第136話 従魔の契約者

 小さな姿はコンビニの看板より高い位置まで上昇していき、見上げる人間たちは軽く身を反らさねばならない。距離はあるが薄明るく薄暗い灰色めいた空を背景にすると、白い小袖と緋袴姿の色合いはよく目立った。


「そんじゃあさ、『雷魔法』でやっちゃいますか」

 神楽は上空で魔力を解き放つ。じっくりと集中しながら手を掲げると、その頭上に幾つもの光球が出現してく。その全てが神楽を凌ぐ大きさにまで成長していった。

「いっけええっ!」

 手を振り下ろすや光球が地上へとばら撒かれていく。その内の一つが民家へと命中すると、内部で込められた力を解放させる。生じた爆発により一瞬瓦が浮き上がり、その後に屋根ごと吹き飛んだ。弾けた壁や窓ガラスが飛び散り民家は一瞬で炎に包まれる。

 同じような爆発があちこちで発生していた。

――ズドンッ、ズドンッ、ドドドンッ

 粉塵が舞い上がり、ガラス片や金属片が無数に飛び散る。そして、DPで出来た紛い物とはいえ、まだ何十年もローンが残っていそうな家々が次々と破壊されていく。

 唖然として見つめる人間たちの元へは、衝撃波となった音が押し寄せ鼓膜を震わせる。さらに破片のシャワーが次々と襲い掛かった。

「わきゃあっ!」

 悲鳴をあげたのが誰とも分からず、皆が一斉に車の陰へと避難する。しかし身を隠した車体に次々と破片が命中し、小刻みな金属音のビートを奏でるほどだ。一際大きな音が響き、車のフロントガラスに大きな金属片が突き立った。

 身を寄せてくるエルムとイツキを庇いながら、亘は上空を見上げた。

「手加減抜きだな、あいつ張り切りすぎだろ」

 恐ろしいことに、神楽はその威力の魔法をまだ放っているのだ。その爆発音が収まり破片の奏でる音が終息したところで、ようやく立ち上がることができた。

「えへへっ、どんなもんだい」

 上空から落下するような勢いで降下してきた神楽は当たり前のように、ボスッと亘の頭に着地する。おかげで亘の首が痛い。

「神楽ちゃん凄すぎやで。また魔法の威力が上がっとらせんか」

「凄えな、俺こんな凄い魔法初めて見たぞ」

「ふっふっふー。とーぜん、ボクは凄いんだからね」

 ドヤ顔で踊る神楽をエルムとイツキが賞賛し口々に褒めそやす。サキが少しばかり口を尖らせるのは、自分だって出来ると対抗心を燃やすせいだろうか。

「ほらほら凄いよね、ボク凄いよね」

「そうだな凄いな」

 神楽は亘の頭から身を乗り出し、はしゃいでいる。その見た感じは無邪気な少女のようで可愛らしいものだった。

 けれどNATS一同は声もなくそれを見つめるしかなかった。バカげた威力と規模の攻撃により、街並みは完全に破壊され更地となって素晴らしく見通しが良くなっていたのだ。


 亘が両手を何度か打ち鳴らす。

「さてと、これで訓練の準備が整ったかな。それでは人の嘘に便乗するような見下げ果てた男ですが、皆さんの訓練を精一杯やらさせて貰いましょうか。どうぞよろしく」

 丁寧に頭を下げてみせると、神楽もサキも真似して頭を下げている。

 それを前にしながらNATS一同は必死に桃川を小突き合図した。亘の態度に潜む感情の色は、誰の目にも明らかだ。

「ごめんなさい。先程は失礼なこと言ってしまったけど、どうか許して下さい。ね?」

「はっはっは。おや、何のことかな。もしかして、程度の知れたパッとしないダメ男とか言ったことかな。大丈夫、ちーっとも気にしてないからな。さあ、訓練をしようじゃないか」

「ああぁ、悪夢再来……」

 以前に鍛えられた志緒が震え声で呟けば、隊員たちは更なる恐怖に包まれてしまった。亘はもったいぶった様子で手を後ろにやり、皆の前で左右に歩いてみせる。

「さて、今から皆さんには、ちょっと殺し合いをして貰いましょうか。もちろん悪魔相手だけどな」

「ちょっ! 待ちなさいよ。車の中で言ったでしょ、明日から大使の護衛なの。だからケガするような訓練をしたら仕事に差し障るでしょ」

 志緒の言葉にNATS一同は激しく同意し、うんうんと一斉に首を縦に振っている。しかし、亘は穏やかに微笑むままだ。

「それなら問題ない。なにせ、神楽の回復魔法は凄いぞ。大体のケガは治る」

「えっへん、ボクにお任せだよ。生きてさえいればさ、ちゃんと治したげるからね。安心してよ!」

「なにせ胴体を喰われて、半分千切れかけても綺麗に治ったからな。はっはっは」

「マスターってばさ、それ笑いごとじゃないんだからね。あの時、ボクとーっても心配したんだから」

「おっと藪蛇だったな。まあとにかく安心して喰われて……じゃなくって戦ってくれ」

 和やかな主従の会話だがNATS一同に微笑むような者はいない。バラクラバの下で顔を引きつらせ汗をかき、互いに顔を見合わせ囁きあう。

(冗談だよな? 胴体とか冗談だよな? な?)

(いや、あの顔マジだ)

(だから私が言ってたでしょ、あの男は平気で人を悪魔の群れに蹴り込むのよ!)

(ねえこれ、逃げた方がいいのではなくて)

 これから自分たちがどんな目に遭うのか、NATS一同は正確に理解した。これまで冗談だと一笑してきた志緒の特訓話が真実だと悟り、ここから逃げるべきだと異界の出入り口がある辺りに目を向けさえしていた。


 それを知ってか、亘が釘を刺しておく。

「ちなみに逃げようとしたり、真面目に戦わないようならサキに訓練相手をして貰おう」

「んっ、やる!」

 ついに出番が来たと、サキが目を輝かせた。先程から神楽ばかりが活躍し褒められ対抗心を燃やしていたのだ。

 トコトコ可愛らしい子供の足取りで駐車場にある白いワンボックスへと向かう。それは先程の爆発から皆が身を隠していた車だ。工事用車両らしく中には重たげな工具類が積まれ、車体重量と合わせると軽く二トンは越えているだろう。

 サキは長い髪を揺らし、お淑やかに近寄っていくと気の抜けた掛け声をあげた。

「やっ!」

 同時に、小さな足がアスファルトを踏み割り掌底が放ち、長い金髪を背で跳ねさせた。

 一瞬、車体側面に円形の窪みが生じたかと思うと、ドンッと重たげな音が響き重たげな車体が嘘のように吹き飛んでいく。そのま回転しながらアスファルトの上をバウンドしゴロゴロと転がっていった。

「わお、サキちゃんの攻撃も凄いもんやな。超格好いいで!」

「凄いな! びっくりしたぞ!」

「ふふん」

 エルムとイツキの賞賛にご満悦となったサキは亘へと駆け寄り、その腰へと抱きつく。髪をくしゃくしゃと撫でられ、嬉しげに緋色の目を細める姿は小さなレディーでしかない。

「だが、今のだと力が強すぎだな。あの威力だと人間の胴体は千切れてしまうからな、回復できる程度で優しく相手をしてやるんだぞ」

「んーっ、分かった」

 NATS一同はガタガタ震え、絶望に顔を染めていった。その横でエルムがポンと手を打つ。

「そや。ウチらはどないすれば、ええんやろ。NATSの人らと一緒に訓練するんは、ちょーっと遠慮したいなあとか思うんやが」

「これはNATSの強化訓練だからな、エルムとイツキは別だ。また今度、ゆっくり安全に訓練をしようか」

「いやー、そら良かったで。助かったわ」

「俺は小父さんを信じてたぜ!」

 喜びの声をあげ手を取り合った少女たちへと、大人たちは恨みがましい眼をするしかなかった。


「さあ前置きが長くなったけど、訓練を開始しようか。NATSの皆は、その場所を動かないでくれよ」

 そんな指示に志緒を始めとするNATS隊員は困惑するしかない。異界での戦闘となれば、まず探索ありきで悪魔を探すのがセオリーなのだ。

「動くなって、どうしてなのよ。ここで待つより、不本意だけど探して戦う方が効率良いでしょ。不本意だけど」

「大丈夫だ。そこにいれば悪魔の方から襲ってくるからな」

「ああ、そういうことなんか。志緒はん、気合い入れた方がええで。いんや、覚悟って言うべきやろか」

 エルムは気の毒そうな顔で忠告すると、歩きだした亘の後を追いかけていった。それはまるで、その場から逃げるような仕草だ。

 不吉な予感を覚えたNATS一同は顔を見合わせる。けれど、そこは訓練を受けた大人たちだ。それ以上騒いだりせず周囲を警戒しだした。

「それじゃあ軽く悪魔を呼んでくれ。でも一度に沢山来たら、流石に死んでしまうからな。上手いこと調整するんだぞ」

「注文が多い」

 少し離れた場所で亘が指示する。それにブツブツ言いながらサキが上を向いてケーンとひと声鳴く。それは悪魔を呼び寄せるスキルで、そして同時に訓練開始を告げる声でもあった。


 少女の声に怪訝な顔をしていたNATSだったが、瓦礫の向こうに悪魔の姿を確認し身構えた。

 バサラ髪をした猿だ。体毛は黄味がかった赤色で、腹だけが白い。腕を垂らした類人猿のような動きで駆けてくる。顔つきは間の抜けたもので、愛嬌はないが恐ろしげでもない。

 亘はひと呻りした。

「うーむ、痩せ気味で強そうではないな。これでは、面白くないな」

「もうマスターってばさ、そんな言い方不謹慎だよ」

「こりゃ失敬。さて、あれはなんて悪魔かな」

「あれ猩々」

 呟いてスマホの悪魔図鑑を調べだすが、見つけるより先にサキがあっさりと答えを出してしまう。九尾の狐のなれの果てだけあって、そうした知識もしっかり継承しているらしい。

「そうか。強さはどうだ、餓鬼より強いのか」

「さあ?」

「うーん、ボクの見立てだとね。あれなら一餓鬼半ぐらいかな」

「じゃあ大丈夫だな。余裕余裕」

 亘と神楽は暢気な会話をしていた。サキは既に興味を失い、亘の腰にしがみつくとその腹へと顔を押し当てじゃれている。この面々にはNATSメンバーを心配する様子など、どこにもないのだ。

 エルムとイツキは訓練が別で良かったと、心底安堵するのだった。

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