第331話 名前は何だったかな

「よし、問題解決だな」

 亘は頷いたが、しかし志緒は呆れた様子で手を上下させた。

「それは幾ら何でもダメよ。言いたい事も分かるけれどね……」

「あのな、上層部に報告したらどうなるか。志緒は知らないだろ」

「それぐらい知ってるわよ……」

 志緒は自分の靴先を見つめた。

 問題が発生すると上層部は資料を提出させる。それは当然の事だが、求められる内容は極めて偏執的なものだ。つまり――数日どころか数週間や数ヶ月前まで遡り、問題案件に関わる事柄全てを微に入り細に入り、どこに誰が居て何を言ったか一言一句に至るまで書き出させ、状況が分かるように写真や絵や図面も付け加え書類に起こさせる。

 恐らく千枚を超え、紙の厚みだけでも十㎝を超えるだろう。

 しかも印刷し綺麗に整え、事細かにインデックスをつけ、書類綴りにとじねばならない。もちろん用意するのは一冊ではないので、同じものを何十冊も複製する。

 うんざりするような作業量を、問題を起こした当事者がやらねばならない。

 通常業務と並行しながら、合間に上層部に呼び出され怒鳴られ追求され、次々と追加資料を指示される。もちろん関わり合いを恐れた皆に避けられ孤立した状態だ。そして終わりの見えない状態の中で、精神的にボロボロになっていくのだ。

 それを知っていれば、誰だってまずは隠蔽しようとするだろう。

「あいつの為に、そこまで苦労するのか? しかも仮に見つけて連れ戻したところで、どんな態度をされるか想像できるだろ?」

「…………」

「自分で逃げたんだ、その望み通りにするだけだろ。みんなで幸せになろう」

 まさに悪魔の囁きだ。

 志緒は歯を噛みしめ大いに悩む。

 もともと反対していたのも保身のためであって、入鹿を心配してではないのだ。清く正しい考えとしては許されない選択かもしれない。

 だが、人間は感情で生きている。

 志緒は小さく頷いた。

「……そうね」

「では、その方向で考えるとしよう」

 亘は人の悪い顔で笑い腕組みをした。

 

「やるなら徹底的に対応しないとだめだが、ここで大事なのが書類上の整理だ。この件で上層部に提出している資料がどんなか分かるか?」

「もちろんよ、私が全部つくったもの」

「それはお疲れ様」

「資料構成は事業概要と計画概要と実施理由、それから期待される効果。悪魔災害の影響に事業の緊急性、代替案の可能性と今後の実施規模と費用対効果に関連事業との整合性に協力体制と――」

「ちょっと待て」

 すらすらと説明する志緒を押しとどめる。その記憶力は素晴らしいと思うのだが、いま聞きたい内容ではない。

「資料で言えば何ページあるんだ?」

「そうね、目次込みで三十かそこらね」

「相変わらず無駄な資料づくりだな。それはいいとして、そのページって事なら……参加者名簿はないな。事業概要の辺りで、人数を記載してるだけだろ」

「そうよ。だから人数を調べられたら、直ぐに分かってしまうわ」

「つまり人数さえ合っていれば問題ないってことでは?」

「……それは、まあ……そうかも」

 志緒は初めて気付いた様子で目を瞬かせた。まだ若いので、そうした臨機応変さはないらしい。だが、一方で亘は仕事で沢山ミスをして沢山乗り越えてきた経験がある。ただし全く誇れることではないのだが。

「つまり他の候補者を引っ張ってくれば問題解決では?」

「それは無理ね。そちらも人数が管理されてるもの。新しい人を探すしかないわね」

「まてまて、そういう新しい動きをするのは良くない。逆に目立ってバレるし、後が面倒なんだ。こういうのは出来るだけ、今ある手札の中で対応すべきなんだ」

 亘は思考を巡らせ、ふと思いついた。

「既にデーモンルーラーを使える奴を入れたらどうだ」

「そっちも管理されているわよ」

「書類上の管理系統は別だろ。両方を見比べてチェックする奴はいないだろ」

「言われてみれば……ええ、それなら書類上の整理で何とかなるわ。少し面倒ですけど、このままより百兆倍マシね」

「どうせ講習会の間だけだ。後は現場対応で数なんてどうでもなる」

「大雑把ね……そうなると、二十歳程度でやる気のある人じゃないと駄目よね。そんな人って誰か居たかしら」

 悩む志緒に亘はにやりと笑った。

「一人心当たりがある」

 それからバスの待機している場所まで移動。今日の訓練を終えて帰り支度になる。

 バスの中は不思議な雰囲気で、賑やかだが騒がしくはなく、穏やかな笑いと声に満ち不思議な連帯感が漂っている。

 共に戦い背中を預け命を預け、互いに助け助けられ力を合わせたからだ。そして更には、他には言えない秘密を共有している事も影響しているのだろう。

 そんな中で、亘の機嫌は良い。

――名前は何だったかな。

 思い描くのは、以前に訓練をした、とても見込みのある青年だ。しかし顔は思い出せても名前が思い出せない。だが、きっと本部に戻れば、直ぐに見つかるだろう。

 戦利品の太刀を持って放さないサキが膝に、自分が誰の従魔のフリをしているか忘れた神楽が頭上に、なにやら機嫌よく軽くもたれかかってくる七海が隣に。

 バスの揺れは心地よく、考え事をする亘の前で、窓の景色は緩やかに過ぎていく。


◆◆◆


 入鹿は瓦礫の間で目が覚めた。

 悪魔から逃れ続け住宅街に身を隠し、安全そうなコンクリートビルに移動しようとした瞬間。何かの衝撃を受けたところまでは覚えている。

「くそがっ……」

 俯せ状態から辛うじて身体を起こすと、背中から幾つもの砂や石や何かの破片が落ちていく。どうやら気絶していたらしい。徐々に意識がはっきりとしてくるが、目の前の光景は理解できない。

「なんだこれ、俺の脳味噌がバグってるな。それか脳味噌が動いてねぇわ」

 確かにあった筈のビルが消滅して土が剥き出しの更地になっていた。

 どこか別の場所と思いたいが、その他の住宅は見覚えがあった。ただし、幾つかは完全に破壊され、しかもその破壊が一直線に住宅街を貫いている。

 何か恐ろしいことが起きて、それに巻き込まれたのは間違いなかった。

 髪を弄ろうと頭に手をやれば、ヌルヌルとして出血している。

「あーくそくそ。労災か公務災害か知らんけど、ワンチャン訴えて金貰ってやる。あーくっそ最悪で頭が痛ぇ。これも全部、五条とかってクズのせいだな。あのゴミカス野郎が、民度が低いんだよ。俺が参加してやってんのに感謝もしないしな。本当バカ、最悪だ。ムカムカマックス」

 入鹿は甲高い声で呟き、ふいに不安になって辺りを見回した。

 ここは悪魔の闊歩する場所で、いつ襲われるかも分からない。スマホを取り出せば、従魔の項目に死亡と表示されている。

 逃げる途中で囮にして、死んだら蘇らせ、また囮にした。その都度毎に復活させるか確認されたせいで、入鹿は苛立っていたのだ。

「このゴミシステムさぁ、毎回確認とかアホちゃうか。自動でやれっての。毎回あっさり死ぬゴミみたいな奴のせいで面倒くさすぎ。ほんと、使えねぇ。はいはい、ワンチャン復活。出て来いゴミヤロ、ほんとゴミ野郎が」

 入鹿は躊躇うことなく従魔であるイツマデを召喚した。

 淡い光の粒子が画面から飛びだし、少し離れた扉の残骸の上で、陰鬱な人に似た顔をした鳥の姿をとった。ここまで入鹿が逃げ切れたのも、ゴミヤロと呼ばれるイツマデを囮という肉壁にしてきたおかげだ。

 そのイツマデは無言のまま入鹿を見つめ動かない。

「はぁー、つっかえ。もうさぁ、お前なんかいらんわ。お前との契約は終わりだっての。閉店ガラガラー、お終いお終い。後で削除で処分だわ」

 その言葉に、イツマデがピクリと反応する。

 紅い目が暗さを伴いぎらつき、ゆっくりと一歩が踏み出された。


 入鹿は、自分が来たであろう方向――今は破壊痕が続いて見通せる――を見やった。戦闘が終わったらしく、皆が集まっている様子が遠目でも確認できる。

「年寄りばっかで、バカばっか。年寄りを大事にとかっていう、くそみたいな文化を廃止せんといかんね。あいつらクソだから」

 ノロノロと立ち上がって顔をしかめる。身体の節々が痛む。その痛みも合わせ、子供のように怒りの感情を顔に出し、遠くに見える皆の姿を睨んだ。

「ああクソっ、足が痛ぇ。何が訓練だ、五条のゴミカス野郎が。訴えて徹底抗戦してやんよ。あんなのが公務員とか、国民様の血税をなんだと思ってんだ――ん?」

 無言で近づいて来るイツマデに入鹿は気付いた顔をしかめた。

「ほんと不細工、鬱陶しいわ。許可無く俺の視界に入んなって、ほんとゴミ。ゴミだゴミ。くそくそくそっ、なんで俺がゴミを使わなあかんの。マジ信じられんわ」

 拾い上げた石を投げつけた。

 しかしイツマデに命中しても微塵も反応せず、ゆっくりと近づいてくる。

 ひたすらに見つめてくる赤い目の色が妙にどす黒い。これまで何度か襲われた悪魔のように、舐め回すとしか言い様のない目付きをしている。

 ようやく少し恐怖を感じた。

「キモっ、マジでキモい。もういいよ、お前なんか知らんわ。スマホに引っ込め」

 命じるのだがイツマデの姿は消えず、ゆっくりと近づいて来るばかり。そしてクチバシを動かし甲高くひび割れた声をはりあげる。

「ホントゴミ、ゴミダゴミ。クソクソクソッ」

「なんだこいつ……」

「モウサァ、オマエナンカイランワ。オマエトノケイヤクハオワリダ」

「はぁ? 何言ってんのこいつ、アホちゃうか」

「テッテイコウセンシテヤンヨ、オマエナンカシランワ」

「うっせぇわ! 黙れこのゴミカス野郎が!」

「ウッセェワダマレコノゴミカスヤロウガ」

「なんだよ、こっち来んな!」

 恐怖する入鹿の傍にイツマデが――悪魔イツマデが迫る。そのクチバシが入鹿の足に触れると、そこから肉を少し食い千切った。

 あまりに雑な扱いで従魔との契約が破棄されたのか、それとも自らの言葉で破棄されたのかは分からない。システムを開発した者にとっても想定外だったかもしれないが……法成寺であれば、気付いていながら放置している可能性もある。

 だが、いまここで悪魔に襲われる入鹿にとっては関係のないことだ。

「ぎゃあああっ! なんだよこれ! ざけんな、このクソ野郎が!」

 入鹿は悲鳴をあげ逃げようとするが上手く動けない。

 リズミカルにイツマデが襲いかかり、また肉を少し食い千切った。入鹿の罵声と悲鳴があがる。これが何度も繰り返され……罵声が減り悲鳴が増え、悲鳴が苦痛と恐怖に彩られ、やがて命乞いとなった。

 そこにワンチャンあったかどうかは誰にも分からない。どこかで何かのバランスが崩れ、建物が傾きそして大きな音をたて潰れていった。

 やがて静寂が満ち、風が砂を吹きあげた。

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