第127話 暗く苦しい異界の海

 迷う藤島秘書へと七海が詰め寄り頭を下げ頼み込む。

「お願いします。一刻も早く、異界の主を倒さないとダメなんです。私たちだけでは無理なんです。協力をお願いします」

「ウチからもお願いや。手を貸して欲しいんや」

「しかし……」

「藤島さん、なーに心配いりませんよ。あの程度の異界の主なら、僕らが余裕で倒してみせますよ。ふっ」

 中堂が気取った様子で前髪を払ってみせる。イケメンなので似合う仕草だが、それを見せた相手からは反感しか生まれていない。藤島秘書と七海は無表情となり、エルムは眉間を寄せ不快を表明した。

 それにも気付かず、中堂は自分に酔ったように両手を広げる。

「まったく。お嬢さんを危険な目に遭わせたあげく、自分がやられてしまうなんてね。三条さんも情けないですね。おっと、五条さんでしたね」

「…………」

「ああ睨まないで、可愛い顔が台無しだよ。まあ見てて御覧よ、あんな悪魔なんて僕らがすぐ片付けてみせるからね」

 そんな中堂の態度に七海がついに目を怒らせる。それでもグッと堪えるのは、一刻も早く海法師を倒し、水中に沈んだ亘を救わねばならないためだ。ただその一念で七海は怒りを抑えていた。

 エルムも同じでサキと一緒になって歯をギリギリと噛みしめている。


 一方で浮遊する神楽の足下へと、砂を蹴散らし小太りの法成寺が突進すると跪く。讃えるように両手を捧げ、仰ぎ見る。

「神楽ちゃーん、ご無事なりか!? ああ無事で良かった」

「無事じゃないやい、マスターが、マスターが海に沈んじゃったんだよ!」

「なんですとー。そりゃいけないですぞ。溺れて三分以内なら意識はあるけども、その後は意識を失って溺死しちゃいますよー」

「うっさいやい、バカバカ!」

「ああごめんね、ごめんねー」

 怒り狂った神楽が顔を真っ赤にして両手を振り回しだし、法成寺が大慌てで謝りだす。そして、その説明を聞いたエルムも大いに慌てる。

「そんなら、もう時間がないわ。早う攻撃して倒して、早う潜って助けんとあかんやないか!」

「慌てない慌てない。じゃあ僕の指示で一斉攻撃をしようか。いいね……さあ攻撃開始だ」

 逆なでするように中堂がのんびりした声で指示し、キセノン社の従魔たちが一斉に魔法を飛ばす。それに神楽やサキにアルルまでも混じっての総攻撃だ。射程距離の短いガルムも何の意味もないが咆えて気分だけ参加している。

 そんな激しい砲撃のような攻撃を受け、海法師の身体がみるみる削られていく。腕がもげ腹に穴が開き、腐った肉と黒い血が海を染める。

「どうだい圧倒的じゃないか、我が社は!」

 中堂が高笑いをあげるが、しかしそこまでだった。

 海法師の身体は見る間に修復されてしまう。しかも怒った海法師が子供のように水面を叩き、水飛沫を飛ばし攻撃しだした。慌てて避ける中、余裕で笑っていた中堂の顔に一滴が命中した。

 一滴とはいえ人の頭並の大きさがある水塊だ。中堂は鼻血を流し悶絶した。

「ああっ、くそっ。僕の顔に傷が! これはもうダメですね。逃げましょう」

「そんな! 諦めが早すぎやで!」

「僕には皆を守る義務があるからね、うん。特に君たち若い子を危険な目には合わせられないんだよ。大人としての責任があるからね。さあ早く逃げよう」

 中堂が鼻血を垂らした顔で手を伸ばすが、七海はそれを払いのける。別にその手が鼻血まみれだからではない。

「逃げたいなら一人で逃げて下さい! 私は諦めたりなんてしません!」

「そやで、ウチかて同じや!」

「ボクだってさ、諦めないんだからね。こうなったら全力の全力の全力で、全部の魔力を使い切ってみせるんだ!」

「俺っちだって諦めないっす! 綾さん、悪いっすけど。俺っちは残るっす」

 それぞれが声を荒らげる場面でサキがビクッと首をすくめ、海を見ながら後ずさった。

「ああ……出た」

 サキは金の髪を抱え込み、その場にしゃがみ込みガタガタ震えだした。見た目そのままな幼い子供の怯える仕草に周囲が訝しがっていると――。


 突如、水中から閃光が迸る。

 同時に強大なDPの蠢く気配が、全員へと押し寄せる。感じられる圧倒的威圧感が人間たちを恐怖に陥れていく。キセノン社の従魔たちは怯えきり、サキ同様に地へと伏すか勝手にスマホへと逃げ込んでしまう。

「バカなこんな……バカな……そんなバカな」

 中堂は鼻を押さえながら、蹌踉めくように後退る。ごく普通人でしかないキララは腰を抜かし座り込んでしまい、声さえ出せず震えガチガチと歯を打ち鳴らしたままだ。

「なんです、これは!」

「綾さんは俺、俺っちが、まもまも守るっす、守ってみせるっす……」

 冷静なはずの藤島秘書が狼狽し、自分の恋人へとしがみつく。そのチャラ夫は顔を青くせさ情けなく足を震わせているが、それでも彼女の肩を抱こうと手を伸ばす。

 殆どの者がそんな感じで威に打たれたように動けず、エルムもへたりこんで砂地の上にぺたんとお尻をついてしまった。

 そして神楽は――。

「この気配ってさ、まさか! でもそんな! これがマスターなの!?」

「そうですよ。この感じです!」

 七海だけが顔を輝かせる。喜びの声をあげ、その名を呼ぶ。

「五条さんです!」

 それを合図にしたように、水中から何かが飛び出した。空中で回転し砂浜へと着地すると、ブルッとして水を跳ね飛ばすのは亘だ。

 眼には朱色の燐光が宿り、その身には溢れ出したDPの雷光を纏わり付いている。APスキルと操身之術という異なる術式を併用せしめ、溜め込んだDPを消費し暴走させながら莫大な力へと変えているのだ。

 その姿に神楽が唖然とし、慌てたように声をかける。

「マスター、その姿は――」

「話は後だ」

「でも! その姿――」

「DPが勿体ない。まずは、あいつを倒す」

 亘は顔を上げたまま巨大な海法師を睨み付ける。呼び止めようとする神楽を置き、砂浜を走り出す。巻き上げるように砂を蹴散らし突進すると、砂地を蹴って跳び上がって空中で身体を回転させながら蹴りを放つ。

 その動きは怒りに満ちていた。

 暗く苦しい異界の海の底で思い浮かんだのは、怒りだ。大人になったチャラ夫しかり、イケメンな中堂しかり、身勝手なキララしかり。そして何より不甲斐ない自分とその境遇。

 それら全ての怒りを力へと変え、トラウマを乗り越えてみせたのだ。、

『ぐおおおっ!』

 斜めに蹴られた海法師が浅瀬へと倒れ込む。ダメージも大きいが、それより驚きが大きく、呻くような声をあげ倒れ伏したままだ。

 水を跳ね上げ爆走した亘がボロ布の衣を掴み、えいやと陸上に引きずり上げてみせる。その圧倒的力の前に抗うこともできず、海法師は水から完全に引き離されてしまった。

 陸に上がった途端、海法師は急速に弱りだし苦しげな声をあげる。

『バカな、こんな童て……うごっ』

「死ねええええっ!」

 海法師が何かを言いかけ、亘は大声をあげ強烈な蹴りで黙らせる。その後は執拗に喉を狙い、余計なことを言わせないための口封じにかかる。海法師の首がへし折れ、腐った肉が裂けながら、あり得ない方向に曲がった。

「黙って消えろ! おい神楽とサキは何をぼさっとしている! こいつを消し飛ばさないか!」

「ひぃ、『雷魔法』、『雷魔法』、『雷魔法』、『雷魔法』」

「『狐火』、『狐火』『狐火』『狐火』『狐火』」

 憤怒の籠もった命令に従魔二体は震え上がり、速射砲のごとく魔法を連射しだす。飛来した魔法が海法師を爆発と火炎で包み込んだ。陸上にあっては回復することも出来ず、海法師の長い生涯に終止符を打った。

 だが亘の戦いへの欲求は止まらない。いつしか戦闘の高揚に呑まれ、もっと戦いたい気分がこみ上げてくるのだ。

「ああ、まだ戦いたい足りぬな。次はどいつだ」

 勢揃いした人間たちへと向けた目を炯々とさせ、獲物を見定めるように検分していく。殆どは怯み硬直しながら見つめ、そうでない者も視線を背けつつチラチラと見てくる。その中で相当な力を秘めた悪魔が……いや、神楽だ。そう神楽が飛んできた。

「マスターあのね、あのね」

「くそっ、まだ戦いたい。このままだと……皆を攻撃してしまいそうだ」

「そんなことより。あのね。そのね大変だよ」

「これ以上は持たない。早く逃げてくれ!」

 亘は苦しげに腕を掴み歯を噛みしめる。息づかいは荒く、暴走する自分を抑えようと必死だ。しかし目に宿る紅い燐光が徐々に強まりギラギラと輝きだす。

 だが神楽は冷静だ。

「パンツ穿いてないよ」

「くっ、鎮まれ俺の右腕……え?」

 暴走を堪えていた亘は下を見た……辺りを見た。

「…………」

 海中から飛び出した辺りに、見覚えのある布が浮いていた。海パンだ。普通は脱げたりしないが、あの勢いで水中から飛び出したりすれば脱げても仕方ないだろう。

 あれほど昂ぶっていたDPの暴走が、血の気が引くのと一緒に引いていく。

「五条さんっ。あのあのっ、私の上着を使って下さい」

 顔を真っ赤にした七海が駆けて来ると、慌てた様子でパーカーを脱ぎだした。それはまるっきりの善意の行動だ。善意でしかない。

 パーカーを脱ぐ仕草で、水着一枚に覆われた豊かな胸が亘に向かって突き出される。そしてくびれた腰に滑らかな肌、可愛らしいお臍までもが目の前に現れた。

 そんなものを目の前で見せられれば、男なら当然反応する。

「マスター……ううん、何でもないや……」

 優しい神楽はそれ以上何も言わず、海パンを回収しに飛んでいった。

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