閑24話(2) 面白い話
「――の在銘短刀だよ。やっぱり重ねが薄いだろ」
「ほうほう、やはり皆焼刃だのう」
「でも銘の出来はいいけど、埋金と鍛え割れがあるのが惜しいよな」
「なんの、むしろ味があって良いではないか。綺麗なだけの地鉄ではつまらぬ」
藤源次と短刀片手に世間話をしている。イツキの件は青天の霹靂すぎて心の整理がつかず、ひとまず保留中だ。先延ばしにしたところで問題は解決しないが、どうして良いか分からないのだ。
確かに若い娘が自分の嫁になりたいと来たら嬉しい。
その相手は炭酸飲料におっかなびっくり口をつけ、その喉ごしに目を白黒させている。よく日焼けした姿は少年みたいだが、女の子と思ってみると可愛らしい。
昔から『娘見るより母親を見ろ』と言うが、イツキの母であるスミレの人柄は素晴らしい。将来はそんな感じになるなら、悪くないどころか実に良い。
しかし、いざとなると悩んでしまうのだ。脳裏に別の少女の姿が思い浮かび。美人で可愛いとかスタイルがいいとかを除いても、優しくて一緒にいたくなる人柄の少女が気になってしまう。そして、自分の心の中でその少女の存在が予想外に大きいことに気づき、亘は内心狼狽していた。
――ピンポーン。
またしても玄関のチャイムが鳴る。なぜかしら訪問者が多い日だ。実際は二回目だが、最初にイツキがチャイムを連打したせいで、そんな気になってしまう。
頭の上に載る神楽が妙に得意そうな声を張り上げる。それはとてつもなく嫌な予感がする声だ。
「ほらほら早く出た方がいいよ、マスター」
「おい……何したか言え」
「いいからさ。ボクに感謝してよね」
得意そうな神楽の様子に、嫌な予感が猛烈になる。仕方なく玄関へと向かうが、足取りが重い。何だか覚えのあるパターンで、それが正しければドアの外にいるのは……。
「大丈夫でしたか。五条さんが大変だからって、神楽ちゃんから連絡がありましたけど何がありました?」
やはり七海だった。
真剣な表情で心配そうに見つめてくる瞳は嬉しいが、亘は顔を引きつらせてしまう。七海に対し何か思うところがあるのではなく、状況が状況だ。しかも心に疚しさがある。
「神楽が連絡ね。いや、別に大したことでもないんだが……」
「私にできることなら何でもしますよ。だから気にしないで下さい」
「えっと……まあ……何でも? いやいや、そうじゃなくって」
七海を乗せてきたタクシーが走り去ると、口を濁す亘の代わりに神楽がひょっこり顔を出す。えへんっと胸を張って得意そうでさえあった。
「あのね、マスターのとこにね女の子が押しかけて来たの」
「えっ?」
「しかもお嫁入りの希望だってさ」
「ええっ!?」
七海の目が見開かれ、亘と神楽そしてもう一度亘を順繰りに見る。その視線に耐えられず、亘は外の景色を眺めてしまう。
青い空に白い雲。蝉の声は騒々しく、少し離れた大通りを走るバスの音が微かに聞こえる。蒸し暑い空気といい、なんと穏やかな夏の風景だろうか。
軽く現実逃避しながら、誤魔化し笑いを浮かべる。
「ははっ、わざわざ来て貰ってなんだが、下らないことだろ。こっちで何とかするからさ、巻き込まれない方がいいぞ。はははっ」
「巻き込まれます」
「いや大丈夫だから、そんな気にしなくてもな。面倒事になるだけだからな、うん」
「面倒事で構いません」
「神楽は後で叱っておくから、呼びつけてすまんな」
「……五条さん?」
「あ、どうぞ」
ずいっと七海が迫り、その胸が触れそうな程近づいたものだから、亘は後退りながら折れた。そんなタイミングで、中からトタタっと元気な足音が背後に聞こえてしまい、背筋にブワッと嫌な汗が噴き出た。
「小父さん、どうしたんだ。どっか行ったりしないだろな」
「ほらさ、この子が押し掛けてきたんだよ」
お喋りな神楽が七海にご注進してしまう。
「可愛い子ですね。五条さんは小父さんですか」
「困ったもんだろ、はははっ」
「そうですね、困ってしまいますよね」
静かに笑い合う様子にイツキはキョトンとする。しかし親しげな雰囲気に少なからず対抗心を抱いたらしい。おいよせ、という言葉を無視し亘の背にしがみつくと、脇から顔を覗かせ暴挙に出る。
「お姉さん誰だ? 俺は小父さんの嫁さんだぞ」
「私は舞草七海ですよ。なんだか面白い話ですね」
七海がにっこり笑う。それは優しげな笑みだが、何故だか『笑顔とは本来……』との有名なフレーズが亘の脳裏に浮かんだ。
似た様な感想を抱いたのか、イツキは逃げるようにアパートの中へ引っ込んでしまった。七海は亘を見て可憐に笑う。
「それじゃあ、お邪魔しますね」
「どうぞ」
亘はドアを押し開け場所を譲る。そして、お嬢様を迎え入れる執事の如き仕草をした。なお神楽は途中から懐に潜りこんで震えており、それを叱る気もない亘だった。
◆◆◆
「藤源次さん、こんにちは。お久しぶりです」
「おお娘御ではないか。壮健そうで、なによりだのう」
七海はテーブルの上で空になったペットボトルとグラスに目をやると、可愛らしく小さな息をつく。
「藤源次さんに炭酸飲料ですか。もう、ダメじゃないですか」
「だってな、コーヒーは苦手だって言うから」
「お茶を煎れますから。待ってて下さいね」
台所に立った七海は、勝手知った様子で戸棚から急須と湯呑のセットを取り出す。まず茶葉を水で濡らすと、温めのお湯で何度かに分け煎れていく。
そのテキパキとした動きを、イツキはポカンとして眺めている。
「どうぞ」
湯呑みを全員の前に出すと、七海は亘の隣に正座し控えてみせる。その距離は常より近く、亘は少し居心地悪くなってしまう。近くて嬉しいが、嬉しくないこともあるのだ。
それでイツキが面白くなさそうに口を尖らせる。
「そのお姉さんってば、小父さんの何だよ?」
「えっとだな。仲間であって、そのな……」
「式主の一番大切な人。以上」
どうして自分の従魔は余計なことばかり言うのか。サキの発言に、亘は天井を仰ぎ見てしまった。
「じゃあ、お姉さんが小父さんの大事な人なら……俺は、どうなるんだ?」
「だから最初に言っただろ、帰れって。いきなり来て嫁とか言われても困る」
「帰ったって、ダメなんだ」
「なんでだ?」
「だって長老様の決定なんだ。このまま帰ったら、俺は出戻り扱い。嫁にも行けず、狭く薄暗い離れの部屋で日陰者として生きていくことになるんだ……」
イツキは下を向いて床の上で指をイジイジしてみせる。哀れで気の毒そうに見えないこともないが、しかし亘は心動かされない。
「などと供述しているが、実際のとこはどうなんだ」
「ふむ、それは無いな。誰か適当な者のところで嫁に出されるだけのことだろうて」
「なるほど」
「ちょっと待てよ、トト様も俺に話を合わせてくれたっていいだろ。トト様のバカ!」
「無理を言うでない」
ムキーッとイツキは怒るが、藤源次は軽く肩を竦めるだけだ。なおイブキは自分の妹のことなど、どうでも良いらしい。チラチラと目をやり、どうにも七海が気になるらしい。
藤源次が仕方なさそうにため息をつく。
「ふむ、仕方あるまいて。イツキよ、ここは諦めるのだ」
「ううう、仕方がないな。そうするぜ」
「うむ、よく言った。では、二番手で我慢するのだぞ」
「「はいっ?」」
とんでもない発言に亘と七海が驚いた。コイツ何を言っているという感じだ。
そこで亘は気付く。思いだしてみればイブキなど三人も子づくり相手がいる。テガイの里の常識からすると、さして変なことではないのだ。
藤源次が亘を見やる。
「しかし我は外の世界を知っておる。それゆえ、二番手などと外の世界の常識と異なることは承知だ。されど、里で強き者が子孫を残すのが常識」
「そうらしいな」
「我のように、妻を一人のみと我を通す者が言うべきではないかもしれん。だが、娘の願いを叶えてやりたい親心もある。どうか堪えてはくれぬか」
藤源次が床に手をつき頭を下げるが、禿頭に光が反射して眩しいと茶化せる状況ではない。倣って頭を下げるイブキとイツキの姿もあって、亘は七海と顔を見合わせるしかなかった。
「あのな、お前さんの娘は外の世界に出たいだけだぞ」
「そんなことないぞ!」
「ほう、確か外の世界に出る完璧な方法を思いついたとか言ってたよな」
「うっ……」
「その話のダシに使われる身になってみろ。人を弄ぶな」
言いながら少し腹が立ってきた。
愛のない生活がどうなるか、互いに罵りあい貶しあう両親を見て知っている。その間で辛い思いをして育った子供は、自分に自信が持てず人の顔色を窺って生きる人間になってしまうのだ。
八つ当たりも含め睨む亘の前で、イツキは居住まいを正す。そうして、もう一度深々と頭を下げてみせた。
「確かに俺は外の世界に出たい。でも真剣に考えてのことだぞ。どうか、ここに置いてくれ。このとおりだ」
娘の言葉に藤源次が、妹の言葉にイブキが深々と頭を下げるではないか。こうなると、亘の性格では強いことが言えなくなってしまう。
「こういうのはな、ええと、まずは文通とか手順を踏んで少しずつお互いに理解を深めた上でだな……」
亘が言い出すと、あちこちから呆れたようなため息が聞こえてきた。その一つをついた七海が横から口を挟む。
「あのう、ちょっといいですか」
「どうした」
「はい。ちょっと話を整理しましょうか。イツキちゃんには、目的が二つあるのですね。外の世界で暮らしたいこと、あとは五条さんの側にいたいこと。そうですよね」
「うん! そうだぞ」
イツキが勢いよく頷いてみせる。話が進みそうな様子に希望を抱いた顔だ。そんな素直な様子に七海は優しく微笑む。
「それでは、まず外の世界で暮らすことを何とかしましょう。五条さんも、それは構わないですよね」
「そうだが、こんな山育ちを置いておく場所なんてないだろ。まして、このアパートだなんて……その、困る」
「それについては、私にアテがありますから。ちょっと待ってて下さい」
七海が部屋を出て電話をかけにいく。
何とも言えない空気で顔を見合わせていると、それほど経たず戻ってきた。
「お母さんに聞いてきました。お店を手伝ってくれるなら住み込みでいいそうです。食費を引いた分でなら、アルバイト代も出ますよ」
「七海の家は花屋さんだったな。確かに女の子向きだが……いいのか?」
「はい、大丈夫ですよ。それと、実際には鉢植えを運んだりで力仕事が多いですし、水を使うので冬は辛いですよ。虫とかも相手にしますから、大丈夫でしょうか」
しみじみとした口調で七海が教えてくれる。どんな仕事も見た目通りではないということだろう。
「それなら山育ちだから大丈夫だろ、何せ田舎の子だ。それで……もう一つの方はどうしろって言う気だ?」
「しばらく様子見です。外の世界を知って、よく考えて貰いましょう」
「そりゃそうだな……で、イツキはどうしたい? それでいいのか?」
結局は先延ばしということだ。しかし、亘は何とも言えず黙るしかない。対案もないのにケチばかりつける批評家ではないのだ。
あとはイツキ次第だが、そちらは大きく頷いて七海に頭を下げている。
「分かったぜ! まずはお姉さんの家に置いて下さいです!」
「イツキ良かったなあ、兄ちゃんは嬉しいぞ。お前の住処に遊びに行くからな」
イブキがちらちらと七海を見やる。そこに何か不快感を覚えた亘がキツめに睨みつけると、慌てて下を向いてしまった。どうやら下心があったらしい。
「うむ。我も応援するでな」
「お姉さんありがとな。トト様も兄ぃもありがとな。俺頑張るぜ」
「うむ、うむ。良かったのう」
娘を送り出す藤源次は少し鼻声だ。つられてイツキまで鼻をすすりだしている。
余計な事を言って水を差つもりはないが、家族ごっこは余所でやって欲しいと思う亘だった。お茶を飲み味わいに感心するが、それは認識が現実に追いついていないせいだろう。
そんな藤源次一家の横で、神楽がそっと七海を問いただす。サキも一緒に顔を揃えて不満げである。
(あのさ。ナナちゃん、いいの?)
(いいとは、何がですか)
(だってさ。あの子、マスターのことさ……)
(あのですね、危ないものは側に置いた方が監視しやすいんですよ)
あくまで優しく笑う姿に、神楽とサキは部屋の片隅に逃げていった。
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