第263話 黙って背中で語るぐらいが丁度いい

「マスターのバカぁっ! なにすんのさ、酷いじゃないのさ」

 神楽は怒りの声をあげる。

 いきなり大勢の前に、しかも寝起きの状態で差し出されたのだ。普通の人でも不機嫌になるだろうが、神楽は元より人見知り。ぷんぷんと頬を膨らませ機嫌は極めて悪い。

 その足に蹴られながら亘は頷いた。

「神楽があんな酷い事するなら、やらなきゃよかった。でも、あの状況ではああするしかなかった。だから後悔はしても反省はしていない」

「なんかさ、ボクが悪いことになってない?」

「当たり前だろ、何でいきなり魔法を使うんだ。あそこで神楽が大人しくして愛想良くしていれば問題はなかっただろ」

「大ありだよ、何でいきなりボクを出すのさ。あそこでマスターが上手くやってれば問題は何もなかったんだよ」

 お互いに顔を付き合わせ文句を言うと、ほぼ同時にそっぽを向く。それは素晴らしく息が合っており、もう示し合わせたぐらいに見事だ。とはいえ喧嘩しているわけではなく、互いに照れ隠しのじゃれ合いでしかないのだが。

 左手には緑色のネットフェンスが長々と続き、向こう側では避難テントが立ち並ぶ。そろそろ夕食時ということで防衛隊が炊き出しの準備を開始しているのだが、すでに順番待ちの列ができていた。

 そうして特に何をするでもなく、与えられるものを貰うため気怠そうに並ぶ大人たちに対し、子供たちは叫び泣き笑い元気な様子だ。

 亘は自分の居る側に視線を転じた。

 防衛官たちが夜に備え、警備の強化や防衛体制の確認など右に左にと忙しげに動き回っている。人ならぬ神楽の姿に気付くと一瞬だけギョッとするが、後はすぐに職務に戻っていく。

 こんな状態はいつか破綻するに違いない。

 だが、神楽にとって――もちろん亘にもだが――関係ないことで、風にのる炊飯の香りに心地良さげに深呼吸さえしている。

「凄いねマスター、お日様も高いうちからご飯なんて羨ましいよね。お夕飯の前にご飯があるなんてさ、凄く贅沢だよね。みんな、そんなにお腹空いてるのかな?」

「そんな理由じゃないと思うぞ」

「そなの?」

 神楽はキョトンとしている。

「日が暮れてからだと照明が必要になるが、その余裕がないんじゃないのか。つまり燃料とか電気とかな。それに悪魔を呼び寄せる可能性もあるわけだ」

「もしかして、もしかしてだけどさ。今食べたら朝までご飯が……ない?」

「ないな」

「そんなぁ……そんなのっておかしいよ、間違ってるよ」

 一食多くなると思っていたものがそうではなく、むしろ一度食べると朝までが長いと知って神楽は義憤を抱いているようだ。

「ところでサキの奴はどうした?」

「あっちに居るよ」

 神楽は無造作に少し離れた建物を指さした。どうやら探知で既に把握しているらしい。そちらで狐たちに渡す稲荷寿司を用意していると小耳に挟んでいたが、亘は黙っておくことにした。

 下手に神楽に教えればトラブルが起きるだろう。それは間違いないと絶対の確信がある。

「マスターが呼べば来ると思うよ。それとも、ボクが呼んでこよっか?」

「いやいい、余計なトラブルの元だからな」

「なんで?」

 何も知らず気付いてもいない神楽は首を捻っている。さらに問いただそうとしたところで――急に辺りが騒がしくなった。

 防衛隊がバタバタと動きだしている。悪魔、緊急といった言葉が聞こえてくるのだが、しかし亘は気にしない。仕事として指示されたならともかく、わざわざ自分から首を突っ込む必要はないではないか。

 だからチャラ夫が走って来た時も、むしろ面倒事がやって来たとしか思わなかったぐらいだ。

「兄貴! 何やってんすか緊急っすよ、緊急」

「そうらしいな。何かあったのか?」

「パトロールに出てた班が悪魔の中で孤立してるらしいんっす!」

「それは大変だな心配だ」

 亘はしれっと言った。実際の仕事でもそうだが、昼休みの直前や定時間際に入る用事ほど面倒で鬱陶しいことはない。そんな時は関わらず見て見ぬ振りが一番なのである。

「落ち着いてる場合じゃないっすよ!」

「駄目だなチャラ夫、お前は落ち着きが足りない。男は如何なる時も取り乱さず、静かに黙って背中で語るぐらいが丁度いい――」

「危ないの七海ちゃんたちっすよ」

 瞬間、亘は表情を忘れたような顔となった。

「何だって?」

「あ、兄貴……」

 見つめられたチャラ夫が震え上がるほどの何かが、そこにはある。

 空気が変わり、辺りで動き回っていた防衛官たちなどは息苦しさを覚え、動きを止め恐る恐る周囲を見回している。

「七海たちが危険で危ないのか?」

 尋ねられたチャラ夫はガタガタ震え、顔を強ばらせている。もはや辺りは静寂が支配し、避難キャンプからさえ何も聞こえない。夕暮れ時に近い空の下で、誰もが息をひそめている。

「さあ言え直ぐ言えどこか言え」

「あいっす」

「七海たちが危ないのだろう。その場所は?」

「あ、あいっす。ここから東のあっ行って、あっあっそんなに距離はあいっす、あっあっあっ」

「何を言ってるか分からんが東か――サキ、来いっ!」

 命じた瞬間、建物の一つが轟音を響かせた。内側から弾けたるように壁が崩れ、飛び散るコンクリート片の中に、それを蹴って跳ぶ小さな姿がある。それは途中で大きな狐の姿へと変じると、途中の車両や看板を蹴散らし一直線に向かってきた。

 命の危機を感じた防衛官たちが絶叫しながら逃げ惑っている。

「行くぞ」

 亘はチャラ夫の首根っこを引っ掴むと、目の前で急停止した狐の背に跳び乗り跨がった。そして拍車をかけるように踵を打ちつければ、大狐が爆発するような勢いで走りだした。

 途中にあるバリケードが吹っ飛んだ。

 その鋼鉄製ゲートが風切り音をさせ目の前を掠め、チャラ夫は悲鳴をあげた。

「ひいーっ! 兄貴、止めっ! 離してぇっ!」

「でもさボクさ思うけどさ。もしマスターが離したら、チャラ夫って下に落ちちゃうけどさ。本当にいいの?」

「いやーっ! 離さないでぇーっ!」

 足元の地面は猛烈な勢いで流れ、亘に離され落下すれば悲惨な事になるだろう。そんなチャラ夫にとって幸いであったのは、大狐サキの足が予想以上に早く七海たちの気配を感知できる位置に到達できた事だった。

 神楽が示す方向に大量の悪魔の集まる姿がある。

「あそこに居るよ!」 

「蹴散らせ」

 その指示に応え大狐サキが取った行動は、前足を突き出しスライディングで突っ込む事だった。下手に火球で攻撃すれば七海たちに被害が及ぶと、素早くも賢く判断したのだ。同じく神楽もピンポイントの雷魔法で細かく撃破している。

 そして亘は――。

「だあああぁっ! 離して欲しいっすぅー!」

 途中でサキの背を飛び降り、チャラ夫を小脇に抱えたまま悪魔の群れに突っ込んでいた。片手に握ったDP棒を振り回し悪魔を薙ぎ倒す中で、その耳は間違いなく七海の呼ぶ声を捉えたのだ。

 少し先にあるコンクリート製の一軒の家。そのドアを背にしながら、まるで背後を守るように戦う少女たちの姿があった。

「そこにいたか」

 一歩ずつ踏み締めるように移動しだす亘なのだが、その勢いは喩えようのない激しさだ。少しも止まることなく、悪魔たちの中を無人の野を行くが如く突き進む。蹴飛ばし踏みつぶし跳ね飛ばし叩き潰し、後ろには消えゆく悪魔の姿を残していった。

 途中で自分がチャラ夫を抱えている事に気付き、それを放り出すと両手を使い戦いだせば更に勢いが増す。亘が見ているのは七海たちだけで、周りの悪魔の事など見てもいない。それでいて気配を感じれば反射的に薙ぎ倒し撃破している。

「ヤバイっす、何がヤバイかって言えば兄貴が一番ヤバイっす」

 悪魔の中に放り出されたチャラ夫は即座に跳ね起きた。

「俺っち、こんな扱いマジっすか。マジっすか、マジで酷す」

 ぼやきながら近寄った悪魔に蹴りを入れ、ガルムを召喚し戦いだす。

 ここで亘から離れすぎれば悪魔に囲まれてしまうが、さりとて近寄り過ぎれば悪魔諸共殴り倒されかねない。そうした危険の中で付かず離れず絶妙な位置をキープするのは、流石といったところだろう。

「五条さん!」

「大丈夫だったか? 怪我してないか、怪我してたら神楽に回復させよう。いや、怪我とか関係なく回復させるからな。恐かっただろ、もう大丈夫だからな」

 穏やかに笑う亘に少女たちが悲鳴のような声をあげる。

「横っ、横が危ないです!」

「あかんて、あかんっ危なーい!」

「それ強い奴なんだぞー!」

 亘は横から襲い掛かるオオサンショウウオのような悪魔に気付いた。

「ん?」

 大きく開いた巨大な口を見やり、しかし無造作に手を伸ばした。

 口中の舌を掴むなり引き倒し頭を踏みつぶす。もう殆ど流れるような仕草で――おそらく異界の主クラスの――悪魔をあっさり倒してしまう。

 流石に少女三人も到着した亘を前に何とも言えない顔になってしまった。

「パトロールに出たんじゃなかったのか?」

「途中で悪魔から逃げてくる方たちに会いまして、それで何とかここに避難したんです」

「確かヒヨが一緒だったよな。あいつはどうした?」

 亘は優しく言うものの、三人を危ない目に遭わせた点でヒヨに殺意さえ抱いていた。辺りの悪魔は神楽とサキ、それからチャラ夫とガルムの活躍もあって、殆ど撃退されている。

「ごめんなさい。私を庇って怪我されてしまって……」

「そうか」

 亘の怒りは少し収まった。

「うちらが無理に人助けしたせいなんやて。ヒヨはんは反対して逃げるべきやって言うとったんやが」

「俺は逃げるべきって思ったけどさ。ナナゴンとエルやんを手伝ったんだぞ」

 亘の怒りは完全に霧散し、即座に神楽を呼び寄せヒヨの治療に向かわせた。

 そしてイツキの頭を撫でて褒めてやりつつ、七海とエルムに対してはいかに危ないことをしたのかと説教をしだす。

「いいか人助けってのは、助ける力がある者がやる事だ。実力以上のことをして自分が危険に遭ったら何の意味も無いじゃないか。それは助けられない以上に良くないことだ。それが分からないなら、二人とも外に出たりするんじゃない――」

 七海とエルムは項垂れ悄気た様子で、それでもしっかりと亘に叱られていた。この二人の場合であれば、反省はしているが後悔はしていないに違いない。

 そんな姿を追いついたチャラ夫が見やり、どこか懐かしげに見ている。

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