閑57話 一文字のピヨと覚えてました

 ヒヨは車から勢い良く飛び降りた。長時間乗車したので大きく伸びをして、腰の辺りを叩きながら目の前の住居に向かった。

「ごめんくださーい」

 声をかけながら玄関のドアを開け中に入ってしまう。後ろで積み荷を降ろす準備をする防衛隊員が呆れ顔をするが、彼らは恐らく都会出身なのだろう。これが田舎の作法なのだから。

「元気な声がすると思ったらヒヨさんね」

 直ぐに顔を出したのは亘の母親で、五条実佐子であった。

 ヒヨを見るなり顔をほころばせるのは、前の来訪で仲良くなっているからだ。あの亘の親とは思えない程に、人付き合いが上手い。

「よくいらっしゃったわね」

「はい、こんにちは。また遊びに来ました」

「嬉しいわね。うちの子は昔っから友達とか連れてきた事がないでしょ、だから若い子のお客さんが少なくってねぇ。ちょいと寂しかったのよね」

「あっ、分かります。私も小さい頃から稽古ばっかりでしたから」

「うちは男の子だから、お稽古事もなかったけど女の子はそうよねぇ」

 ヒヨは亘に友達がいない理由を退魔などの稽古と勘違いし、実佐子は稽古をピアノのお稽古ぐらいに勘違いしている。双方ともに互いの勘違いに気付いていないが、きっと問題はないだろう。何故なら、どちらも細かい事は気にしない性格だから。

「お土産に支援物資とかを持って来ましたよ! 洗剤とかいろいろ用意してきましたから、貰っちゃって下さい。あっ、もちろん羊羹もありますから」

「まあ、嬉しい。最近って悪魔が流行ってるでしょ、だから買い物にも行けなくって困っていたの。ご近所さんにも、お配りしないと」

「そう思いまして、沢山持って来ました」

「光海さんに配ってもらいましょう。おやいけない、玄関先で立たせっぱなしでごめんなさいね。さあ、上がってちょうだい」

「はーい、お邪魔します」

 ヒヨは嬉しげに勝手に上がり込むと靴を揃えた。防衛隊の者たちは職務中という事で外で待機だが、美佐子に呼ばれた光海が来ると嬉しそうに張り切っている。

「あの子は元気にやっているかしら」

「五条さんですか、それはもう大活躍で元気ですよ。沢山の人を助けて、私も助けて貰ったぐらいで、本当に凄いんですから」

「そうなのね。人様のお役に立ちたいと言ってた夢が叶ったのねぇ」

「…………」

 五条亘に兄弟はいなかったはずとヒヨは首を捻った。

 だが、しかし幸いにもそれを口にすることはなかった。今はそれより大事な事がある。お握りをご馳走になるため、ここに滞在する二柱の神に怯まぬよう気合いを入れねばならないのだ。

「ヒヨさんの大好きな、お握りでも準備しようかしらね」

「はい! 私、お手伝いしますです!」

「そうなの、嬉しいわね。手伝ってちょうだいな」

 亘の母は笑いながらドアを開けた。

 そして――ヒヨは気絶した。


◆◆◆


「うっ……ここは、わたし……」

 ヒヨは目を開け、額に手をやりつつ身を起こし辺りを見やり――。

「ひいいっ!」

 情けない悲鳴をあげた。

 ヒヨは確かに覚悟はしていたのだ。しかし、それは二柱の神に対するものであって、それ以上の数に対してではなかったのだ。

 誰がどうして普通の民家に多数の神がいると思うだろうか。

「うそっ、どうなってるのこれ……」

 居間でゲームをやっているのは、大社や有名神社で主祭神をやっているような存在たちである。そんな神々が、ゲームで貧乏神をなすりつけあって騒ぐ様子は酷くシュールだ。

 何とか視線を転じ美佐子を見やると、その足元に纏わり付く白兎がいる。どう見ても神獣か聖獣かなにかだ。あげく、その存在が餌で釣られて弄られていた。

「どうなってるの」

「なるほど、どうなっているか知りたいのだね」

 ヒヨは自分の傍らに座る存在に初めて気付いた。

 煎餅を囓る怜悧な顔立ちの女性は、切れ長の目を軽く細めながら笑った。

「私たちがここに居たら、暇な連中があちこちから集まってきたのだよ」

「桜の姫御前様……」

「様は不要なのだがね。それより、君の上司の上司にあたる者を何とかしてくれないか。ずっとゲームをやりっぱなしで、少しも交替してくれないのだよ」

「えぇー」

 ヒヨは呻くしかなかった。

 その上司の上司である盟主様は――高位分霊のシンソクではあるが――キング貧乏神をなすりつけられ、悔しげに悲鳴をあげ床に倒れ、周りの強大な神たちがゲラゲラ笑っている。もう天を仰ぐしかないが、祈るべき存在は目の前にいるという事態だ。

 本当に呻くしかない。

 何にせよ、ここに渦巻く神気の凄まじさときたら呑まれそうなほどだ。

「ほらほら、ゲームも程々になさい。一度に一時間って約束でしょ」

「むむっ、美佐子の言う通りです。仕方がありません、ゲームはこれまで。吾は率先して電源を切りましょう」

「シンソクちゃんは偉いわね」

 妙に素早くゲームを終わらせたシンソクに、他の神からは非難囂々である。だが、それも美佐子がお菓子を運んでくるまでだった。

「一文字のヒヨさんから頂いた羊羹よ」

 紹介されたヒヨは、ソレたちの視線を浴び足が震えた。

 なまじ見えるだけに、目の前に存在するものたちの強大さがわかるのだ。そうなると、巨大な竜巻や雷雲など人知の及ばぬ自然現象を前にするのと同じく、ただひたすら畏れ畏まるしかない。

――どうして、この人は平気なのだろう。

 ヒヨは恐怖さえ込め亘の母親である美佐子を見やった。

「一文字ピヨ、褒めてつかわします」

「シンソクちゃん。ピヨでなくってヒヨさんよ」

「吾は確かにピヨと聞いて、一文字のピヨと覚えてましたが」

「本人が言ってますからヒヨさんですよ。名前は大事なのよ。親御さんが一生懸命に考えて付けた名前を間違えて覚えるなんてダメです」

「そうですね。一文字のヒヨと覚え直しましょう」

 ヒヨは感動し両手を合わせ、神様ではなく美佐子を拝んでいる。

「間違えて名を覚えるなど、申し訳ない事をしました。何か詫びをしませんと」

「ならば私に良い考えがある」

「桜の姫の考えですか」

「この者に婿を用意してやろう。一文字の者も、そろそろ婿取りの年頃のはず」

「なるほど。それは良い考えです。して、婿のアテは?」

「もちろん決まっている。美佐子の息子の亘で構うまい」

「良いですね、ではそうしましょう」

 何やら勝手に話を決めているが、まるで世話好き仲人おばちゃんみたいだ。ヒヨがそんな事を思った瞬間、アマクニにジロリと睨まれてしまった。

「君は何か失礼なことを考えているね」

「いえ、そんな」

 ヒヨはふるふると首を横に振った。


 そんなやり取りの横で、美佐子は腕組みをしている。少々困った顔だ。

「困ったわね、あの子には七海さんがいるのよ。他にもエルムさんとかイツキちゃんから、相談を受けているの。嬉しいけれど、これは困ったわねぇ。ああ、どうしましょうね。こんな悩みが来るなんて」

「実佐子よ、問題ない。全部まとめて娶ればいいのだから」

「でも、そういうのってねぇ」

「昔はそれが普通というものだよ。考えてみなさい、数が増えれば当然ながら孫の数も増える。きっと、とても賑やかしくなるに違いないよ」

「まあ……」

 孫という言葉を聞いた母は、うっとりとした。

 しかも小さく何度も呟き、その言葉を噛みしめてまでしている。おばあちゃんと呼ぶ子たちに囲まれる日々――そんな日は来ないと、ずっと諦めていたのだ。

「そして、君の息子も幸せになれるに違いない」

「あの子が幸せに……」

 幼い頃には旦那の親族から酷い目に遭わされ、長じては唐突に仕事を辞めた旦那のせいでお金の苦労をさせ、さらに旦那の介護で青春時代を潰され、人生を掻き乱された息子。それを哀れとも、申し訳ないとも思って悲しんできたのだ。

 その息子が幸せになれる――美佐子はシクシクと泣き出した。

「そうね、それは良いわね」

「これぞ皆が幸せになれる名案。我ながら実に素晴らしい」

 しかし、ヒヨは急展開についていけない。呆然としながら、何とか言葉を発した。

「えっ、あの私の意志は……?」

「そのようなものは不要。しかし逆に考えてみなさい。何か問題でもあるかな?」

「ええと……」

 ヒヨは腕組みして考え込んだ。

 一文字の家系からすれば、五条亘の強さは大歓迎。今の混乱した状況では、尚のこと重要視される事項である。少し素っ気ないところや趣味が日本刀というのは頂けないが、しかし常識はあるし話せばそれなりに分かってくれる。あの二体の従魔への態度をみれば、間違いなく子煩悩で優しい父親になるに違いない。

 今では大した意味もなくなってしまったが、土地付き家持ち仕事も堅く収入もそれなり。どうしてこれだけ好条件の男性が放置されていたのか不思議に思えてくる。

「あれ? 何も問題がないかも」

 そして個人的に魅力を感じるかどうかで言えば……傷を負って死にかけた時、確かにヒヨは見たのだ。あの五条亘が、自分を助けようと真剣に心配していた様子を。そして感じたのだ。大事そうに抱き上げ運んでくれた力強さを。

 だからこそ、死にかけたというのに平気だったのだ。

「あれ? あれ? 私って、もしかして……」

「よろしい、どうやら何も問題なさそうだね」

「うっ……で、でもあれなんですよ。私は今まで、いろいろ失礼な事を言ってますから。だから嫌われてます。そうなんです、私ってば本当にいつも後でこうなるの」

 ヒヨはションボリ項垂れた。

「問題ありません! この母が何とかしましょう! まずはアレね、印象改善だわ。あの子に手紙を書いて、ヒヨさんの事を褒めておきましょう」

「はい……えっと、お願いします」

「任せておきなさい。でも、その前にご飯ね。ヒヨさんの好きなお握りを準備しましょう。たくさん沢山食べて頂戴ね」

「あっ、でも私は遠慮気味で四個程度に」

「遠慮なんて何を言っているの、もっと食べなくては。若い頃から遠慮なんてしてたらダメよダメ。お握り好きなのでしょ、思いっきりお食べなさい」

「そうですよね。私、思いっきり食べます!」

「その意気よ。さあ手伝って頂戴な」

 台所へ向かうヒヨと美佐子に、アマクニとシンソクは微笑んだ。そして、こっそりゲームを再開するのであった。

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