第163話 人間の知恵
亘は大木へと手をかけた。
「分かってるって、よっこらせっ、とぉ!」
年寄りじみた掛け声と共に、ひと抱えもある太い木が持ち上げられていく。何本も折り重なった状態で、これができるのは奥の手であるDPを暴走させているからに他ならない。
横に放り投げた木がドシンッと地響きをさせる。解放されたスオウはしかし、蛙口をポカンと開けたまま硬直していた。
「お主……なんちゅうヤツじゃ……」
大きな丸い目玉に驚愕の色が湛えられている。
亘はそれを間近で観察した。思えば、こんな悪魔らしい悪魔を間近で見るのは初めてのことだ。大抵はすぐ経験値とDPに変えてしまうのだから。
「スオウ、お前……もしかして……」
「な、なんじゃい」
「外来種か?」
「なんじゃとぉっ!?」
「いや食用系のウシガエルかと思って」
ただでさえ大きな目玉が更に大きくひん剥かれる。驚きなど消し飛んでしまい、代わりに怒りが満ちていく。
「なんちゅう失礼なヤツじゃ! ええい、それにじゃ! お主の従魔をあっちに行かせんかい! 儂を変な目で見とって恐いわっ!」
食用と聞きつけサキが口をモグモグさせていた。その目はスオウを見据え、唾を飲む姿は食味を想像しているに違いない。
「ささみ味?」
「サキ、食べたらだめだぞ。毒ガエルかもしれないだろ」
「その通りです。スオウさんは、どう見たってニホンヒキガエルなので毒があるはずですよ。ちなみにウシガエルなら毒はありませんからね」
側に来た七海が、えへんっと可愛らしく威張って知識を披露してみせた。
「おおっ、ナナゴンは物知りだな」
「だからゴンではありません。ゴンでは」
「この人間どもめが……」
大百足は大きく伸び上がり、触角を揺らめかせ狙いをつけだしている。そろそろ動きだしそうだ。真面目に警戒していた神楽が警告の声をあげる。
「もおっ! ナナちゃんまで混じったらダメだよ。ほらさ、また突っ込んで来るよ」
「おっと危ない」
亘はひょいっと七海を抱え飛び退いて避難した。サキもスオウも軽々としたジャンプで大百足の進路から飛び退いてみせる。巨大な回転体が高速で通過していき、先程投げ捨てた大きな木を粉々に踏み砕いていく。
「なんで俺を連れて逃げてくれないんだ。小父さんって、ホントにツンデレだぞ」
「だからツンデレの用法が間違ってる。イツキは身軽だから問題ないだろ。そんなことより、今は大百足だ。戦闘に集中せねば」
亘は首を捻ると周囲を見回した。
土が掘り返され生木は砕かれ、そこからの生々しいツンッとした強い臭いが鼻をつく。まるで土砂災害の発生した後の場所みたいだ。昔話のいくつかは土砂災害を元に教訓を込め語り継がれているが、こと大百足に関しては本物だった。
「昔話、昔話か……イツキ、苦無はまだあるか? あるなら一本くれないか」
「おっ、いいぜ。何か思いついたのか」
「昔話の例に倣おうかと思ってな。これでダメなら逃げるからな。そのつもりで準備しておいてくれ」
「了解だぜ」
亘は大百足を見据えたまま、不敵な様子で苦無をひと舐めした。同時にDPを暴走させ、身体能力を一気に増大させる。地を蹴り駆けだす。
大百足が通過した跡は一本道のようになっている。
しかし、そこは掘り返されたばかりで足がとられ走りにくい。それを避け、木々の間を駆ける。多少の枝葉はそのままに、太い幹だけを避けていく。
気分が高揚していき、あのスオウと手合わせした時のように、戦いへの期待に口角が吊り上がっていった。ついでに苦無を手にして忍者気分だ。
「ニンニン、っとぉ!」
稲妻の如く木々の間を駆け抜け、ダンッと地を蹴り黒く艶光りする外皮へ接近する。そのまま苦無を振るえば、あっさり切っ先が突き立つ。いかに今の亘が剛力であろうと、あり得ない程に易々とだ。
外皮を蹴って飛び離れた背後で、ギチギチとした耳障りな音が悲鳴のようにあがる。大百足は激しくのたうちだす。
「なんでだ……そっか、そういうことか。だったら俺もやるぜ!」
イツキが可愛いらしく苦無に舌を這わせ、投げつける。大百足の腹へと命中したそれは、同じく容易く突き刺さった。
様子を観察していた七海が声をあげる。
「今ならきっと魔法が効くはずです。アルル、『風魔法』で攻撃です」
風の刃が歩肢の何本かを切り飛ばした。
「さっすがナナちゃん、魔法が効いてるや。そんじゃあさ、ボクもやっちゃうよ。『雷魔法』だよ」
「んっ、『狐火』も」
神楽もサキも命令なしに攻撃を開始だす。光球が長い胴体の途中に命中し、大百足の身体をあっさり二つに引き千切る。ただし、そのため火球は外れてしまった。舌打ちとともに再度火球が放たれ、今度こそ分離した頭へと命中する。
大百足は炎の中で体液を焼かれのたうつが、それでもまだ蠢いている。普通の百足もしぶといが、それに輪をかけたしぶとさだ。
「そんじゃあさ、トドメいっくよー。『雷魔法』だー!」
集中していた神楽が巨大な光球を撃ちだした。
最初の大爆発を思い出したイツキとサキ、そしてスオウが避難しだす。七海もちょっと迷ったが避難する。
亘は獰猛な顔をしながら大百足を攻撃していたが、嫌な気配に気付き顔だけ振り向いたところでギョッとした。
「ちょっと待て、なにすんだ。この位置だと巻き添えになるだろが!」
大百足と戦っていた時よりも必死に逃げ出す。
巨大な光球が着弾し、大きな爆発で大百足を消し飛ばした。辺りに土砂が飛び散り、その中に亘の悲鳴が混じる。
「くそう、口の中まで土が入ったじゃないか。危ないだろうが!」
巨大なクレーターの端から、土砂をはね除けながら亘が立ち上がった。ほぼ全身が土にまみれ、口から吐き出すぐらい哀れな状態だ。
その傍らに神楽が飛んでいく。
「いいじゃないのさ。マスターなら大丈夫だって、ボク信じてたもん」
「もう神楽なんて信じてやらない」
「ひっどーい。なにさ、それ」
「どっちがだ。見ろ、全身土まみれじゃないか」
服を叩けば土埃が舞う。髪を掻きむしれば、小石が転がり出る。パンツの中まで土まみれであった。片足立ちで靴の中に入り込んだものを落としていると、イツキと七海がやって来た。
「あははっ、小父さん凄い有り様だぜ。俺が手伝ってやるよ」
「逃げてしまって、ごめんなさい」
「いやいいよ、気にしないでくれ」
優しい手つきで払ってくれる七海はいいとして、イツキは遠慮がない。それは力加減だけでなく、叩く場所も含めてだ。
「ぐあっ!」
股間を叩かれ亘は悶絶した。踏んだり蹴ったりとは、このことだ。
「あ、悪い。痛かったか? 撫でてやろっか」
「おいよせ」
亘は前屈みで苦しみながら、シッシと邪険にイツキを追いやった。そんなことされたら、別の意味で歩けなくなってしまう。
銀髪を揺らしスオウが近寄ってきた。小柄な体躯でキュワッと見上げてくると、見慣れたせいもあり愛嬌を感じてしまう。
「武器に唾を塗っておったな。なんじゃ、お主らの唾は猛毒じゃったのか? 儂を毒蛙呼ばわりしておいて、お主らは毒人間じゃったか」
「違う。いいか、大百足ってのは人間の唾に弱いんだ。昔話なんかだと定番だな」
「クワーッ! これじゃから人間ってやつは油断ならぬわい。くわばら、くわばら」
「か弱い人間の生きる知恵ってやつだよ。さてDPも回収できたか、結構な大物だったな」
スマホに獲得DPが表示されたことで、大百足が完全に倒されたことが確認できる。けれど、これまでにもアマクニが何度か倒しているように、何十年かすれば復活するだろう。折角弱点を把握したのだ。できれば週単位で大百足狩りができるようになれば良いのだが。
相変わらずなことを考えていると、スオウが何やら言いづらそうに口を開いた。さっきの軽口は前置きだったらしい。
「なんじゃな、えっとじゃな……さっきは助かったわい」
「うん? なんのことだ」
「ほれ、儂を助けてくれたじゃろ。言っておくが、勘違いするでないぞ。別に感謝なんてしとらんのじゃからな」
「…………」
亘はやるせない気分に襲われた。
どうして蛙なんぞからツンデレめいたことを言われねばならないのだろうか。深々と、それはもう深々とため息をつく。
「なんじゃい、この儂が折角感謝してやっておるというに。いや、感謝なんてしておらんのじゃった」
「別にいいさ。スオウとは仲間だろ……そのつもりなんだが、違ったか?」
亘は遠慮がちに確認した。本当は友達と言いたかったが、そこまで流石に気恥ずかしかったのだ。
一方でスオウの方は口をポカンと開け、下から亘の顔を見上げる。そして、下を向くと水掻きのある手を摺り合わせ、足元の土を数度踏みしめた。
「仲間……そうか、こんな儂を仲間と呼んでくれるのか……ああもちろんじゃ、お主は儂の仲間じゃ」
そして、亘とスオウは握手をする。ヒンヤリして軽く湿った蛙の皮膚は、吸い付いくようで少し心地よいものだった。なお、何故かサキが残念そうな顔をしている。いつか食べる気だったのかもしれない。
未来の危機を知らず逃れたスオウは一人歩きだした。
「そんなら儂はここらで失礼させて貰うわい」
「なんだ、アマクニ様の所に戻らないのか」
振り返った蛙顔がションボリする。肩をすくめる仕草も含め表情豊かだ。
「結局のとこ、儂は何もできなんだ。これでは桜の姫に会わす顔がないわい。お主から、よろしくお伝えしてくれ」
「意外と奥ゆかしいのな」
「当然じゃ。儂は謙虚にして礼節を弁えておるわい。さてと、機会があれば儂の異界に遊びに来るといい。あの雨竜に手を出さねば、トカゲどもなら好きにしてよいでな」
「酷い異界の主もいたもんだ」
「お互い様じゃ、クケケっ。そんならな」
スオウは楽しげに笑うと、大穴に出来た淵へと跳ねていった。そのまま、ぽちゃんと飛び込み水の音を響かせる。しばらくスイスイ泳いでいたかと思うと、水中に潜り姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます