第347話 かいぐりかいぐりとっとのめ

「どうかな、これぐらいで丁度良かろ」

 アマクニ様はちょっぴり自信ありげに言った。

 存在の位階を下げて、滲み出る上位存在の波動を低減していたのだ。途中で何度か調整に失敗してしまい、後光が差したり瑞雲がたなびいてしまったが、今はどこにでもいる普通の人間っぽい雰囲気だ。

 自信ありげな様子だが、それはどこか子供が自慢するような雰囲気でさえある。

「いいんじゃないですかね」

「君は随分と素っ気ない。こういう時は、もっと褒めるべきじゃないかな」

「誰のせいで、怒られたと思ってます?」

「あれは面白かった。君も美佐子の前では形無しだね」

 アマクニ様は口元に手をあて、嫋やかに笑った。それを憮然として見る亘だが、さらにその姿を唖然として見るのが正中だ。

 目の前にいる女性は、桜の姫とも姫神とも言われる存在。しかも正中がかつてアマテラスの一員だった頃、目を通した古文書には、桜花さくらばなの鬼姫や、血桜のきみなどと記してあった。

 気紛れで危険な神であるため、全盛期のアマテラスでさえ手に負えず、世間での伝承を消し去り、辺鄙な田舎でひっそりと祀られるように仕向け、近づかなかったぐらいだ。

 まかり間違っても、気安い口のきける相手ではない。

 その筈なのだが、目の前で繰り広げられる光景は正中の常識外だった。

「ところで、何しに来たんです?」

「別に。美佐子が君の様子を見たいと言うから一緒に来たのだよ。それにほら、折角世界がこんなになっただろう。気にせず出歩いたって構わないよ」

「こっちは構うんですけどね」

 亘が語尾の声色で同意を求めれば、隣の七海がこくこく頷いている。

 そんな様子に正中は目を白黒、辛うじて言葉を絞り出す。

「あー、五条君。もう少し口の利き方をだね、配慮した方がいいのではないかね」

 とたんに、辺りに凍てつくような波動が放たれた。アマクニ様がイラッとしたのだ。それだけで正中の胃は捻れそうになってしまう。

「人間が余計な口を挟むのか?」

 まさしく鬼姫と呼ばれるに相応しい、鋭さと冷たさのある眼差しだった。


 しかし横の亘は爪楊枝をつまんで羊羹を口に運んだ。

「正中さんはですね、生真面目な苦労人なんですから。だから、いろいろ気を回しすぎるぐらいに回す性格ですよ」

「ふん、なるほど。それは損な性格だね」

「とても世話になっている人ですから、怒ったりしないでください」

 亘はここぞとばかりに持ち上げた。

 ただし実際には小市民的な処世術で、上司であって面倒事の盾となってくれる大事な存在におもねっているだけだった。普通であれば露骨すぎてバレバレだろうが、おもねってくれる相手が相手なだけに、正中は感動の面もちだ

「それにアマクニ様。そういうことすると、眉間に皺が寄って恐いですよ」

「相変わらず君は失礼な子だね。まあ、君が言うなら控えるとしよう」

 亘にしては珍しく遠慮がないのは、相手がアマクニ様だからこそで。すっかり気を許して安心して、孫が祖母を恐がらないような感覚があるせいだろう。だからこそアマクニ様も大甘な状態なのだ。

 しかし事情の知らぬ正中の胃はキリキリしている。

「と、言いますかね。こんな程度で不機嫌になるなら、家に帰った方がいいですよ」

「君はそんな酷い事を言うのかい!?」

「世の中にはですね、失礼な事を言う人間がいっぱいいますよ。他人の言葉で、すぐ怒るぐらい耐性がないなら、田舎に引きこもっていた方が幸せってものです」

「むっ……」

 齢三十余年の人間が、齢千年を余裕で過ぎていそうな相手に対し偉そうに語っている。聞いている正中は心も痛ければ胃も痛い。

「ちょうど、ゲーム三昧の方がいるみたいですし。一緒に引きこもっては?」

「あんなのと一緒にしないで欲しいね」

 抗議する姿は一生懸命で、まるで大人の女性が親しい相手にだけみせる、くだけた様子だった。信じられない気分で頭を振る正中であったが、ふと視線を巡らせ、席の端に座る七海の姿が目に入ってしまった。

 彼女はテーブルに頬杖をつき、むすっとした顔を両手で支えている。

 あんまり面白くなさそうな感じが漂い、何故かは分からないが正中の胃がギリギリしてきた。後で小さなピクシーにお菓子をお供えし、治癒や状態異常の回復魔法をたっぷりかけて貰おうと固く心に誓った。


◆◆◆


 会議室はありきたりだった。色褪せた白壁の内装で、どこにでもある折り畳み机に、ちょっとだけ質の良い椅子。窓は安っぽいアルミのブラインドが、ある程度の日射しを遮っている。

 何人かが緊張の面もちで席につき、その向かいに一人座る女性が笑っていた。

「まあ、そうなの嬉しいわ。ほんとに、うちの子がそんなに頑張って、人様の役に立っているだなんてね。本人は、なかなかそんな事言わないものだから。心配していたのよ」

 嬉しげな五条美佐子の前で、NATSの皆は何とも言えない微妙な顔をした。

 この女性が五条亘の母と聞き、最初は緊張し警戒したのだが、しかし素晴らしく良い人だった。だから少しばかりお願い――断じて告げ口ではない――をして、その息子さんの行動を制限して貰おうと思ったのは当然の帰結であった。

 だが、金色の髪をした少女が傍に控えているため、誰も何も言えやしない。奥歯に物が挟まった口調で、褒めるしかなかったのである。だから何とも言えない微妙な顔をしているのだ。

 これこそが、母親の耳に余計な事が入らぬようにと、亘が対策した一手だった。

 サキは緋色の瞳を光らせ、テーブルの端に両手をかけ顔を覗かせ、緋色の瞳を光らせ人間たちを監視している。頭を撫でて貰って頼まれたので、そこに少しの油断もない。機嫌の良い美佐子に抱き上げられても、そのまま膝に載せられても、頭を撫でられても、それでも皆への監視を怠らない。

 その辺を飛んで、来客用の羊羹を狙っている神楽とは大違いだ。

「可愛いねぇ、うちの大事なお嬢さまだわ」

 頬ずりされ言われると、サキは当然と言いたげな顔だ。その腕が美佐子に掴まれ、操られるように動かされる。サキは何が起きているのか理解出来ず、目を丸く口を半開きにした。

「ちょちちょちあわわかいぐりかいぐりとっとのめ、おつむてんてんひじぽんぽん」

 手遊び歌のまま踊らされ、徐々に盆踊りっぽく変化していく。ハードな踊りをさせられても、サキの表情は変わらず呆然としたままだ。まさか誇り高き九尾の一部が、こんな扱いをされるとは夢にも思っていなかったのだろう。


 流石に気の毒になった神楽が、テーブルの上に降り立って両手を振った。

「あのさ、マスターのお母さんさ。サキが可哀想だし、そんぐらいにした方がいいかなーって、ボク思うんだけど」

「そうかしら?」

 美佐子は踊らせることこそ止めたが、サキを膝の上で抱っこしたまま手放さない。

「うちは男の子だったから、こういうことも出来なかったからね。それに今なんて、あんな風で素直さの欠片もないでしょ」

「うん! 欠片もないよね。でも、だからって捻くれてるわけじゃないけどさ」

「そうよねぇ。でも、だからサキちゃんが可愛くって構いたくなるのよね。もちろん神楽ちゃんも可愛いって思ってますよ。お菓子大好きでしょ。ほらほら、この羊羹なんて食べちゃいなさい」

「ほんとっ!?」

「どうぞどうぞ、さあどうぞ」

 言いながら美佐子が羊羹の皿を差し出せば、神楽は大喜びだ。爪楊枝を剣の如く扱って斬って突いて、手を汚さぬよう上手に食べてしまう。その食べっぷりは見事なものだ。

「ところでさ、マスターのお母さんは何しに来たの?」

「そうね、様子を見たかったのよ。世の中は悪魔が流行って大変だって話ばっかりで、気が滅入るのよ。ここに来るまで悪魔なんて見なかったから、それは何だか大丈夫みたいだけど。やっぱり心配でしょ」

「それなら大丈ー夫。マスター強いし、むしろ皆を助けてるぐらいだもん」

「あらそうなの? でも、そんなに頑張ってると逆に心配よね。ほらだって、あの子って直ぐに調子にのるでしょ」

「うん、それあるよね」

「でしょう。だから皆さんに迷惑かけてないかしらって心配なのよね」

 チャンス到来に皆の目が輝き、しかしサキがギロリと睨めば、皆は意気消沈する。ここで口を出せる勇者などいない。

「迷惑なんてないよ。だって凄い活躍してるもん」

「あらそう?」

「そうそう、こないだもね。すっごく偉い人がいる場所で堂々としてたの。ボクなんてさ、顔も出せなかったのにだよ。それからね、仲の良い人と一緒に訓練したの。それで感謝されてたもん」

 神楽の説明は熱がある。なんだかんだ言いながら、亘を第一に心の底から思っているのが神楽である。その思考の中では亘の行動は美化され肯定されている。もちろんサキも同じで大きく何度も頷いていた。

 大いに偏向が入った少数意見であっても、それが声高に叫ばれ、他の者が何も言わなければ真実として罷り通ってしまうものだ。

「なるほど、ね」

 ただ母の慧眼は多少の疑いを残していた。

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