閑6話(1)  一瞬で力量差を悟った

 五条亘の日常は様々なストレスで満ちている。

 完了寸前だった仕事は上司の思いつきでやり直し。隣席の色ボケ後輩は彼女とのお泊まりデートのエロ話ばかり。独身仲間と思っていた同期と久しぶりに会うと結婚しており、あげく上から目線で早く結婚しなきゃなどとぬかしおる。頼みの綱だった宝くじはまたしても外れ、外食はカップルと相席、レジに行けば手に触れないよう釣銭が返ってくる。

 これで機嫌がよく笑顔で過ごせるというなら、むしろ精神的に問題があるに違いない。

 軽くネクタイを緩めつつ、低く暗く笑う。

「こんな時は異界でストレス発散に限るよな。くっくっくっ」

「きっとそんな理由で異界に来るのって、マスターぐらいだよ……」

 顔の横を飛ぶ神楽は呆れ顔だ。亘の眼前へと飛んでいき、両手を上に向け、外ハネしたショートの髪をヤレヤレと左右に振ってみせる。


 背広姿の亘が佇むのは、ごく普通の住宅街だ。けれど異常なまでの静寂に満ちており、人が起こす生活音が全く存在していない。

 異界の中に生じた虚構の街であった。

 そんな悪魔が跳梁跋扈する場所で、亘は瞑想するように目を閉じる。己の内へと意識をやると、APスキルの発動で力が湧き上がることが分かった。なんだかストレスと燻る怒りがパワーへと変換されていくようだ。

「仕事帰りにちょっと気軽に寄れる異界なんて、最高だよな。この異界は破壊しないよう注意しておかないとな」

「はぁ……このマスターときたら、もう」

 まるでコンビニでも立ち寄るような言葉を聞いて、神楽はすっかり呆れ顔だ。

 亘は背広のポケットから革グローブを取り出すと、装着し手をにぎにぎしながら具合を確認した。背広姿で革グローブと、まるでサスペンスドラマの犯罪者のような出で立ちだ。

 仕事帰りのためこんな格好だ。

 さすがに金属バットを持って出勤なんてできやしない。それだと職場に襲撃をかけるように勘違いされてしまう――昔、本当に金属バットを手にカチコミした職員がいたので洒落にならない。


 軽装ではあるがレベルアップを重ね、APスキルで身体的にも強化されているため不安はない。攻撃も防御も向上していることが実感として分かっていた。

「敵の気配がするけどさ、どうすんの。マスターが倒す? それともボク?」

「そんなの決まってるだろ、方向は?」

「斜め右前方、一体だよ」

「了解、いくぞ!」

 返事をした亘は教えられた方向へと駆けだした。それは驚くほどの速度で加速であって、陸上選手並の疾走力だ。


 すぐに小柄な人影が現れる。小さな白角のある禿頭で、目がぎょろりとして大きな口の厳つい顔。肌は赤銅色で首もとにスカーフのような布が巻かれ、あとは腰布一枚の小鬼であった。

 突然現れ、突撃してくる人間の姿に小鬼の方が驚いている。まさか悪魔の自分が襲われるとは思ってもなかったに違いない。

「何が先輩も早く彼女見つけて下さいだ、オラァ!!」

 魂の叫びと共に拳を放つ。殴るというより突き出すようなもので、それを顔面に喰らった小鬼は一撃で吹き飛び、ブロック塀に激突した後倒れ込む。もちろんそれで終わらず、転がったところを踏みつける。 

「目の前でイチャついてんじゃないぞ!! バカップルがあ! ちっ、もう終わりか」

 哀れな小鬼は光の粒子へと変わりDP化し始めていた。遭遇からここまで数秒にも満たない。追いついた神楽は口を半開きでぽかーんとなっている。

 亘は荒れ狂っていたことが嘘のように、ピタリと動きを止める。今度は静かな動作でスマホを取り出しDPを回収しだす。

「得物を使うもいいが素手の感触もいいな、癖になりそうだ。くっくっく」

「マスターがどんどん強くなってるよ。ボクの活躍……」

「神楽は末永く使ってやるから安心しろ」

「えへへっ、そう? しょうがないなぁ。マスターが強くなって、ボク困ったなぁ。えへへっ」

 神楽は頬を押さえ相好を崩すと、そのまま亘の頭へと飛び乗る。そこでだらしない顔で身もだえしたりなんてしている。かなりチョロい。

 亘はスマホに吸収された2DPという数字を見つめた。レベルアップに必要となる値と比べると物足りなく感じてしまう値だ。

――これはいかん。

 だが、そこで亘は自戒した。

 異界の主から大量のDPを得たせいでか、金銭感覚ならぬDP感覚が狂っている。お金でもそうだが、地道に貯めることこそが肝要なのだ。一攫千金的に増やそうとすることは危険な考えてある。

 そも、どんなに少量であろうと、戦いの結果得られる対価なのだ。感謝して受け取ることが大切であり、その多寡に文句をつけるなど間違っているだろう。

 自戒しながら何度も頷くと、頭上の神楽がキャアキャアと嬉しげな声をあげながら頭にしがみつく。遊んで貰っているとでも思っているらしい。

「んー! 良い感じにテンションが上がってきたぞ。さあ次だ次、次はどこだ」

「はいはいっ、近くには居ないね。適当に移動してよ、見つけ次第教えるからさ」

「だったら超特急で移動してやるぞ、落ちるなよ!」

「ちょっとマスター待ってよ、速すぎるよ」

 心象風景でズドンッと音をさせる加速で亘は駆けだす。あながちそれも間違いでもない加速で、ぐいぐいと流れる風景に亘は高らかな笑いをあげるのだった。


◆◆◆


「ふう。疲れたな……」

 十字路の脇にある電柱に手をつき、亘は深呼吸をする。

 小鬼を見つけ次第辻斬り的に襲い掛かり、時には殴り飛ばし時には跳び蹴りをくらわせたりと、すでに9体もの小鬼を倒している。

 恐怖に顔を引きつらせる様子からすると、今日は小鬼たちにとっての厄日だったに違いない。


 さんざん走り回った亘は爽快な疲れに浸っていた。頭の中でモヤモヤしていた事象が晴れ渡り、明るい気分だ。少しランナーズハイ気味なのかもしれない。

 けれど途中で振り落とされた神楽は少し不満顔だ。

「そりゃそうだよ、あんな勢いで走りまわるなんてさ。置いてかれそうになったボクの身にもなってよね」

「男には走りたくなる時があるのだよ」

「まーた、そんなこと言ってら。マスターときたらさ、変なことばっか言うんだから」

「変とか言うなよ、変とか」

 亘は格好いいことを言ったつもりだったので少し傷つき口を尖らせた。そんな様子に神楽はしてやったりと明るい笑顔を浮かべ、ヒラリと飛んで亘の頭へと華麗に着地する。やはりそこが落ち着くのか、ちょこんと女の子座りだ。

 亘は目を閉じ頭上にある柔らかな感触に意識を集中させる。頭上に女の子のお尻があると考えると、それだけで気分がいい。

「あれ? ねえ、マスター近くに誰かいる気配がするよ。えっとね、うん。これは人間と、その従魔だね」

「どうするかな……とりあえず挨拶でもしとくか」

「そだね。お友達になるかもだよね」

「友達云々はともかくとして、今後もここで会うなら挨拶はいるだろ。それと前に言ったが、相手が襲ってくる可能性もあるから充分警戒してくぞ」

 亘に友達が出来たことは、つい最近までなかった。だから、誰かと友達になろうという発想はあまりない。

 同じ異界にいるのだから挨拶しておこうという感覚でしかない。


 住宅街を進み角を幾つか曲がると公園があった。神楽はそこを指し示す。

「あそこだよ。さっきまで小鬼と戦ってたみたいだね」

「戦闘の後か。だったら気が立ってるかもしれないな。友好的な笑顔で行くか」

「マスターの笑顔……ううん、なんでもないや」

 公園へと近づいていき、人の姿を確認した。遠目には小学生高学年ぐらいで、生意気盛りな年代と分かり、亘は内心不安になってしまう。

 従魔の方はペンギンを擬人化したような姿だ。少年とお揃いのキャップ帽を、かぶるというよりは頭に載せている。ずんぐりとした体型で、ゆるキャラぽく愛らしい。


 亘は公園入口の車止めポールの間を通り抜け、出来るだけ平素な足取りで近づいていく。相手が気づいたとところで、挨拶がてら片手をあげた。

「やあ、こんにち……」

「なんだよお前! ここは僕が見つけた異界なんだぞ。勝手に入ってくるなよ! 出てけよ! 出てかないと、お前なんてやっつけるぞ! 僕のペン次郎は強いんだぞ」

 小学生ぐらいの年齢に見えるが、甘やかされて育ったのかもっと幼い子供のような駄々っ子ボイスだ。ペン次郎と呼ばれた悪魔がクェッと鳴きながらファイティングポーズをとろうとした。

「へぇ、ボクのマスターを攻撃するつもりなんだ?」

 目の据わった神楽が冷え冷えとした声を放つ。普段の明るい様子なんて欠片もない、恐ろしささえ感じさせる声であった。

 キュェッ!? とペン次郎は悲鳴をあげるが、どうやら一瞬で力量差を悟ったらしい。ペンギン顔に怯えの色を浮かべている。

 だが契約者である少年は気づきもしない。そのまま、出ていけと子供じみた主張を喚き散らすばかりだ。ペン次郎が宥めようとヒレを伸ばしても、それを振り払い叫んでいるぐらいだ。


 亘はため息をついた。こんな子供なんてバカバカしくて相手をする気も起きない。少し不愉快な気分ではあるが、ずんぐりむっくり体型のペン次郎に免じ大人しく引き下がることにした。

「神楽やめておけ。そこの少年、この異界から出てけばいいんだな」

「早く出てけ! いいか、ここは僕の場所なんだぞ! 入ってくんなよ!」

「はいはい」

 亘は踵を返し歩きだす。しかし、頭上に座る神楽は腹立ちが収まらないのか、べーっと舌を出しご立腹の様子だった。

「もーっ! なにさあれ。頭くるよね」

「そう怒るなよ。あんなの相手にするまでもないだろ。それより子供がこんな時間まで外出するなんて、親は一体何してるんだか」

「そんな親だから、きっとあんな子なんだよ」

 神楽は随分とご機嫌斜めだ。ぷんすか怒るのはいいが、頭の上でジタバタ暴れるので困ってしまう。

「怒ったらさ、なんだかお腹が空いてきたよ。ボク何か食べたい」

「もう遅いから我慢しろよ」

「えーっ。やだやだ!何か食べる!」

 神楽は頭に張り付いてジタバタ暴れだす。痛くはないが衝撃はある。しかしうつ伏せになって暴れているので、胸の柔らかい感触もある。

 亘が楽しんでいると神楽の動きが止まった。

「ん? さっきの子のとこに、別の契約者の気配だね。仲間がいたのかな」

「きっと別口の契約者だろうさ。あんなのに友達がいるはずないだろ。そうすると喧嘩になるだろな……契約者同士の喧嘩か。心配だな」

「えーっ、そんなのマスターが気にする必要ないよ。痛い目に会えばいいんだよ」

「そうもいくまい。一応、様子だけ見に行くぞ」

「放っとこうよー」

 ぶうぶう文句を言う神楽を宥めつつ、亘は様子を見るため再度踵を返した。さすがにPKのような状況になれば、少し寝覚めが悪い。

 なんだかんだ言いながら結構お人好しに思える亘の行動だが、単に愛くるしい姿のペン次郎を気に入ったことが理由だったりする。

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