第296話 何事も臨機応変
亘の後ろを二体の悪魔が叫びをあげながら追いかける。
振り返りもせず公園横の木陰の下を走り抜けると、横のビルからサキが飛びだし悪魔の一体に蹴りをくらわせた。もんどり打って植栽に突っ込んだ悪魔に神楽が細かな光球を幾つも放ってトドメをさした。
一方で亘はアスファルト道路の上を滑るように急停止。
身を翻しざまに腕を振り回し叩き付けた。そのまま倒れた悪魔に飛び掛かり組み付き、頭を掴み固いアスファルトやコンクリートに何度も叩き付け倒してしまった。
飛んで来た神楽は空中を漂いつつ呆れ顔だ。
「マスターってばさ、なんかすっごく野蛮ってボク思うけど」
「戦いに上品も野蛮もないだろ」
「こういう時ってさ、武器とか使うんものじゃないの?」
「素手の方が戦ってる感じがするんだ」
「あーそー」
ますます呆れ返った神楽をよそに、亘は懐からスマホを取り出し操作しだした。道端には歩きスマホ禁止の注意看板があるが、気にもせず歩きだす。ルール順守は大切だが、何事も臨機応変である。
そうと思いきや、足元に纏わり付いたサキを意図せず蹴飛ばしてしまった。
「おっと悪い」
「酷い」
「ごめん、痛かったか?」
「大丈夫」
頬を膨らませたサキは、亘が屈み込んで頭を撫でた途端に満足した。すっかり甘え頭を擦りつける。鼻の頭をポチッと押されても目を細めるぐらいだった。
そんな事をして許されるのは、亘に限ってのことだろう。
もし他の者が頭にでも触れようものなら、その手をへし折るに違いない。そもそも敏捷で勘の良いサキが蹴られるなどありえないので、つまりはそういう事だ。
「これで二十体以上は倒したな。どうだ、囮作戦は大成功だろう」
「そだね、マスターが上手に囮が出来るようになったおかげだよね」
「うるさい奴だな」
「ボク褒めたつもりなのにさ。マスターってば素直じゃないよね」
「謙虚で素直がモットーだ」
「それボクの知ってる謙虚とか素直とかとさ、絶対違うって思う」
深々と頷く神楽に憮然となりつつも、亘はスマホの操作に熱中しておいた。
昼時に近づいた空は雲一つなく、塗ったように青一色。心の中にまで染みるように澄んでいる。静かな街中はどこからか汚水の臭いが漂うものの、それでも人で賑わっていた頃よりも遙かに綺麗な空気であった。
「あのさ、そろそろ帰ろうよ。ボクお腹空いてきたもん」
「もう少し頑張りたい。最近はレベルの上がりも悪いし、折角上手く稼げるなら続けたいじゃないか」
「上がりが悪いのはレベルが高いからでしょ」
「それではダメなんだ。もっとレベルを上げておかないと」
亘は頑固に拒否した。
この悪魔が跳梁跋扈するようになってからというもの、NATSをはじめとした皆から認められ頼られている。極めて不謹慎だが、内心それを嬉しく感じていた。
しかし、同時に不安も芽生えている。
皆から頼られるのは、他の者よりレベルが高いからでしかないのだ。しかし、いずれ誰かに追い抜かれてしまう。そうなると、また以前のような誰からも省みられず必要ともされず、無価値などうでも良い人になってしまう。
それがどうしようもなく不安だった。
「レベルを上げて強くなっておかないとな」
そうした心の中にある醜い不安を、亘は誰にも見せようとはしない。気付いて欲しい察して欲しい気持ちはあるが神楽とサキにすら見せない。悪い意味でプライドが高く、そうして自縄自縛で苦しむ性格なのだ。
だが、救いはある。
「んもう仕方ないなぁ、マスターは」
「んだんだ、任せる」
「ボクたちも強くなりたいのはあるからさ、もうちょっと頑張っちゃおう」
「がんば」
神楽は笑った。
サキも笑った。
両者とも亘の心の中までは分からないが、深い付き合いと絆がある。亘から不安や恐れを感じ取れば、それを解消するため行動しないはずがないのだ。
頑なな心は、今日もほんの少しだけ解された。
◆◆◆
それから次々と悪魔を狩った。
勢いは凄いが決して慎重さを失わず油断せず、次々と悪魔を狩った。白面をつけた青肌の鬼だけでなく、全身濃紫色をした女性体の鬼も誘き寄せては倒し続けた。
その途中、亘は新たな敵を目にして眉を潜める。
「ばかな……信じられん……」
「えっと、どしたのさ?」
呟いた声に神楽は何事かと身構え、新手の悪魔を見つめる。それは剣と丸盾を構える紅い骸骨であったが、見た目で何か驚くような特異さはない。
「見ろ、こいつ剣と盾を使ってる。なんでだ、おかしいだろ。日本国内であれば刀か太刀を使用すべきなのに」
「あのさぁ……こんな時になに言ってるのさ」
「由々しき問題だろうが」
義憤に燃えた亘はDPで出来た棒を力強く振り回し、紅骸骨の剣を思いきり弾き飛ばした。さらに、わざわざ盾に一撃を加え同じく弾き飛ばした後に、鎖骨から肩甲骨までを粉砕してしまう。
だが、紅い骸骨は倒れなかった。それどころか舌のない口で歯を打ち鳴らし何かを唱えると砕けた骨が再生しだしている。
これまでにないような再生能力を持った脅威の存在だ。
「流石に高レベル帯の悪魔だな」
亘は少しばかり感心すると、棒を振り上げ再生中の紅い骸骨を情け容赦なく頭から粉砕した。むしろ再生中で動かないので倒しやすいとさえ思っている。
「こうしてみると、やっぱり神楽の回復は凄いってことだな」
「そーでしょそーでしょ! ボクのこと、もっと褒めていいんだよ」
「ああ、そうだな。神楽は本当に凄いと思うよ」
「えっ嘘! マスターが素直に褒めてくれた、変なことが起きなきゃいいけど」
「こいつ……」
そして、変なことが起きた。
突如として激しい風が吹き寄せ、亘は引っ繰り返りそうになった。砂埃が目に入りくるしみながら、それでも素早く神楽とサキを掴んでみせたのは流石である。
「なんだ!?」
「これって……テングだよテングの仕業なんだよ!」
「落ち着けテングなんて居ない、って事もないか」
頭上を掠めた影を目で追い、亘はそこに現れた存在を確認した。
紫の胴衣に錫杖を持ち、烏のような顔に黒い鳥の羽のある人型。悪魔が彷徨くような状況であれば、テングがいるのも当然だった。
羽ばたきによって強風が押し寄せ、目を開くのも辛い。
「危ないっ!」
それでも亘は直感で次の攻撃である風塊を避けてみせた。
風塊は樹木の幹を容易く打ち砕き、さらにはビルの外壁を剥ぎ取るように破壊している。更に次の風塊も避ける亘だが、これは数多の悪魔と戦う中で磨かれた戦闘センスとでも言うべきか、地道に戦い続けてきたからこそ出来ることだろう。
神楽の放った光球が風塊に激突しテングにまで届かない。さらにサキが素早く変則的な動きで襲い掛かるものの、空中に飛び上がり回避されてしまった。
「むむっ、なんか手強いのさ」
「生意気」
両者が悔しがる間にも、亘は油断なくテングの様子を伺いつつ思考した。
空中の敵を倒した事はあるが、それはサキを投げつけるという手法であった。しかし屋内という限られた空間であったので、今のような広い場所では意味がない。そうなると――。
「今までと同じく囮をやるから、上手く倒してくれ」
「待って、ここはボクにお任せなのさ」
「おい、勝手なことをするなよ」
「大丈夫だもん!」
同じ飛翔する存在として対抗意識が強いのか、神楽は高速で飛びテングを追い回しだした。その途中で細かな光球を放つ様子は、まるで戦闘機のドッグファイトさながらだ。流れ弾となった魔法が、ビルの表面を細かく穿り破壊された外壁が次々と落下し被害を拡大させていく。
しかもなかなかテングが倒せないためか、魔法の威力が徐々にあがっている。
流れ弾の魔法が遠くのビルに命中し爆発した。
「派手なことをするな! 目立つだろうが!」
亘は降り注ぐガラス片の中で文句とも悲鳴ともつかぬ声をあげた。あまり騒ぎを大きくすれば他の悪魔が寄って来かねない。だから魔法の威力を抑えさせていたのだが、その危険性を神楽はすっかり失念している。
テングは全ての攻撃を避けると余裕を見せた。
だが、そこで次の攻撃が来ない事に戸惑いをみせている。周りには光球どころか神楽の姿もない。不思議そうに周囲に目を配り――はっ、と上空を振り仰ぐ。
青天から神楽が急降下した。
同時に降り注ぐ幾つもの光球によってテングは叩き落とされる。道路に叩き付けられたところでトドメの一撃を貰い倒された。
「やったね、ボクの勝ち!」
神楽は空中で手を突き上げ、勝利のポーズをとった。姿を現した亘の元へと飛んで行くと得意満面の様子で飛びついている。
「凄いでしょ、ボク強いでしょ。褒めてもいいんだよ」
「さっき素直に褒めて文句を言った奴が何を言うか」
「そだっけ? 細かいことはどーだっていいじゃないのさ……あれ?」
「うん?」
神楽が見やった先は、先程の流れ魔法の命中したビルだ。そして視線を追った亘が同じく見つめる先で、軽く十を超える何かが飛び出ている。
辛うじて顔の見わけがつく距離だが、特徴的な姿からテングの群れだと分かる。しかも、間違いなく亘たちを見ている。
「あっ、やっちゃった」
「テングの巣だったのか」
「こっち来るよ、どうしよう!?」
「そんなの決まってるだろ。逃げるぞ!」
多勢に無勢。空飛ぶ相手の面倒さを前に、亘は即座に逃げる事を選択した。やる気で空を睨むサキの襟首を掴み肩に抱き、一目散に走りだすのであった。
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