第9話 待ちきれない子供のように

 帰宅を早めるようになった三日目、仕事に対する意識が少し変わった。

 どんなに根を詰めて頑張ったとして、仕事に終わりはない。任された仕事を終わらせると、手が空いているならと次が舞い込むだけ。それは、エンドレスに続く耐久レースのようなものだ。しかも、どれだけ精度を高めようと、そうでなかろうと仕事は進んでいく。

 だとすれば、魂をすり減らし過労死を目指して仕事をする必要はない。怠けるわけではないが、普通の生活を送れる程度に適度な仕事をすればよいではないか。


 帰宅すると、今日も今日とて異界行きだ。

 スキップするような足取りでアパートを後にする。職質されると言い訳できない装備のため、神楽の指示に従って人目を忍んでの移動だ。

 路地にある異界への入り口が開かれると、待ちきれない子供のように飛び込んでいく。

「今日の異界はよい天気だ」

「異界の天気なんてさ、ちっとも変わらないよ。マスターってば、何言ってんのさ」

 呆れ顔をする神楽を尻目に、ご機嫌な亘は薄明るく薄暗い空を見上げ大きな伸びをする。気分は上々で、今回も餓鬼を倒しまくってDPを稼ぐ気満々である。

 さっそく亘が餓鬼を求め歩きだすと、その傍らを神楽が滞空しながら従う。

「さあ餓鬼はどこだ、探知はまだか」

「えっとね……前の方に二体いるけど」

「よしDPだ!」

「待ってよダメ、ダメったら。ボクが倒すんだから、待ってよぅ……もうやだ、このマスター……」

 亘はどこの戦闘民族だという感じで突撃していく。おかげで神楽は頭を振り、ため息をつくしかない。諦めたようにショボショボ飛んでいき、亘が戦う様子を眺める。

 

 不意を突かれ、餓鬼は目をしばたかせ固まる。隣にいた餓鬼も同様となる。それはそうだろう。本来は餓鬼が襲う側で人間が襲われる側なのだ。

 金属バットを振り上げ嬉々として襲いかかる人間がいると、どの餓鬼が思うものか。

「いくぞぉ!」

 好機とみた亘が駆け寄りざま、全力で金属バットを振り下ろす。会心の一撃となったのか、一撃で最初の餓鬼が倒れ伏す。

 もう一体は亘にジロリと目を向けられ、思わずといった体で後ずさりさえする。逃げるべきか戦うべきか逡巡しているようだ。

 もちろん亘に逃がすつもりなどない。返す刀ならぬ、返すバットで腰元を打撃する。それで餓鬼が転倒したところを何度も殴り続け、とどめを刺す。


 かくして餓鬼二体が僅かな間にDPへと変換された。スマホに表示された数値に亘はニヤリと笑ってみせる。幸先の良い出だしだ。

「ほっほう、いい滑り出しじゃないか。この調子で次も行くぞ」

「……これじゃあさ、どっちが悪魔なのか分かりゃしないよ」

「おいおい、失礼な奴だな。こんなにも真面目で、堅実な悪魔なんていやしないだろ」

「はいはい、そーですね。よっと、ちょっと載せてね」

 獲物を求め彷徨う亘の頭に神楽が載っかる。ヘルメットの上なので感触はないが、重量変化でそれと分かる。前回ぐらいからだが、神楽は飛ぶのをやめて頭に載って来るようになった。

「はぁ……マスターってば戦闘狂だよね」

「何ぞ言ったか?」

「ううん。それよりDPで買い物する件なんだけどね。あのね、あのね。今度の説明会が終わったらさ、ボク新しい服とか欲しいな。ねえ、お願い。買って」

「おお、そうか。もちろんいいぞ」

「やったね! えへへっ、約束だからね」

 神楽が嬉しそうな声で笑っている。それを頭上に聞きながら亘は感動していた。女の子に服をねだられるとか初体験だ。


 よく職場の水田が『参りますわー、彼女に金かかって参りますわー』とかニヤケた顔で話しているが、成る程これなら嬉し顔で困ってしまうだろう。

「ねえねえ、どんな服がいいかな?」

「そうだな。きっと透明な服が似合うと思うぞ」

「…………」

 ヘルメットがガンガン蹴られる。


 亘はますます嬉しくなってしまう。蹴られて喜ぶ趣味があるわけではないが、こうして女の子とまともな会話をするのは記憶にないぐらい昔だ。軽口叩ける会話をどれだけ望んでいたことか。

 叩く音が止まり、緊迫した声が聞こえてくる。

「マスター、警戒してよ。新しい敵が接近してるけど、一体は三倍のスピードで接近してるよ」

「なんだと?」

 亘は緊張の面持ちになった。三倍と言われると、角が生えた赤い餓鬼を想像してしまう世代だ。強敵の予感に金属バットを握る手にも知らず力が入る。そして、腰を落とし身構えた。

 周囲を油断なく見回すが、それらしい存在の接近は確認できない。だが――。

「マスター、上っ!」

 その叫びに顔をあげた瞬間、視界に動くものを捉える。亘が反射的に飛び退くと、青白い発光体が眼前をかすめていく。

 たたらを踏み、態勢を整えつつ亘は青い発光体を見やる。

「宇宙怪獣!?」

「何それ? あれはきっと亡霊だよ」

 ヘルメットの端にぶら下がっていた神楽が飛び上がりながら訂正した。

 一旦通り過ぎた発光体は少し離れた場所で旋回し、戻ってこようとしていた。それを注視すれば、青白い光の中に、半透明な頭蓋骨が浮かぶことが確認できた。確かに亡霊だろう。


 青い光の亡霊が再び向かってくる。三倍と評されたスピードにしては、さして早くもない。餓鬼を基準に考えればそんなスピードで、不意を突かれさえしなければ充分対応できる程度だ。

 亘は金属バットを本来の用途のように構える。タイミングを見計らい、亡霊が接近したところで、軽く跳び退きストライクゾーンに誘い込む。

 狙い澄まし、思い切りバットを振る。

 野球経験はないが、ジャストミートだ。しかしその感触は、粘性な液体を叩くようにグニャリとしたものだった。

「うわっ、とととぉっ!」

 そのままバットがすり抜けたものだから、勢い余ってバランスを崩してしまう。尻餅をついた亘の手を離れたバットがカランカランと金属質の音をさせ地面を転がった。

「ダメだよ。亡霊は物理攻撃してもあんまり意味がないんだから」

「それを早く言ってくれよ。くそっ、初盤から物理無効なんて卑怯だろ」

 亘は恨めしげに上空を旋回する亡霊を睨み上げる。その青白い存在は大きく弧を描いて飛んでいるが、先ほどのように再突撃してくる様子はない。

 このまま上空から遠距離攻撃をされるなら逃げるしかない。しかし、どうやらその様子はなさそうだ。攻撃手段は体当たりだけなのだろう。

「無効じゃなくて効きにくいだけだよ。でも大丈夫、ボクにお任せだよ」

 えっへんと胸をはる神楽が『雷魔法』を発動させ、バチバチ煌めく光球が撃ち出す。

 いくら亡霊の動きが遅いとはいえ、飛んでいる相手に命中するだろうか。心配する亘の目の前で、光球は軽い誘導性をみせ見事に命中した。

 ボフッと音をあげて亡霊が青白い光を失い、髑髏だけになって落下してくる。地面に落ちると割れて転がり、そして消滅する。

「おお、一撃とは凄いじゃないか」

「ふふん、どんなもんだい。亡霊は物理に強いけど魔法には弱いんだよ」

「なんだ魔法に弱いだけか」

「もお、そんなこと言わないでちょっとはボクの活躍を誉めてよ」

「ああそうだな……残りの敵が接近してることを忘れてなければ誉めてたぞ」

「えっ!?」

 声をあげる神楽を余所に、亘は小走りで移動すると、先ほど手から離れた金属バット拾いあげにいく。そして一足遅れで到着した餓鬼の姿を確認すると、今度は自分の番だと凶暴な笑みを浮かべるのだった。


◆◆◆


 餓鬼が消滅すると同時に、神楽が何か気付いたように顔をあげる。DPを取り込む亘の元へと、はしゃぐように飛んできて周囲を旋回した。

「ねえねえ、マスター。今のでレベルが上がったみたい。確認してみてよ」

「そうか、どれどれステータスっと……本当だな。レベル3になってるぞ。やったな!」

「やったね!」

「スキルポイントが3Pか。よし、だったらここで治癒を取得しておこう」

「でもさ、補助も習得するんだよね。治癒が先でいいの? だってマスターが戦うならさ、補助があった方が役に立つと思うよ」

「確かにそうだが……」

 亘は一瞬だけ迷う。

 補助の効果は分からないが、それがあれば戦闘が有利になるのは間違いない。しかしだ。いかに有利とはいえ、ダメージを受けるリスクは存在する。

 現実はゲームとは違う。

 1ダメージでも、痛みを伴う何某かの傷だ。一晩寝たとしても全快はしない。どんな小さな傷でも、数日から数週間の自然治癒期間が必要だ。さらに大きなダメージともなれば――どんな傷となるか想像するのも恐ろしいが――日常生活に影響が出るだろう。

「いや迷うまでもないな。回復手段は早いとこ確保したいな。治癒を取得してくれるか」

「了解! それじゃあ、治癒を取得するね。『治癒』」

 片手をあげ宣言する神楽が一瞬だけ淡い光を纏った。本当に覚えられたのだろうか、ステータス画面を再確認してみる。

 横から神楽も一緒になって覗き込んできた。

…………………………………………………………………………

No.1

名前:神楽 種族:ピクシー

レベル:3 経験値:65 スキルポイント:0

HP:7/8  MP:13/17

スキル:探知、雷魔法(初級)、治癒(初級)

…………………………………………………………………………

 取得したとおり、スキルに治癒の項目が確かに追加されていた。

 それには雷魔法と同じく初級と表示されており、つまり、もっと上の級があることを意味していた。きっとレベルアップで解禁されていくスキルのことだろう。

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