第10話 何のため生きているのか

 神楽も一緒になってスマホを覗き込むが、嬉しそうに両手を腰の後ろで組み肩を揺らす。振り向いた顔も満面の笑みであった。

「えへへっ。ステータス見るとさ、成長したのが実感できるよね。ボクこの調子で、どんどん強くなりたいな」

「ほう、神楽は何でまた強くなりたいんだ?」

「え? 何でって理由を聞かれてもね……だって、そういうものだよ。マスターだって強くなりたいって思うでしょ?」

 神楽は逆に尋ね返してくる。どうしてそんなことを聞くのだろうと、素朴な疑問を持った顔だ。どうやら強さへの欲求は、悪魔にとってごく当たり前のものらしい。

「はははっ、別に自分は強くなりたくて生きているわけじゃないからな」

「へー、だったらさ。マスターの生きる目的ってなに?」

「えっ……生きる目的だと」

 亘は虚をつかれた。

 返答に詰まり目をしばたかせるが、ややあって鳥肌の立つ気分が襲ってくる。

 自分は何のため生きているのか。そんなこと、考えたことなかった。

 毎日同じ時間に起きて同じ道を歩き、仕事をして夜遅くに帰る。そんなアパートと職場を往復するだけの生活。週末は疲れきって惰眠を貪るが、時には仕事が入る場合もある。

 そんな日々に、夢とか希望とかいった目標はない。

 プライベートをみれば、恋人どころか友人さえいない。果たして生きている意味自体があるのだろうか……。

 亘はふいに、えも言われぬ不安に襲われ、身を震わせた。

「どしたの? マスターってばさ、ぼうっとしちゃってさ」

 黙りこくる亘の眼前へと神楽が飛んでくると、不思議そうに顔を覗き込む。それで我に返った。

「えっ、ああなんでもない……生きる目的か……いや、それよりだな。早速回復を使ってみようじゃないか。レベルアップでHPが減ってるだろ、ほら、実験だ、実験」

「そだね、使ってみよっか」

 話題を変えようする態とらしさを気付きもせず、神楽は大きく頷いて同意した。亘にとって思い悩む話題でも、神楽には話のついでに聞いた程度のことなのだろう。

「そんじゃあいくよ、『治癒』だよ」

 淡い緑の光が神楽を包み込み、ふわりとして消える。

 何も起きない。

 それもそのはず、外見上どこにもダメージはないのだ。ステータス画面を確認すると、MPが減りHPが増えており数字上は回復していただけだ。

「うーん。これだと本当に回復したのか分からないな。それにだ、回復魔法の効果はどれぐらいなんだろうな? 数字の話じゃないぞ。実際の傷に対することだ」

「さあボクも分かんないよ。それ実際に試すしかないよ」

「そうか……軽い傷なら自分で切って試してみてもいいが、大きい怪我は嫌だな。実際になった時に確認するしかないか……機会がないのが一番だけどな」

「そだね」

 ゲームなら『ダメージ』で表されるが、リアルで考えると創傷から骨折、捻挫まで考えられる。さらには創傷にだって、切傷や熱傷や凍傷まで幅広い。果たして神楽の回復魔法は、それら全てに効果があるのか、どの程度まで治せるのだろうか。

 疑問に思いだすとキリがない。

 保険のように、使う機会がないのが一番だろう、亘は自分のステータスを確認してみる。

…………………………………………………………………………

名前:五条亘 種族:人間

レベル:3 経験値:65 所有DP:65

…………………………………………………………………………

 レベルは上昇しているが、ステータスがないため実感はない。


 横から画面を眺めた神楽が振り仰ぎ、笑顔で尋ねてくる。

「ねえね、マスターにも回復かけたげよっか?」

「止めておこう。必要ないことをするより、MPの温存が大切だ」

「了解だよ。さあっ! 次はレベル4を目指して頑張ろうね」

「そうだな……次は経験値が幾つになると、レベルアップするのだろうな」

「幾つだろね?」

「なんにせよ、地道に敵を倒していくしかないけどな」

「そだね、頑張ろうよ」

 もっともらしく頷いた神楽はフワリと飛び、ヘルメットの重量が増える。

 それを合図に、亘は次の獲物を求めて歩き出した。先程の生きる目的を問うた言葉を引きずっており、少しばかりテンションの下がった足取りだ。

 それは態度にも出ており、ガツガツと次の獲物を求めるのではなく、歩きスマホで悪魔図鑑をチェックしている。

「そうか、亡霊は5DPで餓鬼よりDP量が多いのか。DPが多いのはいいが、魔法じゃないと倒せないってのが面倒だ。できれば避けたい敵だな」

「大丈夫だよ、ボクがいるから」

「MPも無限にあるわけでないだろ……購入できるアイテムにMP回復薬とかがあるといいな。あっても高いかもしれないな……ふむ亡霊か、亡霊、亡霊ね……そうだな……アレでもやってみるか」

 ブツブツと呟くと、上から神楽が逆さまで顔を覗かせる。

「どしたのさ、何かするの?」

「ああ。思いついたことがあってな。それを試すから、次に亡霊が出ても、魔法で直ぐ倒したりしないでくれよ」

「はーい。まあ無理だったらボクに任せてよね」

 指示された神楽は元気よく返事をする。どうせ亡霊は魔法でないと倒せないと高をくくっているらしい。

 亘は秘かに嘆息する。


 この神楽ときたら戦えないと拗ねてしまい、戦えると喜ぶのだ。しかも自分のようにDPを得る為に戦うのでなく、強くなるために戦うのだ。

 きっと戦闘狂というやつに違いない。

「そうだ、今はレベルアップが分かったようだが、この前は分からなかったのか?」

「それはその……ボクも初めてのことで緊張してたからさ……」

「なんだ、自信満々って感じだったのに緊張してたのか。そうだったのか」

「えへへっ。あっ、敵が近づいて来るね。この反応は亡霊だね」

「よし、さっそく試すか。指示するまで魔法を使わないでくれよ」

「はーい」

 手を出すなと念を押すと亘は身構える。今度は上方も警戒し、前のようなことがないよう心がけておく。

 そして上空から接近する青白い発光体を発見した。

 分かってみれば、薄曇りな空を移動する発光体はよく目立つ。そこから戦闘機の一撃離脱戦法のように、急降下してくる。だが、不意さえつかれなければ、充分に避けられる速度だ。

 亘はそれを注視しつつ手を合わせる。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄……」

 お経だ。

 仕事とは関係ないことだが、仕事に絡んで覚えたものだ。


 亘の仕事は転勤が多い。その数ある勤務先の中で、普段殆ど人の寄らぬ山奥に配属されたことがあった。そして、そこは人知れず死にたいと願う人にとって、『格好の場所』だったのだ。

 おかげで亘も二度ほど木にぶら下がった方を発見している。だから覚えた。できれば発見する側も考え行動して欲しいと文句を言いたいところだ。

「……舍利子色不異空空不異包包即是空空即是包受想行識亦復如是……」

 読経の声が届くや、亡霊の動きが鈍くなる。

 しかし、効果はそこまでだった。成仏する気配なんて欠片もなく、そのまま突っ込んでくる様子はダメージを受けた気配は微塵も感じられなかった。

 そこで神楽に指示をする。

「よしいいぞ、魔法で倒してくれないか」

「はい『雷魔法』」

 神楽のかざした手の間にバチバチとした光球が生じる。動きが遅くなった亡霊なぞ、追尾性のある魔法の前では良い的でしかない。

 射出された光球は一瞬で亡霊に追いすがる。ボフッと弾けるような煙をあげ亡霊は撃墜されてしまった。


 どんなもんだと神楽は大威張りだ。わざわざ亘の顔の前に飛んでくると、腕組みして得意満面に胸を張ってみせる。

「ふっふーん。なんか唱えてたけど、あんま効果なかったよね。どう、やっぱボクがいないとダメだよね。ボク凄いよね」

「そうだな凄いな」

「もうボクにお任せだよね」

「そうだなお任せだな」

 それを聞いた神楽はクルクル回転して大喜びする。

 DP回収中の亘の頭に飛び乗ってくるが、喜びのまま足をばたつかせているらしい。ヘルメットにリズミカルなトントンとした衝撃がある。大層ご機嫌らしく、何やら小唄まで聞こえるぐらいだ。

 しかし亘はそんな様子を余所に、ニヤリと笑う。


 お経の効果はあったのだ。

 動きが遅くなるだけだったかもしれない。けれども、亡霊に対しお経がなにがしかの影響を与えたのは間違いない。お経により死者が成仏する、そんな概念でも作用したのだろうか。

 なんにせよそれは、悪魔に対し既知の概念が役立つということを意味している。

 これは使える、と笑う亘だった。

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