第294話 ラスボスの塔って感じ

 朝の眩しさを薄いカーテン越しに感じ、亘は目覚めの微睡みを楽しんでいた。

 今日も良い天気になるに違いない。

 スプリングが固いベッドに横たわり、ここ数日を思い出してみたり今日の予定を考えてみたり、そんな半眠半覚の状態でうとうとしていた。

 自分のものでない微かな寝息が聞こえ、自分が一人でないと感じ妙に安心する。

 しかし、外から響いた張りのある声が亘の微睡みを覚ました。

「整列! 右向けー、右! 気を付けー! 左向けー左! 気を付けー!」

 顔の横で丸くなっている神楽や、足の間で長くなっているサキを起こさぬように起き上がりベッドから降りる。

 首を回しコリを解し両手を挙げ伸びをすると、そっとカーテンを開けてみた。

 晴れ渡る青空の下、グラウンドにて防衛隊の隊員の一団が一糸乱れぬ動きで集団行動を行っている。思わず眺めてしまう程の見事さであり、実際に避難テント側からも同じように見物する人の姿があった。

 こんな状況だからこそ、人々に安心を与えようと、規律正しい態度と生活を行動で示しているのだろう。もちろん同時に、隊員たちの帰属意識や統率を高め、組織の崩壊を防ごうという思惑もあるかもしれない。

「なんにせよ真似はできないな」

 何となく夏休みのラジオ体操を思い出してしまう。

 早起きして頑張って通ったものだが、時々寝坊をしてハンコを全部貰えたためしがない。ふと、あのハンコを全部集めると何か貰えたのだろうかと疑問が込み上げるのは、まだ眠気が残っていたからかもしれない。

「まあいいか」

 昔の事は特別何かがなければ思い出しもしないが、何かの拍子に記憶の蓋が開き、嫌な気分になってしまう。それ以上思い出したくないため思考を切り替える。

「さて、今日はどうしようかな……」

 呟いた亘は神楽とサキを起こそうとして、床で棒のように長くなって寝ている雨竜くんに気付いて微笑した。


 憂鬱な気分が晴れないため、朝食後に悪魔退治に出かけることにしたのは亘らしいと言えるだろう。もちろん昨日の退屈な会議の続きに巻き込まれぬよう、さっさと逃げ出したい理由もある。

「外回りに出かけられるってのは素晴らしいな」

 使用伝票の利用目的に悪魔退治と記入すると棚から鍵を取り、神楽とサキを引き連れNATS所有の車両に乗り込み勝手に出発した。正中宛の伝言はイツキの元に行きたがった雨竜くんが、スキップしながら届けてくれるので何も問題はない。

「車の運転も久しぶりな気がするな」

「マスターとお出かけ久しぶり。早く出発しようよ」

「いや、少し待ってくれ」

 亘は首を横に振った。

 乗り込んだ車両は官用車にはあるまじき軽自動車で、しかも最安グレードのものだった。コスト重視と言えば聞こえは良いが、NATSが冷遇されていた過去が分かろうものだ。

「こいつはマニュアル車なんだ。免許を取ってからオートマばっかでな、久しぶりすぎて少し困っている。クラッチ操作は何となく覚えている程度なんだ」

「そなんだ」

「しばらく揺れるぞ」

 いきなりエンストしたあげく、しばらく悪戦苦闘。ようやく動きだすがギアチェンジですら上手く行かず、車体がガクガク揺れる。サキは大喜びであるが、神楽は空中にひょいと飛んで冷やかすように笑った。

「志緒ちゃんが運転してるみたい」

「あそこまで酷くはないだろ。それは、とても失礼な侮辱だ」

「そだね、まだぶつけてないもんね」

「見ていろよ、直ぐに勘を取り戻してやるからな」

 避難所のある敷地から出る頃には、何とか普通程度には運転出来るようになり、もう少し進むと安定して車を走らせるようになった。

「どうだ、これなら坂道発進以外は大丈夫そうだ。少し飛ばすぞ」

 アクセルを踏み込み加速していく。

 この付近は防衛隊とNATSが協力し、物流確保のため路上の障害物を排除した事もあって、片道二車線の道路はスムーズに走行ができる。

 流れる風景の歩道部分も片付けられ清掃が行われ、それほど荒れた様子はない。しかし、だからこそ人の姿がないことが逆に目立つ。まるでゲームや映画の中を体験しているような違和感があった。

「この辺り悪魔も少ないしさ、もうここに住んじゃえばいいのにさ」

「確かにな。安全宣言さえ出れば居住可能区域になりそうだな」

「いつ出るの?」

「どうだろうな、検討委員会を開いて委員のお墨付きを貰った後で大臣が宣言するが……その前に部局内での事前審査とか調整があるだろ。そうなると年単位で時間がかかるな」

「それってさ、遅すぎない?」

「普通の災害復旧事業の完了判定なんて十年単位だぞ、驚異的な速さだと思うが」

 こうした遅さの原因は誰も責任を取りたくないので慎重になるためだ。しかしそれは何事も国に任せきり、しかも百%以上に安全でなければ許さない世の中にも責任があるのだろう。


 かなりの時間車を走らせると、ようやく路上に障害物が散乱しだした。それだけの距離を移動できる道路が整備された事に感心する。

亘は車を降りると、側にあった看板の瓦礫を蹴飛ばした。

「ある程度は防衛隊がやって、残りを国交省の作業で交通を確保といったところか。しかしまあ、本当にここまで通れるようにするとは凄い」

 かつての大震災で行われた道路啓開を参考に、各地方で災害復旧時の早期復旧支援ルート確保の計画がされていると聞いたので、恐らくはそれを元に実行したのだろう。国だけでなく県や市町村、さらには建設業界の人々が文字通り命を懸け全力で道路を開通させたに違いない。

「現場は協力しあって凄いのにな……どうして上の連中ときたら、アレなのかね」

 ついぼやいてしまうのは、最近は官僚という連中を見る機会が増えたためだ。

 もちろん正中をはじめとして、この状況を憂い必死になって活動している官僚たちも多い。だが一方で、安全な場所でふんぞり返り部下の苦労など気にもせず、自分のことしか気にしない者もまた多い。

「ボク知ってるよ。それってリケンを手に入れるためなんだよね」

「リケン? ああ、利権のこと。それは言葉の使い方が違うな、利権てのは利益を独占する権利って意味だ。つまり税金の支出先を与えられた民間組織側が得るものなんで、公務員は与える側で得る側ではない」

「そなの?」

「利権とか言われても下っ端には関係ないからな、そういう認識だ」

 亘は適当にぼやいておいた。

「だいたいだな、利権てのは正式な手続きを踏むから犯罪でもないんだぞ。そこで見返りに金品の授受があると贈収賄が成立するけどな」

「ふーん、よく分かんないって事が分かった」

「利権関係は公務員でなく議員筋の問題だからな。さて、そんなことよりもだ」

「そなこともよりだね」

 優しい亘は神楽の言い間違いをスルーして、遠くに見えるビルを見つめた。

「……久しぶりに見るが、随分とまあ斬新な見た目になってるじゃないか」

「そだよね。なんかさ、ゲームのラスボスの塔って感じだよね」

「言い得て妙だな」

 それはキセノンヒルズだ。外観は壁も窓も全て黒く変色し、鳥にしては巨大すぎる何かが周囲を旋回している。しかも黒い靄が纏わり付き蠢くようにも見えるが、それは気のせいと思いたい。

 新藤社長と連絡が取れないことも含め、一部の者が今のDP飽和そのものをキセノン社のせいだと決め付けたくなる気持ちが分からないでもない。

 亘かここまで来たのはキセノンヒルズの様子を見るためもあったからで、決して仕事をサボるためだけではないのだ。

「チャラ夫が近寄れないと言っていたのは、そういう事か」

 キセノンヒルズまでの街並みは半壊しているのだが、そこらに様々な悪魔が彷徨いている様子が見える。遠方からでも姿が分かる程巨大なタイプも存在しており、いずれも並の異界の主より強そうな感じだった。

 とてもではないが、これを突破しキセノンヒルズまで行くのは無理だろう。

「ヒルズまで行ければ行こうと思ったが、これは無理か。神楽からみてどうだ?」

「そだね。あれって普通よりも強い感じだよ。遠くてはっきり分かんないけどさ、間違いなくボクたちより強いって思うよ」

「そうか、こちらより強くてしかも数が多い」

 亘は腕組みして頷き、そして――。

「素晴らしい。久しぶりに出会う強敵と思いっきり戦い、しかも大勢いる。最近のストレス発散にうってつけでDPたっぷり。実に素晴らしい」

 わくわく期待し戦いを待ち望む態度になった。嬉しそうに笑うのは、強い悪魔の存在に触発されてしまい、やる気になっているらしい。

「あのさマスターさ、本当にやるの? ボク危ないって思うんだけどさ」

 そんな亘に神楽は呆れ顔で、サキも同意するように頷いている。

「ここまで来て何もしないで帰るとかないだろ。それに最近は弱い悪魔としか戦ってないだろ。つまり車の運転と同じで、強い相手と戦う勘を取り戻さないとな」

「マスターってば、ほんと戦闘狂だね」

「なんだ神楽は反対か? サキはどうなんだ」

 亘の問いにサキは満面の笑顔で答える。

「んっ、手伝う!」

「そうかサキは手伝ってくれるのか。やっぱりサキはお利口だなぁ」

「褒める」

「よしよし」

 頭を撫でられるサキは上機嫌、うっとり顔になると獣耳が出て尻尾も出ている。そして神楽は、この突然の裏切りに袖を噛んで憤慨した。

「ボク手伝うに決まってるじゃないのさ! サキより役に立つもん!」

 そんな声を聞きつつ、どうやって戦おうか思考を巡らせる亘であった。

 不気味な外観のキセノンヒルズは静かにそびえている。

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