第267話 最後にものを言うのは人
NATS執務室にある打ち合わせスペース、楕円をしたテーブルを前に室長たる正中は真面目な顔をしている。
「竜退治Ⅰのゲームであればだ。勇者の目的は世界を平和にする事で、魔王を倒す事が目標、その目標から導かれる手段として世界をまわり謎を解き武器防具を手に入れている」
目的は到着すべき点であって、目標はその過程であり、手段はそのために実行すべきことという事だ。
「そのゲームの場合は目的と目標がやや混同されているが、それはさておき。目標をどのように設定するかは非常に重要で慎重にならねばいけない。でないと、そこに費やした労力が無駄になってしまう可能性が生じるからだよ」
正中は真面目な顔で頷いた。
それはキセノンヒルズに向かうべきではないかと尋ねた亘に対する説明であった。かなりスラスラと説明しており、もしかすると同じようなやり取りを何度かしているのかもしれない。
なんにせよ亘は真面目な顔で頷いた。
「正中室長もゲームやるんですね」
「当たり前じゃないか。五条君は私をなんだと思っているのかな、仕事しか興味のない堅物とでも思っているのかな」
「いえまあ、そんなことは……冗談を失礼しました」
正直に言えばそう思っていた亘は曖昧に笑って口を濁した。
NATSの執務室は空調など動いておらず、開け放たれた窓からは肌寒いぐらいの空気が流れ込んでくる。ついでに小虫も入り込み、先程から勢い良く辺りを飛び回っていた。これが結構に鬱陶しい。
辺りでは職員たちは電力節約のためパソコンが無い時代さながらに手書きで書類を作成している。とはいえ、公共機関は元から紙の使用が多いため影響は限定的かもしれない。
「しかし意外だ、君が冗談を言うなんて」
正中にマジマジと見つめられ、亘は少しショックであった。
自分の発言が冗談として捉えられたこともだが、冗談すら言わない無粋な人間と思われていたことも合わせてショックであった。しかもだ、冗談とは一番無縁そうな正中に言われたのだ。なんとも物悲しいような、自分の人生を見つめ直したくなるではないか。
「それは、正中室長こそ人をなんだと思ってます。冗談も言わないつまらない男と思っていましたか」
「実は少しだけ。だが、どうやら君を誤解していたかな」
にやっと笑う正中を見れば、どうやらこれこそ冗談のつもりなのかもしれない。
「それはともかく、目標をどう設定するかという事なんだが。キセノンヒルズ攻略という話の前に、そもそもキセノン社が諸悪の根源と誰が決めた?」
「キセノンヒルズが悪魔の巣窟になっていると聞きましたが……」
「それは事実だ。しかし、同じように悪魔が大量に存在する場所は他にもある。いいかい、現実はゲームじゃないんだ。たとえばそう……台風が発生したからと、それを発生させる魔王がいると思う人はいるか?」
やけに正中は魔王に拘って説明をしたがると思ったが、亘はそれを指摘しないでおいた。余計な指摘は一度であれば冗談で片づくが、二度三度となればただのバカとしか思われなくなってしまうからだ。
「普通はいませんね」
「その通り。アマテラスの一部は新藤憎しキセノン社憎しで凝り固まり、全てキセノン社が原因だと騒いで政府の方針もそれに傾いているが……実際には不明だ」
「ゲームと違って、倒せば世の中が平和になる魔王は居ないと?」
「何とも言えない。しかし、今ここで全力をかけキセノンヒルズを攻略したとして。それで巷に溢れる悪魔が減らなかったとしたらどうする? 我々の現状として、確証のないことで動けるほどの余裕はないのだから」
「…………」
政治で考えれば勇者が格安賃金と粗末な武器で送り出された理由も判るような気がする。王様は国民全体を守らねばならず、魔王を倒し世の中が平和になるか確証がないがため、勇者をヒットマンに仕立て密かに送り出すのだろう。
そこまで考え、亘は心の中で苦笑した。どうやら正中のせいで随分とゲームに毒されてしまっている。
「さて、ここで目的と目標の話に戻るわけだ。では、我々の目的はなにかな」
「DPを換……DP飽和をなんとかして世の中を平穏にする事ですかね」
ついDP換金と言いかけた亘だが、辛うじて言い繕いに成功した。
本当は何を言うつもりであったか知るのは頭の上の神楽だけだろう。しかし、今はべったり張り付き昼寝中。熱くて柔らかくて心地よい感触が伝わってくる。
膝の上にはサキがいて、テーブルに顎をのせボンヤリとしている。朝食でバナナの皮を囓ったこともあって少し心配だった。きっと疲れているのだろうと、今は撫でてやったりスキンシップを多めに労ってやっていた。
「その通り、世の中を平穏とすることが目的となる。つまり社会を元の状態に戻し国民の安全安心を確保せねばならないわけだ」
正中の言葉の中にあるキーワードに、亘は軽くうんざりとした。
上層部がやたら好きな言葉に『安全安心』というものがある。誰だって安全が欲しいし安心したい。そうした心理を利用してか、この耳障りの良い枕詞が連呼され、如何なる施策も大義名分があるように推し進められてしまうのだ。
「その目的を果たすため外せない目標は、一刻も早い悪魔の駆除となる」
「完全には駆除出来ないと思いますけどね、外来生物と同じですよ」
「地道に倒して減らすしかない。それに、やらねば増える一方で減りはしない。とにかく今は経済活動も物流も大幅な影響があって、国民生活は戦後最悪な水準にまで落ち込んでいる。これを我々はなんとかせねばならない」
正中の理路整然とした言葉を聞くうちに――もちろん正中という人間自体は嫌いではないのだが――なんだか皮肉で辛辣な気分になってきた。
悪魔を倒すと言うが誰が倒すのか。それは全て現場の人間だ。
「それでしたら、どうして手段を実行する人を大切にしないのですか。つまりNATSや防衛隊の人とか、最前線に立って活動する人達のことですが」
「ん?」
突然、不機嫌そうに言い放った亘に正中は不思議そうな顔をした。
執務室で働いていた職員たちが興味深げにチラチラ視線を向けてくるのは、自分たちの待遇に影響がありそうな話題になったからだろう。
「食事だって制限されて、一日中仕事をして対応に追われ、朝起きても顔色を悪くフラついている。これで満足な手段ができますか。手段がなければ目標にとどかず、目的は成し遂げられませんよ」
「我々は国民のために最大限努力せねば――」
「その前に、職員だって国民ですよ。確かに正中室長の意見は分かりますよ、今までの災害はそれで通用してましたからね。でもそれは、負担を押し付けられた現場の人間が我慢して耐えてきたからこそ成り立っただけですよ」
通常の災害復興でさえ過重労働で死ぬまで働く者が多いというのに、この先行き不透明な状態で限られた人的資源を酷使するなど馬鹿馬鹿しい。悪い言い方をするならば、細く長く人を使っていかねばならないはずだ。
「目的目標手段の話は分かりましたけど、結局それをするのは人間だって事を忘れないで下さいよ。人間は文字や数字じゃなくて生きているんです」
「そんなこと分かっているつもりだ」
「いえ、分かってませんよ。手段を行う人間が仕事という名の下に働くのは、給与という名の利益があったからです。今はそれもないまま、義務感と責任感で縛っているだけじゃないですか。だったら、せめて食事や休憩で労るべきでしょう」
少なくとも神楽のやる気は、ご飯が少ないという点で大幅に減じている。サキだってお腹を空かせてバナナの皮まで囓った――少なくとも亘はそう思っている――ぐらいだ。きっと実家に帰ると言えば、諸手を挙げて賛成するに違いない。
「最後にものを言うのは人ですよ。人を大事にしないで、どうしますか」
「……肝に銘じておこう」
亘の剣幕と迫力に正中は怯んだ様子だ。
そしてNATSの人々が亘を見る目が少し変化していた。まるで仲間を見やるような柔らかい表情となっている。
しかし亘は少し余計な事を言いすぎたのかもしれないと反省するばかり。気分を変えるためサキの髪を手で梳いて撫でてやっている。
「とりあえず当面の目標は一刻も早い悪魔の駆除。そのために悪魔に対処するための戦力確保という事で行くつもりだ。それでいいかな」
「構いませんよ」
しかし、どうしてそんな許可を求めるのだろうと亘は疑問だった。
自分が悪魔対策の要にされ、周りから一目置かれている自覚は全くないのだ。
「この際だ、君が思っている事があるなら言ってくれないか。君の意見や視点というものは、そう私にとっては凄く斬新だ」
「他の意見ですか。えーと戦力確保ですか」
「なんでも構わんよ。この状況を打開するためならば」
そうと言われても困る。
なぜなら亘には、まともな意見なんてない。基本的にその場しのぎで生きてきた。今言った言葉だって、正中に対する反発から生じた思いつきでしかないのだから。これで建設的な意見などあるはずがない。
しばし悩んで困った亘であったが、急に目を輝かせた。
「分かりました。こうしましょう、戦力確保なら凄く良い考えがあります」
その声に神楽は身を起こし、どうせ碌でもない意見に違いないと確信していた。
「ほお、やけに気合いが入ってるじゃないか。それは、どんなものかな?」
「全国民に帯刀させましょう」
「……なんだって?」
「つまり銃刀法を改正しまして、全ての者が帯刀出来るようにしましょう。武器があれば誰だって悪魔と戦えます。そうなれば、避難民の護衛に割かれた人員も減らせます」
「斬新すぎて付いていけない。そんな事できるはずがないじゃないか」
「いえ、普通に帯刀していた時代もありますよ。もちろん帯刀が許されたのは武士階級だけかもしれませんが、その他の階級も脇差しまでば許されていました。国内にある日本刀は二百万本以上とも言われている事を考えれば、充分に戦力になるじゃないですか」
亘は子供のように目を輝かせ身を乗り出している。そして頭上の神楽は小さく、ほらやっぱりと呟き呆れ顔だ。
「いや、その理屈はおかしい。傷害事件が増加するだけじゃないか」
「帯刀してなくたって起きてますよ。むしろ現状は加害者側だけ武装して、被害者は非武装じゃないですか。むしろ傷害事件は減りますよ。是非是非、是非検討を。いえ検討でなく、ここは率先してやりましょう」
亘は熱弁を振るう。
もちろん全ては自分が帯刀したいがためだ。腰に刀を差し大手を振って闊歩するのは長年の夢。熱く語りながら、帯刀するならどの刀にしようか考えていたりする。ただし、刀を傷つけるぐらいなら自分が傷つく方を選ぶに違いなく、きっと戦闘は素手で行うに違いないのだが。
「あのさボクさ思うんだけどさ、それって手段が目的になってるよね?」
神楽の突っ込みに、執務室の全員が頷いていた。
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