第159話 郷土の歴史

「それまた酷い人間がいるものですね。はははっ」

 亘は白々しく笑いをあげた。

 額に軽く汗をかき視線をあらぬ方へと彷徨わせるのは、身に覚えがありすぎるせいだ。脳裏に浮かぶのは、どこかしら剽軽さを覚える雨竜の姿だ。DP稼ぎで何度も撃破している。

 その雨竜がどこぞの大物竜に泣きつき、涙ながらに訴える姿を想像すると……ちょっと可愛いかもしれない。

 だが待て、と自分に言い聞かせる。まだ雨竜のことと決まったわけではない。竜違いということも充分考えられる。世界は広い。どこかで竜をいたぶる極悪人がいたっておかしくないではないか。

 しかし亘の自己欺瞞は一瞬で打ち砕かれた。

「随分と酷い話でね。長年かけ力を蓄え雨竜へと変じたところなんだ。そこで挫折なんて、可哀想だろう。実に気の毒だ」

「俺もそう思うぞ、いくらなんだって気の毒だぜ。ああ、なんとかしてやりたいなあ。トト様に頼んでみようかな……あれ? でも待てよ、雨竜を倒せるぐらいなら相当強いよな、そんな人間って限られて……」

 亘は目を剥き慌てる。せっかく尊敬を勝ち取っているのだから、それを台無しにしたくはない。急いで声を張り上げる。

「待て、待て。その件については自分の方で対処しよう。その人間の心当たりもあるからな、すぐ解決しよう。なあに、心配はいらない」

「そっか、流石は小父さんだ。頼りになるぜ」

「マスターってばさ……ボクが言えた立場じゃないけどさ、ホントにもう……」

「同感」

「でも確かに一番お願いすべき相手ですよね。五条さんに頼みさえすれば、気の毒な倒され方をすることは絶対なくなりますから」

 亘はガックリした。

 これで最高の狩り場を失ったのだ。何度倒そうと復活する雨竜からDP取り放題していたが、これでもう出来なくなる。こうなったら、いっそ二度と復活できないよう異界を破壊してやろうかとか物騒なことを考えてしまう。

「じゃあ任せるとしようかね。もう大丈夫と、先方に伝えていいのかな?」

「先方様には、このようなことは二度と起きないので安心して下さい、とお伝え下さい」

「しかし時代は変わったものだ。昔の竜はもっと気が荒くってね、全身全霊をかけ祟って呪っただろうに。まず話し合いで解決しようとは……」

 アマクニは不思議そうに首を傾げた。

 しかし亘には何となく変化した理由が分った。竜といえば天候や河川など水を支配する象徴。理不尽な暴威を振るい、同時に恵みをもたらす敬うべき存在だ。けれど、ここ百年でその念は大きく薄れてしまった。

 天候は観測され事前に把握でき、暴れ川と呼ばれた河川も整備され親しみ守るべき存在となっている。

 それ故に竜に対する概念も変わったに違いない。これを零落とするか、新たな関係とするかは何とも言えない。

 アマクニは興味を失ったのか、ポンッと手を打った。

「まあよろしい。これにて一件落着だ、解決したお礼に君に何かあげようじゃないか。ほら、ちょっとこちらに来なさい」


 手招きされ案内されたのは高床式の倉だ。足にネズミ返しが付いているような、歴史の教科書に載っていそうなものである。

 アマクニが軽く手を動かすと、重たげな扉が勝手に開いた。

「うわっ凄いぞっ!」

「これはまたなんとも」

「どうなっているのでしょうか」

 イツキが驚きの声をあげたのは扉の動きだろうが、自動ドアの類を普通に目にする亘と七海が驚いたのは倉の中の様子だ。

 昔話ばりに米俵や酒樽がうず高く積まれ、どう見ても天井を突き抜けている。横幅も奥行きも相当あって、しかも肉や魚など腐りそうな品まで保管されているのだ。思わず二度見してしまう。

「これは凄いな沢山あるな。しかし、これはまた……神楽の大食いレベルに外と中が合ってないぞ」

「ちょっと、なにさそれ」

「そのままの意味だろ」

「むきーっ!」

 亘と神楽がチョイチョイと喧嘩しだす間に、アマクニと七海は気にもせず話を続ける。

「明らかに中に入っている容量が違ってますよね。しかも、ぎっしりですよ。これはどうされたんですか」

「麓の集落の者たちが私に奉納したものだよ。長い年月の間に貯まってごらんの通りさ」

「いつぐらいの奉納品なんでしょうか?」

「さあてねえ、なにせ供えられてからずっと溜めてきたからね。奥の方のものなんて、随分と古いよ」

 下手すると千年前の食料でも出てきそうだ。それはそれで学術的に貴重な資料かもしれない。しかし七海の心配はもっと別だ。

 繰り出されたスローパンチを、小袖をはためかせ神楽がヒラリとかわす。腕の上に飛び降り走りだした。連続パンチを顔にくらった亘は痛そうに悶え――じゃれて遊ぶ姿をサキとイツキが応援している。

「それ大丈夫なんですか? お肉とかお魚とか、明らかに腐りそうなんですけど……」

「大丈夫さ、ここに納めてあるからね。奉納された時と変わらないよ」

「冷蔵庫ではないですよね。そんな温度ではありませんし、冷蔵ではそんなに保ちませんから」

「ちょっと時を止めてあるだけだよ。これ、そこの遊ぶのは止めなさい」

 さらっと、とんでもない現象を口にしてアマクニは騒々しい連中を窘めた。

「すいません。悪いのは神楽でして」

「なにさ、マスターでしょ」

「君たち」

「「ごめんなさい」」

 揃って頭を下げた様子にアマクニは両手を腰にやり呆れた様子をとる。ただしそこには、楽しげな様子が見え隠れする。ずっと話相手もなく暇をして、久しぶりの賑やかさが嬉しくて堪らないのだろう。

 つまり、久しぶりに遊びに来た孫に喜ぶお婆ちゃん状態なのだ。

「とにかくだ。この奉納品で好きなものをあげよう。でも最近のものはないよ。奉納品を私が回収すると、皆が大騒ぎするからね」

 アマクニの桜色した唇がへの字になっている。今度こそ不機嫌そうだ。

「そういや、かなり昔に奉納品泥棒が出たって大騒ぎになった、と聞いたことがある。うちの母親が若い頃だから大昔だけど」

「私に奉納された品を私が受け取って、泥棒だなんておかしいと思わないかい」

「まあ今時は奉納するのも形だけですから」

 奉納品は神職が食べたり、参詣者に振る舞われたりするのが普通だ。神前にお供えをしたとして、それを本当に神様が受け取るとは誰も思っていない。だからアマクニが異界に持っていけば、奉納品泥棒と思われても仕方ないだろう。

「そりゃね、私には不要といえば不要だよ。しかしそれとこれは別だろう。おまけに最近は奉納さえもされないんだよ。随分と失礼だとは思わないかい。いや、君に文句を言っているわけでないがね」

「今の時代はいろいろ難しいですから。昔のような信心もないですし、牧歌的な考えなんて皆無なものですよ」

「それは分かる。ここから見ていても、昔のような大らかさがないようだね」

「世の中全てに余裕がない状態ですよ」

 そう呟きながら亘は今の世を思った。

 世の中は自由で便利になったはずなのに、皆が皆自分のことに精一杯で他人を思いやる余裕がない。心に余裕がないためか他人に対しひどく攻撃的だ。白か黒かの両極端な考えが横行し、曖昧さは受け入れられる余地はない。他人の悪口を声高に言いつのり、窘められても何が悪いと開き直る。

 道を歩く人々は俯き加減で背を丸め、車を運転する人々は不機嫌そうにしかめ面。世の中全体が暗く陰鬱な雰囲気かが漂いギスギスしているのだ。

 亘がしみじみ世を憂いた。


「そう気にすることはない。人はいつの時代だって同じさ。良きにつけ悪しきにつけね。さあ、そんなことより好きなものをあげようじゃないか」

「はあ、米か……んっ、まてよ。だとすれば!」

 はっと気付いた亘は目をキラキラ輝かせた。

 一瞬で察した神楽は呆れ顔でため息をつく。七海も察したが、仕方ないよねといった顔で苦笑するばかりだ。

「ここに奉納された武具はないですか? あればそれを是非に!」

「おや? なんだ君はそういうのが好きなのかい、男の子だねえ。だけど、残念ながらないね」

「えっ、そんなマジですか」

「マジ、マジ。ふふふっ、私は子安や酒造で奉られているからねえ。武芸の類いとは縁がないのだよ。その代わり米や酒なら沢山だがね」

「そんな……まあ、そういやそうか……」

 亘はガックリした。

 子供の頃に、夏休みの自由研究で郷土の歴史を調べた。ここら辺りは有名な戦国武将もおらず合戦場もなかった。何十年か毎に土砂災害が発生し、それが大昔に現れた大百足の仕業だと語り継がれる程度だ。

 アマクニが戦の神であれば、この倉の中にぎっしり武具の類いがあったかもしれない。とても、とても残念だ。

「ここにある物を好きなだけあげよう。なんなら全部でもいいよ。さあ、持っていきなさい」

「……賽銭箱の中身とか回収してないですか。具体的には大判小判とか」

「マスターあのさ、いくらなんでも賽銭箱に大判小判を入れないんじゃないのかな」

「あははっ、確かにそうだね。それに賽銭箱なんてものが置かれたのは、この数十年のことだからね。もちろん、それは回収してないがね」

「そうですか……」

 あまりに亘ががっかりするものだから、アマクニは苦笑気味だ。

「よし決めた、倉の中のものを好きな時に、好きなだけ持っていきなさい。ここにある物は全部君のものだよ」

「……ありがとうございます」

 礼を言いつつ、亘は倉の中を眺めた。これだけの物資を売り捌けば幾らになるか想像する。新藤社長に頼めば売り払えるだろうか……そう考え止めておく。

 なにせ古い時代の農作物は現代と味が違う。

 現代の農作物は現代人の好みに合わせた味のはずだ。米であれば、品種改良を重ね食味が大きく向上している。昔の米を食しても美味しいと思わないに違いない。酒にしたって同じだ。江戸時代の酒は、味醂味でそれを薄めて飲んだという。それを現代人が飲んでも美味しくなんてないに違いない。

 不良在庫を大量に抱えた気分だ。

「そらどうも、お気持ちだけ受け取らせて頂きますです」

「あとは……せっかくだから、君の子が無事生まれるように祈ってあげよう。願いを叶える力はないけどね、子安の神として奉られた私が祈るんだ。少しは効果あるだろ」

「はあ……そりゃどうも……」

「さてと、誰からだい。それともまとめてかい?」

「…………」

 絶句する。しかもチラッと見た先で七海は顔を真っ赤にして恥じらい、イツキは頭上で腕を組みニカッと笑っている。両者から物問いげな視線を向けられると、もう大弱りだ。なお、存在をアピールするが如くサキが飛び跳ねていた。

「だってさ、マスターどうすんのさ」

 ニヤニヤする神楽をペシッと、はたき落とす。

 灰色の薄明るく薄暗い空に視線を逸らしたのは、つまり照れ隠しというやつだ。

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