親子の姿があった。

「…………」

 ポロシャツを颯爽と着こなす父親と、カラフルメットにキッズプロテクターを装備した子供。川向こうの新興住宅団地の住人だろう。秋を感じさせる田園風景を楽しみ、親子で楽しくサイクリング中ということだ。

「…………」

 己の手に視線を落とす。草汁とオイルが付き、疲労で震えている。一段低い泥の中に立った自分と、綺麗な自転車に跨がった親子。羨ましさを通り越し、何の感情すら湧かない。

 ただボンヤリと眺めていると、健やかな声が響いた。

「おーい! 小父さん休憩しようぜ」

 呼びかける声で振り向く。少し離れた畔に立つのは、頭をタオル巻きした元気な少年――ではなく少女だ。長めの前髪がタオルで隠され、着ているのも亘のお古のジャージなので中性的雰囲気が一層強まっている。

 目が合うとイツキはニカッと笑う。軽く歯をみせた笑顔は明るく快活な雰囲気に満ちており、若い娘そのものの元気が全身に宿っている。周りは秋めいているが、そこだけ春が萌えるような元気さだ。

 我ながら単純と思うものの、胸の中でくすぶっていた怒りとか不満とか、一瞬でどうでも良い気分になってしまった。

「そうだな。草刈り機の調子も悪いし、少し休むとするかな」

「あっちの木陰で休もうぜ。疲れただろ」

 亘が自分で腰を指圧しながら歩きだす。横に並んだイツキの足取りは軽く飛び跳ねるようで、亘まで一緒に元気になるよう感じられた。

「うちの田圃も結構あるよな。こんだけ土地があるなら、俺も安心だぜ」

「なーにが、うちのだ。勝手なことを言うなよ」

「いいだろ。俺も将来は小父さんの嫁になるんだかんな」

 小父さんと呼ばるが血縁関係はない。嫁云々についてはイツキによる一方的な宣言だ。人里離れた隠れ里から、山を越え谷を越え亘の街へやって来た。嫁入り希望だそうだが、承諾はしていない。ただし同時に拒否もしておらず、現在棚上げ中だ。

 それでいて草刈りを手伝わせるにあたり、都合良く利用するようで少し罪悪感がある。


「ふぃーっ。どっこいせっと」

 年寄りめいた声をあげ畦に腰を降ろした。

 高い空は秋を感じさせ、鳥の種類は不案内だが群れて飛んで行く。近くの草にバッタが載り動きを止めている。辺りを穏やかに吹き抜ける風には、刈ったばかりの草の香りが含まれていた。確かにサイクリング日和だ。

 イツキは隣に座り、しばらく草刈り鎌を弄んでいたが脇に置いて胡座をかいた。女の子のくせに、そんな仕草をする。今日はズボンなので良いがスカートでも平然とやるので油断がならない。あげく、シャツの胸元を掴んで暑そうにバタバタしている。

 隣に座る亘としては背筋を伸ばし、精一杯の横目で覗こうとするしかない。

「あー暑っちい、汗でべたべたすっぞ」

「今日は暑さの戻りがあるからな。まだ風があるから助かるけどな」

「なあ、あっちに川があるだろ、後で泳ぎたいな。いいかな」

「ダメだ。そもそも水着がないだろ」

「そんなの別にいらないだろ」

 きょとんとするイツキの様子に、亘はため息をついた。やはり隠れ里出身だけあって、たまに常識が食い違う。もし裸で泳がれでもしたら、個人的には嬉しいが近所から何を言われるか分かったもんじゃない。

「せめて水着は着ろよな。それにこの辺りはな、昔から川であまり泳がないんだよ」

「へえそうなんだ。なんでだ?」

「百足ヶ淵という場所があってな、そこには昔それはそれは恐ろしい大百足がいて、村人や旅人を襲ったそうだ」

「へえっ! それで!?」

「それを某の藤太とかいう、偉い武将が倒してとっぴんぱらりのぷう。といった昔話があるせいかな、川で泳ぐと大百足の亡霊に引きずり込まれると言って、あまり川では泳がないな」

「ふーん。なあ、それってもしかして悪魔絡みじゃないのか?」

 イツキは目を輝かせた。ワクワクしている様子が見て取れる。

 悪魔といった言葉が出るが、別にゲームの話ではない。亘は悪魔を召喚し使役するアプリ『デーモンルーラー』の使用者である。そしてイツキの出身地であるテガイの里は、アマテラスと呼ばれる退魔組織の下位組織である。そこでイツキは対悪魔の忍びとして育てられてきたのだ。

 どちらも何度も悪魔と戦い、そして倒している。だから普通の人であれば腹を抱えて笑うような話を、大まじめに話し合えるのだった。

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