閑8話(1) 安っぽい正義感
ある日、五条亘はキセノン社を訪れていた。
自発的に来たものではなく新藤社長から呼び出されてのことだが、迎えの車は断って自分の車で来た。あまり高級車の送迎に慣れてしまうと、人間が腐ってしまいそうで止めておいたのだ。
今回の用件は聞いていない。「お楽しみに」との言葉ではぐらかされているが、以前のような会社内で異界が発生した等の厄介事ではなさそうだ。けれど正体が悪魔の新藤社長と会うこと自体が、気の重いことではあった。
そんな亘の気を知るよしもなく、新藤社長は手放しで歓迎してくれた。インテリヤクザめいた顔を嬉しげにし、目を細めて微笑んでいる。
「おお、よく来てくれましたね。せっかくの休日なのに呼び出して申し訳ありませんね。実は五条君に協力して欲しい実験がありましてね」
「お気になさらず。今日は異界でも、ぶらつこうかと思ってた程度ですから」
「くくくっ。異界を散歩気分でぶらつこうとは、実に五条君らしい。でもまあ、今日は来て頂いただけのメリットはあると思いますよ。さあ、実験場まで一緒に来ていただけますか」
そうして新藤社長の案内で移動し到着したのは、異界化した際に訪れたことがあるフロアだ。監禁目的のような部屋が並ぶ通路を通り抜け、そこが異界化で偶然発生したのではないと知る。
どうしてこの場所に連れて来られたのかと内心はビクつきつつも、それでも亘は表面上は平然としてみせる。そんな様子に、新藤社長は軽く笑ってみせた。
「このフロアですけど、五条君が思っている通りの目的で使用していますよ。ほら、異界の中でご覧になったのと同じでしょう」
「……まあ、一通りは見させて貰いましたよ。それで今日の実験ですけど、できれば人体実験以外でお願いします」
素知らぬ顔で宣言すると新藤社長が破顔した。
「くくくっ。本当に五条君はいいね、実にいい。安っぽい正義感に囚われたりしないなんて、最高だよ。もちろん安心して下さいよ、実験は簡単なものです。最終確認のようなものです」
「それなら安心しときますよ」
亘はほっとしながら笑った。
技術は理論、実験、研究の上で成り立つ。まず理論があり、それが本当に正しいか確認するために実験を行う。その実験結果を確認検証し、次に繋げるのが研究だ。基本的にはこれをトライアンドエラーしていきながら、技術が確立される。
そしてDP関連は未知の分野だ。
技術蓄積や実績のある分野と違って、DP関連はそれらがない。しかも『デーモンルーラー』は人間を対象に作動するのだ。技術として確立させるために人体実験をしないはずがない。そうでなければ本当に動作するか不明であるし、使用者に与える影響も把握できないのだから。
亘は人体実験を非難する資格が、自分にはないと考えている。なぜなら、そうした犠牲の上に成り立つ技術を使い、なおかつ放棄する気がないからだ。自分の都合の良い部分には目をつぶって利益を享受しながら、その過程に行われることだけに文句を言うほど厚顔無恥ではない。
◆◆◆
「さあここが今日の実験をする場所ですよ」
扉を先に通った新藤が両手を広げてみせる。
そこは部屋と呼ぶには少々大きすぎ、幾つかのフロアをぶち抜きつなげた正方形な場所だ。壁面も床面も全てガラスのように光沢のある材で覆われ、そこに小さな光が等間隔で並んだ幻想的な光景が広がっている。
「うわっ……」
「ふふふ、どうです。凄いでしょう」
圧倒される亘を眺め、新藤社長は悪戯の成功した子供のような顔をした。これが見せたかったという様子だ。
「ここはですね、疑似的に異界を再現できる部屋なんです」
「疑似的に?」
「そうです。これまでの研究成果から、ようやくこの一室程度でなら人工的な異界を発生させられるようになったんですよ」
「人工異界ですか、それは凄い。そうするとバーチャルリアリティみたいに、リゾート地や観光地を好きに創り出すとかできますかね」
「それはいいですね、その案を頂きましょう。ですが、今はまだそこまでは無理です。せいぜい現実と切り離した空間ができるだけですよ」
理論上は大量のDPを使えば異界を発生させることは可能だという。しかし現在の段階では、ほんの一室を異界化させることで精一杯らしい。
「それでも凄いですよ。いや、実に凄い。凄いという感想しか出ないぐらい凄い。実験とは、その人工的な異界を発生させるものですか?」
「ああ違います。お願いしたいのは、試作アプリのテスターですよ」
「ほう、試作アプリ。それまたどうして自分を?」
「今回のアプリは、契約者自身が戦闘する場合に使えるアプリなんですよ。実のところ、うちの対策班も従魔を使った戦い方が基本なんです。五条君の戦闘スタイルを耳にしましたから、丁度良いかと」
「そうですか……」
誰が情報を洩らしたかは考えるまでもない。女性職員相手に鼻の下を伸ばすチャラ夫の姿が脳裏に浮かぶ。話されて困るものではないが、しかし今後のチャラ夫に対する情報統制を見直さねばならないだろう。
「おや丁度、法成寺君が来ましたね。彼はうちのDP部門研究の総括をする主任研究員でしてね、いわばDP研究における第一人者ですよ」
先程入った扉から白衣の研究員が現れた。小太りな脂ぎった肌の男で、着ている白衣は食べかすやら染みやらで汚れている。そして研究者でなく、コンピュータオタクといった雰囲気だ。
しかしキラキラと自信と熱意に満ちた目のせいで、不思議と不快な印象はない。
「どもどもー、開発担当の法成寺ですぞー。んんんっ、今日は来てくれてありがとさんですねー。これでやっとこさ、新しいアプリの研究が進みますよ」
「五条です。よろしくお願いします」
「試作アプリをインストールしますんでー、実験の前にスマホを貸して貰えます? あ、そうそう先に自分の従魔を召喚しといて下さいよー」
フランクな砕けた感じの喋り口調だが、変に難しい言葉を使われるよりよっぽどいいものだ。
亘はスマホを操作して神楽を喚び出した。だが、神楽は画面からちょっと頭を出したところで様子を窺っている。新藤社長が苦手な神楽にとって、顔を出すのもやっとな状況だ。
「ほら、出ておいでよ」
再度亘が促すと、しぶしぶ姿を現した。しかし法成寺研究員が感嘆の声をあげたものだから、ぴゃあっと驚いて亘の襟元へと潜り込んでしまった。
「んん! んんん!? これはスンパラシー、巫女さんではないですかー! はっ! もしかして軽装甲巫女服を注文してくれたの、五条さん?」
「あ、そうですが……もしかして……制作者は法成寺さん?」
「実はそうなんですー! あの軽装甲巫女服は、拙者がデザインしてプログラムを仕上げたのですね。自画自賛ですが素晴らしいでしょ。あの毛引縅の部分はテクスチャだけで丸一日かけたんです。あ、着てるとこ見せて貰えません?」
一体どんなセンスの持ち主が思いつくのか疑問だったが、目の前に居るような人間だったら納得だ。つまり変人ということである。
「うちの神楽は人見知りなんで、それはまたいずれということで」
「それは残念。神楽ちゃんは恥ずかしがり屋さんですかー。んんんっ、恥ずかしがり屋の巫女さん! いいじゃないですか、これは滾りますねー」
えふえふと笑う声に亘は嫌な予感に捕らわれた。娘を守ろうとする親の気持ちで、適当に話を逸らしておく。
「巫女服と装甲の融合という発想は素晴らしいですねえ。しかし、次は西洋甲冑風でもお願いしたいところですね」
「和洋折衷! そういうのもあるのか……ああ、巫女服には和の鎧しかないと思っていた自分が恥ずかちぃ! そこがゴールだと満足して、そこから先を思いつかなかった! 拙者は愚か者だぁ!」
法成寺は頭を抱え叫びだした。こういう手合いはチャラ夫で慣れている。なんだか弄ってやりたくなってしまう。
「だったら武器として銃とかどうです。巨大な銃を構えて戦う巫女さんとか?」
「あ゛あ゛あああ!! それイイー! 凄くイイー! 滾った、滾りました! それ、すぐプログラムして送ります! その代わり装備した姿を是非に見せて下さいねー! お願いしますんでー! 神楽ちゃんが恥ずかしがり屋さんなら、画像だけでもいいんで!」
これで神楽の新武器ゲットだぜと、ちょろい研究員を眺めながら亘はほくそ笑んだ。けれど、当の神楽は奇怪な人間に恐れをなし、亘の懐に潜り込んだままガクブルしていた。
そこでようやく新藤社長が咳ばらいをして割り込んだ。
「法成寺君、そろそろ今日の実験を開始しようじゃありませんか」
「はっ! そうでしたぞ。じゃあ、五条さんのスマホをお借りいたす。あ、鎧と武器の件くれぐれも頼みますんで。マジなんですぞ!」
スマホを受け取った法成寺研究員は念押しすると、イソイソと扉から出て行った。小太りな体躯でスキップをしているぐらいだ。
それを見送り、困ったものだと呟く新藤社長は微苦笑していた。
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