第264話 一度手を出せばまた次も

 あにはからんや正中に怒られなかったとは。

 殆ど日も暮れかけた頃、NATS本部に戻った亘は叱責を覚悟していた。なにせ会議では神楽が魔法をぶちまかすといった暴挙をしており、さらにはサキが駐屯施設を損壊し騒動を起こしているのだ。

 それらの責任がどこに来るかと言えば、もちろん使役する者にしかない。

 怒られたからと、どうという事もないのは事実だ。

 しかし幼い頃から親に叱られ教師に怒られ、そして社会人になってからは上司に激しく怒られ責め立てられるてきた。常に怒られてきたからこそ、心理的に怒られる事への恐怖が染みついていた。

 自分のした事には後悔もなければ反省もないが、やはり叱責されることは気が重い。そのせいで、いきなり発言を求めた正中への恨みさえ忘れている程だ。

 だが、薄暗い会議室で顔を合わせた正中はやつれた顔に笑顔さえみせている。

「会議のあれ、よくやってくれた」

「は……? いえ、うちのとんでもない事をしてすいませんでした」

 責任回避のため強調して言えば、その相手は心外だといった風に目を剥いた。だが亘は、それを素早く引っ掴んで有無を言わせずポケットに突っ込んだ。

「神楽も反省してますので」

「いや、いいんだ。少々手荒だったが、彼らには丁度良い洗礼になったよ。お陰で後はスムーズに会議が進行してね、幾つか重要案件がすっぱりと決まった。それは追々説明しよう」

「そうですか。それから、うちの暴れてすいませんでした」

 これまた責任回避のため強調して言えば、その相手は心外だといった風に目を剥いた。だが亘は、それを素早く小脇に抱え手で口を塞いで黙らせた。

「サキもちゃんと叱っておきますので」

「構わない。建物などの被害はあるが人的被害はない。むしろ、あれはあれで皆に危機感を持たせる効果があって良かった」

「そうですか?」

「こう言ってはなんだが、避難民の中には安全にどっぷり漬かって気を抜いた者も多かった。君が言ったように、人は与えられていると満足して動かなくなる。実際、ここが安全だと楽観して不平と苦情ばかりあげる者もいてね。少々手を焼いていた」

「ここが安全? そうでもないのに。よくまあ、今まで無事でしたよ」

 亘は話題を逸らそうと、すかさず言った。

 いくら力士が四股を踏み結界を張っていたとはいえ、多数の人々が集まって、これまで無事でいたなど運が良かったとしか言えない。

「ここに居る防衛隊の数ですと、どう考えても守り切れないでしょうに」

「人々から生成されるDPは、祭りで浄化するよう手配していたからね。悪魔の目もある程度は逸らせていたさ。あれは避難民にとっての気晴らしにもなって……ところで、そちらは大丈夫なのかな?」

「ん?」

 指摘された亘は小脇に抱えていたサキを見やった。

 くてっとなって手も足もだらーんとなっている。それに合わせ長い金色の髪が垂れた様子は、まるで死んでいるかのような姿だ。ずっと口を塞がれていた事で窒息したのかもしれない。

 そんな状態になってさえ、亘に抵抗しなかったことは見上げた健気さだろう。

「大丈夫ですよ、大丈夫。ほらこの通り」

 亘は誤魔化し笑いを浮かべつつ、赤ん坊でも抱っこするようにサキを両腕で抱きかかえた。もちろん赤ん坊など身近にいた経験はないので、昔飼っていた猫に対する扱いだ。猫も狐も似たようなものだと適当な扱いだが、とりあえず復活しくっついてきたので元気らしい。

「それから……私事ですまない。一文字ヒヨを救ってくれて、ありがとう」

 正中は言いづらそうにしながら頭を下げた。

「あの子は私にとって妹みたいなものでね、本当にありがとう。命の危険もある状態だったと聞いている。本当に、ありがとう」

「それは神楽に言って下さい。ほら、神楽」

 サキを片手で抱き直しポケットを軽く叩き合図すると、先程の手荒な扱いのせいだろう、神楽がのそのそ動いて不機嫌そうな顔を出した。しかも抱っこされたサキを見ると目を怒らせ飛び立ち、その頭を踏んづけている。

 どうやら嫉妬したらしい。

「別にさボクに、お礼なんて必要ないもん。どーせ、ボクはとんでもない事しちゃうだけなんだからさ」

「なんだ拗ねてるのか?」

「なにさ! 拗ねて悪いの!? マスターってば酷いんだからさ!」

 開き直った神楽は不機嫌そうに足を踏みならし、サキの顔を何度も踏んづける。とはいえ、まったり顔のサキには何の痛痒も与えていない。それで、ついには赤袴の足を伸ばし、ぐりぐりとまでしている。

 行儀の悪さを指摘しようとした亘だが、ポタッポタッと水滴の落ちる音を聞いて黙り込んだ。見れば正中は腰を九十度にまで曲げ、丁寧に心の底から感謝するように頭を下げていた。

「本当にありがとう」

「えーと……」

 亘は慌てて居ずまいを正した。

 人から感謝される事が仕事も含めて少ないだけに、こんな時にどんな顔をして、どんな対応をすればいいのか分からないでいる。

 サキと神楽も見習い、それぞれ降り立った床と空中とで背筋を伸ばした。

「ですから、礼なら神楽に。良かったな神楽」

「そなことないよ。ボクなんてさ、大した事してないからさ。あれなんてマスターに指示されて回復しただけだもん」

「いやいや、神楽が自発的に行って回復しましたので」

「ボクさマスターの従魔だからさ、感謝するならやっぱりマスターにだよね」

「うちは、それぞれの個性を重んじてますので。感謝なら神楽にお願いします」

 互いに感謝の先を押し付け合っており、足元から見上げるサキは何だかなぁと呆れているぐらいだ。

 正中は顔を上げると――微笑ましいものを見るような優しい笑みをみせた。

「感謝は両者に、本当にありがとう」

「はあ、そうですか。まあ……何と言いますか。ええまあ、こりゃどうも」

 亘はゴニョゴニョと呟き頭を掻きながら照れを誤魔化した。もちろん神楽も似たような事をしており、そこは似た者主従なのであった。

「すまない、私事で余計な事を言ってしまったな」

「いえいえ」

「それに絡んでの話になるが、いいかな。君たちの力を見込んで頼みたい事がある――」

 正中の頼みを聞いた亘は条件付きで引き受けた。


 薄暗い廊下を大股で一歩ずつ進む。

 ゆっくりなように見えてかなりの早さで進む姿は勢いがあって目的を持った歩きだ。すれ違う人は思わず道を譲り、思わず振り返る程だった。もちろん神楽とサキを引き連れていることも、その理由の一つかもしれないのだが。

 階段を降りて玄関を出ると、勢いのある歩きのまま薄闇の道を行く。

「ここだな」

 亘は目的なる建物を軽く建物を見上げ、小さく呟き頷いた。

 その建物は中に入ると血と薬品と死の臭いが立ちこめていた。うめき声や泣き声、時には苦痛を訴え苦しむ声が静かに絶え間なく聞こえている。

 思わず足を止めていると、赤十字の腕章をした女性が気付いて声をかけてきた。

「申し訳ありませんが、ここは重傷者の方たちの治療施設になります。軽傷の方は隣の建物にて治療を受けて頂けますか」

「知っています。だから来ました」

「どなたか、お探しですか。お見舞いでしたら、今日はもうご遠慮下さい」

「それも違いますので」

「興味本位で入られたらのでしたら――」

 訝しげな顔をした女性であったが、その肩に腰掛ける神楽に気付くなり大きく身を引き怯んだ。小さな姿でそれが悪魔だと直ぐに分かったからだろう。

「悪魔を使う方ですか? ここに居る方たちは悪魔に傷つけられ苦しんでいるんですよ! 刺激しないであげて下さい、皆さん本当に苦しんでいます!」

「だから来た」

「ちょっと! それ何て酷い人!」

 亘の発言がマズかった事もあって、女性は義憤に燃え両手を振り回した。相手が女性と言うことで、触れることの出来ない亘は叩かれるままだ。

 怒ったサキが軽く飛び蹴りを入れると、女性はバタッと倒れ気絶してしまう。

「式主に無礼」

「そだよマスターに引っ付いていいのは、ボクとサキとナナちゃんとエルちゃんとイツキちゃん……ぐらいだよね、うん」

 神楽は上目遣いで考え頷き、それから床に倒れた女性隊員に視線を向けた。

「でもさ、その人って大丈夫?」

「生きてる」

「もうサキってば乱暴なんだからさ。とりあえず、最初に回復だよ」

 神楽は廊下に倒れ気絶する女性隊員に治癒の魔法を使用した。そして亘と一緒になって血臭漂う建物の中を巡りだすのだった。

 突如、重傷者が収容されていた施設は沸き立つような歓声が爆発した。

 驚き駆け付けた者たちが見たのは、瀕死であった者たちが元気に声をあげる姿であった。その様子に目を丸くし何事が起きたか問いただせば、救われた人々は口々に言う――小さな女神が現れたのだと。



「あのさー、ボク思うんだけどさ。どーしてコソコソしなきゃいけないのさ」

「バレたら感謝されてしまうだろ」

 亘は大まじめな顔で言った。

 正中から重傷者の回復を頼まれ引き受けた際にも、この件を絶対に口外せぬよう条件を付けているぐらいだ。

「そうなったら次も期待されるだろ。そうなるとな、こっちの都合なんて関係なく次から次に治癒の依頼が舞い込んでくるぞ。だからな、こういうことはな。こそっとやるのが一番なんだ」

「なるほどだね、うん。ご飯の時間にも来ちゃうかもだよね!」

「その通りだな。下手すると食事をする時間さえなくなるかもしれない」

「それダメ! うん、絶対に見つからないようにしなきゃ!」

 神楽は力強く頷き、探知の能力をフルに活用し誰にも気付かれないルートを探知しだした。

 その間に亘は自分が言わなかった言葉を心の中で反芻している。

 一度手を出せばまた次もとなり、他からの希望も寄せられる。それこそ必死に押し寄せるだろう。しかし、それを受けていればどうなるかと言えば、いつしか当然となる。こちらが疲弊し潰れるまで使い倒される。あげく何かの事情や理由で出来ないとなれば、人でなしのように罵られる。

 どうなろうとも、嫌な思いをするだけ。子供が想像するような、誰もが協力し助け合い仲良く笑っていられる社会なんてものは、少なくとも亘の見てきた世の中には存在しなかった。

 だから隠れているのだ。

「捻くれすぎかな。でも神楽が知るべきじゃないことだな……」

「んっ、どした?」

「なんでもない。仲間とは助け合いたいと思ったのさ」

 優しく言った亘はサキの頭に手を載せ、そのサラサラとした金髪をかき混ぜていた。

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