第210話 現れたシルエットは女性
「五条さん、顔に血がついてますよ」
七海が片手で胸を隠しながら手を伸ばす。ひどく気遣わしげな顔をしてくれるが、亘は目線を動かさないようにするので精一杯であった。
「うん? ああこれか。返り血がついただけだから心配ない」
「そうですか返り血ですか、よかっ……えっ!? 返り血?」
遅まきながら七海は周囲を見回した。
オレンジ色の外灯と大型車両のライトが周囲を照らしだし、その光が強いせいで残りは濃い闇に包まれている。狭い範囲に見える場所だけで何人もが倒れている。そしてトラックを背に身を縮こまらせる男たちと、その前でフワフワ浮かぶ神楽。
さすがにこれを見ただけで理解するのは難しかろう。
「この人たちどうしたんですか。それにあのトラックはさっきの……」
「襲ってきた連中でアマテラスの関係らしい」
「どうして……」
「サキのせい」
聴覚の鋭いサキは全てを聞いていたらしく、しょんぼりとする。けれど亘は宥めるように金色の髪をクシャクシャにした。黒い二房がまとわりつくように動くのは気のせいだろうか。
ついでに七海にも手を伸ばす。
「もう大丈夫だからな。よしよし」
「あっ」
この娘が無事で良かったと心底安堵をかみしめ、サキとまとめて抱きしめた。
――さて、どうしたものか。
そして考える。これからどうすべきかを。
冷静になってみると、今の自分が置かれた状況がいかに拙いかに気付かされる。アマテラスの一部とはいえど、戦いになったのだ。しかも拷問まがいをして、あげくに何人かは殺している。
しかも思い出せば、これは二度目。
前にはシッカケの里の連中と敵対している。一応和解したとはいえ、そうした事があった事実は消えない。そうなれば心証はよろしくない。このまま全面対決という可能性がある。
そうなれば勝ち目などない。相手は組織でこちらは個人。戦いは数だと偉い人が言ったように、物量に圧倒され倒されるのがオチ。
亘は助かる方法を必死で考える。
一つ目はサキを差し出すこと。
だが、これはありえない。検討する余地すらないことだ。自分の家族を差しだし、媚びて生きのびられるほど卑怯者ではない。
そうなると二つ目だが、アマテラスと戦うこと。
もちろん物量の前に勝ち目はないが、やり方はある。つまり相手に敵対することが損だと思わせればよいのだ。例えば本拠地を聞き出し、そこにピンポンダッシュ的に襲いかかる。または幹部連中を一人ずつ暗殺。もしくは施設を破壊し経済的ダメージを与えるかだ。
邪悪な発想で亘が思い悩めば、善良なる七海が小首を捻る。
「あのう、どうされましたか。悩んでるみたいですけど」
「いやなに。これから、どうしたものかとな。アマテラスが襲って来たら、どうやって対抗しようかなっと。やり方を考えていただけだ」
「戦うより相談してはどうでしょう。例えばですね、新藤社長さんとかアマクニ様とか」
「それだ!」
何故思いつかなかったのか。
視野狭窄に陥り戦うことばかり考えていたが、七海の言うとおりであった。以前のように新藤社長を巻き込んでしまえばよい。あとは困ったときの神頼みで、アマクニ様に庇護して貰えば完璧ではないか。
亘は方針を決め算段を立てだす。
その時、サキが唸り声をあげだした。警戒と注意を促すものだ。
「何か来る」
サキが彼方を睨みやった。
山道を接近するヘッドライトの光が幾つもあった。曲がりくねった道に従い、指向性ある光があちらこちらへと向けられている。やがてエンジン音と走行音の混ざった音が耳に届きだした。
神楽がヒラリと飛んでくる。トラック脇の連中など、どうだっていいだろう。七海に軽く手を振って挨拶しながら、亘に問いかける。
「マスターやっちゃおっか。先手必勝でさ、車ごとドカーンでいいよね」
「まあまてよ、無関係の一般車かもしれないだろ」
「違うよ。あの車に乗ってるのってさ、その人間たちみたいな感じがするもん」
接近する車を睨む眼差しには険があり、口を尖らせている。気が立っているのは間違いないようで、今にも攻撃をしかけそうな様子であった。
しかし亘はそれを押しとどめる。
「ちょっと待った。まだ物事を穏便に運ぶ可能性もある。相手が車を降りるまで様子を見ておこう」
「そだね、面倒がったら駄目だね。ちゃんと一人ずつ倒さないとだもんね」
ちゃんと理解してくれているのか不安だが、神楽は腕組みして頷いている。
車が次々と停車した。
台数はヘッドライトの強い光に紛れ数えられず、ドアが開く音もバタンバタンと連続して数えられない。そうして現れた連中は、転がった男たちの惨状に息を呑んだ。
――さあ、どう来るか。
亘は相手の出方を伺う。
襲って来るのであれば、かかる火の粉は払わねばならない。返り討ちにして、この場をしのぐ。そして車を奪ってキセノン社かアマクニの元に駆け込み庇護を求めればいい。
立ち上がって待ち構えるが、相手を油断させるため力を抜く。心を落ち着け、身体の中のDPを抑え込みもする。もちろん神楽とサキはいつでも動いて襲いかかれる態勢だ。
ヘッドライトの光の中に現れたシルエットは女性だ。
こちらに走って来る。
ようやく逆光から逃れた相手の姿を見ると、場違いな事務服姿であった。しかも見るだけで気の毒になりそうな泣き顔だ。それでも油断はできない。だが――目の前で見事な土下座が披露された。
「すいません、すいません。本当すいません」
これには殺る気満々だった神楽とサキでさえ戸惑い、どうしようと亘を見やるのだった。
◆◆◆
「申し訳ありませんでしたぁ!」
そう言って事務服姿の女性は深々と頭を下げた。
困り顔の泣き顔のため幼く見えるが、ぱっと見て二十代の前半ぐらい。なんと言うか世間ずれしてない素朴さや純朴さを感じる雰囲気だ。顔立ちも美人と言うよりも、可愛いといった形容詞が似合うだろう。
「とりあえず――その土下座はやめませんかね?」
「でもしかし! そのっ申し訳なくって、謝罪の意を!」
「ええっと何と言うかな。そんなことされると……」
言葉に詰まった亘をフォローすべく七海が口を挟んだ。
「つまりですね。そこまでされてしまうと、逆に威圧感を覚えるということですよね」
「そうだ、七海の言う通りだ」
「申し訳ありません」
女性は急いで立ち上がると、うつむき加減で見つめてくる。それは、叱られた子供を連想してしまう様相だ。これなら七海の方が、よっぽどしっかりしている。
そして女性は一生懸命に事情を説明してくれる。
あらましは先に聞いていた通りだ。
アマテラスの寺社系列の暴走を察知した神社系列の者が止めようとしたが間に合わなかったということだ。
「なるほど」
亘は頷いた。
「あっ、申し遅れました。私の名は一文字ヒヨと申します。どうぞヒヨとお呼び下さい。ヒヨです、ヒヨ」
「はあ」
妙に力んで自分の名を連呼する様子には戸惑うしかない。
なんだか戦う気が削がれる相手だ。
「えっとNATSで課長を勤める正中とは親戚です。それから、テガイの里の藤源次さんとも知り合いなんです。ああそうです、イツキちゃんは元気ですか」
ヒヨは一生懸命知り合いの名を並べたてている。
どうやら、それは少しでも亘に親近感を抱かせ敵意を解きたいらしい。なんとも稚拙な企みであった。しかし、あまりに稚拙すぎて亘は警戒を少し解いた。
「なるほどヒヨさんはイツキと知り合いですか。あいつなら元気すぎるぐらい元気で、そういや今日はどうしてたっけ?」
話ながら七海に話を振る。
「エルちゃんの家に遊びに行ってますよ。そうです、私、一文字さんのこと聞いたことあります。とても凄いお姉さんで、凄いので憧れてるとか話してくれました」
「へえイツキのやつがヒヨさんのことをね……うん? どうしましたかな」
ヒヨは子供みたいに手を合わせ喜んでいる。どう見ても凄いお姉さんとか、憧れるような対象には見やしない。
「いえ、嬉しくって。イツキちゃんがそんなことを言ってくれただけです。別にヒヨさんと呼ばれたからではありません。気にしないで下さい」
頬を押さえ照れる姿に、なんだか変な人だなという感想を持つ。そんな様子で会話していると、本当に警戒していた事がバカらしく思えてしまうぐらいだ。
敵意の薄らぎを感じたのか、ヒヨは安堵した顔をとなる。なんとも分りやすい女性だ。
「可愛い従魔さんですね」
そう褒めてくるが、神楽とサキは獲物を見やるような目を崩していない。とても可愛いと呼べる状態ではなく、社交辞令なのは間違いないだろう。
「そらどうも。お誉めに与り光栄ですな」
「あまり見るな」
ボソッとしたサキの呟きで、ヒヨは顔を強ばらせ身をのけぞらせた。
「ご、ごめんなさい……」
「すんませんな、うちの従魔は失礼なもんでしてね。こら失礼なことを言うなよ」
「むう」
注意されたサキは上目遣いになって頬を膨らませた。もっとも亘は形の上で言っただけなので、手では優しく金色の髪を撫でにいく。それでサキの不満は一瞬で解消されてしまった。
ヒヨは強ばった顔に精一杯の笑いを浮かべた。
「七海さんはお疲れの様子ですよね。それと、着替えも必要ですよね。まずは、あちらの車でお休みしてはどうですか」
「お気遣いどうも、どうする?」
「そうですね。少し休ませて頂けるなら、確かにありがたいです」
実際、七海は少し疲れ気味の様子だ。幾ら魔法で回復されたとはいえ、ダメージを負ったことに変わりはなく精神的な疲労もあるだろう。
「では少し休ませて貰おう」
亘は頷くと、七海の肩を抱きながら車に向かった。
そしてヒヨが持って来てくれた膝掛け毛布を七海に渡すと、亘は開け放ったドアから足を車外に出したまま軽く腰掛ける。
いつでも動ける体勢ということだ。
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