第137話 想像だにしてなかった
猩々は四体五体ずつで群れをなしていた。
その集団が断続的に押し寄せる悪夢のような光景にNATS戦闘班は必死に立ち向かっていた。誰かの短機関銃がタタタッと音をたてると、先頭を進む猩々がもんどり打って倒れる。しかし、残りの猩々は倒れた仲間の姿に怯みもせず向かってきた。
「近づけるな。撃て、撃て!」
「ダメだ数が多すぎる! 弾をムダにするな、引きつけてから確実に撃つんだ!」
「いやああっ、こっち来たあ!」
「長谷部係長、あんた撃つな! 誰か銃を取り上げろ、こっちが撃たれるぞ!」
「そんな暇ねーよ! 前見ろ前、来てるぞ!」
混乱の坩堝だ。
班員の目の前に迫っていた猩々の顔面が撃ち抜かれる。そいつは血をまき散らし倒れたが、すぐ次が迫るため確実に倒したかを確認する間がない。短機関銃の連射で新手を倒すが、すぐまた次が現れるためきりがない。
「リロードって、弾倉が尽きた」
「だから撃ちすぎなんだよ、バカ野郎!」
「そんなこと言ったって仕方ないだろう! 撃たなきゃやられるんだ!」
「弾なら長谷部係長から取り上げろ!」
しかし弾倉を確保する暇すらなく、目の前に猩々が現れる。即座にサブの自動拳銃を引き抜き射撃し仕留める。予算不足ということもありNATSは携帯弾倉も少なく、十数体を倒したところで弾薬を撃ち尽くしつつあった。
「くそっ、マジかよ。まだ来るぞ」
「どう考えたって弾が足りないだろ、どうすんだよ」
「私も撃ち尽くしたわ、こなくそっ!」
桃川は襲いかかってきた猩々を銃床で殴りつけ、なんとか攻撃を凌ぐ。だが、猩々はふらついただけで、また飛びかかってくる。転がって避けたところで、味方の銃弾が狒猩々の額を撃ち抜き助かった。
「ありがと!」
「今ので弾が尽きました!」
「これ以上は無理ね、撤退するわよ!」
「アレが許してくれるとでも!?」
「でも、このままだと全滅よ!」
「だからって、このままじゃあジリ貧――ぎゃあああっ」
その時、足下に倒れていた猩々が起き上がり隊員の足に食い付いた。灼熱の痛みにゴリッと骨を削られる音を聞き、隊員は絶叫する。必死に拳銃を引き抜き猩々の頭に押し当て引き金を引いた。それで狒々を倒すが激しい痛みにのたうつ。
「くそがああああっ――ぁああ、あれ? 治った」
足を喰われ悲鳴をあげていた隊員だが、淡い緑の光に包まれたかと思えば戸惑ったように声を止める。驚いたように自分の足を擦るが、服が破れている以外は全くなんともない。
「はいはい、これで良しだよね」
やや離れた場所で頷くのは神楽だ。その顔が少し不満そうに頬を膨らませているのは、NATSの射撃姿に触発され自分も銃を撃ちたいが却下されたせいだった。
呆気に取られるNATS一同を亘が応援する。
「さあ頑張ろう! 傷なら幾らでも治るから白兵戦で頑張ろう」
NATS一同は絶望した。いくら傷は治るとはいえ、ダメージを受けた時の痛みまで消えるわけではない。悪魔相手に白兵戦とか、何をバカなという気分だ。
前門の悪魔に後門の人でなし。だが、そんなNATSの絶望を余所に猩々は容赦なく襲ってくる。もうどうにもならない状況だ。
「ぼさっとするな、もう弾が……終了だ。来るぞ!」
「来るったってなぁ! いくら何でもムリだろ!」
「逃げちゃだめよ。逃げたって蹴り戻されるだけなのよ。アレは本気でやるのよ。そう! 逃げたってムダなの!」
ついに志緒が凜々しく立ち上がった。折しも襲いかかってきた狒々の攻撃を盾のように構えたリネアで受け止めてみせる。そこを警棒を振るい殴りつけ、リネアも吸血スキルを使用している。半透明だった身体が赤く変色すると猩々は倒れた。
「バカな! 長谷部係長が倒しただなんて!」
半狂乱になりかけていたNATSメンバーだが驚愕で我に返った。志緒に対する皆の認識は、愛すべきお荷物キャラだったのだ。それが凜々しく逞しく戦うだなどと誰も想像だにしていなかった。
志緒が凜として声を張り上げる。
「皆固まりなさい。白兵戦用意! 慌てず互いにカバーし合えば大丈夫! 桃川さんは従魔を使いなさい! なんのための従魔よ! さあ武器を取り構えるのよ!」
その声に従い全員が言われるまま行動しだす。そして、血みどろの白兵戦が始まった。
なお、別方向からも猩々が襲って来ていたが、それはサキが欠伸混じりに倒していた。その適度に間引きされた残りの猩々をエルムとイツキが倒していく。横で亘も見ていて適度に手を出し安全に留意している。
NATSがハードモードなら、こちらはイージーモードだった。
◆◆◆
「終わった?」
「ああ終わったはずだ……今のが最後だった」
「これで、これでやっと終わったのか。やっと、やっと……」
「今日はもう帰って酒飲んで、ゆっくりしてやる。明日のコンポトンがなんだ、俺は浴びるほど酒を飲むぞ!」
「俺も付き合うぜ!」
「やった、やったのよ。私たちは生き延びたのよ! 万歳!」
「「「万歳、万歳、万歳」」」
NATS一同が三唱しながら喜びを分かち合っている。そこには無数の悪魔を倒した達成感など欠片もない。ただあるのは、窮地を脱し生き延びることができた。そんな生物としての純粋な喜びだけだ。
パチパチと気のない拍手が響いた。
「やあ、皆さんよく頑張りました。これで晴れて一人前だ、偉い偉い。さあこれで皆を異界で戦う戦士として認めようじゃないか」
どこぞの教官面した言葉に向けられるのは敵意と反感の眼差しだ。しかし亘はそれを平然とスルーしてみせた。嫌われることは恐いが、今はそれを上回る感情が胸に燻っているのだ。
その顔がニヤリと笑った。
「じゃあ、次のステップにいこうか」
「「「え!?」」」
「次はボス戦だ。そろそろ出てくるはずだな」
「ちょっと、ちょっと冗談はよして欲しいわよ。私たちに異界の主と戦えって言うの? それは流石に冗談でしょ」
志緒が悲鳴のような声をあげた。他の面々も激しく同意し、必死に頭を上下させている。しかし亘は平然としたものだ。
「そんなの本気に決まっているだろ。さあ張り切って異界の主を倒すんだ」
「待ってよ。せめて、せめてあなたも一緒に戦うわよね。戦うでしょ。戦って言ってよね!」
「今日の自分は監督です。いやあ残念だ、経験値とDPが入らないなあ。実に残念だなあ」
全く残念そうでもない亘の言葉に、NATSの戦闘班は見えない拳で殴られたようによろめいた。
「無理。それ無理。絶対無理! 異界の主なんて絶対無理よ!」
「問題ないって。最初に異界の主を倒した時は、確かレベル7だったな」
「そだね。あの時もマスターってばさ、死にかけたもんね。ほんっと、無茶ばっかするんだから」
「おいおい昔のことだろ、怒るなよ。はははっ」
亘と神楽の会話は和やかだ。NATSのメンバーは、これからが本当の地獄だと知った。
◆◆◆
「猿なんて大嫌いだ、猿なんて猿なんて。猿なんてぇええ!」
「ねえ、なんで私は生きてるの。あんなに囓られたのに、ねえなんで?」
「やつの攻撃パターンは一定だ、連続攻撃の後で転ぶ。俺が囮になるから一斉攻撃をしてくれ……いいんだ俺のことは気にするな」
「マジで蹴り込みやがった、あいつこそ悪魔だったんだ」
「やめてもう喰わないでお願いだから。俺、骨も硬いし筋もあるから。不味いからさあ」
「みんなしっかりしなさい。もう終わったのよ。ここは安全なのよ」
異界から帰還した部下を前に、正中は口を半開きにしていた。彼の明晰な頭脳を持ってしても、何が起きたか全く理解できないでいる。
ボディーアーマーはザックリ切り裂かれ、特殊警棒は途中で曲がっている。その他の装備も激しく損傷し用をなしていない。そんなボロボロの姿でも、誰もケガをした様子がないのが不思議だ。
経理担当の職員が再購入の予算をどうするか泣きの涙で頭を抱えているが、正中は兎にも角にも亘へと視線を向けた。
「五条係長。君は一体何をしたのかね」
「はい、『正中課長から』思いっきりやってくれと『指示されたとおり』に、NATSの皆さんを思いっきり『鍛えて』おきました」
問われた亘は背筋を伸ばし、アクセントを付けながら大きな声で答えた。もちろん、志緒をはじめとする戦闘班メンバーに聞かせるためだ。姑息にも全ての恨みを正中に押しつけようとしている。
その効果あって、恨みの籠もった視線は正中へと向けられた。ただ単に亘が恐いだけかもしれないが。正中は大いに慌てた。
「待ちなさい。確かに言ったが、こんなつもりで言ったわけではない。この様子で、明日からの護衛は大丈夫かね」
「酒でも飲んで、ひと晩寝れば大丈夫でしょ。なにせ身体は無事ですから……おっと、もう定時じゃないですか。研修の唯一の利点は、定時で上がれる可能性が高いことですかね。はははっ」
「五条係長! ちょっと五条係長! 待ちなさい!」
正中の声を無視すると、亘はそそくさ会議室を出た。エルムとイツキも気の毒そうな顔をしつつ後を追う。背後で紛糾する会議のような声が聞こえたが無視する。
公民館の廊下は静かで薄暗く人の気配がない。少し異界っぽい雰囲気もするが、もちろん普通の世界だ。
階段を下りて一階へと降りていくが、玄関を入って横手にある小部屋には管理人の姿はもうなかった。定時になるや即座に帰ったのだろう。不在の表示が窓に出されていた。
「これから、どないします」
「後で軽く懇親会をするって話だな、だが時間がまだあるな」
この状況で懇親会になるか不明だが、亘は気にしていない。どうせ懇親会でのボッチは慣れているのだから。
「なあ、先に宿に行って少し休んだらどうだ。俺ちょっと疲れたぜ」
「それもいいな。だけど宿の場所を聞いてなかったな」
「大丈夫やで、ウチが聞いてある。こっから歩いてすぐのとこなんやって。ほんで、チェックインは完了しとるそうやで」
「じゃあ行くか」
外に出た途端にムワッとした空気が押し寄せた。上からの日差しだけでなく、アスファルトの照り返しもあって歩く気が削がれてしまう暑さだ。一瞬、冷房の効いた公民館に戻ろうかと考える亘だったが、両隣の少女たちが平気そうなので仕方なく歩きだした。
四車線道路を行き交う車両はまだ少ないが、もう少しすると帰宅ラッシュが始まって混雑するのだろう。
シャツの襟元をバタバタさせていると、イツキも真似してみせた。
「こら女の子が、そんなことするもんじゃない」
「ちぇっ。小父さんまで、トト様や兄ぃみたいな小言を言わないでくれよ」
「ニシシッ。そうしとると五条はんって、オトンみたいやな」
「洒落にならんことを……」
本当に洒落にならない。なにせ年齢的にはイツキどころか、エルムのような子供がいてもおかしくないのだから。憮然とする亘にエルムが楽しげに笑った。
「こらどうも失礼。イツキちゃん、こっちの街路樹の木陰を歩きなれ、少しは暑さがマシやで」
「そーさせて貰うぜ。ここは暑すぎだぞ」
木陰の下を歩きだすイツキはいつものように頭の後ろで手を組む。その姿は少年のようで、エルムとは姉弟にしか見えない。
そうなると言葉通り、亘は父親に見えるだろうか。やれやれと頭を振って歩きだす。
歩道を郵便配達の赤バイクが走り抜け、道交法違反気味の配達をしている。蝉の音もうるさく、上空から航空機の騒音が響く。空気は排気ガス臭く、排水溝のドブ臭さも混じっている。
それはよくある日常の風景でしかない。先ほどまで異界で悪魔と戦っていたことが嘘のようだった。
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