第211話 一流であるが、超一流ではない

「許してくれるでしょうか……お腹痛い……」

 ヒヨは深々と息をつきつつ、部下たちの元へと向かう。足下で何かを蹴飛ばせば、それが貴重な銅鏡だと気付いて拾い上げた。

 青銅の塊を握りしめると少し心が落ち着いてくる。ようやく自分が冷や汗をかいていると認識する。それも背中に服が張り付くほど。

 恐かった。

 それも、とっても恐かった。

 数ヶ月前に『デーモンルーラー』の従魔は弱いと口にしていた自分の馬鹿さ加減には呆れるばかり。過去の自分に出会えるなら、襟首掴んで揺さぶりたい。

 ヒヨには相手の力を見抜く力――見鬼の力――がある。

 それで五条亘の従える悪魔の力を見たわけだが、話には聞いていた以上のものであった。


 まず小妖精のピクシーは魔力の塊。並の悪魔どころか異界の主さえ軽く陵駕している。もう名前付きで物語られてしまうぐらいだ。その魔力による攻撃を防ごうとすれば、何十人単位で結界をつくらねばならないだろう。

 さらに九尾の狐の分け身。もうこれは駄目だ。殆ど完全に力を回復させてしまい、強烈な圧迫感を覚えるほどだ。見鬼の力に気付き『見るな』と釘を刺されたが、下手するとあの場で襲われていたかもしれない。

 その忠誠心を一身に集めている五条亘。

 寺社系列暴走の報を掴み急ぎ飛び出してきたが、実のところ上からの指示には、場合によって五条亘もろとも始末するような命令もあったのだ。きっと、そんな事をすれば間違いなく辺り一帯が壊滅し、歴史に名を残すぐらいの大災害が発生するに違いない。

「いかが致しましょうか。ピヨ様の命がありませば……」

 ヒヨの思考を遮るように部下が声をかけてきた。ピヨと呼ばれたことすら気付かないほど、今は焦っている。

「だめです。寺社系列の者だけ、回収しちゃって下さい」

「よろしいので?」

 ヒヨは黙って頷き、手にしていた銅鏡を渡した。

 見えないことは、それはそれで幸せなことに違いあるまい。相手が実力を隠していれば、それに気付くことなく恐怖を感じることだってないのだから。

 恭しく銅鏡を運ぶ部下が少し羨ましく思えるヒヨであった。

「負傷者には適切な治療を。それから、亡くなった者も丁重に運んであげて下さい。あと、どうやら崖下にもいるみたいです」

「かしこまりました」

「さて、どうしたらいいのかな……」

 ヒヨは指を頬にあてながら思考を再開する。

 分からないのは五条亘だ。見鬼の力で見ると、確かに並外れたDPを秘めていることは分かる。でもそれは、アマテラスの一流の術者と同じか少し上。一流であるが、超一流ではない。

 あれなら従魔たちの方がよっぽど強いだろう。

「でも、そんなはずないよね」

 悪魔が自分より弱い相手に従うわけがない。

 デーモンルーラーで喚ばれたピクシーはともかくとして、狐の方が従うはずもないのだ。あの手の妖狐は、気に入った者を徹底的に守護することはある。でも、それとは違う。完全に従えられていた。

 ありえない。

 つまり何かある。

 ヒヨは思案しながら、ガードレールが破れた場所から崖下を覗き込む。腰が引けた恐々とした仕草だ。かなり下に何か燃える塊が見える。恐らくそれが五条亘の乗っていた車に違いない。

 服の焦げた様子からみると、火に焼かれたのは間違いない。つまり崖下に落ちたのだ。なのにどうして無事でいられるのだろう。

 従兄が『決して敵に回すな』といった警告を思い返すヒヨであった。


◆◆◆


 亘は大きなあくびをした。

 目の前では戦いの痕跡を消す作業が進められている。ガードレールを突き破った箇所は単管バリケードが置かれ、血の跡には砂が巻かれ抉れた地面は丁寧に均されていった。

 夜間なので何かしら見落としはあるだろうが、少しずつ片付けられている。

 さらに周囲で倒れていた男たちが回収されていく。

 担架で運ばれる者もいれば、収納袋に入れられ運ばれる者もいた。そのせいか少し抹香臭いような、樟脳の香りが微かに漂う。

 嗅覚の鋭いサキなど嫌そうな顔をして、小さなクシャミをした。迷惑なことに顔をすりつけ鼻を押しつけ、辺りの香りから待避してくる。

 それを撫でながら亘は呟いた。

「うん、少しやり過ぎたかな」

「なんでさ!」

 呟いた亘の頭上で、たちまち不満の声があがる。こちらも迷惑なことに地団駄を踏みさえするではないか。どうにも、従魔二体から酷い仕打ちを受けているような気がする。

「一歩間違ったらさ、マスターが死んじゃってたんだよ。反撃するのって当然じゃないのさ。それともなにさ、黙ってやられるつもりだったの? 違うでしょ」

「んだんだ」

「向こうはさ、マスターを殺す気で来たんだよ。だったら、その逆になる覚悟だってあったはずだもん。それともなにさ、マスターはさナナちゃんが無事じゃなかったらどんな気分なのさ」

「無事じゃなかったら、だと……」

 亘は目が強さを増した。忌々しげに車外に出した足を地面に擦りつける。その仕草に神楽とサキは思わず身を強ばらせているぐらいだ。

「どうなっていたかな……」

 小さな毛布を肩からかけて貰い寝ている七海。もしこの少女を失っていたら……そんなこと恐くて考えられやしない亘だった。


◆◆◆


 ひと通りの片付けが終わりトラックが回送されると、周囲は山間の静けさを取り戻した。もっとも、それは無音を意味するわけではない。

 フクロウや名の知らぬ鳥が鳴き、虫の音が響く。風に梢がざわめき、上空の大気のうねりが聞こえる。そんな静けさだ。

 亘は物憂げに夜空を見上げていたが、砂利を踏みしめる音に視線を転じた。あのヒヨという女性が丁寧に頭を下げている。

「お待たせしました」

「全部片付いたようで。ところで車の保険を申請したいわけで……事故証明のために警察を呼んでも無駄かな?」

「申し訳ありません。事故そのものが無かったことになるので、それ無理です。でも車は、私どもで用意します。希望がありましたら、お申しつけて下さい。なんでしたら、お金での補償でも構いませんから」

「あの車は思い入れがあるのでな、お金の問題じゃないが……まあ、生活に車は必要だ。少し考えさせてもらおう」

 勿体ぶってみせたが、ヒヨが補償を口にしたのでホッとしている。補償する気があるなら敵対する気は薄いだろう。あと、貰えるものは貰いたい。

 一瞬、高級スポーツカーでも要求してやろうかと思ったが、そんなセコイ真似はやめておく。それに現実面で考えても、高級車スポーツカーなんて手に余る。アパートの駐車場に置きでもすれば、瞬く間に刻み模様を付けられるのがオチだ。

 嫌な話だが、世の中には妬みのまま行動する者がいるのだから。

「それとですが、お詫びとか賠償の話もしたいのです。なので、アマテラスの本部まで足をお運び願えないでしょうか」

「本部ねえ。今の状況で行くと思う?」

「えっと……」

 問われたヒヨは視線を逸らした。その先に警戒心露わな神楽とサキの姿がある。

「できましたら、その……他にもお願いしたいことがあるので……」

「お願いしたいこと?」

「はい。今回のような事態を起こさないための措置にもなります。申し訳ありませんけど詳細はここで申せません。お願いします」

 ヒヨは何やら頬を染め、一生懸命頼み込む。

 それはまるで朝ドラのヒロインのようだ。つまり、頭を下げると見せつつ自分の意見は絶対曲げず、相手を根負けさせ意見を押し通そうとする雰囲気があるということだが。

「ふうん……」

 亘は眉を寄せ考え込んだ。

 流石にそこまで気を許すつもりはない。いくら頼まれようとも、つい先程会ったばかりの相手をすんなり信用するほど愚かではなかった。しかし提案を蹴れば敵対ルートが確定してしまうかもしれない。

 亘が迷っていると、そこに忍び装束の男が音もなく姿を現わした。

「待たせたのう。とはいえ、どうやら遅きに失したようだがの」

「藤源次様!」

 ヒヨが嬉しげな声をあげ、深々と頭を下げてみせた。それは目上の者に対する丁寧な礼であり、同時に親しみと信頼の込められた仕草である。周りに残っていた連中もそれに倣っていた。

 どうやら藤源次はアマテラス内で相当の地位と人望があるようだ。

「五条の、災難であったな」

「まったくだ。せっかくのデー……まあなんだ、邪魔されたんだ。腹が立つ」

「デー? ふむ、なんぞ分らぬが。娘御の方は大丈夫かの?」

「ああ、神楽の回復がなければ危なかったけどな」

「そだよ! ボクがいなきゃマスターもナナちゃんもさ、死んでたかもだよ!」

「すまぬのう」

 声をはりあげる神楽に藤源次は頭を下げた。

 周囲からはヒヨも含め、驚きの声があがる。どうやら藤源次が悪魔に対し謝ったという事実がそうさせているようだ。

 亘はその様子を眺めていたが藤源次を見やった。

「それよりだな。アマテラス本部に呼ばれたが、どうしたものかな。なにせアマテラスの関係者に襲われたばかりなんでな」

「ふむ、そうであるか」

 藤源次が喉をかきながらチラリと振り返れば、拝むように手を合わせるヒヨの姿がある。それで、まるで手のかかる娘をみるような顔で苦笑してみせた。

「ふむ、五条の。すまぬがヒヨ殿の為にも行ってやって貰えぬかのう。お主の安全は我が保証する。もし万一あらば、例え相手が誰であろうと守ってみせよう」

「しかしだな……」

「この我の首を賭けてもよい」

「いやそこまでは……」

 亘は口の中でゴニョゴニョと呟いた。

 大事な友人がそこまで言って保証してくれたのだ。嬉しかったし、とても安心でもある。それで何の憂いもなくアマテラス本部へと向かう事にした。

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