閑24話(1) 黙らせるコツ
可愛い女の子と紆余曲折の果て、共同生活が始まる物語は数多い。よくある展開だが、それは近代に始まったものではない。昔話などの民話からして定番テーマであり、雪女や蛤女房など押し掛け女房タイプの物語は数多く残されている。
きっと人間の思考なんてものは、いつの時代だって大差ないのだろう。
五条亘も、若い頃はそんな妄想ばかりしていた。
パソコンや鏡から女の子が出て来ないか、幼馴染み少女や許嫁がいないものかと……脳内テロリストとの戦闘と合わせ、退屈な授業中に日々妄想したものだ。
でも大人になって悲しい現実を知るにつれ、そうした妄想に空しさを覚え忘れていった。
――ピンポーンピンポーンピポピポピンポーン。
土曜日の朝、玄関のチャイムが鳴り響く。
最初は無視していたが、しつこく何度も鳴らされる。また母親が来たのかと、そんな思いが頭をよぎるが、それにしてはチャイムを押す間隔や頻度が忙しない。まるで悪戯のような押し方だ。
寝転がりながらヌイグルミの耳をはんでいたサキが五月蠅そうに顔をしかめている。
――ピポピポピンポーンピポピポピポピポピンポーン。
チャイムは鳴り続け、一向に止む気配がない。亘はため息ひとつで立ち上がった。もうしばらくしたら異界にでも、ひと狩り行こうかと考えながらくつろいでいたところだ。それを邪魔された気分で、少し不機嫌になる。
「はいはい、出ればいいんだろ」
「きっとね、ボクねあれだと思うんだ。ほら、テレビないって言うと帰る人」
「サキは宗教」
「じゃあ、オヤツ賭けよっか」
「望むとこ」
好き勝手騒ぐ神楽とサキを尻目に亘は玄関へと向かう。
――ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン。
怒鳴りつけてやろうか、そんなことを考えるが実際に出来るはずもない。人に対し強く出られないのは相変わらずだ。きっと下手に出てしまうだろう。
アパートの金属製ドアをを開けると、むわっとした熱気が押し寄せる。こんな暑い中を戸別訪問しているのだ、そこは気の毒に思ってあげねばなるまい。
「はいはい、なん……でしょう、か?」
そこに居たのは、中学生ぐらいの少年だった。
小柄な体躯に大きなリュックを背負い込み、その姿は家出少年にしか見えないものだ。作務衣姿なので疎開かもしれない。
長めの前髪から覗く目は悪戯っぽさを湛え、口元はニカッと笑っている。よく日に焼けた顔はヤンチャ少年にしか見えないが、その相手が少女であることは知っている。そう、よく知っている相手だ。
「えへへっ、来ちゃったぜ」
「……間に合ってます」
亘は黙ってドアを閉めた。
だが少女の足がサッと隙間に差し込まれ、それを防いだ。しかもグイグイと足を押し込みながら、ドアをこじ開け侵入しようとする強引さだ。
「五条の小父さん、なんで閉めるんだよ。俺だぞ俺、はるばる来たってのに閉め出そうだなんて酷すぎだぜ!」
「黙れ、朝から騒ぐなよな。だいたいだな、チャイムの連打なんてして迷惑だ」
「だって押すと音が出るんだぞ。面白かったんだから、しょうがないだろ」
埒が明かないと、一旦動きを止め問いかける。
「何しに来た」
「不束者だけど、今日からよろしくお願いするぜ」
「……帰れ」
亘はもう一度ドアを閉めることにした。差し込まれた足が邪魔なので、少女の顔を押しながら引きはがそうとする。胸を押した方が楽だが、躊躇して顔にしたのは一応女の子相手だからだ。
一方で少女の方はドアにしがみ付いて抗う。傍から見ると間抜けな押し合いだ。
「痛い痛い、痛いってば。やめろってば、無理矢理だなんて酷いぞ」
「くそっ、なんて娘だ。おい、藤源次そこにいるんだろ。お前の娘を何とかしてくれ」
「ふむ、我の隠形を見破るとはやるではないか」
初めて出会った時のように、人が隠れることなど出来ぬ幅の柱の陰から作務衣姿の藤源次が現れた。今まで気付かなかったことが不思議なぐらい、ごく普通に立っている。
藤源次は退魔組織アマテラスに所属するテガイの里の忍者で、亘にとっては貴重な友人枠にあたる人物だ。そしてアパートに不法侵入を試みているのが、その娘のイツキになる。
苦笑した藤源次はとりあえずイツキを引き剥がすと、自分の後ろへと追いやった。それで亘もひと安心し、ドアを無理やり閉めはせず応対することができる。
「別に見破ったわけじゃない。こんな世間知らずを、一人で歩かせたりしないだろ」
「それもそうだな」
「むっ、トト様も小父さんも随分と失礼だぞ」
「この茶番はなんだ。人のアパートに押しかけて騒ぐとか、何のつもりだ」
「ふむ、失礼した。これが自分に任せろと言うので任せたが、全くもって失礼をしたな。すまぬな」
「なんだよ。だって、いきなり追い返すとか思わないだろ」
藤源次が頭を下げると、イツキがその後ろで抗議の声を上げて見せる。いーっと歯を見せる姿は、どうみても男の子だ。
土曜日の朝である。アパートの住人が自堕落なら、まだ寝ているかもしれない時間だ。あまり外で騒ぎたくはない。
「仕方がない。中にあがってくれ、あとその向こうに居る奴もな」
「ふむ、気付いておったか」
「藤源次に比べると未熟だからな。注意すれば分かる」
「あははっ。兄ぃ未熟だそうだぞ」
「イブキよ、出てきて挨拶をするといい」
藤源次が背後に向かって合図をすると、同じく柱の陰から坊主頭の少年が姿を現した。それは藤源次の息子であるイブキだ。こちらも作務衣姿で、妹に未熟と笑われ仏頂面だ。
イブキはイツキをジロリと睨み、そして亘に深々と頭を下げてみせた。妹と違い礼儀正しい。
「五条の小父さん、お久しぶりです」
「イブキ君も来たか。遠くから良く来たな、さあ部屋に上がるといい」
「はっ、ありがとうございます」
「なんか俺に対する態度と違うぞ。酷いと思わないか」
「全く思わんな」
「小父さんてば、つれない態度だな。やれやれ、これから先が思いやられるぜ」
へへっと笑うイツキに亘は自分の発言を早くも後悔した。アパートにあげるのは止めようかという気分になる。
イブキが亘に対し、その気持ちが分かると言わんばかりに頷いてみせた。
「五条の小父さん、こいつを黙らせるコツをお教え致しましょう。斜め四十五度の角度でこうです、こう!」
イブキが手刀を振るい、ゴスッと良い音が響く。頭を押さたイツキは涙目で唸りつつ蹴り返している。
「こうすると静かになります」
「酷いぞ兄ぃ。背が伸びなくなったら、どうすんだ! こんにゃろ!」
「たまに五月蠅くなりますが、もう一度やれば大体静かになりますので。こんな感じで」
「お、おう」
再度天頂に手刀をもらったイツキは怒り、さらに蹴りを放つ。凶暴な姿に亘が怯んでいると気付かないまま、兄妹の攻防は続けられた。藤源次が止めないため、これが日常的やり取りなのだろう。一人っ子の亘からすると喧嘩にしか見えない。
「ううっ、酷いぜ……隙あり!」
「あっ」
顔を輝かせたイツキが、スルリとアパートの中へと駆けこんでしまう。その素早さは、さすが忍者の一族といったものだ。
トタタッと響く足音に亘は近所迷惑を憂慮した。これだけ騒いだのだから、今更かもしれない。
「仕方がない。ほら、藤源次もイブキ君もあがってくれ」
「娘が迷惑をかけてすまぬな」
「お邪魔いたします。バカな妹で申し訳ない」
「気にしなくていいさ。さてと、中でどうなってることやら。早いとこ見に行かないと心配だ」
亘は意味深に笑い、藤源次とイブキをアパートの中へと招き入れた。急な来客でも部屋に招けるのは、口煩い神楽の薫陶の賜物だ。以前なら恥ずかしいぐらい散らかっていたから。
◆◆◆
アパートの居間でイツキは正座していた。
その前ではヌイグルミを抱いたサキが仁王立ちし、神楽も周囲を漂いながら睨んでいる。どちらも剣呑な目つきをしており、自分たちのテリトリーに乱入してきた相手に今にも襲いかかりそうな様子だ。
亘が戻ると神楽が声をあげる。
「マスター、この子なんなのさ。いきなり中に飛び込んで来てさ、敵なの? 敵なら倒しちゃうよ」
「喰らう」
「ひいいっ」
「待て待て、藤源次の娘さんだ。そこまでにしておけ」
不穏な気配にイツキが悲鳴をあげる。どちらも並の悪魔などより、よっぽど強力な存在だ。続けて居間の入り口に姿を現わしたイブキも硬直し、驚きの色が隠せないでいる。
藤源次はサキの正体に思い至ったらしい。
「五条の、その小っこいのはもしや……」
「新しく従魔になったサキだ。それ以外の何者でもないだろ」
「そうか。ふむ、まあお主が言うならそうしておこうか」
藤源次は無理やり納得し頷いて見せた。それ以上は何も言及しない。もしイブキとイツキがサキの正体――九尾の狐の系譜――を知ったなら、悲鳴をあげるどこの騒ぎではないだろう。今でさえ、すっかり怯えているぐらいだから。
亘は冷蔵庫へと足を向ける。
「立ったままもなんだ、適当に座ってくれるか。なにか飲み物を用意しよう」
買い置いてある炭酸飲料をコップに注ぎ、茶菓子も出す。それで驚いたが、食欲の権化である神楽とサキが手を出そうともしない。それよりも、居住スペースに入り込んだ相手の様子を窺う方が大事らしい。
それに反応してか藤源次も正座しつつ軽く腰を浮かせ、瞬時に動ける態勢でいる。後ろに隠れたイブキとイツキも同様だ。
緊張感が漂うなか、亘がどっかり座り込む。
「まあ楽にしてくれ」
ひょいとサキを抱きあげ膝上へと載せ、抱き枕よろしく腕の中に納めておく。むむっと声をあげた神楽が飛んでくると、頭上に張り付いてみせる。それでどちらも警戒を解いた。
強力な悪魔を平然と扱う様に、イブキとイツキは口を半開きにして驚愕の面持ちだ。
「そりゃそうと、藤源次は何でアパートの場所を知っていたんだ。まさか忍者スキルで後をつけたわけじゃなかろうな」
「ふむ、そうでない。チャラ之介に教えて貰ったのだ。そうそう、お主の住居を聞いたらな、教える代わりに稽古を付けろとか申してな。あれでヤツも、なかなかどうしてしっかりしてきたわい」
藤源次はお気に入りの少年の成長を喜び笑っている。しかし亘は、おのれチャラ之介めと心の中で罵りの声をあげた。厄介ごとの陰には、いつもチャラ夫の姿がある。
「まあ、それはいいや。それで、これは一体どういったことか説明してくれ」
「五条の小父さん、実はだな……」
「イツキよ、待つがよい。これは我から説明した方が良いだろうて」
言いかけたイツキを止め、藤源次が話し出す。炭酸飲料は苦手なのか、手は付けていない。
「ふむ。つまりのう、うちのイツキをお主の嫁にすると長老が定めたのだ」
「……は? さっきの話って本気なのか」
「小父さん酷いな。俺の言葉を信じてなかったのかよ」
「トトが話しておるのだ、イツキは黙っていろ」
小声で言い合う我が子をちらりと一瞥し、藤源次は続ける。
「先日のお主の力を知ったのでな、長老を始めとして里の皆が是非にと言っておる。無論、我もだがな。さて、こんな娘だが、どうか貰ってやってくれぬか」
「…………」
どうやら夢でもみているらしいと、亘はそっと自分の足をつねってみた。嫁入り希望で女の子が押しかけてくるなど、まるで昔妄想していた物語みたいだ。
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