閑51話 どうしてなかなか悪魔らしい

 コンクリート壁が崩れ、その破片の一つがガードレールに激突。激しい音や埃をまき散らし、飴のようにねじ曲げた。

 路上に立つ亘を前に二体の悪魔がジリジリと動き、その鋭い爪が昼下がりの日射しを反射する。そこに崩れた壁を踏みつけ、さらに一体の悪魔が姿を現した。

 いずれも緑の身体に三対の腕を持ち、三つの顔に荒々しい憤怒の表情を浮かべていた。身に纏うのは腰に巻いた布一枚で逞しい肉体を晒している。見るからに強力な悪魔で、実際にその通りなのだ。

 しかし亘は道路の中央分離帯に気負うでもなく自然体に立っていた。

 郊外の疎らに家屋とビルがあって空き地や畑などもある場所。道路は片側三車線と地方へ繋がる幹線道路で、物流の要所となる地点だ。ここらで通行を妨げ襲撃を繰り返し多数の被害を発生させる悪魔の群れがいるという事で、その撃退に駆り出されてきたのである。

 三体の悪魔は亘を囲み威嚇し咆えた。

 まるで虎が咆えるような迫力と力ある声なのだが、そこに若干の怯えがある事は否めない。なにせ既に同族が何体も倒されているのだ。流石の悪魔といえど恐怖ぐらいは感じるのだろう。

 背後で急ブレーキをかける音が響き、亘の意識はそちらにむいた。

 途端、右の悪魔がアスファルトを踏み割り飛びだし、鋭い爪を振りあげ襲いかかった。軽く屈んだ亘が爪を躱し、相手の布を掴み引き倒す。叩き付けられたアスファルトが陥没し、悪魔の頭部も同じく陥没してしまう。

 その時には残り二体の悪魔が一斉に亘へと襲いかかっている。

 人と悪魔の身体が絡み合い、しかし気付けば一体の悪魔が地面に叩き付けられ、もう一体は蹴り飛ばされコンクリート壁に激突し染みを残して倒れ伏した。

 背後から驚きの声があがった。

 だが、亘は振り向きもせず辺りを見回している。親しい者であれば、その仕草が背後を気にせぬようにしてのことだと気付いただろう。

 とはいえ、ここにいるのは防衛隊の車両でやって来た幹部何人かと護衛の隊員たちがいるのみだ。そして、そこからカツカツと規則正しい足音が近づいた。

「よろしいですか?」

「あぁ……なんでしたか」

 亘はさも今気付いたように振り向いた。つまり、人に感心され賞賛される事に慣れていないため、あえて気にせぬようにしていたというわけだ。

 相手は生真面目そうな顔の青年士官。きっちりと糊のきいた制服に、ご丁寧に外套まで身につけている。護衛の防衛隊員のよれよれ戦闘服とは随分違う。

「今の戦闘ですが、なぜ貴君はご自分の悪魔を使用せず戦われたのですか」

「その必要がないと判断しましたので」

「どういった経緯で、そのような判断に至ったのでしょうか。小生に詳しく教えて頂きたい」

「…………」

 面倒くさいと思う。

 そもそも小生という一人称は、自分をいと高き場所に置きつつ目下の者に謙遜したように見せながら優位を示す嫌らしい言葉である。年配の者が使うならまだしも、こんな青年が使えば物知らずか自意識過剰のどちらかだ。きっと後者に違いないと亘は睨んでいる。

「説明はいいですけど、それより次のポイントに行きたいのですが」

「ああ、確かに貴君の仰る通りですね。次はここから西に三キロほどの地点での戦闘となります。そこで大型悪魔が確認されていますので対処をお願いいたします」

 視線はクリップボードのメモに向けられており、それを捲りながらの発言は表情も態度も事務的である。

――最近の若い者ときたら。

 つい年寄りめいた事を考えてしまうが、しかしそう言いたくなる気持ちはある。この青年士官ときたら、どうにも言葉の機微がない。たとえば戦闘直後の相手に対しては、まず労いの言葉をかけるべきだろう。それが象徴するように、全ての言動に相手に対する気遣いがないのだ。

 とはいえ、そんな細かい事を指摘する気もないので不満は心の中に留めておく。

「西に三キロなら徒歩で構わないです?」

「車両で移動した方が――」

「途中で悪魔を倒しますし、この距離なら徒歩の方が効率が良いかと思いますよ」

「……いいでしょう。徒歩での移動を認めます」

「それはどうも」

 亘はおざなりに言って歩きだした。

 実を言えば徒歩を選んだのは、この相手と同じ車で移動したくないだけなのだ。実際、ここまで移動する間に、今回の戦闘が如何に大切でこれによりどんな効果が得られ、出現悪魔の種類や行動パターンなどを延々と語られたのである。

 うんざりしているのが正直なところだった。


 日射しは心地よく微風もある。

 これであれば狭い車内で嫌な思いをするよりは、外を早足で進んだことは大正解だ。元からして歩く事に抵抗がない亘は景色を眺め歩きだす。

 道路脇には放置車両や瓦礫が押し退けられ山となっていた。

 これは、国交省が道路啓開作業を実施したためだ。とはいえ、危険を顧みず命懸けで実施をしたのは建設会社の社員であり、また現場に立ち会い指示した国交省の一般職員、護衛に来た防衛隊員たちだ。対策本部は作業進捗を数字で表し、その成果を誇らしげに発表をするだけだった。

 亘は交差点を通り過ぎ、石を拾うと遠方の悪魔を狙って投げつけた。外れた代わりに光の球が飛び、粉微塵に吹っ飛ばす。

「マスターもさ、まだまだなんだからさ。やっぱりボクがいなきゃだよね」

「野球は苦手なんだよ。親とキャッチボールをした事もないからな」

「じゃあさ、ボクとしよっか」

「よし、石を投げるから取って来てくれ」

「ちょっとそれさ、ボクを犬か何かに思ってない? 失礼なんだよ」

 懐から出て来た神楽は目の前で怒った顔をしてみせたかと思えば、機嫌良く飛びつき肩に腰掛ける。何かと忙しいが、どうやら二人っきりの移動が嬉しいようだ。

 出かける前にサキを七海たちの護衛に残すよう進言してきたのは、もしかすると神楽の策略だったのかもしれない。

 やがて道はのぼりになり、長めの橋となった。

 川面で何かが跳ねるのが魚なのか悪魔なのかは分からないが、神楽が反応しないのであれば魚のだろう。とはいえ、何が出ようと今の亘と神楽であれば、そうそう苦戦する事はないだろうが。

「ボク思うんだけどさ、マスターってばどーして他の人間に遠慮してるのさ」

「ん? 遠慮ってのは何だ。別にそこまで遠慮はしてないだろ」

「してるじゃないのさ。だって、さっきだって失礼な人間の相手してたし」

 ちらっと後ろを振り返るマネをするが、そこを低速でついてくる防衛隊の車両の青年士官の事だと言いたいらしい。

「嫌な人間なんて追い払っちゃえばいいのにさ」

「昔だが職場に嫌いな人がいた。居なくなればいいと思っていて、それが異動で居なくなった」

「よく分かんないけどさ、良かったじゃないのさ」

「でもそうなったら、それまで嫌いじゃ無かった人が嫌いになった」

「どして?」

「さあ? 性格的に誰かを嫌いでいないと生きられないのかもな」

 亘は寂しげに笑って足元の瓦礫を蹴飛ばした。

 力を入れたせいか、もの凄い勢いで飛んでいく。命中した木立に音と共に穴が開き鳥が一斉に飛び立った。後ろから聞こえる車両の音が止まったのは、悪魔の出現を警戒したからだろう。法成寺特製の装置で停止している間は隠形の効果で悪魔に見つかりにくくなるのだ。

 軽く手を振り安全だと合図をして亘は前を向き歩き出した。

「世の中ってのは一筋縄じゃいかないもんさ」

 これまでの経験からすれば嫌な相手が居なくなれば、それまで普通に思えた相手が今度は嫌になってくる。またそれが居なくなると、その次が嫌になる。嫌な相手に意識が集中しているからこそ気付かない別の人の嫌な点もあるというわけだ。

 それに相手が嫌だからと文句を言って排除していれば、周りにとって一番嫌な者が自分になりかねない。そんなのは哀しすぎる。

「でもさマスターがここで一番強いんだよ、嫌な人間なんて全部やっつけちゃえばいいのに」

 神楽は不満そうに声をあげ手を振り上げる。どうやら亘が他の人間に対し譲歩していることが不思議でならないらしい。

 その純真無垢さに亘は苦笑するしかない。

「倒すのは簡単だけど、それをしたらどうなる」

「どーなるって言われてもさ。うーんとね、すっきりする?」

「その通り、でもその場だけだがな。世の中は群れて生きているからな、暴力を振るえば社会生活から弾き出されるしかなくなる」

「だったらさ、ボクさ本で読んだけどさ。世紀末覇者みたいに力で人間世界を支配しちゃおうよ! マスターなら出来るよ! ボクもサキも協力するからさ!」

 おいおいと亘は笑った。神楽もどうしてなかなか悪魔らしいことを言う。

「分かってないな、人間は目に見える力だけで戦うわけじゃないぞ。力が無ければ無いなりに戦って生き延びてきたんだ。あらゆる時間をそれに警戒して怯えながら生きる? そんなの嫌じゃないか」

 たとえば独裁者の末路は悲惨で、仲間を疑い身内を疑い飼い犬でさえ毒殺し猜疑心の塊となって死んでいく。実際、力で服従させたとしても相手は腹の中まで従っていない。虎視眈々と機会を窺い、最悪のタイミングで裏切るだろう。

 踏みつけた者は忘れても、踏みつけられた者は忘れない。

 絶対にだ。

 亘は踏みつけられる側だったので、それがよく分かる。いつか機会があれば報復と思いつつ、その勇気も実力も足りないので我慢してきただけだ。しかし、絶好のチャンスがあればやっただろう。

「だいたいだな、なんで支配なんだ? そんなことしたら面倒じゃないか。上司として部下の面倒をみて世話して気を遣って……ああ、考えただけで萎える」

「そーゆーの考える時点で、マスターってダメなんだよね」

「うるさいな。こういう性格なんだ仕方ないだろ」

「はいはい。じゃあさ、マスターはどうなりたいのさ」

「どうなりたいか……」

 亘は腕組みすると、しばし空を見上げた。

「お金は欲しいし、全く目立ちたくないわけでもない。多少の権限とか権力はあって、でも面倒事とか責任はない方がいいよな」

「マスターってばさ、それ言ってて哀しくない?」

「ないに決まってるだろ。だが、その生き方は……水戸黄門だな。うん、間違いない。義公でなくって、あくまでも創作の登場人物としての水戸黄門だ!」

 肩書きと権力と地位を持って忠誠心溢れる部下に囲まれ、しかし自由勝手に旅して動き回って自分の正義を振りかざし場に乱入し好き勝手する。そして相手を叩きのめし最後は権力を振りかざし畏れさせ、ひれ伏させては自尊心を満たせる。そして後始末は気にせず去って行く。

「これぞまさに理想の生き方」

「あのさぁ……ううん、大丈夫だよ。ボク、マスターを見捨てたりしないからさ。そだねマスターが御老公なら、ボクは助さんでサキが格さんで――」

「神楽は、うっかり八兵衛だろ。うっかりカグ兵衛、なかなか語呂がいいな」

「ちょっとさ、それ失礼なんだよ!」

 わいわい騒ぐため、うっかり大型悪魔を見逃した。

 無視された大型悪魔が咆えると、神楽はジロッと睨みつけ光球を放って一撃で倒してしまう。とはいえ随行していた車両の者には、今の細かい事情は分からなかったようだ。

 追いついて来た車がブレーキ音を響かせ停止、青年士官が降車した。

 思わず呻いた亘であったが、神楽はわざわざ亘の前に来て舌を出して飛んで行ってしまう。つまり一人で相手をしろという事だ。

 青年士官はメモ片手に身を乗り出している。

「よろしいですか、なぜ今の戦闘では悪魔を倒すまでにタイムラグがあったのですか。周囲に他の者がいた場合には遅れが被害に繋がると小生は愚考するのですが、もし何か特別な理由があるのでしたら、是非とも小生にお聞かせ願えれば――」

「はあそれはですね――」

 淡々と言う青年士官を面倒と思う亘だが、しかし我慢しながら相手をする。

 それは大人としての対応でもあるし、なにより気心知れた仲間との語らいを楽しむのであれば、こうした相手も大事なのである。つまり美味しいものを美味しいと感じるには、多少の苦みも必要なのだから。

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