第七章
第75話 十二月だから
「おもしろくもない」
公園のベンチに座る五条亘は冴えない顔を不機嫌に歪ませ、鼻をならした。
やや乱雑にコンビニ弁当を開封すると、むしゃむしゃと食べだす。竹輪の天ぷらを食らい、魚フライにかぶりつき、ご飯をかき込む。ミニハンバーグもマッシュポテトも一口でやっつける。胃に悪そうな食べ方だ。
不機嫌な理由は十二月だから。
弁当を買ったコンビニもだが、街中がクリスマスで浮かれている。無節操なクリスマスソングがそこら中で垂れ流され、イルミネーションの飾り付けは派手で騒々しい。そして何よりカップルがベタベタしながら歩いているのだ。
だから面白くない。
亘は空になったコンビニ弁当をビニール袋に入れ縛りあげる。どこか山奥に土地を買って、そこで隠遁生活をしようか。そんなことを、ちょっとだけ本気で考えていると、懐にあるスマホから着信を知らせる曲が流れだした。
「んっ、七海からか」
電話が来ただけでも、世間から取り残され見捨てられた自分に一条の光が差し込んだ気分になる。それが女の子からともなれば、世界はバラ色気分だ。
「もしもし、どうした? 何かあったかな?」
『すいません。今、お電話よろしかったですか?』
穏やかな声が耳に心地よい。脳裏に肩まである黒髪の優しげな少女の顔が思い浮かぶ。電話の声を聞いていると、なんだか耳元で囁かれているようで嬉しくなってしまう。
相好を崩した亘からは不機嫌さはどこかにいってしまった。
「もちろん大丈夫だ。ちょうどコンビニ弁当を食べ終えたとこ、だったからな」
『コンビニ弁当ですか、それなら今度私がお弁当を……あ、いけない。そうじゃなくて相談があるんです』
「ほう」
女の子からの相談事に表情を引き締める。緊張を持って謹聴すべき事項だ。
『学園祭で会った、私の友達のエルちゃんを覚えてますか?』
「確か元気のいい娘だったよな。あれは一度会ったら忘れられないタイプだから、そりゃ覚えてるさ。どうかしたのか」
『はい。実はその……学園祭のことを思い出しちゃいました』
「なんだって!」
思わず声が大きくなってしまい、亘は慌てて周囲を見回す。他のベンチには、サラリーマンの皆さんが新聞紙を布団に寝てらっしゃるのだ。とりあえず、声は聞こえているかもしれないが反応はなかった。
少し声を潜め、下を向いて電話を続ける。
「思い出したって、こないだのアレ全部か?」
『そうなんです。今日になって急に思い出したみたいで……誰も覚えてないから変だって言い出して……それで、教えちゃいました。ごめんなさい』
「別に謝ることでもないだろ。友達がそんな風になったら教えて当然だろう。それで、どの程度まで教えたんだ」
『異界があって悪魔が居ること、そのついでにアルルも見せました』
「つまり全部か……アプリのことも教えたわけか。反応はどうだった?」
『えっと、喜んでました。自分もアプリをダウンロードしてみるって言ってます』
「そうか……」
亘は目を閉じ、額を指先でトントンとしながら思案する。記憶があり悪魔に対する拒否反応や嫌悪もない。それなら、答えは出ているようなものだ。
「放っておくと、一人でも突っ走りそうなタイプだよな。それなら、ダウンロードする時に七海も同席してあげたらどうだ。喚びだした相手に襲われる可能性もあるだろ」
『そうですね、分かりました。ありがとうございます』
「お礼を言われるほどでもないさ」
『そんなことありませんよ。では、今日の夕方にでも一緒に試してみますね。また近いうちに会えるといいです。最近会えてませんから』
「ん。そうだな、じゃあ近いうちにな。じゃあな」
電話を終えた。
なんとなくだが、相談する前から七海はとっくに答えを決めていたように思える。それなのに、どうして相談してきたかは不明だ。やはり不安だったのかもしれない。
亘は背を丸め足の間にスマホを隠す。そして画面をタップしようとすると、それより先に神楽がひょっこり顔をだした。大胆にも上半身を画面から出すと、縁で腕を組み見上げてくる。
「なあ七海の友達にエルムという娘がいるんだが……」
「電話で話してたこと? それって、どうやら適性があったってことだね」
「おい人の話を勝手に聞くなよ」
あっけらかんと言われた内容に、おいおいと思ってしまう。通話内容が筒抜けというのは如何なものか。これではプライバシーもなにもあったものじゃない。
しかし神楽は外ハネしたショートの髪を揺らしながら、明るく笑っている。
「異界のことを思い出したならさ、アプリの適正があるってことだよ。やったね、これで仲間が増えるよ。それでさ、どんな子なのさ」
「まったく。まあいいけど……神楽は会ってなかったが、賑やかな娘だな。ちょっと詮索好きっぽそうだが、サバサバして話しやすそうなタイプだ。誰とでも仲良くなれるタイプだな」
「ふーん、そうなんだ。ねえ、その子とナナちゃんなら、どっちが好みなの」
「はあ!? いきなり何を言い出すんだよ」
「いいじゃないのさ。ほらほら、どっちが好みか言って」
「エルムと七海のどっちか……そりゃ七海だろ」
亘は大して悩みもせずに答えた。エルムは明るく賑やかで楽しい性格だが、少々騒々しすぎる。そうした賑やかしさに慣れていないので疲れてしまうだろう。
一方で七海は穏やかで一歩控えた雰囲気があって、一緒にいても疲れたりしない。そんな理由で、全体的に七海の方が好みに合致するわけだ。なお、胸部分は考慮していない。
「なーんてな。好みとか言える立場じゃないけどな」
三十五歳の独身男が女子高生の品定めをするなんて馬鹿げている。そもそも七海にしてもエルムにしても、相手を選べる側の人間だ。そんなことを考えてしまうと、少しばかり哀しくなってしまう。
だが神楽はそんなのお構いなしだ。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、ボクとナナちゃんだったらどっちが好み?」
「はあ? 神楽とか?」
「うん、そうそう。ボクとなら、どっち?」
比較対象にすら思ってなかった組合せに戸惑ってしまう。
亘からすると、神楽は手のかかるペット、もしくは妹とか身内のような感覚だ。しかしワクワクしながら答えを待つ様子からすると、その答えは言わない方が良いに違いない。
亘は女心には疎いが、危険察知能力には長けているのだ。
「そうだな、何と言ったらいいか……神楽が一番一緒にいて疲れない相手だな。これは好みとか以前の問題だ。いつも側にいるのが当たり前で、ある意味半身のような存在だからな」
「そっか。ボクはマスターの半身なんだ、えへへ」
嬉しげな様子からすれば、満足いく答えだったらしい。
ほっと安堵した亘は話題を変える。
あまり、誰が好きかといった話は得意でないのだ。今まで散々飲み会で似たようなネタで弄られたのでむしろ苦手意識がある。
「そりゃそうと、他にも思い出す生徒がいやしないか心配だな」
「適正があったら思い出すかもね、うん。でもさ、前も言ったけどさ。アプリを使える才能があるのは稀だからね」
「稀か……思い出したのが七海の友達とか、凄い確率だよな」
「そだね」
神楽は画面の縁で組んだ腕に顎を載せながら頷く。見上げてくる瞳はキラキラして、頭もユラユラさせてご機嫌だ。
「待てよ、だったら志緒はどうなんだ。美術館のことも覚えてただろ、だったらあいつもアプリの適正があるってことか?」
「多分あると思うよ。なんでアプリを使わないかは、ボク知らないけどねー」
「あいつ恐がりだからな、案外アプリが恐かったりするのかもな。あと機械が苦手とかも言ってたな。スマホを持ってないかもしれん」
「あははっ、そうかもね。でもさ、志緒ちゃんって脅かすと面白いよね。また会ったら脅かしちゃお」
「程々にな……いや、たっぷり脅かしてやれ」
学園祭で言われた言葉を思い出し、亘は言葉を訂正した。根に持つタイプなのだ。
「えへへ、どうやって脅かそうかな。ガブッと噛み付いてみよかな」
「服の中に入って暴れてやれ。それで脱ぎだしたら面白い」
「マスターってば、エッチだよね」
「よし、やれ。自分が許可する、今度は服は脱がせてやれ」
志緒が聞けば、それこそ顔を真っ赤にしてプルプルしそうな話だ。怒るか怖がるか、どちらかは不明だが。
「んっ?」
周囲で時間を知らせるアラームがそこかしこで鳴り出した。公園ベンチで休憩するサラリーマンがそれぞれ設定する、昼休み終了十分前のアラームだ。
それに反応しサラリーマンたちが次々と動き出し起き上がりだす。それは、なんとなく墓場から這い出すゾンビにも見えてしまう。少なくとも生気の無さは、そんな感じで間違いない。
「昼休みも終わりか。それじゃあ、自分も仕事に戻るとするか。また後でな」
「お仕事頑張ってね」
「ああ。今日もストレス溜まりそうな案件があるからな。帰りにちょっと異界に寄ってストレス発散するか」
「だから、そんな理由で異界に行くのはマスターぐらいだよ……」
呆れ顔の神楽がスマホの中に引っ込むと、亘は軽く笑いながら立ち上がった。コンビニ弁当を食べていた時のような、鬱屈としていた気分はすっかり消えている。
それは七海と神楽のどちらのおかげかは不明だ。好みの区別が付かないように、両方のお陰かもしれない。
亘は他のサラリーマンに混じって歩きだした。
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