閑18話(1) 身震いして想像を打ちきる
甲高い声をあげる女の子が、周囲を走り回る。小学生低学年程度だろうか、壁やガラス、そして商品を手当たり次第に触り叩く姿は、クソガキという表現がピッタリだろう。
これだから人の多い場所は嫌なのだ。五条亘は、ため息をついた。そうすると冴えない顔が、なお冴えないものになる。
郊外にある大型ショッピングモール。そこは一階を食品販売や飲食店とし、上階は通路中央が吹き抜けとなり家電や衣服、生活雑貨の店舗が軒を連ねている。さらには本屋や映画館まであって、一日過ごしても退屈しない場所だ。
休憩ブースのソファーに座り、亘はひと息ついていた。色々と買い込みすぎたため、一旦荷物を車に積み込んだところだ。買い物というのは、存外に疲れるものである。
そうして休んでいるのだが休まらない。
――キィィィィッ。
興奮の度合いを高めたのか、女の子が一際甲高い声を発した。耳どころか頭に突き刺さる、キンキンした金切り声だ。非常に不愉快である。さりとて子供のすることで、それを叱れば叱った大人の方が狭量と責められるのが今の時代だ。休憩スペースにいた大人たちは賢く、さっと立ち上がり別の場所へと移動していく。
亘も同じく賢い選択をしようと腰を浮かしかけた。そこに、誰かが隣へとドッカと座る。それで気持ち悪くなってしまった。
他に空いた席があるが、何故にワザワザ隣を選んで座ってくるのか。車でいうトナラーという奴だ。パーソナルスペースを侵害されてしまい、何とも嫌な気分になってしまう。そして、その相手が話しかけてきた。
「これはこれは五条大先生、お疲れ様でございますね」
「……ああ、高田係長でしたか」
隣に座ったのは、職場の同僚だった。しかし、そうと分かっても不快感は消えない。むしろ強まるばかりだ。相手がどう思っているかは別だが、さして仲の良い相手でもない。粘つくような口調や、先生呼ばわりをするため、むしろ苦手な部類である。
そもそもだ。同じ職場に勤務するということは、ある程度似た生活圏にいることになる。だから互いに見かけたり出くわしたりすることは普通にある。しかしその場合普通は、互いに見て見ぬふりをするか軽く会釈をする程度で通り過ぎ、相手のプライベートに立ち入らないのが、大人のマナーだろう。
少なくとも、亘はそう思う。
おまけに高田係長がヌッと顔を近づけてくるので、不快さと苛立ちを押さえソツなく対応せねばならない。身を引きながら、当たり障りない会話を選択する。
「ご家族で、買い物ですか」
「そーなんですよ。五条先生と違って、私は家族サービス中なんですよ。先生のようにお一人で買い物ですと気楽でいいですなあ。ああ、私も独身に戻りたい」
茶化すような口調だ。苛立ちは募るばかりで、マッサージのフリでそれを誤魔化さねばならない。
「いえ。今は別行動中ですけど、一応は連れがいますよ」
「ああそうでしたか。いやあ、そんな時に話し掛けてしまって誠に申し訳ありませんです。私を口封じだって、ぶった斬らないでくださいね」
相変わらずウザイ。バタバタ走り回るクソガキの存在もあり、気分は最悪だ。こんなことなら、休憩などせねばよかった。いや買い物自体来るべきではなかっただろう。
――キィィィィィッッ。
またしても、奇声があがる。耳に痛い怪音波を受け亘は顔をしかめるが、高田係長は平気そうだ。それを見ると、なんだか自分が神経質すぎなのかと心配になってしまう。
「いやあ家族って、いいもんですよ。五条先生も早く結婚して親御さんを安心させてあげて下さいよ」
「そうですかねえ」
返事はするが、ウザさにキレる寸前だ。
飲み会の席でもしつこく結婚しろと言って来るが、その意図はなんなのか。親切心、お節介とは方向性が違う。言葉の端々に、相手の触れて欲しくない部分を突こうとする雰囲気を感じてしまうのだ。
さっさと離れよう。そう思った時だった。
――バッシーンッ。
凄い音が響き、走り回っていたクソガキが張り倒されていた。やったのは樽のような体型の、良く言えば肝っ玉母ちゃん、悪く言えばガサツなタイプの女性だ。背中に背負った赤ん坊の存在や、無造作に縛っただけのひっつめ髪が生活臭を漂わせている。
太い腕――恐らく亘の太股より太い――でクソガキの襟首を掴んで引きずり立たせた。
「なに騒いどる、このバカたれっ!」
「母ちゃんが叩いたあ! びええええええっ!!」
クソガキがギャン泣きしだす。それはフロアの全員が顔をしかめるぐらいの音量で、あまりにも酷い。たちまち周囲から人の姿が消え、各店舗からも店員が恐る恐る顔を出している。
そして亘はすっかり度肝を抜かれていた。カルチャーショックというやつだ。
「こんな場所で泣くんじゃないっ!!」
――バッシーンッ。
「びええっ! びええええっ! ぎゃおおおおっ!」
「ぎゃあああああん!」
再度叩かれた女の子が、腹の底から声をだし泣き叫ぶ。背中の赤ん坊もつられて泣き出し、ギャン泣きの二重奏だ。
その営業妨害レベルの鳴き声に、流石の母親もバツが悪くなったのか、クソガキを引っ立てトイレへと姿を消した。たちまちトイレから人が逃げ出してくるが、あれを狭い空間で聞かされたら堪ったものではないだろう。
その代わりに、フロアがぐっと静かになる。
くぐもったギャン泣きも聞こえなくもないが、かなり緩和されている。それまで騒音で塞がれていた耳が解放され、ようやく店内に流れるBGMが聞こえてきた。賑やかなはずの店内が、ほっと息のつける静けさに思えてしまう。
「ふう、凄い鳴き声だ。なんとも元気な子供でしたな」
「そうでしょう、元気で可愛いでしょう。あれうちの子なんですけどね、元気なのが取り柄なんですよ」
「……そうなんです?」
「五条先生も早く結婚して子供をつくって下さいよ。いやあ、子供はいいもんですよ」
高田係長が嬉しそうに笑う。悪口を言わないで良かったが、あれを元気で可愛いと言える気持ちが分からない。もうあれは、元気とかの次元ではないだろう。
もし今の母子が自分の家族だとしたら……。
仕事に疲れて帰宅したところを帰りが遅いと野太い声でなじられ、出される夕食はカップラーメン。それをすすっていると、甲高い叫びをあげる女の子が部屋の中を走り回る。それが叩かれ、赤ん坊と一緒にギャン泣きしだす……。
「ひぇっ!」
亘は身震いして想像を打ちきると、独身で良かったと心の底から思うのだった。
◆◆◆
タタタッと、軽やかな足音がフロアを駆け抜ける。
それは黄金色の長い髪をなびかせる女の子の足音だ。とても可愛らしい顔立ちをしており、その子の白のワンピース姿で、すれ違った人が思わず優しい笑顔で振り向いてしまうぐらいだ。そのおかげで、少女の動きに合わせ笑顔の輪が広がっていくほどだった。
足を止めた少女が周囲を見回す。そして目的の相手を見つけると、まっしぐらに駆け寄り、飛びついた。
「とうっ」
「おっと、危ない」
不意打ちを食らった亘だが、それでも飛びついてきたサキを上手に受け止めた。
それは、つい最近契約したばかりの悪魔である。金の髪に白い肌。整った顔立ちには紅い瞳が輝いている。そんな見た目は完全に普通の女の子が、亘の首っ玉へとしがみつき、頬を擦り寄せるようにして甘えてくる。
すっかり懐いている姿に自分の魅力も捨てたものでないと、亘は得意になり……横からの食い入るような視線に気付いた。
しまったと思うが、もう遅い。案の定、興味津々といったゲス顔で、高田係長が詮索してくる。
「五条先生、その子は一体どぉなされたんでしょうか」
「えっと、まあその。説明すると難しいのですが……簡単に言うと、つまりですな」
「お父さん」
サキが満面の笑みでとんでもないことを言い放つ。亘は目を覆って天井を仰いでしまった。その感想はただひと言だ。
――やられた。
言えばどうなるか、分かってやっているのだ。耳元でキヒヒッと邪悪な笑いを聞いたので間違いなく態とだ。
罵りの声をあげたいが、同僚の前では怒るに怒れない。
「ほうほう、五条先生が父親とは、これ如何に」
「えーあー。いやまあ……ほら、別に結婚してなくたって、子供はできるでしょう。そういうことですよ。はははっ」
「こりゃーまた五条先生も隅に置けませんなあ。よっ、大先生」
亘は頭をかき、苦しい言い訳をした。これが最適解に違いない……多分。きっと職場で吹聴されるのは間違いないが、契約した悪魔だなどと説明するよりはマシだろう。
なんとか乗り切ったと思っていた。
「もお、置いていくなんて酷いですよ」
同行者である七海が現れ、ぷんっと可愛らしく頬を膨らませ両手を腰にあてサキを軽く睨んだ。
「遅いが悪い」
「お店の中で走ったらダメなんです」
白タートルの上にタイトな黒のスカート、そして足元はショートブーツ。そんな、どう見てもモデルのような七海は大人っぽく、可愛らしさよりも美人の面が強調されている姿だ。しかし頬を膨らませた仕草により可愛らしさが表れる。
つまり美人可愛いということだ。亘は新たな造語を生み出しながら、現実逃避した。
「ほおおぉ、この方が五条先生の彼女さんですか。いやはや凄いですね……」
高田係長は鼻の下を伸ばしながら、七海の胸をガン見している。
確かにニットのタートルを押し上げる胸は形といい、大きさといい、実に立派なものだ。それを男の本能で、つい見てしまうのは仕方ない。亘だって見てしまうことはある。しかし、こうまで嫌らしく露骨に眺めることは普通はしない。
なぜだか七海をそんな視線で見られると、気分が非常に悪くなってしまう。
「じゃあ、買い物がありますんで。これで失礼します」
スッと立ち上がり、舐め回すような視線との間に割って入る。腕に抱えていたサキをヒョイッと肩に引っかけ歩き出す。
横に並ぶ七海が同じ目線になったサキと、じゃれ合い楽しそうに笑っている。それを聞きながら、亘は不愉快な同僚のことを忘れることにした。
◆◆◆
男は口を半開きにし、去って行く同僚の後ろ姿を眺めていた。だが、銅鑼のように太い声で我に返らされる。
「アンタ、いつまで休んでんの」
反射的に背筋が伸びてしまう。振り向けば、そこに仁王立ちする妻の姿があった。結婚前から太かったが、年を追うごとに太くなり、今ではくびれなんてどこにもない。
脇では泣き止んだ娘が、鼻水を垂らし指をしゃぶっている。
「あー疲れた疲れた。ほら、もっと寄っとくれ。あたしゃ、か弱いんだからね。どっこいせぇ。あー、しんど」
隣に妻が座っただけで、頑丈なはずの椅子がたわんで揺れ動く。娘が袖で鼻を拭う姿を見ると、何だか胸の中がモヤモヤしてきた。
「父ちゃん。抱っこ」
「ちゃんと子守しとくれ。あたしが、ちっとも休めないじゃないの」
「すんません。でもねえ、子供は元気なのが一番で……」
「父ちゃん。抱っこ」
「うっさい。アンタいつも仕事でいないだろ、休みの日ぐらいは子供の面倒みておくれよ。でないと、あたしが一人で全部やることになるだろ。あたしが倒れたらどうすんの。アンタが一人でやれるっての?」
「いえ。はい分かりました……」
自分より不幸な、結婚できない可哀想な同僚。それが、モデルのようにスタイルの良い若くて美しい女と、天使のように可愛らしい子供を連れている。
遠ざかる姿を見遣り、男は胸に黒い感情をわだかまらせた。
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