閑30話 将来DV旦那
「俺と付き合ってくれ」
そんな言葉を聞かされ、舞草七海は困り果てていた。
場所は校舎裏の非常階段の脇になる。理科準備室の近くで教室からも遠くグラウンドからも離れており、昼休みでも滅多に人が近寄らない場所だ。
真剣な顔をする見知らぬ相手に対し、七海は申し訳なさそうに断る。
「ごめんなさい。好きな人がいるので、お付き合い出来ません」
制服のスカート前で手を重ねると、肩にかかる黒髪をさらりと揺らしながら丁寧に頭を下げた。相手の想い拒否することへの心苦しさで申し訳ない顔になる。
ただ残念なことに、そんな丁寧な態度は相手には伝わらなかった。長身でイケメンな男子生徒は断られると思ってもないらしい。ヘラヘラと笑い明るく冗談めかした態度をとった。
「は? いやいや、冗談はいーからさ。返事はイエスかハイだよな」
「ですから、私には好きな人がいます。だからムリです。ごめんなさい」
「…………」
重苦しい数瞬の間に、男子生徒の顔は上がっていた口角が下がり、目が大きく開き鼻の頭に皺をよせた。
「おい、待てよ。俺が告白したんだ。断るってのはなんだ、バカにしてんのか!」
「バカにしてませんよ。ごめんなさい」
「ふざけんな! 俺のどこが不満だってんだ! ええ、おい! その好きなヤツってのは、どこのクラスのヤツか言ってみろよ!」
今にも掴みかからんばかりとなり、制服姿の七海は身を固くする。ただし怯えているわけではない。もっと恐ろしい人外生物と対峙したことのある七海からすると、この程度であれば大したものでもない。
むしろ冷静に相手を観察し、場合によっては自衛行動に移ろうという考えをしている。そのメリハリある身体の腰元では、白い綿毛のアクセサリーが呼応するように揺れだしていた。
「なんやなんや、何の騒ぎやろなー」
横手にある非常階段の上から暢気な声が聞こえ、降りてくる足音が響いた。思わぬ闖入者の気配に気付き、男子生徒は軽く舌打ちしながらひと睨みする。
「もういい。お前みたいな女はこっちからお断りだ。これで切らせてもらうからな。後悔すんなよ」
自分勝手な捨て台詞を吐き去っていくが、途中の石を蹴飛ばしていく有り様だ。七海は相手の心情が理解できず、モヤモヤした気分となる。捨て台詞はそうさせることが目的なので、その意味では成功したということだろう。
「よっと、お疲れさんやったな。どや、タイミングばっちりやったろ」
非常階段の途中にある踊り場から声が降ってくると、明るい顔の少女が身を乗り出した。落ちそうなぐらい頭を下げると、ポニーテール風の髪が真っ直ぐ垂れる。
金房エルムの悪戯っぽそうな顔が面白がってニヤケる様子を見上げ、七海は微笑んだ。
「うん、ありがとう。エルちゃん」
「なんの、なんの」
ここにエルムが現れたのは偶然ではない。最初から待機していたのだ。それでトラブルになりそうな雰囲気になったため、ワザと声をあげている。下駄箱の手紙で呼び出されたからと、一人で行くほど愚かではない。
上半身が引っ込み、エルムがトントンッと残りの階段を下りてきた。それに合わせ髪がピョコピョコ揺れ、スカートがふわりと揺れる。
「よっ、と」
エルムは地面に着地すると、そのまま階段に座り込む。手招きされ七海も横に並んで腰をおろす。ふざけたエルムは七海の肩に頭を載せるようにもたれ掛かった。
「今回のチャレンジャーは自信満々やったな」
「エルちゃん、その言い方は……ええっと、名前も知らない男子に失礼ですよ」
「あのな、ナーナの方が失礼やで。せめて名前ぐらい覚えてやらんと可哀想やら。手紙に書いてあったやろ」
エルムの怪しい方言口調に、しかし七海は頭を振った。
「ありませんでしたよ」
「……そうか告白の手紙には名前を入れんもんなんか。でもな、イケメン梅忠君を知らんとはナーナも大概やで」
最終学年になって引退したが、野球部の元キャプテンにしてエース。大学もスポーツ推薦が決定し、親は政治家で将来性抜群。爽やかな微笑みに女子生徒は皆ときめく……というのがエルムの説明だ。
「なるほど、そんな方でしたか」
しかし七海ときたら興味なさそうに相槌をするだけであり、これにはエルムも苦笑してしまう。
「まあええわ。しっかしなあ、今月に入ってからだけで何人目の告白なんや。確か五人やなかったか」
「そうでしたっけ」
「酷いわ-。ちっとは記憶に残しなれや、気の毒やんな。まあ、記念告白が大半やでしゃあないやろけど」
七海が人数を覚えていないのも無理ない。高校最後の年になってか、断られることが前提の記念告白が増加しているのだ。七海が卒業する前にせめて想いを伝え、あわよくばということらしい。
だが正直言えば、七海は困っていた。相手は一回だけの告白のつもりでも、その都度呼び出される方は何度にもなる。ごめんなさいと謝るのも、これで結構心苦しい。
「かーっ羨ましいわ。でもまあ、今日みたいなんが時々おるでな。なんやろな、あの世の中全部が、自分の思い通りになると信じとる態度っちゅうのは」
あそこまで怒りだすのは初めてだが、中には子供じみた癇癪を起こし文句を言いつのる相手もいる。一々相手にせず、どうせ断るなら呼び出しなんて無視すればいいというのがエルムの言だ。しかし、律儀にお断りせねば、というのが七海の言だ。どっちも正しい。
「いつも一緒に来てくれて、助かっております。エルム様のお陰です」
「えっへん、護衛はウチに任しときや」
七海が頭を下げてみせると、エルムは偉そうに胸を張ってみせる。そして顔を見合わせ、笑いさざめく。そんな些細なやり取りが妙に楽しい。
グラウンドを眺めると、強い日差しの中、暑さにも負けずボールを追って走る姿が見える。その光景は夏そのものだが、日陰のコンクリートの冷たさに季節が過ぎつつあることを感じていた。高校生活もあと僅かしかないのだ。
「せやけど、ウチより心強いボディガードがおるやろ。エンダァーイヤァンってな」
「そうだ、アルルもありがとうね」
七海は腰元の綿毛を掌の上に載せると、にっこり微笑んだ。
白い綿毛に目が現れ、線のような手足が伸びる。地面の上で踊ってみせるそれはケサランパサランで、『デーモンルーラー』により使役される悪魔だ。七海から転がすように撫でて貰うと、手足を嬉しそうに振り回している。
「そんなら、ウチの報酬はいつものスイスの口座に」
「はいはい。いつもの通りのドリンクですね」
「もうノリ悪いで。あっ、シェイクで頼んます。セットも付けてええやろか」
「今月のお小遣いがピンチなので、シェイクだけでお願いします」
「えーなんでや」
「イツキちゃんにご馳走したら……予想以上に、お金が無くなりました」
七海はグラビアアイドルとして活躍している。しかし、それで得られる報酬は世間で思われているほど多くない。さらに家業の花屋の経営を助けるため、全て家計に入れている。だから、使えるお金はお小遣いしかないのだ。
田舎から出てきた居候少女にご馳走したり遊びに連れて行ったりすると、あっという間にお小遣いは無くなってしまうのだ。その辺りの事情を知るエルムはムリを言わない。
「しゃーない。そんなら、シェイクで我慢するわ」
「ありがとう」
にっこり笑う姿は同じ女であるエルムから見ても魅力的だ。魅力的すぎて、少しばかり恨めしくなる。
「ウチもナーナみたいやったらなあ……」
目鼻立ちがすっきりし美人で可愛らしい顔。自己主張する大きな胸。それなのにムダ肉のない体つき。さすがグラビアアイドルなスタイルで、大半の女子なら自信喪失してしまう。それでいて、性格は優しく控えめ。
自分が男なら、やはり告白したに違いないとエルムは思っている。
「そんなことないですよ」
「あんなあ、ナーナ人気なかったら誰も人気あらへんで。この胸やこの胸が羨ましいんや、このこのこの!」
「ダメですっ、痛い痛いです」
身体を傾けたエルムが背後から手を伸ばし、七海の胸を鷲掴みにする。きゃあきゃあと悲鳴をあげじゃれ合いを始める。偶に教室でもこんなセクハラ紛いをするため、エルムは男子生徒から別の意味で人気があったりする。
周りに人がいないためか、エルムの攻撃はいつもより激しい。胸を揉みほぐされた七海は魔手を逃れると、顔を赤くしてエルムの頭にチョップを落とした。
「あたたっ、酷いで。なんや、また大きゅうなっとる気がするんな。揉み応えがこう……冗談や。睨まんといて」
七海は両手で胸を庇いながら睨んでいる。やり過ぎで少し怒っているようだ。エルムは痛む頭を押さえつつ、慌てて話題を変えにいく。
「せやけど、あのイケメン梅忠君があないとはな。こら噂も本当かもしれんな」
「どんな噂ですか?」
「ん、まあな。言うと悪口になる内容なんで、あんま言われへんけどな。黒い噂がチラホラとな。なんにせよ、ああいうのが将来DV旦那になるんや」
エルムは腕組みすると、もっともらしく頷いてみせた。
「落ちついていて、穏やかで他人のことを優先できる人なら大丈夫ですよね。そう五条さんみたいな人なら」
本人が聞いたら必死で否定しそうな内容を述べ、七海はムフンと自慢げに胸を張った。
そんな友人の様子にはエルムも呆れ顔をするしかないが、実は似た感想を持っている。おかげで、最近は同年代の男子が子供っぽく見えて仕方がない。
教室の中を大声あげながら走り回ったり、箒でチャンバラをしたりする。下らないことで大笑いしたかと思えば、不必要に小難しい言葉遣いをしてみせたり。弁当の早食い競争なんて小学生レベルだ。
しかも、そんな行動の端々に、それが格好良いだろと見せつけてくる雰囲気がある。そうしたところが本当に子供っぽい。
「確かに、あん人は一緒におって安心できるし、黙って話とか聞いとくれる。ええお人や」
「そうなんですよ、最初の頃は素っ気ない感じでしたけど、色々話してくれて教えてくれて楽しいですよね。あとですね、料理も詳しくて上手でこの前のハンバーグなんて美味しかったです。それから――」
得意げな七海は妙に饒舌だ。そんな様子に何かを連想したエルムだが、ややあって気づく。それは小学生の頃によくいた父親を自慢する女の子だ。
「あ、分かったから。もうええで、うん」
エルムは苦笑した。この姿を男子生徒どもが見たらどう思うやら。そして悪い癖が頭をもたげ、つい友人を弄りたくなってしまう。
「そんで、どうなんや」
「どうとは?」
「もう嫌やな、とぼけんといて。部屋でご飯食べとるんやろ。その後の、あーんなこととか、こーんなこととか。ほれ、白状しなれや。うりうり」
「…………」
七海は急に無言となって下を向いてしまう。この反応は予想外。せめてキスぐらいはと思っていたが、それさえ無さそうな反応だ。
「あ、あれ? まさか何も? 嘘やろ」
「いいですもん。今度、遊園地に連れてって貰う約束をしてますから。きっと、そこで!」
七海は両手を握って気合いを入れてみせる。でもエルムから見ると、『お父さんに遊びに連れて行って貰おうと気合いを入れる女の子』の感じだ。
「これはマジでウチにもワンチャンありかも……」
「エルちゃん?」
「あっはっはっ、何でもないで。おっとお、予鈴が鳴っとるやないですか」
エルムは勢い良く立ち上がる。制服のスカートを軽く払い、七海に手を差しだした。何の含むところもない、仲の良い友人同士なのだ。
「そろそろ教室に戻らなあかんわ。ああ、午後の授業怠いわ」
「あ、そういえば小テストがあったような」
「いやん、マジかいな。もうすぐ卒業なんやで、もうテストなんてせんでもええやろ。はあぁ、早いとこ戻って準備せな」
少女二人は賑やかしく駆けだした。告白云々はともかくとして、その後のやり取りは記憶にも残らない何気ない日常の、けれど貴重な青春の一コマだった。
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