閑60話 めでたしめでたし
晴れ渡る空の下で、工事現場は忙しげだ。
バックホウの鳴らすホーンでトラックが停車すると、その荷台にバケットですくい上げた瓦礫が投入される。金属に硬物の擦れる耳障りな音が響き、粉塵が舞い上がった。二度三度繰り返された後、再度のホーンでトラックが重たげに走り出す。直ぐに次のトラックが近づき、合図のホーンで停車する。
近くでは油圧ブレーカーが崩れかけたコンクリート壁を破砕し、激しい打音と粉塵を生じさせている。ある程度の量になると笛が鳴り、別のバックホウが接近しアームを伸ばし器用に瓦礫を掻き集め、積み込み作業側へと押していく。
安全帽に安全チョッキ、防塵ゴーグルと防塵マスク姿の作業員が資材を担いで動き回り、進捗と出来形管理のために随時計測などを実施していた。
それはよくある工事現場の風景だが、通常と違うのは銃火器を装備をした防衛隊員と戦闘車両が存在する事だろう。もちろん悪魔の襲撃に備えてのことだ。
亘はそんな作業の護衛に来ていた。
「なあなあ、兵隊さんより俺と小父さんがいれば良くないか?」
歩車道境界のガードパイプに腰掛けたイツキは、暇そうに欠伸をして足をブラブラとさせている。傍らの亘は腕組みをしながら作業を興味深く眺めていた。
足元ではサキがしゃがみ込み、可哀想なダンゴムシを小突いて転がしている。
真面目に護衛をしているのは雨竜くんで、律儀な顔で周囲を巡回し異常を見逃さぬよう警戒中だった。こちらは当初こそ皆に驚かれ恐れられていたが、二本足でのそのそ歩き礼儀正しく頭を下げる様子に、今ではすっかり打ち解けている。中にはわざわざ作業の手を止め、気さくに声をかける人もいるぐらいだ。
「そうでもないだろう」
「なんでだ? 人手が足りないって聞いてるぜ」
「感情論の問題と言うか、目に見える安心感と言うかな。銃を持って多数の護衛がいる方が誰だって嬉しいじゃないか」
「俺は小父さんの側が一番嬉しいぜ」
言ってイツキは笑顔をみせる。
それは明るい日射しの中で無垢なあどけなさがあった。少女らしい雰囲気が強くなりつつあるが、半袖半ズボン姿もあって、まだまだ少年めいた印象が強い。
「そう言われると、なんと言うかだな……」
「照れた?」
「…………」
「でも、いい天気だよな。空気はちょっと埃っぽいけどよ」
「工事現場の近くだからな。これだけ粉塵をたてたら、普通だったら苦情ものだろうな。工事は即座にストップ、担当者が謝罪に駆け付け頭を下げて、粉塵対策が完了するまで再開できないだろうな」
「なんでだ? 世のため人の為にお勤めしてんのに?」
最近のイツキは何かとよく質問をしてくる。
いろいろ話をしたいのか、それとも世の中に興味を持って知りたいのか、または両方なのかは分からない。大半は素朴な疑問だが、しかし時には素朴であるが故に答えにくい質問も多かったりする。
今もまさにそれだ。
「まあ、各自が主義主張があるわけだし。私権意識が強い時代だからな」
「私権意識ってなんだ? なんで強いんだ?」
「そうだな――」
亘は律儀にも自分なりに考えた事で答えてやっている。懐っこく話しかけられるという経験は過去には無く、そもそも自分に関心を寄せてくれる誰かと会話ができることが嬉しいのだった。
『連絡……A2ブロック……な影を発見。繰り返す、A2ブロックに不審な影を発見……』
ハンディレシーバーから耳障りなノイズと共に緊張気味の声が流れて来た。
同様の通信は工事現場でも確認されたらしく、笛の合図で全作業がストップ。作業をしていた人々は指定場所に避難しだした。
「どうやら仕事だな」
「分かったんだぜ。よっ、と」
イツキは足を大きく振り身をのけぞらせ、その勢いと全身のばねを使って、とんぼを切って綺麗に着地をした。気付いた雨竜くんが駆けてくるが、どうにも鈍臭い大型犬といった風情だ。
「……やっぱ、あれだな」
「んっ? 式主どした」
「つまりな。味方になった敵キャラは常に弱体化するものなんだよ」
「?」
「なんでもない。さて、行くか」
イツキは張り切っているせいか、もう一人で先に走りだしている。戦闘力的にそこらの悪魔に負けないだろう。だからと言って怪我をしないとは限らない。
身内や仲間に対しては心配性な亘は急いで後を追いかけた。
「神楽がいれば早かったのだがな」
手足の長い悪魔を前に、亘はぼやいた。
A2ブロックに到着した時は悪魔の姿がなく誤報かと思ったが、サキが嗅覚で存在を感知したため念入りに捜索。しかし臭いはすれど姿がない。困って空を仰いだところで、ビル壁面の上に張り付いているのを見つけたのだった。
「ここは俺に任せて欲しいんだぞ」
「分かったが油断はするなよ。怪我したら痛いし大変だろ。ちょっとでも危ないと思ったら直ぐに言うように。いや、危なそうだったら直ぐに手を出すからな」
「小父さんってばな、心配してくれるのは嬉しいけどよ。ちょっと心配しすぎだぜ」
「心配だから仕方がないだろう」
「その気持ちが嬉しい」
クスッと笑ったイツキの様子は妙に女の子っぽくて、つまり色気のようなものがあった。普段の少年めいた姿とのギャップを感じ、亘は軽く戸惑った。
だがしかし、それも少しの間だけである。
両手を握って気合いを入れるイツキは、元気のよい少年っぽくなった。
「いよっし、やっちゃうぞ!」
脇差しが引き抜かれ逆手に構えられる。
悪魔が反応。壁に張り付く手足が動き、そして跳ぶ。落下しながら空中で一回転し、イツキへと長い手を振り下ろす。先端は鋭い爪となっている。ひょいと飛び退いての回避で、その爪は空振りし地面に叩き付けられる。
コンクリートの足場が砕かれ深々と切り込み跡が残った。この一撃を受ければ、人間など縦に裂かれて、ひとたまりもないだろう。見ている亘は冷や冷やものだ。
横合いから雨竜くんが突進、悪魔が弾き飛ばされ壁に激突。それでも即座に体勢を整え地面に両手両足をつき身構えた。イツキの脇差しが一閃するも、素早く跳び退く相手の鼻先を掠めただけだ。
意外に身のこなしが軽く、見ている亘はウズウズしだしている。
悪魔は着地して直ぐに跳ね、今度は壁を蹴ってまた跳ねる。壁面の看板が落下し、地面に叩き付けられ激しい音と埃をあげ破片を散らした。
「そこっ!」
片手で投擲されたクナイが一直線に飛んで悪魔の脇腹へと命中。怯んだところに雨竜くんが再度突っ込み、今度は逃がさないように押さえ付ける。タイミングを合わせ軽やかな身のこなしで大きく跳んでいたイツキが、脇差しの刃を悪魔の頭部に思いっきり叩き付けた。
手足の長い悪魔は一瞬だけ体を痙攣させ、直後に弛緩し顔面から地面に突っ込んだ。後は徐々に姿を消す横で、イツキと雨竜くんが揃って片手をあげている。きっと事前に練習でもしていたのだろう、見事に揃ったポーズであった。
「めでたしめでたしか」
自分の心配が杞憂だったと知った亘は軽く肩を竦めた。しかし、だからと言って安心して任せきりにはしないだろう。なにせそれが性分なので。
「俺の活躍凄かっただろ」
「凄かったな」
「雨竜くんも格好良かっただろ」
「……頑張ってたな」
「そうだろそうだろ」
イツキは上機嫌に両手を頭の後ろに組み、足を投げ出すようにして歩いて行く。雨竜くんを格好良いと言い難かった亘の逃げ口上に気付きもせず、何度も顔を見上げあれやこれやなんやかやと話しかけている。
戦闘の勝利が嬉しいのではなく、自分の活躍を見て貰えたことが嬉しいらしい。
両方共に嬉しい気分で歩き、ふらふら遠くに行きかけるサキを呼んでは元の場所へと戻って行く。穏やかな日射しの中に何とも言えぬ、まったりとした気分だった。
しかし、工事現場が見えてきたところで、亘は眉を寄せた。
「ん? なんだか騒がしい様子だな」
「本当だ。なんかあった感じだぜ」
「ちょっと急いで戻るか」
「了解なんだぞ」
軽い走りで戻ってみた。
慌ただしげに動き回る防衛隊員に、興奮気味の作業員たち。地面には防護ヘルメットが転がり資機材が散乱しており、ざわついた雰囲気は何かの事故が起きた直後のようだ。
防衛隊員の一人を捉まえた。
「何かあったんですか?」
「悪魔の襲撃がありました」
「えっ……」
亘は血の気の引いた気分となった。胃の腑を掴まれたように重くなるのは、仕事のミスを雪隠詰めで追い込まれたトラウマのせいだ。
つまり誰かが傷ついた事そのものの責任と、自分が責められることへの恐怖の両方がある。どちらが大きいかを正直に言えば、間違いなく後者の方が大きい。咄嗟に言い訳を考えてしまう自分が情けなかった。
眉を寄せ沈鬱な顔をした亘に対し、しかし隊員は亘が前者の思考をしていると捉えたらしく軽く安心させるように笑ってみせた。
「幸いにも全員無事です」
「そうなんですか。それは、それは良かった」
胃の腑の重さが一気に軽くなった。
「確かに危ないところはありましたが……実を言いますと亀が現れたのです」
「亀?」
「ええ、突如として亀が飛んできまして。それが次々と悪魔を倒してくれました」
「はあ……亀が……」
「地元の方が言うには、この辺りで祭られていた亀神様に違いないと」
「なるほど」
亘の脳裏には、少し前に逃がしてやった亀の姿が思い浮かんでいた。鶴ならぬ亀の恩返しだが、きっとイツキの為に動いたに違いない。下手をするとイツキが呼べば、どこからともなく飛んで来るような気さえする。
「ほらな、やっぱり良い奴だったんだよ」
イツキは得意そうな顔をするが、そこには雨竜くんや亀のことを誇っているだけの気持ちしかない。きっと、こうした無邪気さが大事なのだろう。
自分も少し素直になろうと思う亘だったが、それは思うだけで素直になれるはずもない。なにせ、この年齢になってからの性格矯正は難しいのだから。
騒々しい工事が早くも再開されだしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます