第335話 リアルに追求しないで欲しい
襟のある白シャツに袖を通し、部屋に備え付けられたロッカーの小さな鏡を見ながら、ネクタイを締める。だが久しぶり過ぎて、どうにも上手くいかず、大剣が長くなりすぎた。一度解いて締め直すが、結び目が大きくなりすぎた。もう一度解いて締め直すと、今度は小剣が長くなりすぎた。
亘は項垂れ、深く息を吐く。
「ネクタイってのは面倒だな」
こんな格好をしているのは、これから式典に出席せねばならないためだ。
元より出たくない亘なので、苛立って結び目に手を掛け引いて解いてしまう。
「閉会式とかも面倒だ。いや、そもそもだ。日本の正装が、西洋のスーツってのがおかしいんだ。
「そっちのが、面倒だってボク思うよ。ほらさ、結んであげるから」
神楽はロッカーの戸に腰掛けていたが、ひらりと白い小袖を翻し飛んできた。
解けたネクタイの端を小さな手で取って、両手でぐいぐい引っ張り、最初の位置で長さを調整。てきぱきと飛び回って、ネクタイの小剣大剣を操り、引いて回して足で押さえて通して引いて結んでいく。
ひと仕事終えた感で、額の汗を拭う真似をする。両手を腰に当て、少し離れて眺めて確認し、少し直したところで何度も頷いた。
「うん、完璧だね」
「助かった、ありがとう」
「どーいたしまして」
にへっと笑って神楽は両手を揃えて御辞儀をしてみせた。
しかし神楽はこれから七海のところに行かねばならない。なぜなら建前上ではあるが、七海の従魔という扱いなのだ。もうバレバレで察している者も多いけれど、式典にあたっては建前が優先される。
ベッドで寝そべっていたサキが、むくりと起き上がり伸びをして、真珠色の歯と桃色の舌をみせ欠伸をする。窓に行ってこれを開け、外を指し示した。
「んっ、はよ行け」
「ちょっと失礼なのさ!」
「二人っきりの邪魔」
「いいもん、いいもん。ボクが信用されてるから任されてるだけだから」
怒った神楽は笑顔で亘に飛びついて、その顔に頬ずりまでしてみせた。しかも見せつけるようにやっているので、サキは不機嫌そうだ。
「じゃあさ、ボクはナナちゃんとこ行くからね」
「ああ、よろしく頼む」
「ちょっとの間だから、寂しくても我慢してね」
どうせ会場では合流するのだから、寂しいとか寂しくないという問題ではない。そうと思う亘だが、余計な事を言わない知恵はある。だがしかし――。
「でも、ボクがいないからって式をサボったら駄目だかんね。ちゃんと式に出てよね。それから出ても大人しくして、暴れたりとかしないように。勝手にどっか行くのは駄目だけど、お手洗いは早めに行かないと駄目だからね」
神楽は大真面目な顔で、腕組みして頷いた。うんざりした亘が視線をそらせば、わざわざ目の前に移動してくる。どうやら、まだ話は終わらないらしい。
「お水とか喉渇く前に飲まなきゃ駄目だけどさ、あんまし飲み過ぎたら駄目だから。そうそう。もし何か食べたりすなら、ボクの事は気にしなくていいからね。ちょっと残しておこうとか、ボクに食べさせてあげようとか考えなくていいよ。遠慮しないで食べていいからね。ボクちっとも全然気にしたりしないから。さっきから返事がないけどさ、どしたのさ。ちゃんと聞いてた?」
「…………」
亘は無言で指を鳴らした。
即座にサキが跳んで神楽を引っ捕らえ、窓に駆け寄り、放り投げ、ぴしゃりと閉めた。ややあって、外で連続する爆発が生じたが、爆音の大きさからすると理性は残っているようだ。
上着を羽織って、閉会式の会場に移動した。
◆◆◆
チャラ夫が壇上に立ってマイクを手に取った。
「レッツフィーバー! イェー!」
空を指さし決めポーズを取ったところで、横から突撃した志緒が丸めた紙で頭を一撃。辺りは爆笑に包まれた。
リハーサルなので良かったが、これが本番なら最悪だっただろう。
こうした式典は必ずリハーサルがあり、動線や台詞をチェックしたり、誰がどのタイミングでどう動くか確認を行う。今回は式が急遽セットされたので、本番直前ギリギリに設営と同時に行われていた。
亘は会場の隅に立って辺りを見回す。
晴れ渡る空の下、グラウンドを利用した会場は広い。元々はここに防衛隊のテントや資機材があったのだが、別場所に移転という名目で立ち退かせられている。現場の都合や不満は無視され平常運転だ。
その広い場所を紅白幕が囲み、地面には講習会参加者が整列するための白線が引かれている。招待者用の折り畳み椅子が並べられ、ステージ台では来賓席や演台がセットされている最中。
忙しげに動き回る人々の手により、辺りは式典会場っぽい雰囲気に様変わりしていく……だが亘は見ているだけで、手持ち無沙汰だった。
手伝おうとすると恐縮されて激しく遠慮されてしまい、何もさせて貰えない。
「暇だな」
「ひまー」
サキはグレーのワンピースに白ジャケットを着ている。
防衛隊の有志が用意してくれたが、この服をどこから調達してきたのかは謎だ。いい歳したおっさんたちが鼻息も荒く、サキの写真を撮っていた。しかも、鬱陶しがったサキに蹴られて踏まれても大喜びだったのが不安の種だ。
「兄貴ー」
どかどかと――子供っぽく無遠慮に――足音を響かせ、チャラ夫が走って来た。
着なれてないとバレバレな、服に着られた感の強いスーツ姿。茶髪を逆立て、ちゃらちゃら音のするアクセサリーを身に付けているので、駆け出しホストのようだ。
「ちーす。いやぁ、俺っちのマイクパフォーマンスが披露できず残念っす」
尻尾があったら振っていそうな様子で走ってくると、パイプ椅子にどっかと座った。流石はチャラ夫で、亘は周りに気兼ねして椅子にも座らず立っていたというのに、まったく遠慮というものがなかった。
亘が椅子に座ると、さっそくサキが膝にあがって腰掛け代わりに、もたれ掛かってきた。もっちりした柔らかい身体は体温が高く、かてて加えて日なたのような良い匂いがする。無意識に金色をした髪を指に巻き付け弄る。
「閉会式とか面倒だ。時間の無駄だろうに」
「そっすか? こういうイベントってのは、なんかワクワクするっす!」
チャラ夫は目を輝かせながら、パイプ椅子に反対向きにまたがり、背もたれの上で腕を組んで身を乗り出してきた。どうやら本気で言っているらしい。祭があれば先頭で踊るタイプなので当然と言えば当然だ。
「そりゃそうと。昨日偉い人に呼び出された奴って、なんかあったんすか? やっぱ兄貴の凄さを知って、感謝されたんすか」
「相手は官僚だぞ。飴と鞭ならぬ鞭と鞭で、そんな甘い言葉なんか出てくるものか。派閥がどうとか、理念をもって戦えとか。まあなんだ、相変わらず頭の良い人は意識の高いことを言い出す」
「くっ、なんたる事っすか。やっぱ俺っちが兄貴の凄さを知らしめねば」
「そういうの止めてくれ。恥ずかしいだろ」
「いやいや、いや。俺っちは、兄貴のスーパー凄いとこを皆に知って貰いたいんす。そっすね、派閥と理念っすよ。こうなったら……そっす! 派閥っすよ。いっそ兄貴の派閥をつくって偉くなればいいっすよ」
「あん?」
何か変なことを言い出したチャラ夫に、亘は何か変な返事をした。
「兄貴なら余裕っしょ。もう、新世界の王っす。ついでに、いままでムカついた奴らを倒して、仕返しリベンジっす。さあ、俺っちと一緒に、世界の支配者でも狙ってみるっす」
亘は深々と息を吐いた。
「お前はクーデターでも起こせと、言いたいのか?」
「クーデター? なんでそうなるっすか」
「いや、お前が言ってるのはそういうことだろが」
こめかみを揉んだ亘は呆れているが、チャラ夫はきょとんとしたままだ。
「だが古今東西どこみても、クーデターを起こした奴が、幸せになれた事例はないだろ。猜疑心の塊になって仲間を粛正したあげく、内ゲバで壊滅するんだ」
「いや、それ偏見じゃないっすか……」
「そうでもないだろ。戦国時代の下克上だって似たもんだが、大抵は悲惨な末路で死んでる。それが分かって、なんでそんな事をせにゃならんのだ」
「夢がないっすねぇ」
「大人だから現実が見えるんだよ。支配者なんて、どう考えたって気苦労が耐えないだろ。他人の批判を余裕で聞き流せるぐらい図太くないと無理だ」
亘は頷いた。
現代でも飛ぶ鳥落とす勢いだった社長が部下の裏切りで失墜し、手の平を返した支援者に批判され、内外の敵対勢力に蹴落とされていく。そういった渦中に飛び込めるほど、亘の神経は太くない。
つまり人には、向き不向きがあるという事だ。
「いや、そんな真面目に反論せんでも……」
「俺強いー、ってのになったら、王だの支配者だのムカつく相手に仕返しとか。少しマンガとアニメに毒されすぎだな。そもそも倒すって何だ。泣いて許しを請うまでか、後遺症が残るまでか、死ぬまでか」
「リアルに追求しないで欲しいっすが、ギャフンとなる程度?」
「ギャフンとさせれば、逆恨みされるだけだろ。どっちにしろ仕返しをしたら、その瞬間に誰がどう見ても、やった奴が悪者だ。あげく陰湿で陰険で執念深い嫌な奴にしか見えないだろ」
「身も蓋もないっす……」
「もっと現実を考えたらどうだ、もういい加減に子供でもない年頃だろ」
言って亘はサキの喉元を撫でた。心地よいようで、どんどん頭を仰け反らせ、もっともっとと続きを求めてくる。ついには真上を向いて目が合ってしまう。そして、幸せ一杯の笑顔が向けられる。
手の中に掴める幸せの方が、遙かに貴く素晴らしいに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます