閑18話(2) パンツが見えて
「この駄狐め」
肩に担ぐ白ワンピース姿のサキの尻を、鼓打ちのようにペンペン叩くと、キューキューと悲鳴があがる。固さはあるが、柔らかな尻肉の叩き心地は癖になりそうな心地よさだ。つい連打してしまう。
ワンピースの裾がめくれ、下着が見えそうな様子に、隣を歩く七海はどうしたものかと、困り顔をする。
「誰がお父さんだ、こら。同僚の前で何言ってくれたんだ、わざとだろ」
「式主困ってた。だから助けた」
「何か笑い声が聞こえたんだがなぁ?」
「……気のせい」
そろそろドラムのビートを刻みそうな雰囲気に、七海が宥めに入った。
「それぐらいにしましょうよ。サキちゃんだって、悪気は……あったかもしれませんが、許してあげましょうよ」
「あの人はな、お喋りなんだよ。隠し子がいるとか、触れ回るのは間違いないだろうな。ああ、今から頭が痛い」
言い訳は亘が思いついたものだが、それは棚上げしておく。亘の心には都合の良い棚が、いっぱいあるのだ。
「それにですね。サキちゃん女の子ですから、その格好はちょっと……」
「む、パンツが見えてしまうか。ほら、降りろ」
亘がサキを降ろそうとしたが、当のサキがしがみついたままだ。仕方なく、もう少し下の位置で抱え、スカートの中が見えないようにしておく。
口で言うほど、亘も怒ってはいない。こうして小さなサキを担いでいるのも、実は子供を持ったようで嬉しかったりする。女の子のお尻をペチンペチンして喜んでいたわけでないのだ。
このショッピングモールに買い物に来た理由は、サキという同居人のためだ。もう一人の同居人である神楽が増えた時は、小さすぎるサイズから買い足す必要はなかった。しかし今回は、そうもいかない。
いくら悪魔とはいえ、相手は女の子である。
コップや皿などの食器類だけでなく、料理に使う鍋も一回り大きくする必要がある。さらに洗面用具などの、日用雑貨品も必要だ。そして、服や下着を買い足さねばならない。
そうなると亘には何が必要かさっぱりで、七海に応援を頼んだのだ。
何度も呼び出し使うのは申し訳ない気分だったが、あにはからんや七海が喜んで来てくれたので良かった。
「小物に服だけでも結構な量だからな。トランクの大きい車で助かったよ」
「すいません。私が調子にのって買いすぎちゃいましたね」
「そんなことないさ。でもな、服ってああも必要なのか。全部が着られるものかな」
文句を言うつもりは欠片もないが、購入した量はかなりのものだ。それこそ一度車まで運んで、しかも途中で休みたくなるぐらいに。
なお、子供服というのは使用される生地が少ないくせに、下手な大人物よりも高い。財布へのダメージも結構なものだ。
「女の子ですから、本当はもっと必要なぐらいですよ」
「え、そうなの……」
「今回は冬物を中心に、春先にも着られるものも選びました。ですから、また時期が来ましたら夏物や秋物も買わないといけませんよ」
「マジか」
どうやら女というのは、男のようにシャツとジーンズで後は上着で調整するのとは根本的に違うらしい。亘は男で良かったと安堵した。もし女だったら、そこまで服を着てられやしないだろう。
「夏物と秋物も選ばねばならないのか……そこまで選ぶ自信がないぞ……」
「大丈夫ですよ。私に任せて下さい」
七海が綻ぶように笑うと、少し離れた場所で見ていた男性店員がポーッとなった。しかし、それに気付かないまま二人は通り過ぎていく。
「そりゃ助かる。服なんてさ、自分のでも滅多に買わないからな。ほら、今着てるのだって十年前に買ったやつだ」
「そうは見えませんよ」
「買う時は、高めのを買うからな。その方が長持ちして、結局コスパがいいだろ。しかしまあ、そろそろ新しいのを買う時期かな」
ブランド物はメーカーにもよるが、縫製や生地がしっかりしている。
亘の経済感覚からすると、低価格で大量販売される品を毎年買うよりは、多少値が張っても高い方が何年も着ることが出来てお得だと考えている。しかもそうすれば、見知らぬ他人とペアルックになることもないのだ。
七海がグッと両手を握った。
「それでしたら、私が五条さんの服も見立ててみせます」
「適当でいいが……まあそのうちに頼もうかな」
「はい。その時は任せて下さいよ」
亘は苦笑しながら横を見た。目の端に、子供を抱えた若夫婦の姿があった。なんだか幸せそうな様子で、羨ましさが込み上げる。思わず見てしまうと、同時に相手の男もこちらを見て――それが大きな姿見に映った自分たちだと気づき、亘は狼狽してしまった。
「五条さん? どうされましたか」
「え、あ。いや……」
七海の声で我に返る。
この気持ちをどう表せばいいのか分からない。幸せそうに見えたことは嬉しい。若夫婦に見えたことは恥ずかしい。しかし、それら全てが虚構であり悲しい。なんとも複雑な気分となってしまうではないか。
思い悩んでいたせいで、七海の言葉を聞き逃しそうになった。
「ところで、サキちゃんのお布団って、どうします?」
「えっ、なんだって?」
「お布団です。薄手のものを、買っておきましょうか」
「布団……ああ、それはな。そのな」
「大丈夫。一緒に寝てる」
さすがサキ、亘の言えないことを平然と言ってのける。全くありがたくもなければ、助かりもしない。窮地に追い込まれただけだ。冷たさを含んだ七海の目線には、たじろぐしかないだろう。
「お布団も買いましょうか」
「あ、はい」
小さくなった亘の横で、七海は豊かな胸の下で腕組みをしてみせた。ちょっと載って持ち上げている感があって素晴らしい光景だ。
そのまま人差し指を頬にあて、思案顔をする七海だが、何かに気づいた様子となる。
「そうですよ、まだパジャマを買ってませんでしたね。今はどうしてるんですか」
「え?」
「まさか前みたいにシャツ一枚で寝かせてるなんてことは、ないですよね」
「ああ、うん。シャツ一枚ではないな」
嘘ではない。なにせ最近のサキは、邪魔だからと全部脱いでしまうのだ。つまり、寝るときは何も着てない。だから亘の言葉に嘘はないのだ。
そして、その状態で亘の布団の中に潜り込んでくる。それを放置して黙認するのは亘の不徳の致すところだ。ロリな趣味はないにしても、滑らかな素肌に触れることを楽しんでいたのだった。
「問題ない。はだ……」
「さあパジャマを買おう! どんなのがいいかな、しっかり選ぼうじゃないか! はははっ」
亘はパジャマコーナーへと突進した。何か不満そうな顔をした七海だが、それ以上何も言うことはなかった。
◆◆◆
サキのパジャマを選ぶのは意外と苦戦した。
なかなかサキが気に入ってくれるパジャマがないのだ。結局、パジャマ製品をあきらめ、白いシャツとジャージの半ズボンへと落ち着いた。
なぜ子供用パジャマは、センスのないものばかりなのか。アニメキャラがプリントされたり、ドレスのようなヒラヒラしたもの、酷いのになるとコスプレもどきまである。
こんな格好をして成長すれば、美的センスは発達しないだろうなと思える。そうとはいえ売れているのだから、これが普通なのだろう。独身である亘の感想は、場違いなのかもしれない。
「これでひと通りは完了だな、お疲れさん」
「はい、お疲れ様です。でもですね、これを戻ってから仕舞う方は大丈夫ですか?」
「あっ……」
荷物を胸の前で抱えた七海に問われ、亘は帰ってからの一仕事に気付いた。買ったからには、それを仕舞わねばならない。それは、なかなか骨の折れる仕事だ。
七海が、少しうつむき加減から遠慮がちに見上げてきた。決意を持って言葉にするためか、ぎゅっと荷物を抱きかかえ、それで豊かな胸が押しつぶされている。
「あの、それでしたら。私、手伝います……ご迷惑でなければですけど」
「いいのか?」
「大丈夫です、片付けるの得意ですから」
「じゃあ頼むかな。むしろ、是非お願いしたい」
「はい! 任せて下さい!」
足下のサキが、付き合ってられないと言わんばかりに頭を振っている。近くで聞かされた店員など、砂を噛むような顔をしていた。傍からすれば、そんなやり取りだった。
亘と七海が照れながら話しているところ、サキが素早く二人の間をすり抜け走りだした。
「あっ、こら勝手に走るな」
あっけにとられ立ち尽くしたのは一瞬で、すぐに気を取り直し後を追う。迷子になられて店内放送だなんて恥ずかしすぎる。周りの迷惑にならない程度に走り追いかける。
追いかけっこは、そうは続かない。通路の突き当たりで立ち止まったサキに追いついた。
「店の中を走り回るとか行儀の悪い娘でもあるまいに……どうした」
「あれ欲しい」
「これか? このヌイグルミのことか」
それは狐のヌイグルミだった。如何にも子女に好かれそうなデフォルメされた可愛らしいもので、何パターンかのポーズがある。
亘は渋い顔をしてみせた。
ヌイグルミのみならず、部屋にオブジェを置くという感覚そのものがないのだ。
「今日はいっぱい買い物したし、また今度な」
「買って」
「ヌイグルミとか置き場所に困るだろ」
「泣くぞ」
「おいよせ」
こめかみを揉んだ亘は脅迫に屈した。先ほどのギャン泣きのようなことはないだろうが、連れている子供が泣きだすのは恥ずかしすぎるではないか。
亘がヌイグルミを持ち上げると、サキは満面の笑みだ。
「サキちゃん、良かったですね。五条さんに買って貰えて、ちょっと羨ましいな」
「なんだ、七海も欲しいのか。だったら、もう一つ」
「そんないいですよ。私は、そんなつもりでは」
七海が慌てた様子でワタワタ手を振り否定する。
「なに、今日のお礼だから気にするな。ああ、それともヌイグルミは子供っぽすぎたかな。じゃあ止めて……」
「そんなことありません。五条さんからのプレゼントなら、大事にしますから」
やっぱり欲しかったのか、と亘は苦笑してヌイグルミ二つをレジへと運んだ。
◆◆◆
アパートへと戻ると、七海がテキパキ片付けていく。亘だけだったら、適当に突っ込んで終わりのものが、丁寧に仕舞われていく。
「ここは冬物メインです。使いやすく上段にしました。下段は春物ですから、時期が来たら引き出しごと入れ替えて下さいね」
「分かった、ちゃんと入れ替える」
「それから下着類は、こちらの引き出しです。ちょっと多めですけど、なんとか入って良かったです」
「良かった良かった」
どちらが部屋の主か分からない会話に、サキと神楽がため息をつく。
(それで、マスターとナナちゃんの様子はどうだった?)
(今後に期待)
(ああ、そうなんだ……マスターもさ、思い切ればいいのに。今日もこのまま帰さなきゃいいのに)
(きっと無理)
(だね。ヘタレだもんね)
とんでもない会話が背後でされている。しかし、片付けの手伝いをする亘は気付かない。もし聞こえていたら、怒って夕食抜きぐらいを命じていたに違いない。
そんなアパートの部屋で、狐のヌイグルミがコタツの上に鎮座していた。
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