第303話 脅威の生存能力

「どうも警戒してるらしくてな、テングどもを上手く誘き寄せられないんだ」

 亘は愚痴るように言った。

 このところ通い詰めテングを倒すキセノンヒルズが遠くに見える場所だ。運転してきたヒヨは、辺りに強力な悪魔の気配を感じ、不安そうに辺りを見回している。流石にここに来るとは思っていなかったらしい。

「悪魔が警戒! 兄貴ってば相変わらずっすね……」

「というわけで、今日は素晴らしい囮役がいるので助かる」

「あのー、念の為の確認なんすけど。その囮役ってのは、まさかまさかの俺っち?」

 チャラ夫は自らの顔を指さした。

 ちょっと剽軽さのある顔立ちに薄茶色をした髪、全体的に軽さと明るさの漂うチャラ夫なのだが、今は凄く不安そうだ。もちろん悪魔の囮をやれと言われれば誰だってそんな顔をするだろう。

「話の流れでいけば、当然そうだな」

「テングって、メッチャ強いっすよね」

「まあまあ強いな」

「いやいやメッチャ強いっしょ。で、その強いのが群れで襲ってくるんすよね」

「わらわら襲ってくるな。あれは凄いぞ」

「で、もっかい聞くんすけど。俺っちが囮をするんすか?」

「嫌なのか……そうか、チャラ夫がダメなら他の人に任せるしかないな」

 態とらしく言った亘がちらりと視線を向ければ、今度はヒヨが目を見開き自らの顔を指さした。それから苦渋をみせつつ、何かを堪え両手を握り決意しようと頑張っている。

 ちょっとだけ健気な様子に、神楽はくすっと笑ってサキはほほうと頷いた。

「だーっ、兄貴ってば、なんちゅうことを言うんすか」

「お前が嫌だって言うからだろ」

「へいへい、悪いのはどうせ俺っちなんすよ」

 チャラ夫は腕を目元にあて泣き真似をしてみせた。

「で? やるのか」

「そこで素直に返事をするほど俺っちは子供じゃないっすよ。今の俺っちには守りたい人がいて、今やこの身この命は一人だけのものじゃないっすから。おおっ、今のなんか普通に出たけど、我ながら格好いい感じの言葉っすよ。後で綾さんにも言ってみるっす、きっと喜ぶに違いないっすよ」

「…………」


 亘は邪智暴虐となった。必ずや、この無自覚愚か者を囮にせねばと決意した。亘にも恋人はいる。手を繋ぐぐらいの勇気を出す。どうやって関係を進展させるか悩む日々だった。けれども他人の惚気に対しては、人一倍敏感であった。

「チャラ夫を見込んでのことだがな」

「そうは言われましても俺っちにも――」

「お前には囮の才能があると思うんだ、他の誰にも真似できない天才的な囮の才能がな。だからこそ、皆の中からチャラ夫こそはと見込んで選んだ」

「俺っちに才能……」

「だが、どうしても嫌なら無理にとは言わない。仕方なく諦めようじゃないか。見込み違いを言ってすまなかった。すまないな、気にしないでくれ」

「待って欲しいっすよ。俺っちはやるっす、やらせて欲しいっす!」

「いいのか? 別に無理しなくていいんだぞ」

「ふっ、この俺っちの天才的なところをみて欲しいんすよ」

 何も知らぬチャラ夫は満面の笑みとなって、両手を腰にあて頼りがいのあるところを見せようと張り切っている。

 人は相手に失望されたくない性質がある。だから相手がそんな様子をみせれば、高確率で迎合し協力しようとする。押してダメなら引いてみろとは、つまりそういうことなのだ。

 亘にも、その程度の駆け引きは出来るのだった。

「えっと、あの二人っていつもあんなですか?」

「そだよ」

「何と言いますか……何と言いますかな二人ですね」

「何を言ってるか分かんないけどさ、何となく分かるのが不思議かも」

 この馬鹿馬鹿しい寸劇じみた一部始終に、神楽とサキとヒヨは呆れた様子だ。そして案外と仲良い雰囲気であった。

 だがヒヨは自分の思う囮と亘の言う囮の違いを、まだ知らない。


◆◆◆


「チチンプイプゴヨノオンタカラ」

 ヒヨは物陰にて呪を唱えると、テングに追われるチャラ夫に向け符を投げた。直後、チャラ夫に飛来していた風塊は弾かれ、それを放ったテングへと跳ね返された。

「今のは凄い、そういった魔法もあるのか」

「魔法と言いますか術です」

「なるほど日本古来の、そうしたものか。修行とかで覚えたわけだ」

「ええ、幼い頃から叩き込まれまして。修行や特訓は大変だとずっと思っていました。でも、私はまだ幸せだったのですね」

 言いながらヒヨの目は泳ぎ、悲鳴をあげ逃げ惑うチャラ夫とガルムに向けられている。まさか本当にここまで酷い囮とは思っていなかったのだろう。

 だが、チャラ夫は生きていた。

 やり遂げていた。

 亘が見込んだとおり――半ば口から出任せだったものの――チャラ夫は天才的な囮の才能がある。それも軽く挑発しただけで、テングが脇目も振らず追うぐらいの素晴らしい才能だった。

 おかげで神楽とサキの攻撃が面白いように当たってテングを殲滅していく。

「メッチャおっかなかったっす! なんすか今の、もうダメかと思ったっす! と言うか、あんなん倒してたとか兄貴は何なんすか! 信じられんっす!」

 隠れ場所に飛び込んできたチャラ夫は一気に言って、後は荒い息を繰り返した。足元ではガルムが突っ伏すように倒れるのは、肉体的より精神的な疲労のせいだろう。

「あまり大声を出すと、残りのテングに見つかるぞ」

 亘は文句を気にせず平然と言った。

 それでチャラ夫は黙り込んで息を整えることに専念した。だが黙りはしない。

「あーもう疲れたっすよ。と言うかですね、テング様っちゅうのは神様じゃないんっすか? 正義の味方のテングマンとか憧れだったんすよ」

「テングマンというのは分かりませんが、テングという存在は六道輪廻を外れた外道で魔縁を持つ存在ですよ。確かに一部は神として信仰されますけど、大半は外法様と呼ばれる魔物です」

 律儀にヒヨが解説するが、亘は軽く流して肩を竦めた。

「どうせ、この辺りにいるテングってのは。DPと人間の感情を受けて発生したテングという名の悪魔だろう。だから関係ないと思うが」

「マスター、いっぱい来たよ」

「流石に数が多いとマズい」

 神楽の警告に息を潜めることしばし、幾つもの羽音が近づき遠ざかっていった。流石にその大群となると、簡単に手を出せる相手ではない。


「やれやれ、地道に倒すしかないな。チャラ夫に頑張って貰わないとな」

「マジっすか、またやるんすか」

「嫌なのか?」

「別にそうじゃないっすよ、やるっすよ。あーでも綾さんがよく、もうダメもうダメって言うのとは違うっす。それで止めたら拗ねられるんすよねー」

「…………」

 神楽とヒヨは小首を傾げ、サキはニッと笑う。そして亘の目は平たくなって、そこに宿るのは冷ややかな怒りである。

 だがチャラ夫は気付かず思い出し、ヤニ下がった顔をしている。

「こないだも何とか二人っきりになって、久しぶりに――」

「ほれテングが来たぞ、行ってこい」

 亘は隠れ場所からチャラ夫を蹴り出した。

「ちょっ、何するんすか――ぎゃああああっ!」

 チャラ夫は路上に倒れ込み文句を言おうとした。

 だが、鍛えあげられた危険察知能力で跳びはねるように横に転がった。ほぼ同時に、それまで居たアスファルト舗装が弾け飛んでしまう。

「ちょっ、本当! これマズいっす。助けて! 助けて欲しいっす!」

 跳ね起きたチャラ夫は、駆け付けたガルムと一緒に走り出した。

 その周りで植栽が破裂し枝葉が舞い散り木が倒れ、自転車が縦に転がり千切れ飛んだフェンスが路上を滑る。テングの攻撃によって、辺りはまるで未曾有の嵐にでも襲われたように風が飛び交った。

「ぎゃあああああっ! 死ぬうううっ! いやあああっ! ちょっと待ってぇ!」

 チャラ夫とガルムは脅威の生存能力を見せた。

 悲鳴と叫びをあげたチャラ夫は両手両足を使って這って逃げ、焦ったガルムが二足歩行になって走る。両者ともども次々襲い来る攻撃や飛来物の全てを、跳んだり跳ねたり間一髪で回避していく。

 脅威の生存能力に、テングたちが指さし顔を見合わせてしまったぐらいだ。

「よし、チャンスだ。やってしまえ」

 隙をみせたテングたちへと、亘の指示で神楽の光球とサキの火球が襲い掛かる。完全な不意打ちを回避することなどできず、瞬く間に全滅させた。

 この一部始終にヒヨは唖然とした。

 まさか問答無用でテングの群れに蹴り飛ばすとは少しも思っていなかったのだ。何か言いかけては黙り、凄く葛藤している。


「酷いっす! 今のはメッチャ酷いっす!」

「だが、これでテングたちを倒せたじゃないか」

「滅茶苦茶おっかなかったんすよ! なんすか今の! 死ぬかと思ったんす!」

「チャラ夫なら大丈夫って信じてたからな」

「そんなこと言って、兄貴は酷いっす。俺っちがどれだけ思っても、こんな酷いことするなんて。嫌いっす、嫌い嫌い。兄貴なんて嫌いになってやるっす」

「あれだけのテングをチャラ夫の活躍一つで簡単に倒せただろう。やっぱり、お前は天才だ。もう囮として稀有で奇跡的な世界一の才能があると思ってるぞ」

「うっ、またそんなこと言って。俺っちを煽てるんすね」

「こんなにも凄い囮は他にいないな。お前が仲間で最高だよ」

「もう、もう……兄貴ってば……最高とかなんて……兄貴のバカバカ」

 チャラ夫は頬を押さえながらクネクネして、じゃれるように亘へと何度も体当たりをしている。嬉し恥ずかしで照れているといった様子だ。

「えーっと、なんなんですか。あの二人の関係と言いますか、私としては何だかおかしいのではないかと思うのですが」

「安心していいよ。ボクもそう思ってるからさ」

「今日は私の理解できないことばかりですね。外の世界を知ったつもりでしたが、こんなにも何と言うか……いろいろ自分の認識と違うだなんて……」

「安心していいよ。たぶんピヨちゃんの方が、まともだってボク思うから」

 その言葉にサキも深々と頷いて賛同した。

 男二人で仲良くしながら笑って楽しげな様子を眺めつつ、神楽はヒヨの目の前に飛んで行き唐突に言った。

「あのさ、ピヨちゃんはマスターが好き?」

「えっとはいまあ、そうです」

「ふーん。うん、それはとても良いことだよね」

 照れて恥ずかしげなヒヨに、神楽はお姉さんぶった様子で頷いてみせる。体の大きさ比較にならない差があるけれど、両者の力関係はそれで丁度良い。

「なら言っとくけどさ、マスターはむつかしい性格だからね。一番いけないのは媚びられることかな。優しくされて認められたいけど、媚びられるのは嫌だからね。それは止めた方がいいってボク思うよ」

「媚びてるつもりはないですが」

「うーん、何て言うかさ。つまり無理してマスターに同意しちゃだめってこと。上手く言えないけどさ、良いは良い悪いは悪いではっきり意見して欲しいんだよね」

「なるほど……何となく分かりました」

 ヒヨはこっくり頷き視線を戻す。

 そこでは抱きついたチャラ夫を蹴り飛ばす亘の姿があった。さっそく指を突きつけ厳しく注意するヒヨだった。

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