第268話 マスターのばかぁ!

「五条君の意見は分かったが国民の武装化については、ひとまず置いておこう」

「ひとまずですか……」

 亘は舌打ちこそしないものの、それが交じっても不思議ではない声で呟いた。

 なお『ひとまず置く』は面倒な事柄に対する言葉の一つになる。話題を切り替え後はそのまま忘れて何もしない、といった意味の婉曲的な大人の表現なのだ。

――今回は駄目でも、いずれ第二第三の機会に……。

 亘は拳を握り遠い目をしながら固く心に誓った。

 不謹慎ながら、世は荒れ戦いがグッと身近になった状況だ。このチャンスを逃せば日本刀は永遠に美術品としてしか扱われず、武器としての本質が置き去りにされてしまう。引いてはそれは、古名刀の如き名刀の出現可能性が小さくなるということでもある。その為にも……。

 妄想に熱中する亘に気付いた神楽が蹴りを入れた。

「ていっ!」

「いきなり何するんだ!?」

「はいはい文句はいいからさ。どーせ下らないこととか考えてたでしょ、ちゃんとしなきゃだよ」

「小うるさい奴め……」

「うちのマスターが不真面目でごめんなさい。ちゃんと真面目にやらせるから許してあげて」

 テーブルに降り立った神楽は一生懸命に頭を下げている。あげくに膝の上にいるサキまで真似して頭を下げたりしている。まるで子供の不始末に出てくる母親みたいで、亘としては面白くない。

「いや気にしないで欲しい、彼とて場を和ませたかっただけだろうからね」

 自分の発言を冗談として扱ってくれた正中に、感謝すべきか怒るべきか亘には分からなかった。

「しかし職員や隊員の処遇改善は取り組むとしよう。さて、それで現在の方針としては戦力増強が第一と私は考えている。手段としてはデーモンルーラーの積極的な活用だが、まずは認知を高める取り組みをしていくべきだろう」

「まあ、そうでしょうね」

 悪魔が現れ人を襲っている世の中だ。

 そこに悪魔を使う者が現れたらどうなるか。たとえ人助けのためであろうと過剰反応する者はいるだろう。そもそも新しい物事を疑い、どうして受け入れられない者は必ず存在する。

 たとえば固定電話から携帯電話、携帯電話からスマホへの流れ。またはそろばんから電卓への流れ。今では当たり前のように存在する物事とて、その登場直後は混乱と拒否反応は常にあった。

 ましてや、今回の悪魔絡みは生命に関わり実害も出ている事柄だ。

 デーモンルーラーというシステムが受け入れられず理解出来ず、不安と拒否反応から使用する者を襲う暴徒が発生する事は容易に想像が出来た。

「実際のところ、偏見が多いですか」

「ああ、多いね。中には助けた相手に襲われ重傷を負った使い手もいる。もちろん判明している範囲でだ、闇に葬られた事案がどれだけあるかは分からない」

「それはそうでしょうね」

 もちろん亘であれば襲われたところで平気な実力があるし、自分や仲間を守るため他人を犠牲にする事は少しも厭わない。

 そもそも神楽とサキが返り討ちにしてしまうだろう。職員から貴重な食糧を貰いモグモグしている姿からは想像もつかないが、やるときはやる。

 だが普通の使い手は、そうもいかないだろう。

「言い方は悪いが、折角の戦力を大衆の浅慮と無知で失うにはあまりにも惜しい。だからこそデーモンルーラーの認知を高めねばならい。それに協力して貰いたい」

「分かりましたよ、出来る事であれば」

「助かるよ、もちろん企画と予算は既に通してあるから安心して欲しい」

「通してあるとは?」

「いやはや、なかなか忙しかったよ。急な話で予算もないだろ、昨日から今日までで政策調整懇談会に根回しをして関係諸機関に合同会議で話を通し、臨時事業として予算要求額を提示したんだ。後は政務官を交えて事務方幹部に説明して関係部局と調整懇談会で事業概要まで周知しておいた」

 さもやり遂げた感を持って言う正中に対し、亘は呆れた目をする。

「思うのですが……」

「何かな」

「滅んだ方が良い組織ってあると思いません?」

 亘が見つめれば正中は目を逸らした。

 咳払いをして話しだすが、どうやらそれなりに思うところはあるらしい。

「言いたい事と気持ちは分かるが、逆に考えてみるといい。国という組織で、個人の裁量にて予算や物事が好き勝手出来る方が問題じゃないかな」

「それはそうですけど。この非常時に……」

「非常時なればこそ、組織というものは己を律する必要がある――といったのは建前で、実際には保身のためだ。話を通しておけば後々の禍根と苦労が減って、責任も分散するわけだからね」

「……まあ、そうでしょうね」

 亘は膝上のサキの顎をなでつつ、辺りで忙しそうに立ち働く人々を見やった。

 仮に仕事上のトラブルで損害賠償請求をされたとしても組織は実に冷淡。どれだけ苦しく追い詰められようとも、訴えられた個人が苦労するだけで助けてはくれない。ならば最初から巻き込んでおいた方が賢いというものだ。

 正中は気楽な様子で足を組み、両手を広げた。

「認知を高める取り組みとして、まずはPRポスターをつくるつもりだ」

「あまりウィットとかウケ狙いは止めて下さいよ。内容は担当者だけで確認せず、素案段階で普通の人に見せた方がいいですよ。でないと炎上しますから」

「君が何を心配しているか知らないが、悪魔と人間が共存し協力出来ると示すだけだ。それなら問題あるまい」

「はあ、どうやって……?」

「そこで是非、君の従魔をお願いしたい。君の従魔たちは実に可愛らしく、とても親しみを持てる逸材だと思っているんだ。さぞ写真映えするだろう」

「はあ、こいつらがですか……いやいや、どこが?」

 亘はテーブルの小さな姿を指し示し、さらに反対の手で膝上で寛ぐ姿の顎を持ち上げた。

 最初は照れた様子の両者であったが、失礼な言葉を聞き、親しみやすさと可愛さを捨て凶暴な悪魔の本性を現した。

 神楽は亘の指を掴んでカプッといき、サキも同じく掌にガブッとした。

「噛んだ!?」

 飼い悪魔に手を噛まれた亘は悲鳴をあげる。

「ふんだっ、当然なんだよ」

「んっ当然」

「マスターにはデリカシーが……じゃなくて、この場合は素直さだよね。素直さが足りないんだよ」

「んだんだ、素直ない」

 したり顔の両者であるが、何だかんだと言って亘の傍を離れない。そんな様子を正中が苦笑しながら見ている。きっと、人と悪魔の関係を思っているのだろう。

 そのとき廊下を走る重そうな音がした。

 何か緊急事態下と身構える皆の前で、蝶番が跳ね飛びそうな勢いでドアが開く。皆が驚き凝視すれば、ぽっちゃり体系の男が叫んだ。

「神楽ちゃんをプロデュースならお任せを!!」

 どこから湧いたのか、白衣姿の法成寺だ。どうして別室に居ながら話を把握しているのかは謎だが、中指で眼鏡を押し上げ正中へとズイズイ迫っていく。

「この法成寺にお任せを。いーえっ! 他に任せる事など許しませんなこの法成寺めが全力を尽くし未だ神楽ちゃんを知らぬ憐れな仔羊たち全てに神楽ちゃんの魅力を知らしめ世界の遍く者へと神楽ちゃんがどれだけ可愛いく素晴らしいかを伝えねばならず多角的戦略的なプロデュースを持ってその魅力を世界に発信したいと思うのですー!!」

「お、おう……」

 正中は圧倒され目線で周囲に助けを求めた。だが、誰も目すら合わせず声も出さず仕事に集中している。やはり組織というものは冷淡ということだ。

「ゆくゆくは聖堂を打ち立て天才造型師にして同志のシーズーに頂いた神楽ちゃんの像を聖像として祀りそこでは常に神楽ちゃんの映像が流され人々が憩い安らぎ萌えられるようにするのが我が野望。その為には神楽ちゃんの貴重な水着姿の画像も出して……くうっ! 誰にも見せたくないのに見せたい二律背反! 分かります? 分かりますよね。分かるでしょ!」

 騒々しい声を聞きつつ、亘はシーズーという名が上司の上司である事務所長の志津に似ているなと考えている。そして、早く悪魔を倒しに行きたいと窓の外に目を向けた。


◆◆◆


「マジか……」

 たった一日で用意された試し刷りのポスターを前に亘は呆然とした。

 法成寺は暑苦しい熱意と空恐ろしいまでの情熱にもてる能力の全てを注ぎ込み文字通り全身全霊をかけ、デーモンルーラー啓発ポスターを用意したのだ。マニアとかオタクとかの執念を甘く見ていたつもりはなかったが、これは想像以上であった。

「凄いでしょ、可愛いでしょ。ほらさ、マスターってばさ。感想をどーぞなのさ」

「んー感想!」

 神楽は騒ぎサキも足元で飛び跳ね催促するが、しかし亘はポスターから目を離せない。

「なんで七海が一緒に」

「そらもー、神楽ちゃんに釣り合える人間は彼女しかいないでしょうが。五条さんのためと頼みましたら、もうノリノリで手伝ってくれましたよ。このこのー」

「いやまあ……」

「おっ、照れてますな。青春ですなぁ、よろしい。記念にこの試し刷りを差し上げちゃいましょー」

「あ、どうも」

 亘はいそいそ受け取った。

 ポスターの構図は高い位置から撮影したもので、中央に立つ七海が柔らかな笑みで見上げてくるといったものだ。その胸元には狐耳状態のサキが抱かれ、そして肩には神楽とアルルが腰掛けている。

 目を惹くのはもちろん七海だが、しかし神楽とサキも目をキラキラさせ心の底からの親愛を向けた良い顔をしている。

 自分以外にそれが向けられると、少しだけ、ほんの少しだけ面白くない。

「このサキと神楽は――」

「そーでしょ、いーでしょ。神楽ちゃんもサキ殿も、なーかなか表情が上手くいかず苦労したんですぞ。しかーし、油揚げをぶら下げたら良い表情になってくれてー、これこの通り」

「感心したのが台無しだ」

 言いながら、しかし亘は少しだけ安堵した。

 親愛の眼差しを向けられたのが油揚げであれば許せるというものだ。

――しかしこれはいいな。

 人と悪魔が仲良く共存している雰囲気がアリアリと伝わり、メッセージ性を多分に含み心動かされる秀逸なポスターであった。PRポスターとしては、これ以上のものは考えられないに違いない。少なくともこの試し刷りポスターは大事にしたいと思える。

「マスター感想まだー? ほらさ、どーなのさ」

「うん、可愛いじゃないか」

「そでしょそーでしょ、当然じゃないのさ。もー、マスターってばさ。ボクたちを褒めてどうすんのさ」

 照れた神楽はペシペシと亘の頭を叩いてみせた。足元ではサキも同じ事をする。

「何を言ってる、今のは七海のことだぞ」

「……マスターのばかぁ!」

 怒った神楽とサキは、亘をゲシゲシと蹴りだすのであった。


 そしてPRポスター第一弾は完成し各地に送られ張り出されたものの、混乱の中に失われ又は盗まれ姿を消した。とはいえ、そのポスターは人と悪魔が共にある姿とモデル全員の可愛さもあって希少性と共に伝説となった。

 亘の持つ試し刷りポスターは、いつか「一・十・百・千・万・十万・百万・千万」といった掛け声を聞くかもしれない。

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