第298話 勝つことが大事

 怪しげな部屋のあったビルを逃げるように出ると、神楽の誘導に従って路地裏を進み、テングの気配を察して手近な建物の出入り口に飛び込み身を潜める。複数の羽音が近づき、そして遠ざかっていった。

「テングのやつらめ、絶対に倒してやる」

 八つ当たり気分で呟く亘の様子に神楽とサキは顔を見あわせ、やっぱりねと頷きあった。自分たちを使役する主が悪魔を倒すことに執着するのは当然だと思っているのだ。

 もちろん、忠実な従魔としてそれに付き合うつもりである。

「でもさ、どーすんのさ。あのテングって、そんなに強くないけど素早いでしょ。倒すのに時間かかって、大きな音とかだすと他のテングが集まって大変になっちゃうんだよ」

「そうだな、確かにそうなったよな」

「…………」

 神楽は無言で頬を膨らませ、亘の頭に蹴りを入れた。

「痛いな、何するんだ」

「ふーんだ」

「やめろって。おい、爪先で蹴るなよ。痛いぞ」

「痛くなるようにやってるもん」

「やめろって」

 頭だけ動かし回避する亘と、その周りを飛び回る神楽。もう二人して遊んでいるようにしか見えない。

 サキは自分も交ぜて欲しそうに見上げていたが、ふいに素早く横を向いた。二房の黒髪の混じる金髪の間から獣耳が飛びだすと、紅い瞳の目を細め口から犬歯をのぞかせ低い唸り声をあげる。

 その臨戦態勢に亘はふざけるのを止め、そして神楽も危険に気付いた。

「あっ、ごめん。気付くのが遅れちゃった。こっちにテングがいっぱい来るよ」

「まさか気付かれたのか」

「この動きだと、そでもない感じだけど。でも近いよ」

「マズいな……」

「ごめんね」

「気にするな、こっちもふざけすぎた」

 申し訳なさそうに下を向いた神楽を責めもせず、亘は後ろを振り向いた。再び隠れん坊の開始だが、場所を探す必要は無い。この身を隠していた建物の中に逃げ込めばいいだけなのだ。

 新台入荷や新装開店の文字が踊る旗の横をすり抜け、自動ドアをこじ開ける。それから、まだ動かず威嚇中のサキを後ろから脇に手を差し込み持ち上げ、肩に担いで中に逃げ込みドアを閉めた。

 出来るだけ奥に逃げ込み息を潜めることしばし。

「行ったか?」

「行ったみたい」

「やれやれだ、本当に厄介だ。何とかテングを倒さないとな」

 呟いた亘は辺りを見回した。

 光のないパチンコ台と無人の椅子がずらりとならぶ。パチンコ店に入るのは初めてだが、いつも漏れ聞こえる音で騒々しい場所というイメージがあった。だから、当然無人のこの静寂が少し意外に思えてしまう。


 神楽が不思議そうに小首を傾げた。

「ねえねえ、ここって何? 食べ物屋さん?」

「どうしてそう思うかね。どう見たって、テーブルがないだろ」

「この飾りのついた部分が動いてテーブルになるかもだよ」

 神楽がパチンコ台のガラス面を叩けば、その言葉に期待したサキが椅子に跳び乗り期待した様子で座り込んだ。どちらも食い意地が張っているため、ワクワクさえしている。

 亘は苦笑しながら手を上下に振った。

「ならんならん。これはパチンコ台と言って、パチンコ玉を転がす? 落とす? とにかく弾き飛ばしてだな、落ちてくるのを見て楽しむ遊びなんだ」

「……それ楽しいの?」

「さあ? しかし落ちてきた玉が、詳しくは知らんが、上手くやると数が増えるらしい。そうすると、増えた玉の数で景品とか現金に替えられるとかなんとか」

 亘は同僚の話を思い出しつつ説明した。知らない者が分からない相手に説明するため、内容は凄く適当だ。

「へー、そなんだ。マスターって、お金大好きでしょ。どしてやらないのさ」

「失礼なやつだな。確実に儲かるならやるが、浪費するだけだからやらない」

 それが亘のギャンブル全般に対する考えだ。これを堅実と褒める者もいるだろうが、一方で夢がないと苦い顔をする者もいるに違いない。

 しかし神楽は、そのどちらでもなく呆れた顔をした。

「あのさ、それを言うならさ。マスターの趣味こそ浪費だって、ボク思うよ」

「うるさい。いいかよく聞け、ギャンブルは負ければお金が消える。しかし日本刀というものは、仮に売ったとしても上手くやれば、買い値の七割ぐらいが戻って来るんだ。これのどこが浪費と言える」

「三割が浪費って思うけど。それにさ、ギャンブルなら儲かる事だってあるでしょ」

「甘いな、日本刀だって同じだ。見る目と伝手と良い品に巡り会う幸運さえあれば、価値は二倍や三倍にだってなる事もある」

「あーそー、でもどうせ手放さないから意味ないじゃないのさ」

「当たり前だ。別に金のために刀を求めてるわけじゃない、楽しむためなんだ。大事な事はな、巡り会った刀が世界で一番いい刀と思ってドキドキする心なんだ。その巡り会えた刀を、それが一番最高だと思える心が大切なんだ」

「まーた変なこと言いだしちゃった」

 話が脱線したあげく長くなりそうだと察し、神楽は椅子から舞い上がって逃げ出した。白い小袖を翻し、薄暗い中をひらひらと舞う。なお、サキは寝たふりだ。

「ちゃんと聞けよ――うわっ!」

 追いかけた亘は足を滑らし盛大に転んだ。

 神楽とサキは瞬間移動に等しい速度で駆け寄り、そして治癒の魔法が乱発され周囲を威嚇しながら警戒しだす。だがしかし、亘が転んだ理由は地面に散乱するパチンコ玉を踏んづけたせいであった。

 すぐに原因が分かり、神楽とサキは首を横に振り肩をすくめてしまった。何も言及せぬのは、精一杯の優しさを示しているからだろう。

「足元はよく見て歩くべきだな」

 亘は頭を掻きながら笑った。

 そして引っ繰り返った玉箱と散乱するパチンコ玉を困った様子で片付けかけ……しかし、何かに気付いた様子で小さく声をあげ頷いた。


◆◆◆


「テングがこっち来るよ」

「一体だけなのは間違いないな」

「そだよ」

「よし、ではやってみよう」

 亘は物陰に潜み耳をすませた。

 羽音が近づき、近くのビルのガラス面を確認しつつ様子を窺い、そしてタイミングを見計らい路上に飛び出す。カラスのような顔に鳥の如き黒い羽の姿は素早く反応し身構えた。

 亘が手にしていた物を怒りを込め投げつけると、テングは空中を動き――バッ、と広がった銀色の煌めきの中で血飛沫をあげ、そのまま地面に墜ちた。

「やはり、こういう工夫で勝つことが大事だな」

「そだよね。前はそんな攻撃とかもしてたもんね」

「最近は普通に殴った方が手っ取り早かったからな」

 もちろん亘がやったことは、パチンコ玉を掌一杯に持って投げつけただけだ。しかし、余人のしたことではなく高レベルの、素手で悪魔を殴り倒すような者のしたことだ。投げつけた鉄球は散弾と化し、とんでもない威力となる。

 如何にテングが空中を素早く動けると言っても避けられるものでもなく、当たれば悲惨な事になる。実際、この攻撃をくらったテングの翼は一部が消し飛んだあげく、あちこちから血を流し道路の上で弱々しく動くだけとなっていた。

「さて仕留めるか、まずは一匹だ」

 空を飛んで動き回るからこそ強敵なのであり、一度地面に落ちてしまえばテングなど亘の敵ではない。小鳥に似た泣き声は命乞いの雰囲気があるが、今の亘は八つ当たり気分に満ちている。

 もっとも気分は関係なく、悪魔である時点で情けなどないのだが。そしてテングは最期に甲高い声をあげ力尽きた。


「思い知ったか、この諸悪の根源め」

「なにそれ、意味わかんないよ。そんなに追いかけられたの怒ってたの?」

「お子様には分からんのだよ」

「あーそー、今の叫びで集まってくるよ。いったん逃げちゃう?」

「いいや、効果あるからこのままやるぞ」

 亘が指先で合図をすると、ガチャガチャと音をさせサキがパチンコ玉満載の玉箱を幾つも重ね運んでくる。健気にも言われるままに従っているのだ。

 激しい羽音が幾つも響く。

 パチンコ玉を掴んでは投げ掴んでは投げ、数の減った玉箱を投げ捨て、また掴んでは投げていく。友達などおらず野球など学校の授業で体験しただけ。キャッチボールをしてくれるような父親でもなく、投げるという行為は苦手なため狙いなどつけようもない。

 ただ闇雲に投げているだけだ。

 しかし今回はそれが幸いしている。全く狙いもつけず投げられるパチンコ玉の嵐を避けきれず、テングたちは次々と撃墜されていくばかりだ。合間を縫って神楽が光球を放ち墜落したテングにトドメをさしていく。

「んっ、全部なくなった」

「ちょうどテングも倒しきったとこだな。お疲れさん」

「んっ!」

 労をねぎらわれたサキは大喜びで、空になった玉箱を両手に振り回し飛び跳ねた。


 とてもすっきりした亘は辺りを見回し――通りの向こうを二度見した。様子に気付いた神楽が訝しんだぐらいの反応だ。

「どしたのさ?」

「向こうに人の姿があったんだ」

「そだね。けっこう強い悪魔の気配があったからさ、気を付けなきゃだよ」

「悪魔? いや、あれは……人に見えたが」

 言いかけて言葉を淀ませたのは、一瞬見た相手が知っている姿に思えたからだ。顔だけでなく体つきも含め知っているように思えたのだった。だが、誰だったか思い出せずもどかしい。

 考える内に、神楽が悪魔と言うのだから、思い出せないまま悪魔の空似だったに違いないと納得することにした。

「強い悪魔か。そうだな、テングも倒したし調子にのらずそろそろ戻るとするか」

「そだね、それがいいよね。時間も時間だもんね」

 ビルに挟まれ影となった路地裏で神楽は空を見上げた。雲に僅かな朱が差すような時間となっている。

「でさ、どーやって戻るの?」

「何の事だ」

「だって乗ってきた車って壊れちゃったじゃないのさ」

「……あっ!」

「呆れた、忘れてたの? マスターってばウッカリさんだよね。これだからボクがしっかりしなきゃだよね」

 調子にのった神楽は飛んで来て、亘の頬をペチペチするぐらいだ。

 しかし帰る方法は大した問題ではない。いざとなれば、サキに大きな狐になってもらい、ひとっ走りすれば簡単に移動できるのだから。

 では何故声をあげたかと言えば――。

「違う、別に車のことを忘れていたわけじゃない」

「そなの?」

「忘れていたのは始末書だ」

「はい?」

 組織で所有する物品備品が全損したのであれば、当然だが始末書というものを作成し事実関係を明らかにする必要となる。ただし往々にして、同時に謝罪や反省と再発防止の誓約も書かねばならないのだ。

「何か理由を、何かをひねり出さないとな……車で移動していたところ思わぬ場所で要救助者を発見し、その救助に当たった途中で悪魔の攻撃を受け……いや、これだと救助者が誰かとなるか……うぅむ難しい……」

「別に素直に言えばいいじゃないのさ」

「こういうのは、やむを得ない事情があった事にしないとダメなんだ。悪魔から逃げそびれて破壊されたでは、そうとは言えない。だから何か別の理由をつくらないといかんのだよ」

「嘘はダメだって、ボク思うけど」

「お役所ってとこはな、たとえ嘘でも建前でもいいんだ。とにかく、必要不可欠のやむを得ない事情があったていの書類が必要とされるんだよ」

「あっそう。帰る途中にゆっくり考えてよ」

「冷たい奴だな。ああ、どんな事情がいいのやら……」

 亘は口をへの字にして呟いた。結局の所、真に恐れるべきは恐ろしい悪魔ではなく杓子定規な味方であるのだろう。そして伏せの状態で待機している大きな狐の背にまたがった。

 気の使えるサキの走りは、ややゆっくりだった。

 言い訳を考えつつ、ふと――人と見間違えた悪魔は、キセノン社で世話になった海部に似ていたと思い出していた。あのM字型した禿げ具合が確かに似ていた。

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