第336話 脳が理解を拒むのか
亘とチャラ夫は、取り留めもない話をして、ぼんやりする。
空の日射しは適度で微風がある。その心地よさに、サキは亘の膝で健やかな寝息をたてている。その体温は高めで温かく、陽気の暖かさと併せて妙に眠気を誘われる。お陰で亘は三度も欠伸をしてしまった。
式典会場の用意は大詰めに入っている。
開会一時間前でこの有り様というのは、本当にバタバタ状態。それでも、それなりの形になって場が整いつつあるのは、正中が陣頭指揮を執っているためだ。部下たちは明確な指揮によって統率され、指示によって迷いなく動く。
暇な亘は忙しそうに立ち働く人々を眺め、人の動きがキビキビとセカセカで違うことに気付いた。前者は二つの事を一つで行い、後者は一つの事を二つで行っているのだ。
たとえば志緒は、右に行きかけ何かに気付いて左に戻り、小走りで左右を往復し、唐突に走って、他の人のした作業を少し確認して、また別の何かに気付いて走って行く。だから目立って余計にセカセカして見える。
ただ、何もさせて貰えない亘とチャラ夫の二人よりは役に立っているのだが。
時間が過ぎて開始時刻に近づくにつれ、少しずつ人がやって来た。受付で記名し、待機していたアテンドの案内によって座っていく。来賓席は少しずつ埋まっていくが、最初の頃に来る人たちなので、席も後ろの方ばかりだ。
ぼんやりしていると、勢いの良い声が響いた。
「ちょりゃぁ、そこの男子。そこを退きなれや」
「なんすかぁ!?」
うとうとしていたチャラ夫は、エルムチョップを頭に貰い、悲鳴のような声をあげた。
やったのはエルムでイツキも一緒。しかし二人とも、なぜか学生服姿だ。年齢を考えれば、別段おかしくない服装だが、どうして今ここで制服姿なのかが疑問だった。
亘の視線に気付くと、エルムはスカートの端を軽くつまんで持ち上げ、その場で回転してみせた。古式ゆかしきセーラー服で、綺麗な白い足が膝上ぐらいまで見えている。
「似合うやら、似合うやら?」
もはや男の本能というレベルで、亘もチャラ夫も――あとついでに他の男共も――視線を釘付けとなってしまう。それだけ他人を惹きつける事ができるのは、若さの特権に違いない。
「あー、似合うと思うが。どうしてまた制服を?」
「へ? 何を言うとるん……そやった。五条はんってば、開会式に出とらんかったもんな。うちら開会式ん時からこれやったんよ。ほら、ちゃんとした服が、用意できんっちゅうことで。そんなら学校の制服でええやんってなったわけ」
「……そうだったのか」
亘は開会式に出れば良かったと、心の底から後悔した。
「まっ、うちの学校の制服と違うんでな。これやと、スカートのホックかける位置がここやら。ちょっ見てな、ほらここ。このサイドの調整がやりにくいんやってば」
エルムは自分の腰元に手をやり、調整の方法を実演しながら説明する。目の前でそんな事をされ、しかも上着が持ち上がって服の中が見えそうな姿。亘は気まずさ一杯で頭を掻き、視線を逸らした。
身を乗り出したチャラ夫は、エルムパンチを顔面に食らっている。
「なにを見とんねん。エッチやんな」
「くっ、いいっす。綾さんに土下座して、また制服を着て貰うっすから」
「またって、あんた……惨いことはやめたりなれや……」
「なんすかそれ!? 惨いことって、どういう意味っすか」
「そのまんまやって。あん人の歳を考えたりーや、どう考えても羞恥プレイやんな」
「かーっ、許せんっす。綾さんは、どんな服でも最高なんっすよ。でもって、羞恥プレイじゃなくって制服プレイなんす。制服プレイは男の夢っすよ! 兄貴もそう思ってるに違いないっす!」
「五条はんの場合は、プレイやないの。考えてみなれ、うちらが制服着たってプレイやのうて、そのまんまやんか」
たった二人なのに喧々囂々とやかましい。内容が内容なのだが、この二人の会話を止めようとするほど亘は愚かではない。口を挟めば火に油を注ぐ具合に酷くなる。さらに巻き込まれるのは、ご免だ。
困った息を吐いていると、亘の肩が、つんつんとされた。
「なあなあ、俺の方はどうだ。可愛いか?」
イツキは灰色のブレザー姿で両手を後ろで組み、少しだけ照れた様子で微笑んでいる。山奥の里から出て来た頃の素直さをそのままに、すっかり洗練されてきた。
「ああ、可愛いと思うよ」
「そっか。小父さんが可愛いって思うなら、しばらくこれ着るかなぁ」
なおイツキの可愛さは、素直で純真な様子が微笑ましいといったものだ。きっと本人が期待する可愛さとは違うだろう。
だが、この癒しの存在は鼻の頭を擦って嬉しそうだ。
その後ろに、二回りは小さな鰐顔生物が待機している。
亘の従魔のくせに、亘を前に緊張気味のその生物は、イツキに忠誠を誓って付き従う雨竜くんだ。なお虎と亀と鳥も一緒だったが、会場入り口で立ち竦み、回れ右して会場外の警備に出かけていった。理由は言うまでもない。
イツキは雨竜くんを前に押しだした。
鰐のような頭の上にピンクリボンが結ばれているのは、式典用の身支度に違いない。何とも言えぬシュールな姿だが、ずんぐりした姿で大人しくしていると、それはそれで似合っているような気がしないでもない。
「どうだ、可愛いだろ。雨竜くんも褒めてやってくれよな」
「……可愛いという言葉の定義を検討した結果、昨今の感性の中に見いだせる可愛いの解釈を適用した感じで可愛いと思う」
「小父さんは難しい言葉を使うな、凄いんだな。でも雨竜くん可愛いよな。開会式の時みたいに、お揃いの制服にしようかって思ったけど。リボンにして正解だったぜ」
「お揃い? 制服……?」
脳が理解を拒むのか、亘は自分の聞いた言葉に混乱した。まじまじと鰐顔をした生物を見つめれば、その雨竜くんは照れた様子で、短い前足で両頬を押さえもじもじしている。頭のピンクリボンを加味しても、実に女の子らしい姿だ。
これにイツキと同じ制服を当て嵌め想像した。
「…………」
果たして開会式に出なくて良かったのか、出ておくべきだったのか。
亘は心の底から悩んだ。
「ごめんなさい、遅れました」
その声に亘は膝上のサキの両脇に手を入れ持ち上げ、肩に担ぎながら立ち上がって振り向く。目を開けたサキだが、そのままクッタリもたれて寝てしまった。
七海はエルムと同じ古式ゆかしきセーラー服。
その姿に亘の背筋が熱くなり、そこから全身へ何とも言えぬ感覚が広がった。感動とも喜びとも言えるし、その両方とも言える。
しかし、もっと別の感覚かもしれない。
ただ言える事は、生きてて良かったという気持ちだ。
「良い」
「そんなに褒めて貰えると、照れてしまいます。でも嬉しいです」
「あー」
「はい、遅れた理由ですか。それはその、神楽ちゃんがですね……」
「む?」
「いえ、ちょっとお話しをしてただけです。別に心配するような事はないですよ」
亘と七海の横で、エルムとイツキは目を見合わせた。少なくとも会話は成立しているようだが、どういった具合の会話なのか理解できなかったのだ。
「別にボク悪くないもん。悪いのはマスターだもん。あとサキも悪いし、とにかく酷いんだもん。そうゆうの話してただけなんだもん」
七海の肩にのってる神楽は、もんもん煩く、ふて腐れ気味らしい。亘が指をやって弄ろうとすれば噛みついてくるぐらいだ。
「どうした?」
「ボクは怒ってるの、どうしてだか分かるよね」
「いや分からんが。飴を貰ったが要るか?」
「要る。ボクがあんなに心配してたのに、窓から外に追い出したじゃないのさ」
神楽は飴を口に含んで噛んで砕いた。差し出したままの手に包みを受け取って、亘はそれをポケットに仕舞い込む。
「そういうの酷いって、ボク思うよ。上着のボタンしてないよ」
「神楽が、あんまり煩く言うからだろ。式典前だから外してるんだ」
「ボクは心配して言ってたの。だらしなく見えちゃうじゃないの」
「心配だろうが何だろうが、煩く言うからだろ。この方が楽だから外してるんだ」
「マスターが、だらしないからいけないの。それも、だらしないでしょ」
飛んできた神楽は、亘の上着のボタンをかけ、それでいて口喧嘩以下文句以上の応酬をして、つまり所詮は痴話喧嘩。
やり取りを聞いている七海は、何とも微笑ましそうに楽しんでいる。
既に会場には大勢が訪れ、受付はごった返し、アテンド役の職員は大忙し。細かな不備や急な変更を対応するために、正中がキビキビ動き志緒がセカセカ走る。チャラ夫も呼ばれて、式典中の注意事項を念押しされ、再度念押しされ、再々度念押しされている。
あちこちで挨拶の応酬が重ねられ、ざわめきが大きくなってきた。
「はいはい、そこのお二方。もう座ったらどうやら」
エルムに言われ、亘が頷き椅子に座る。されるがままのサキは、ヌイグルミの如く膝の上でもたれて眠ったままだ。
「ナナゴンは小父さんの横で、俺はその隣っと」
「誰がナナゴンですか。でも、ありがとう」
イツキに譲られ、ちょこんと亘の隣に座った。
そして神楽は辺りに人が増えたので人見知りを発動し、亘の頭を一蹴りしてから、七海の肩に腰を降ろした。
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