第160話 春風の如き麗しの姫

 境内の端に立ち、皆と一緒になって麓の景色を一望する。

「凄い景色ですね。木ばっかりですよ。見たことないですよ」

「そうか? 俺の里なんて、こんな感じだぜ。山の一番高い木に登るとな、遠くに海が見えるんだぞ」

「木ばっかり……どこにも家がない……マジかよ……」

 亘は呻き、視線をそっとアマクニに転じた。

 子供の頃に地域の歴史を調べる授業があった。それによれば、この地に人が住みだしたのは古く、律令国家時代にまで遡る。規模が大きくなりだしたのは戦国時代に入った以降で、完全な集落となったのは江戸時代になった以降らしい。住宅団地の開発で山が切り開かれたのは最近で、亘が生まれた以降になる。

 つまり何が言いたいかといえば。

 異界は形成時に現世の風景を、そのまま写し取るということだ。見渡す限りが緑なす森であるならば、相当古い時代に成立したことになる。そこで異界の主を務めるアマクニもまた長い年月を存在し、DPと力を蓄えた強大な存在ということだろう。

 思わず抱いた亘の畏敬の念など、素知らぬ顔でアマクニが微笑む。

「どうだい、いい景色だろう。それでね、異界を出たら今の世界を見てごらん。人間の営みの凄さってものが、きっと感じられるだろうから」

「人の営みで森が切り拓かれ、山がなくなって。そんな自然破壊ってことですか?」

「うん? どうしてだい。君は変なことを言うもんだね。人間の営みだってね、自然の一部ってもんだろ」

「そうですか……ああ、そういうことですか」

 亘は勝手に納得した。

 例えばだ、人が木を切れば人は自然破壊と思い、虫が木を枯らせば自然の一環と思う。それは全部、人間視点での区別でしかない。その枠に囚われない存在であるならば、人の行為だろうが虫の行為だろうが同じになるのではないだろうか。

 やはり人の姿をしても神は神なのだ。人の同じ視点で考えると思ってはいけない。亘はそっと肝に銘じた。

「もう一つ用事。それを片付けたら、外に出て改めて見てみますよ」

「そうするといい。さて、そうだったね。もう一つの用事だったね、まあ大した用事ではないのだがね。ちょっとしたお願い程度だよ、悪魔退治のね」

「そうですか、それなら良かった」

 サラッと言ったアマクニに、亘もまたサラッと答えた。周りで聞いている方がギョッとしている。

「ちょっとマスターさ、良かったじゃないよ。悪魔退治だよ、もっと緊張感を持ったらどうなのさ。危険かもしれないんだよ」

「大丈夫だろ。職場じゃあるまいに、アマクニ様が騙し討ちみたいな無茶ぶりするはずないだろ」

「君の職場は一体……まあ、それはいいか。ちょっと興味があるから、今度でも教えてくれ。私がお願いしたいのは、少し昔に封印した悪魔が復活する頃合いなんで、来たついでに退治していって欲しいんだよ」

 まるで遊びに来たついでに、裏の畑でひと仕事してくれと頼む感じだ。

「封印した悪魔? それってもしかして……」

「人の間でも言い伝えは残っているかな。この辺りを荒らした大百足のことだよ」

「俺知ってるぞ。小父さんが言ってた昔話に出てくる大百足なんだな」

「ほらさ。そんな昔話に出るような悪魔だよ、凄く強いに決まってるよ。危険だよ」

「DPは多そうだが……」

「マスターってば、またそんなこと言ってさ!」

 神楽が腰に手をあて、ガミガミ文句を言う。全ては心配してのことだろうが、亘は適当にあしらい聞き流す。

「あー、はいはい。それにしても、こっちの異界に居たのか……」

 伝承の残る場所付近を捜索し異界が発見できなかったため、単なる伝承か既に倒され消滅したと考えていた。このアマクニが支配する異界に封印されているとは思いもしなかった。

「別に私が退治したっていいがね……どうも私は力加減が下手だ。いつも、つい外の世界まで余波が及び災害を起こしてしまう。ほら、土砂崩れとか起きているだろ」

「ああそれで……」

 亘は額に手をやった。

 昔から大百足の祟りと地元で言われてきた災害の原因は、どうやらアマクニだったようだ。しかし大百足の復活が発端なら、やはり大百足の祟りで合っているだろう。なんにせよアマクニが嫋やかな見た目に反し、恐ろしい力を持つのは間違いない。

「どうだい、引き受けてくれるかい?」

「そうですね……」

 少し考える。

 もしアマクニが戦えば、その余波で百足ヶ淵付近で災害が発生する。そこは、この近辺の主要道路が通っている。もし土砂災害で塞がれてしまえば、街に出るまで相当大回りせねばならない。通行自体は一週間もせず確保されるだろうが、今度はその災害復旧工事として工事車両がわんさと押し寄せ騒々しくなる。実に面倒ではないか。

 亘の考えは、どこまでいっても自分本位でしかない。

 けれど、人々の安心安全のためなんてお為ごかしを口にするより、よっぽど人間らしい考えであった。

 一頻り考え承諾する。

「分かりました……大体の場所は分かりますけど、これだけ地形が違うと迷うかもしれないですね」

 見渡す限り緑の森だ。いくら地元出身とはいえ、これだけ地形が違えば迷う。特に俯瞰視点でなく、実際に歩いて行くと確実に迷うだろう。

「それなら大丈夫だよ。件の竜が住まう異界から助っ人を呼んだからね。彼なら川の場所まで問題なく案内できる」

「えっ、それって……」

 心当たりのある亘と七海は顔を見合わせた。件の竜とは雨竜のことだ。その住まう異界と言えば、思い当たる節は一つしかない。まさか、と神楽も小さく呟き辺りを見回している。

 そこにゲコゲコと機嫌良さげな鳴声が聞こえ、予想は確信へと変わった。


◆◆◆


 境内に小柄な子供ほどの大きさをした悪魔が現れた。

「おお春風の如き麗しの姫よ、お呼びに預かりスオウめが参上しましたぞ……って、なんじゃい! お主はあの時の卑怯者ではないか! クエケーッ! ここで会ったが百年目!」

 蛙顔の目はギョロリと大きく紅色をしている。子供なら丸呑みできそうな大きな口で、そこに赤く長い舌が覗く。身体は黒みがかった緑茶色で、小さなイボがデコボコとしている。それに比して腹は白く滑らかで太鼓のように膨らんでいた。頭部に申し訳程度の銀髪が載り、手足はデフォルメされている。そんな蛙だ。

 ただし滑稽さはあるものの、可愛らしさはない。

「やっぱりスオウか……」

「なんじゃい、なんじゃいその失礼な態度わっ。はっ! まさか桜の姫が儂にお声掛け下されたのは、此奴から御身を守ろうとしてのことか! やらせはせん、やらせはせんぞ!」

 スオウは歌舞伎役者のごとき見栄ポーズで威嚇する。おかげで、従魔である神楽とサキが戦闘態勢をとって一触即発な雰囲気だ。

 けれど亘は呆れた息をつくのみだ。以前に倒した相手で弱点は分かっているし、亘もそれから随分と強くなっている。今戦ったとすれば、苦戦はしても勝てぬ相手ではない。

 涼やかな声が仲裁するように押しとどめた。

「まあ待ちなさい」

「止めてくださるな、桜の姫よ。御身はこの身に変えてもお守り致そう。さあさあ、いざ尋常に勝負、勝負!」

「怒るよ」

 アマクニがボソリと呟く。

 その瞬間、いまだかつてない程の威圧が放たれる。神と呼ばれる存在が持つ力の一端が解き放たれ、スオウだけでなく他の者まで硬直してしまう。

 お陰で亘は散々だ。頭上の神楽が髪の毛を引っ張り、腰にしがみつくサキが腹に爪をたてるわで酷い目に遭っている。

「いいかい、これから一緒に行動して貰うんだ。喧嘩したらダメじゃないか」

「それでは、此奴が話にあった者でございますか。クケェ……此奴か」

「なんだい。スオウ君は私の里で生まれた者に、文句でもあるのかい」

「め、滅相もない。しかしですな、此奴がですか?」

 スオウが吟味するように亘を一瞥した。だが、蛙顔に浮かぶのは苦笑いだ。呆れたように頭を振ってみせる。

「封印された大百足に勝てるとはとてもとても……」

「なにさ! 失礼だよ。ボクのマスターはさ、あれからすっごく強くなったんだからね」

 神楽が胸の下で腕を組み偉そうに声を張り上げれば、七海もそっと同意するように頷く。スオウのことは知らないが、イツキとサキも揃って頷いている。

 そんな様子を眺め、アマクニは頬に指をあて考え込む。

「だったら手合わせしてみなさい」

 ポンッと手を叩いて宣言した。


 境内の広場の中で亘とスオウが対峙する。

 亘は神楽とサキを連れ戦うつもりだったが、両者とも観戦にまわっている。他の者もそれが当然といった様子なので、一緒に戦うことは諦めるしかなかった。

――まあ、いいか。

 どうせ手合わせなので死ぬことはない、と自分に言い聞かせる。途中でアマクニが止めてくれるはずなので危険はない。多分きっと恐らく。

 それにしてもと、意気軒昂に身構えるスオウを見つめた。

 初めて戦った時は手も足も出なかった相手だ。勝てたのは藤源次の加勢と弱点を突いたおかげである。ならば、どれだけ強くなったか推し量るには絶好の相手だろう。

 そうと思えば、急にやる気が出てきた。

「始め!」

 凜とした声が響く。

 スオウの動きは一瞬だった。即座に地を蹴って、ひとっ飛びに迫る。以前と同様の素早い動きから繰り出される蹴りだった。けれど、亘は軽く仰け反って躱す。空振りした勢いのまま、回転するように次ぎの蹴りが迫る。

「ケーッ! やるようになったな!」

 真上からの踵落としのような一撃だ。それを腕で受け止める。ズシリと響くが思ったほどダメージはない。手加減しているわけではなさそうだ。

「クエクエクエクエクエッ!!」

 張り手の連打が襲って来る。しかし、亘はその全てをいなした。気を抜くことはできないが、けれど見える。止めることが出来る。前とは違う。

「ええい! 儂の攻撃は効いているはずじゃ!」

 スオウの様子に焦りが見えた。あんなにも苦戦した相手と互角以上にやり合えるまで強くなれた。ここまで強くなることが出来たのだ。その感慨に加え、観戦する皆の声援もある。かつてこれほどまで期待され応援されたことがあっただろうか。いや、ない。

 亘の目に力が宿った。ニヤリと笑い、守りから攻めに転じる。

「いくぞっ!」

 勢いよく踏み込み右腕を一閃させる。充分にしならせ、斬るように払う。

 驚いたスオウが飛び退く。追撃する。一気に距離を詰め左腕を突き出す。蛙の白腹に命中し大きく弾き飛ばした。たたらを踏んで蹌踉めくが、まだ堪えている。やはり打撃は効かない。そのまま流れるように足を蹴り払う。

 小柄な蛙の体躯がバランスを崩し転がった。亘は口角を吊り上げる。

 打撃が効かぬなら、口の中に手を突き込み、そのまま舌でも喉でも引き裂きかき回してやれば良い。全力を込め腕を突き込んでやる。勢いよく踏み込み狙い澄まし――。

「そこまでっ!」

 凜とした声で、亘は我に返った。

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