閑48話 これは一文字ヒヨとして
悪魔の群れに事務服姿の女性が突撃する。
「マルギタコウブセサンマクリホンサンシホウ、っえい!」
気合いと共に放たれた符は矢の如く飛翔、数体を巻き込みながら異界の主級悪魔を閃光と共に消し飛ばす。その間にも女性の動きは止まらず華奢な身体で俊敏に駆け、瓦礫の残る地面を飛ぶように走り大きくジャンプ。
手に構える符を次々と四方へと投げつけた。
「ハノカネガワガネシンムネイオリ!」
閃光の中に女性が着地すると、周囲の悪魔の大半は一掃されていた。
これこそがアマテラスにその者あり、と謳われる一文字家を継いだ女性。一文字ヒヨであった。実動部隊として各地を転戦し、悪魔を倒し人々を救い続けていた。戦うほどに強くなり、今では異界の主級とも充分に渡り合えるほどだ。どうやら元からの才能が、このDP飽和という異常事態において開花したらしい。
「圧倒的じゃないか、我がピヨ様は」
「いかほどの悪魔が残っていようと、それはすでに骸ですね」
「あえて言おう勝ちであると」
「我らのピヨ様の戦いぶり……ご覧くださいよ」
後ろを追いかける事務服姿の男女は感嘆しながら、討ち漏らされた悪魔を倒している。彼らはヒヨの部下で今し方の攻撃に比べれば遙かに弱いものの、互いに連携し残りの悪魔を確実に手早く仕留めてしまう。
手の甲で汗を拭う真似をするヒヨは反省した。
「私もまだまだですね、思ったより倒し切れませんでしたから。皆のフォローがなかったらダメなんです。あっ、ありがとう」
すかさず駆け寄った部下が魔法瓶のお茶を差し出せば、礼を言って受け取り飲み干すと、軽く乱れた息を整えた。
「うん、この辺りはこれで大丈夫そうですよね。次に行きましょう」
「ピヨ様、少しはお休み頂きませんと」
「ダメなんですよ、吉兄ちゃん――NATSの正中氏も限界まで頑張ってます。ここで人々を救わずして、どうして一文字を名乗れますか。
「お言葉ですが、長谷部様のお言葉を思い出して下さい」
事務服姿の男は苦言を呈する。
普段のヒヨはピヨと呼ばれると反射的にピヨを否定する。それが今のヒヨはピヨ呼びされて気付かない状態なのだ。この状態がマズくないわけがない。
「調子が良い時ほど限界に近く、ミスが多くなるので危険。そう仰られていたではありませんか」
「うっ、そういえば志緒さんが言っていたような」
「まだ行けると頭で思っても、身体が限界で付いていけなくなる状況なのです」
「なるほど、それ分かります。ご飯の後に何となくお腹が空いたのでお握りを食べてしまうと後で苦しくなる。それと同じですね」
「ええ、まあ……概ね大筋では同じと言えるのではないかと」
ヒヨの部下はアマテラスに仕える一族の次男次女などで形成されている。
一族における次男次女男は良くて跡取りのスペアで穀潰し扱い、悪ければ使い潰しが通例。三男三女以降ともなれば術理の実験台がマシな方という運命にあった。故に、自分たちを引き立て、役まで与えてくれたヒヨに対する忠誠心は極めて高い。
たとえ何があろうと彼らの忠誠心は少しも揺らがないのだ。
「分かりました、では休憩を取っちゃいます。皆も休んで下さい」
すかさず日陰の風通しが良く安全そうな場所に緋毛氈が敷かれる。
ヒヨがそこに座ると部下たちは休憩の邪魔をせぬ程度に散開し、休憩のフリをしながら周囲を警戒しだした。目的はヒヨを休ませる事だけにあって、自分たちの事は二の次三の次でしかないのだ。
「ところで福岡家、吉岡家、片山家の御三家で討伐隊を組んだと聞きますけど、あれ正中家たちはどうなったのです? もしかして仲間はずれとか?」
「伝手で聞いた話ではありますが、別で動いておるようです。どうにも一部の国会議員連中を背後に付けたらしく、この機会に名を成さしめようと分家連中をかき集めたのだとか」
「ふぇっ! それ内輪もめじゃないですか。思ったより大変そうな……」
ヒヨは面倒事にサメザメと泣いた。
「ううっ、お腹痛くなってきましたよ。これは一文字ヒヨとして注意をしなきゃダメな案件ですよね」
「そう仰ると思われまして雲林院様から言づてでございます。互いに競い成果をあげればよし、足を引っ張るならアマテラスとして制裁を下す。ですから関わらず放置して欲しいそうです」
「なるほど、そうですね。雲林院様が言うならそうしましょう!」
ヒヨは勢い込んで言った。
面倒事は上司の雲林院任せというのが方針だ。気ぜわしい話題を変えるため、それまで会話をしていた部下と女性部下がさりげなく場所を変わる。
「ピヨ様のお肌って綺麗。どんな手入れをされているのか教えて下さい」
「お肌の手入れですか、それ聞いて下さいよ。志緒さんのところのリネアさんにスライムエステして貰ったのです。ほらピカピカでしょう」
「本当です、羨ましい。でもピヨ様は元からお肌がよろしゅうございますので」
「うーん、そうなんですか。自分ではよく分かりませんね、えへへっ」
小首を捻りながら応えるヒヨだが、少し嬉しそうだ。実を言えば二十代の後半に突入し、いろいろ気になるお年頃なのだ。
「ピヨ様、最近何かお困り事とかないですか?」
「困り事ですか、それ聞いて下さいよ」
部下たちの目付きが鋭くなり、一言一句を聞き漏らすまいと集中しだした。
「最近はお握りを食べる機会がなくて悲しいんですよ」
「お握りですか!? 分かりました我々でご用意いたしましょう」
「えっ? 違います違います必要ありません。そんなつもりで言ったわけじゃありませんから」
「ですがピヨ様がお食べになりたいのなら、ご用意しますので」
言いつのる部下の前でヒヨは誇るほどもない胸を張った。
「いいですか、私は特別に用意されたお握りは食べたくないです。ごく普通に日常生活で出るお握りを食べたいだけなのです。皆で食べるからこそ美味しくて、一人だけで食べては、お握り様が泣いてしまうじゃないですか」
「は、はぁ……?」
その理屈は誰も分からなかったが、少なくともヒヨが疲れている事は分かった。お労しや、と小さな泣き声まで聞こえてくる。
だが、ヒヨは少しも気付かずうっとりとした。
「やっぱり具は梅干しですよね。それも小粒でなくて果肉たっぷりの大粒で、しっかり塩が利いた梅干しですよ。もちろん種ありでないと食べた気が――」
「ヒヨ様! 一大事です!」
だが、そこに偵察に出ていた部下の一人が戻ってきた。
通常であれば他の者が押し止めただろう。ヒヨに休憩を取らせる事こそが優先なのだから。だが、戻って来た者の形相を見れば、そしてピヨでなくヒヨと呼んだ声を聞けば苦渋の思いで行かせざるを得なかった。
「向こうに悪魔に捕らわれた多数の子供がいます」
その報にヒヨは血相を変え立ち上がった。
「案内して下さい!」
「こちらです!」
ヒヨは走りだす。道を塞ぐ車を踏み越え、崩れたビルの残骸を乗り越えた。案内する部下の健脚に感心しつつ後を追う。その他の部下が付いて来られない状態だが、構いもしない。
限界に達した部下は走りながら転倒。
だがヒヨは最後に示された方向へと、まっしぐらに進み――見つけた。瓦礫の山の一番上に座る小柄な悪魔と、その足下の地面に座り込む捕らわれの子供たち。
「このっ! マルギタコウブセサンマクリホンサンシホウっ!」
先程は異界の主を消し飛ばした符は、多数の手下を従えた悪魔に命中する。
「ギュワーっ、なんじゃいこりゃぁ!」
蛙顔の悪魔はゲコゲコ鳴くだけで、大したダメージを受けた様子はなかった。
子供なら丸呑みできそうな大きな口でに長い舌。頭部に僅かな銀髪が載り、手足はデフォルメされたようなもの。黒みがかった緑茶色の体表には小さなイボがデコボコと、しかし腹は白く滑らかで太鼓のように膨らんでいる。
「うそっ、倒せないなんて。でも、子供たちを救わないと」
ヒヨは驚きながら決意を新たに符を構える。
「待て待て、待たんか人間。落ち着くのじゃ」
「黙りなさい。次の一撃で!」
「いや待て。お主が攻撃すると子供らが危険じゃろが!」
「くっ、子供を人質にするなんて。何て悪辣な……」
「どこがじゃ誰がじゃ、よく見てものを言わんかい!」
「でも私は絶対に子供たちを救ってみせます。それこそが私の使命なんです」
そして必殺の符が投げつけられるのだが、蛙顔の悪魔は小さな瓦礫を投げる事で迎撃してしてしまう。これは並の相手でないとヒヨは悟った。今は何故か攻撃せず守りに入っているが、もし防御せず攻めに移れば危ないかもしれない。
だが、逃げるという選択はヒヨにはなかった。子供達をなんとしても救わねばならず、それはたとえ差し違えてでも成さねばならない。
覚悟を決めると、相手の悪魔も理解したのだろう。目付きと気配が変わる。
両者が次の一手を伺い睨み合う――と、そこで子供たちが動いた。一斉に蛙顔の悪魔の前に立ち両手を広げたのだ。
そしてヒヨを睨み付ける。
「おばさん、カエルさんを虐めないで!」
ヒヨの戦意は霧散、正しくは木っ端微塵に心折られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます