第374話 変なことを言いだした名状し難い相手

 絶望的な状況だった。

 三体の牛男が恐ろしい勢いで暴れていた。漫画に出てくるような立派な筋肉で、アフロヘアの側頭部から二本の湾曲した角が飛びだしている。周りを囲む人間たちよりも一回りどころか二回りは大きい。

 牛男が腹に響く咆吼をあげ突進。

 双角を突き出した突進に、対抗する人間たちの何人かが跳ね上げられ空中を回転しながら落下。殆ど瀕死に近いぐらいの状態で倒れ込んだ。しかし――。

「はいはい、ボクにお任せなのさー」

 場違いに明るい声があがると、倒れて痙攣していた者達を淡い緑の光が包む。たちまち傷は塞がり血は止まり、ダメージの痕跡は汚れて破れた服のみとなる。しかし助かった事への歓声はなく嗚咽がもれるだけだった。

 濃紺色ユニフォームの一人が身を起こした。

「こんなの、こんなの! やってられるかぁ!」

 叫んだ男は身を翻すと、他の者が制止し呼び止める声を無視して走りだす。

 だが少し行ったところで頭上を巨大な影が過ぎったかと思うと、毛むくじゃらの前足が目の前に叩き付けられる。その衝撃だけで男は倒れて尻餅をついた。

 見上げるような巨大な狐がいる。

 輝くような金の毛並みには紅のラインが入って、後ろではフサフサした尾が幾本もうねっている。緋色をした巨大な瞳に睨まれると震え上がるぐらいだ。

「あっ、ああ……やめて……助け――」

 言いかけた男は前足でペシッと叩かれ、大きく飛んで牛男の足元にまで転がった。

 もちろん吼えた牛男は仰向けに倒れた男を睨んで、その片肘を振り下ろしながら倒れ込む。恐怖に絶叫する男を、寸前で仲間たちが飛びついて救いだした。

「しっかりしろ、大丈夫か!」

「お前ら……俺は一人で逃げようとしたのに……」

「気にするな、仲間じゃないか! 悔やむなら今から戦えばいいんだ!」

「すまない、すまない!」

 男は泣きながら立ち上がった。その目に涙さえ溜めている。

 その間も牛男たちは猛威を振るい、捕まえた人間を回転させながら後方に放り投げた。さらに向かってくる人間を跳び上がって蹴ったり、片腕を横に突き出し走って叩きつけたりと激しいファイトをみせている。

 もちろん人間側も負けず諦めず戦いを挑み激闘を繰り広げていた。

「俺はもう逃げない! やってやる!」

 決意と共に男は倒れた牛男へと突進。その片足を腕で抱えあげると、体ごと反り返って極める。牛男が苦しみ地面を何度か叩くが、それでも放さない。

 誰もが懸命に戦っていた。


「とりあえず良かった」

 亘は腕組みしながら頷いた。

 かたや何となく呆れた顔のチャラ夫は、ため息を吐いている。

「いやいや。兄貴ってばね、どの辺が良かったんすか?」

「程よく強敵で頑張れば倒せるぐらいの悪魔だろ。ぬるい悪魔ばっかだったからな。これで皆にも申し訳が立つ」

 真面目な声で亘が言うと、チャラ夫は驚いたように視線を向けた。まるで変なことを言いだした名状し難い相手を見るような顔をしている。

「申し訳が立つ?」

「当たり前だろ。折角、訓練に参加して貰ったんだ。ちゃんと訓練をしたって感じて貰わないとダメだからな」

 さも皆を気遣っているような亘だが、もちろん実態は違う。

 仕事で受けるスキルアップ研修には聞くだけの中身のないものがある。もちろん向上心のない亘にとっては大歓迎だが、一方で企画した相手や講師に対し不満を感じるのも事実。

 そして今回は――古宇多が余計な事をしたが――亘の企画発案。

 だから自分が馬鹿に思われぬよう、いつものちっぽけなプライドで気遣っている。皆にとっては参加こそが惨禍だったに違いない。

「えーっと、でもデーモンルーラを使ってる人はいいっすけど。他の人たちだと、あんまり意味ないんじゃないっすか? 悪魔倒しても……」

 チャラ夫が言った時だった、そこに古宇多が顔を出したのは。

「あるのだよ」

「古宇多さん、うぃーっす」

「うむ。この場合の返事は、ちぃーっすだな」

 意外にお茶目な返事があった。流石はチャラ夫で堅苦しい古宇多とも仲良しになっているらしい。なお亘は疎外感を微妙に感じている。

「これはまだ部外秘情報だがな。例のキセノン社の法成寺が、DPで身体強化できるアプリを試作中だ。今回参加させて貰った、防衛隊メンバーは近いうちにそれを試行する予定だ。君らほど強化はされないらしいがな」

「マジっすか!」

「もちろんマジというもので、今回はその為の前哨戦といったところだ。こうして実戦の勘を磨かせて貰えてありがたい」

「そりゃまあ良かったっすね。これで防衛隊の皆さんもパワーアップ!」

 しかし古宇多は渋い顔で頭を振った。

「だが、少しばかりな……。試作品の説明を受けたが、あれはない。殆どの者が使用を躊躇う有り様だ。今日ここに来た連中は、それでも皆の為にと志願した連中だよ」

 向こうでは髪を掴まれた牛男が金属支柱や金網に叩き付けられ、さらにはチェーンやパイプ椅子で殴られていた。牛男が地面に大の字になれば、高い位置から跳び降りた防衛官が身を翻し全身で体当たりまでしている。

 とりあえず見栄えのしそうな戦いだ。

「法成寺さんの開発品っすよね。まあ、なんつーか。使う度に記憶を失うとか、寿命が減るとか、そういうのありそうっすね」

「そういった問題はない。それであれば使用はさせはしない。問題はシステム起動で活性させるときに……」

「させるときに?」

「音声入力による起動コードが必要なのだよ。それがどうにもこうにも」

 古宇多の渋い顔はますます渋くなる。

「たとえば、『うなる筋肉、みんなを救う筋肉。笑顔でマッスル』、『筋肉肉肉仁王金剛変化』は、まだマシ。酷いのになると『片翼をもがれしマッスルエンジェル、ここに降臨』、『愛と筋肉の使者、プリティでキュアキュア』他にも――」

「も、もういいっす! そこまで、そこまでっす!」

 チャラ夫は必死になって止めた。

 横で亘は顔をこわばらせ、背中がかゆいぐらいの気持ちだ。古武士のような風貌の古宇多が淡々と告げる言葉はキツいものがありすぎる。いい歳した防衛官たちが、そんな起動コードを一斉に唱える姿も戦慄ものだ。

 間違いなく法成寺のファニーな嫌がらせに違いない。

 亘は頭を振った。

「それは、こちらで止めさせておきます」

「おおっ! 流石は我が盟友、それが可能であれば是非頼みたい!」

 そんな話を聞いていた古宇多のお付きの武官は嬉々として、今まさに戦っている防衛官たちへと遠くから大声でシステム改善の可能性を告げた。よっぽど嫌だったのだろう。防衛官たちは轟くような歓声をあて、戦いぶりを激化させた。


 最後に残った牛男を皆が捉まえ、後方へ倒し脳天から地面に叩き付ける。ばったりと大の字に倒れた巨体は、やがて薄らいで消えてしまった。

 完全勝利だ。

 やり切った表情で皆は共闘した仲間達の肩を叩き、さらには戦いきった牛男の健闘をも称えている。

 どうやら戦闘訓練は上手くいったようだ。

 姿を人間に戻したサキが走って来ると、腕と身体の間にぐいぐいと頭を突っ込んで張り付いてきた。神楽も怪我人がいなくなったとみるや飛んで来て、頭の上に跳び降りるように着地した。

 七海たちもやって来て、後は帰るだけ。

 しかし亘は目を見張った。

 古宇多の部下が、向こうで朝礼台を組み立てているではないか。

 始まりの時に古宇多が挨拶をしたのだから、終わりの時は別の者が挨拶をせねばならない。誰が適任かと言えば、もちろん自分だ。だが、ぼんやりしていて何も考えていなかった。

「ふむ……よし、チャラ夫。皆に挨拶しろよ」

「俺っちがやるんすか?」

「こういうのも練習だからな。ちゃんと経験しておかないと、いつか困るもんだ」

 全くもって亘自身がそうだった。

 嫌だと逃げているうちに歳を重ねてしまい、気付けば上手く出来て当然な歳になっても出来ないままでいる。

 だがそれでも、お為ごかしでチャラ夫に押し付けるのだが。

「俺っちの事を心配してくれて、分かったっす! やるっす!」

 そして用意された朝礼台に意気揚々とあがっていく。

「どもー、どもー。皆さんお疲れさんっすー。今の戦いっちゅうのは良かったっすよね。あんま話が長いのは駄目っすから、校長先生みたいに喋る気はないっすよー。でも今日は友情努力勝利って感じの黄金律。いやもう見てるだけでワクワクっすよ。もう感動! 最高! 愛してるぅ!」

 挨拶は下手上手いと言うべきか、チャラ夫の持って生まれた口の上手さと愛嬌と陽気さが炸裂。拍手の代わりに歓声と笑いがわき起こる有り様だ。

「…………」

 失敗を期待していたわけではないが、ちょっぴり面白くない亘だった。それでサキに軽くヘッドロックをかけるぐらいだ。ただしサキには喜ばれているだけだが。

 チャラ夫が陽気に言った。

「では皆さん、帰りましょーか。帰るまでは訓練よーって感じっすね」

 笑いがあがって、それが収まり――しかし誰か一人の拍手が響いていた。

 拍手は続く。

 それは別の場所から響いている。皆が戸惑い辺りを見回していると、少し離れた場所に背広姿の男が立っていた。陽光にM字型になった額が輝いている。

「なかなか楽しく面白い見世物でございましたね」

 海部がそこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る